14.三百枚刷るし、新しい地図も作る!
数日後、宿屋へ顔を出すと、女将さんが私を見つけるなり一通の手紙を持ってきた。
「お嬢様、この前泊まった方から、こんな手紙が届いたんですよ」
見せてもらうと、その人は王都に住む家族への手紙に案内図を一枚入れて帰ったそうだ。
そして今度は、その家族から「同じものを三枚送ってほしい」と頼まれたという。
一枚は自分たち用、残りの二枚は親戚へ渡すとも書いてある。
ハイモア港案内図、大人気!? すごーい!
手紙の話をラルフとしながら宿屋を出た。
ラルフも嬉しそうで、私の『嬉しい』はもっと膨らんだ。
よーし、さらに頑張ろう!
しかも、屋敷へ戻る途中でも地図の話は終わらなかった。
馬車の待合所の前を通りかかったところで、待合所の管理人に呼び止められた。
「ジャクリーンお嬢様!」
管理人の手には、擦り切れた地図が一枚ある。
ここは王都行きと領内行きの馬車が出る場所で、壁には出発時刻を書いた札がずらりと並んでいた。
「王都の待合所から連絡がありまして。こちらへ来るお客が、出発前にこの地図をもらえないかと聞くようになったそうです」
「え? 王都の待合所で地図を見たの?」
「いいえ。商会や知り合いの家で、と。こちらへ着いてから宿屋へ取りに行くより、王都を出る前に渡してほしいそうです」
依頼は、王都の待合所にも継続して地図を置きたいというものだった。
まず五十枚、その後も減った分を送ってほしいらしい。
私はラルフの腕を掴んだ。
「ねえ! 三百枚、本当に必要になりそうじゃない? 褒めてもいいよ?」
「トリスタン様へ報告して、正式に認められたら褒めます」
では、兄様を納得させようではないか。
私のやる気、もっともっとぐんぐんです!
◇
ミドルトン商会からゴードンとレナが屋敷へ来たのは、冬灯祭の飾りを作る職人が町の広場へ木材を運び始めた頃だった。
兄様の執務室には、王都の取引先から届いた注文、ブレンダ姉様の友人からの手紙、宿屋へ届いた手紙、馬車の待合所からの依頼書が並べられていた。
ゴードンは椅子へ手をかける前に、兄様へ頭を下げた。
「トリスタン様。こちらが、王都の取引先から届いた注文です。ほかにも当商会へ地図の問い合わせが来ています」
「同じ人物から広がったものか?」
「いいえ。つながりのないところから、別々に届いております」
兄様は四つの書類を順番に読んだ。
レナは必要な紙の枚数、刷る費用、王都まで運ぶ費用を書いた紙を差し出す。
「うむ。今出ている注文と、この先の補充分を考えれば……三百枚刷ってもいいだろう」
「やったあ!」
思わず両手を上げた。
「だが、この先も同じ地図を無料で配り続けるなら、今までと同じだけ色を使うのは予算的に難しいな」
兄様の言葉に、私は前世の観光地を思い出した。
駅や案内所でもらえる薄い地図と、土産物屋で売られていた厚い紙の地図。
無料のほうは道が分かりやすくて、売り物のほうは景色やモチーフの絵が大きくて、色もたくさん使われていて、額へ入れて飾りたいくらい可愛かった。
「二種類にすればいいんじゃないかな」
全員の顔がこちらへ向いた。
「どうする気だ?」
兄様は、机に置かれた案内図へ目を向けた。
「役目を分けるの。無料版は目的の場所へ行くための文字情報がメインの地図。有料版はお店とか商品とかを可愛くカラフルに描いた、絵がメインの地図」
レナが二枚の紙へ、載せる項目を書き分け始めた。
ゴードンが兄様へ向き直る。
「印刷費と販売手数料を含めた値をつければ、継続できます。無料版については、伯爵家の発行物として配布先を決めていただきたいです」
店が閉まったり、開いている時間が変わったり、新しい道ができたりする。
描いて楽しいから完成、では終われない。
「季節が変わる前に、一度内容を確認するのはどう? 変更があったところは私が描き直す。ついでに季節ごとに色や絵を変えるの!」
「肝心の変更点は誰がまとめるんですか?」
レナが間髪を容れずに問う。
そこまでは考えてなかった。
けど、なんでこんなに刺々しいの?
む、と口を尖らせていると、ゴードンが私に片目を瞑ってみせてから口を開いた。
「変更点を商会がまとめ、お嬢様が絵と配置を直し、領主家に関わる情報は伯爵家で確認する形なら可能です」
兄様はゴードンの返事を聞き、机に置いた最初の案内図へ目を落とした。
「では、まず今の案内図を三百枚刷る。すでに希望が出ている分と、宿屋や待合所へ置く分はそこから出せ。その間に、新しい無料版と有料版を作る。完成したあとは、『ハイモア港案内図』をキャロル伯爵家が内容を確認する正式な観光案内として発行する。無料版は宿屋、市場、港、それから王都と領内の馬車の待合所へ置く。有料版の印刷と販売は、ミドルトン商会へ委託する」
「承知しました」
ゴードンが答える。
椅子から立ち上がりかけた私を、兄様が手で制した。
「正式な発行物になる以上、好き勝手には描けないぞ」
「うん!」
兄様はまだ何か言いたそうだったけど、最後には頷いた。
「よくここまで続けたな、ジャクリーン」
兄様が、私を褒めた!
「ラルフ!」
私は立ち上がり、壁際に控えていたラルフへ駆け寄った。両手で腕を掴むと、ラルフは兄様の前だからか、いつもより体を固くしたまま私を受け止める。
「今の聞いた? 兄様が褒めてくれたっ」
「聞いてましたよ。よかったですね」
私はラルフの腕を揺らした。
「んもう、褒めて? 約束したでしょ?」
「よく頑張りましたね。さすが、お嬢様です」
ラルフの声は従者のものだったけど、目元はいつも二人でいるときと同じだった。
兄様に認められたのも、地図が増えるのも嬉しいけど、ラルフに褒められるのが一番嬉しい。
「これで、うちの企画屋にも引き続き働いていただけますね」
ゴードンの声がして、兄様とラルフが同時に顔を顰めた。
「誰が貴殿の企画屋だ?」
「お嬢様は、ミドルトン商会の企画屋ではありません」
「失礼しました。キャロル家のお嬢様でしたね」
ゴードンは兄様へ頭を下げた。言葉は丁寧なのに、顔はラルフを見て面白がっている。
「お嬢様、離れてください」
「えー」
ラルフは私の手を外して、左に三歩逸れた。
この従者ときたら、人前では融通が利かない。
正式版の地図には、発行した季節と、キャロル伯爵家が内容を確認した印を入れることになった。
私は家の紋章を中央へ大きく描こうとしたけど、兄様に「道を隠してまで紋章を見せる必要はない」と言われ、端へ小さく配置することになった。
◇
三百枚の案内図はすぐに刷り始めてもらい、宿屋や待合所、それから地図を欲しいと言ってくれた人たちへ順番に渡していった。
その一方で、私は無料版と有料版の地図を描き直すのに追われた。
そして新しい二種類が刷り上がると、無料版は宿屋と市場、港、それから王都と領内の馬車の待合所へ置かれ、有料版は店頭へ並んだ。
その最初の一枚を買ってくれたのは、王都から来た旅人だった。
◇
市場では、地図を片手に町を歩く人を見かけることが増えた。
一度に何十人もの観光客が来るわけではない。
宿屋の前で馬車から二人降りる日もあれば、港で案内図を広げて立ち止まる人を一人見かける日もある。そのくらいの変化だけど、仕事ではなく町を歩きに来た人が、以前より目に入る。
◇
ある朝、私はラルフと市場の入口にいた。
冬灯祭の灯りを吊るす縄が通りの上へ渡され、屋台ではスパイスとしょっぱい匂いが競争している。
今日は焼きホタテ串も食べたい。胃袋が三つあれば全部いけるのに、人間の作りって不便だね。
「お嬢様、見てください」
ラルフが通りの向こうを示した。
オレンジがかった赤い外套を着た女性と、濃紺の外套を着た若い男性が、無料版の案内図を広げている。
あの赤、王都から取り寄せてる雑誌で見た。東方から伝わってきた色で、今流行ってるんだっけ。
女性の鞄からは、丸めた有料版の色鮮やかな端がのぞいていた。
「宿の方が、梨のタルトは今週で終わりだと言っていたわ」
「なら先に行こう。そのあと、貝殻のペンダントを見て、午後は灯台だな」
私が描いた地図と案内紙で、二人で回る順番を決めている?
もしかして、デートかな?
どこで有料版を買ったの? 最初に地図を見たのはどこ? 無料版は読みやすい? 店の印は分かった?
「ねえ、話しかけてもいいかな?」
「だめです」
「感想を聞くだけだよ」
私が若い男女へ顔を向けると、ラルフが進路を遮るように腕を出した。
「せっかくですから、地図だけで歩けるか確かめましょう。お嬢様が案内したら、地図だけで歩けるか分かりませんよ」
「でも、道を間違えたら?」
私が食い下がると、ラルフは二人の進む先へ目を向けた。
「そのときはさりげなく声をかけて、どこが分かりにくかったのか聞きましょう」
「……はあい」
若い男女は地図を手に、最初の角へ向かっている。
追いかけたい。前みたいに荷車を間に挟み、店の陰に隠れれば、ばれずに見られるかもしれない。
私は一歩出しかけて、止まった。
今は、宿屋の女将さんや店の人が教えてくれるし、王都からだって地図の話が届く。
全員のあとをつけなくても、どう使われたか分かるのだ。
「追いかけないけど、二人がちゃんと曲がるまで見てようかな」
ラルフは従者らしく立ったまま、追いかけたくなる私を止める壁になっている。
「我慢できて偉いですよ」
「まあね」
若い男女は角の前で足を止め、案内図と建物を見比べた。女性が焼き菓子の印を指でなぞって右を示し、そのまま梨のタルト店へ続く通りへ入っていく。
林檎を積んだ荷車の向こうへ二人の姿が見えなくなると、追いかけたい気持ちがむくむく出てきた。
どこで有料版を買ったのかも聞きたいし、最後に何を買うのかだって知りたい。
……でも、追いかけない。我慢する!




