13.なんで? なんで?
冬の到来って、遠慮の姿勢が足りないよね。
ノックもせず、断りも入れずに、隙間からするりと入って首元を直撃してくるのをやめてほしい。
ハイモア港に吹き込む海風は、見た目重視の上着では防ぎきれない冷たさである。
まあ、そのぶん温かい食べ物が美味しいんだけどね。
スパイスが効いた貝のスープ、生地を割ると湯気が出るパイシチュー、砂糖をまぶした揚げパン。全部大好き。
年末の冬灯祭を前に、屋台には星や灯りを描いた小さな札も増え始めている。
あ、『冬灯祭』っていうのは、一年を無事に過ごせたことに感謝して、家の窓や店先へ灯りを飾るお祭りのことね。
家族や親しい人と食事をして、恋人同士は贈り物を交換する。港では、海へ出た人が帰ってきたことも祝う。
前世で言うところのクリスマスみたいなものかな。
冬灯祭の飾りを眺めながら宿屋へ向かう途中、揚げパンを一つ買った。
朝食を食べてきたのに買ったのかって?
朝食と市場の揚げパンは別ものだよね!
「熱いから、気をつけて食べてくださいよ」
「うん。ね、半分こしよ?」
ラルフは紙に包まれた揚げパンを受け取り、真ん中から二つに割った。
そして、大きいほうを当然みたいに私へ寄越す。
「そっち、小さくない?」
「同じっすよ」
ラルフは大きさなど気にしていないらしく、自分の分を口元へ運んだ。
私もかじりつく。表面はかりっとして、中はふわもちで、砂糖が唇へつく。熱いけど美味しい。
揚げパンを考えた人は偉い。
残りを食べながら宿屋へ入ると、ラルフは私の横から一歩下がり、従者の佇まいに変わる。
さっきまで揚げパンを半分こしていたのに、扉一枚で別人みたいになる。私は扉をくぐっても私のままなのに。
「おはようございます、お嬢様」
受付にいた女将さんが頭を下げた。
その横に置いた籠は空っぽで、『ハイモア港案内図』が一枚も残っていない。
「……地図、しまっちゃったの?」
「いえいえ、はけたんですよ。昨日の夕方で最後でした。今朝、商会へ二十枚の追加をお願いしたところです。最近は、宿へ泊まっていない方も取りにいらっしゃるんですよ」
宿泊客ではない人も?
私は空の籠へ顔を近づけた。
「王都へ持ち帰りたいとおっしゃる方も増えましたねえ。旅の記念にするそうです。絵が可愛いから、部屋へ飾りたいんですって」
それって地図がお土産になっているということ?
「お姫さん、籠へ入る気か?」
背後から聞き慣れた声がして、私は顔を上げた。
ゴードンが入口に立ち、封を切った手紙をひらひらさせている。レナも一緒で、地図を入れた箱を腕に抱えていた。
「入らないもん」
「ふ。見てて飽きねえなあ」
ゴードンは言いながら手紙を私へ差し出す。
「王都の取引先からだ。前に梨のタルトを買って帰った商人が、お姫さんの案内紙と地図を商談相手へ見せたらしい。次にハイモア港へ来る連中へ渡したいから、四十枚送ってくれとさ」
「四十枚!」
宿屋の追加が二十枚。王都から四十枚。
この調子なら、すぐに百枚いっちゃうんじゃない?
それどころか、二百いくよね?
いや、もっといっちゃう?
「じゃあさ、三百枚刷ろうよ!」
「却下です。どこから三百って数字が出たんですか?」
レナに即座に止められた。
「必要な分だけ用意して足りなくなるより、多めに刷っておいたほうがいいかなって……思って……」
「はあ、そうですか」
レナは箱の中身を数えながら、私へ目だけを向ける。
う、責める目だ。
「……兄様に相談して、許可が出たらいい?」
恐る恐る、レナに聞いてみる。
「今日は屋敷にいらっしゃいますか?」
「いるよ。王都に残ってたお父様たちも、昨日帰ってきたの」
秋に戻る予定だったけど、王都での用事が延び、家族の帰領は初冬になったのだ。
◇
午後のお茶の時間、私は梨のタルト店の話と、王都から届いた注文について話した。
売り上げが増えたと報告すると、お父様は二度も褒めてくれた。
お母様は土産用の帯紙を手に取り、ブレンダ姉様は地図を膝へ広げて眺めている。
兄様だけは難しい顔をしたまま、王都から四十枚と聞いても喜ばず、誰が費用を負担するのか尋ねてきた。
「ゴードンが手紙を持ってきたし、ミドルトン商会?」
「なぜ疑問形なんだ」
「……まだ聞いてないから」
兄様の眉間に皺が寄る。
やだ~怖い~。
「聞く前に三百枚刷ると決めたのか?」
「提案はしたよ」
もにょもにょ言い返す。
却下された、とは言わないでおこう。
「ジャクリーン、これを見て?」
ふいにブレンダ姉様が王都から持ち帰った手紙を開いた。差出人は姉様の友人で、その従妹が前の月にハイモア港へ来たそうだ。
従妹が貝殻のペンダントと案内図を土産に持ち帰り、友人たちへ見せたところ、案内図を欲しがる人が何人もいたと書いてある。
「旅行の予定がなくても、絵が可愛いから欲しいそうよ。八枚ほど送れないかしら、って」
「嘘っ」
「嘘なんか言うものですか」
商人の取引先とは別のところからも欲しいと言われた。
「すごーい!」
嬉しくてぴょんぴょん跳ねると、そのせいで袖口がずり上がって白い革紐と銀色の魚がはみ出した。
「あら?」
ブレンダ姉様の目が、私の手首に止まる。
「その腕輪、ラルフも同じものをつけていなかった?」
「うん、そうだよ。お揃いなの!」
私は嬉しくなり、後ろに立つラルフを振り返った。
「ねっ、ラルフ、見せてあげたら?」
ラルフは兄様の様子をうかがい、諦めたように右手の手袋を外し、袖口をめくった。
青い革紐から、魚がぶら下がっている。
「本当にお揃いね」
「大切な人と一緒につけると、海を渡ってもまた会えるお守りなんだって」
説明すると、ブレンダ姉様が目を丸くし、お母様の視線は私とラルフのあいだを往復した。お父様は「仲がよくて何よりだ」と笑っている。
兄様だけが笑ってない。
「ラルフ」
「はい」
兄様が呼ぶと、ラルフの背筋がさらに伸びた。
「その腕輪は、ジャクリーンに頼まれてつけたのか」
「はい」
「お前も意味を聞いたうえで?」
「承知しています。申し訳ありません」
ラルフは言い訳をせず、頭を下げる。
「え、なんで? 兄様、私がお願いしたんだよ? ラルフは悪くない。ねえ、なんでラルフは謝ってるの? なんで兄様は怒ってるの?」
「ジャクリーンは黙っていろ」
私はラルフの前へ出た。
「恋人じゃなくても大切な人ならいいって言われたの。ラルフは家族と同じくらい大切だから、何も変じゃないよ。そうでしょ?」
兄様が額へ手を当てる。ため息まで吐かれた。
なんで?
ブレンダ姉様は口元へ手を当てている。笑っている気がする。お母様も肩を震わせている。
「仕事中に引っ掛ける危険がある場合は外せ。ジャクリーンの頼みを何でも聞くな」
兄様はラルフへ向き直った。
「……承知しました」
私はむっとして口を挟む。
「ラルフは何でも聞いたりしないよ。徹夜もだめって言うし、店の人へ勝手に約束するのも止めるし、それにね──」
「お前は黙っていろと言っただろう」
今度こそ、お父様が笑い出した。
なんで〜!?
◇
お茶が終わり、私は自分の部屋へ戻る廊下でラルフの袖を引いた。
「兄様に怒られて、怖かった?」
家族の前から離れると、ラルフは張っていた肩を落とし、困ったように眉を下げる。
「お嬢様が堂々と説明するほうが怖かったです」
ラルフは廊下の先を確かめ、人がいないと分かってから声をいつもの調子へ戻した。
「? ちゃんと大切な人だって言っただけだよ」
「……それをトリスタン様の前で言うのはまずいんですって」
何が問題なのか、分からない。
私はラルフの袖口をめくり、青い革紐をつつく。自分の手首にいる魚と同じ形だ。
「外してほしくない……」
視界が歪む。
どうしてこんなに悲しいんだろう。
「……仕事で邪魔になるとき以外は外しませんよ。ほら、手が冷えてます。部屋へ入って暖炉に当たってください」
私が袖を離さずにいると、ラルフは部屋の扉へ顎を向けた。
「地図の注文をまとめるんでしょう? 一緒にやりましょう」
「……うん」
返事をすると、ラルフはホッとしたように笑った。




