第5話
ミナの家を訪ねてから、数日ほど経っていた。
そのあいだ、カナミはいつも通り細かな依頼をこなし、銅貨を積み上げていた。劇的に儲かったわけではない。けれど赤字にもならず、弟妹の食事と明日のぶんをきちんと残せるくらいには回っている。
そして、そのあいだにも、頭の片隅にはあの半透明の文字が居座っていた。
「……説明書とかないのかな」
もちろん返事はない。
朝のギルドへ向かいながら独り言をこぼし、カナミは小さく肩をすくめた。
ギルドに入ると、いつもの騒がしさが迎えてくる。
端の窓口には、やはりリゼがいた。
ちょうど手が空いたところだったらしく、カナミを見るなり少しだけ目を細める。
「ちょうどよかったわ」
そう言って、リゼは窓口の下から小さな紙袋を取り出した。
「従妹からよ。また渡しておいてって」
「いいんですか?」
「いいのよ。ミナは眠れるようになって、体調も回復しているそうよ」
リゼはそこで、ほんの少しだけ息を緩めた。
「とても感謝してたわ」
紙袋の中には、焼き菓子と、前より少し多めの銅貨が入っていた。
悪くない。むしろかなりいい。
その時、視界の端に淡い文字が浮かんだ。
【報酬受領】
【接点:継続】
【追加報酬:後日回収見込み】
追加報酬はこれじゃないのか。
カナミは心の中でそう呟いて、紙袋をしまった。
「……ありがとうございます」
「お礼を言うのはこっちよ」
リゼの表情が少し柔らかくなる。
「ミナ、あんたが来てくれた日のことを何回も話してたわ」
「へえ」
「とても安心できたって」
カナミは少しだけ照れくさくなり、目を逸らした。
そこで、話題を変えようといつもの調子で言う。
「でも、やっぱりリゼさんの窓口がいちばん話が早いですね」
「はいはい」
「こういう話も簡潔にまとまるし、助かります」
「それ、前にも聞いたわ」
あれ、と思った。
リゼは不機嫌ではない。
むしろ今日は機嫌がいい方だろう。
でも、前みたいに空気がするりとは動かない。
同じような言葉を返しているのに、手応えが薄い。
その瞬間、視界の端にまた文字が浮かんだ。
【対象:リゼ】
【報酬鮮度:低下】
【同系統アプローチのため効果減衰】
【推奨:別角度からの最適化】
「……え」
「どうしたの?」
「あ、いえ。なんでもないです」
カナミは慌てて首を振る。
そういうことか。
前にうまくいったやり方でも、ずっと同じようには通じないらしい。
相手が同じならなおさらだ。
「便利なくせに細かいな……」
「何をぶつぶつ言ってるの」
「独り言です」
「最近多いわね、独り言」
リゼは呆れたように言ってから、少しだけ身を乗り出した。
「で、今日は依頼を探しに来たんでしょ?」
「まあ、それもあります」
「それもってことは、他にもあるの?」
「いえ、そこはまだ未定で……」
「妙な言い方をするわね」
そうして話しているうちに、ギルドの奥で小さなざわめきが起きた。
振り返ると、年配の女性が荷物を取り落として立ち尽くしていた。上質な布の服を着た老婦人だった。腰が悪いのか、しゃがむ動作がつらそうだ。
その瞬間、視界の端に例の光が滲む。
【報酬期待値:中】
【報酬見込:日用品 / 信頼(小)】
【最適解:荷物回収→姿勢補助】
カナミは反射的にそちらへ向かった。
「持ちますよ」
「あら、助かるわ」
カナミはもう驚かず、その通りに動いた。床へ転がった包みを手早く拾い、散らばった小物もまとめる。そして、老婦人が無理に屈まなくていいように肘を軽く支える。
「荷物重いですね」
「見た目より入ってるのよ。昔からつい買いすぎてしまって」
「そういうの、ありますよね」
「あら、若いのにわかるの?」
少し笑いながら包みを渡すと、老婦人は感心したように目を細めた。
「手際のいい子ねえ」
「慣れてるので」
「若いのにしっかりしてること」
そう言って、老婦人は荷物の中から小さな箱を差し出してきた。
「これ、お礼よ」
「え?」
「親切にしてくれたお礼よ。受け取ってちょうだい」
箱の中には、上質そうな布のハンカチが入っていた。深い藍色に細い刺繍が入っていて、素人目にも安物ではないとわかる。
「いや、さすがに。これ高そうですし」
「私の趣味で余分に誂えたものなの。使ってくれる人に渡した方が嬉しいわ」
「でも」
「年寄りの親切は、素直にもらうものよ」
カナミは少し迷ってから、箱を受け取る。
老婦人は満足そうに頷き、去っていく。
後ろからついてきたリゼが、ハンカチを見て言う。
「それ、かなりいい品よ」
「やっぱり?」
「その刺繍、老舗の工房の印ね。老舗なだけあってファンも多いわ」
「へえ」
視界の端に文字が滲む。
【対象:リゼ】
【推奨:別角度の最適化】
【候補物:嗜好一致】
なるほど。
カナミはハンカチとリゼの顔を見比べた。たぶん、こういう物が似合う人だ。
「……リゼさん」
「なに?」
「これ、使います?」
差し出すと、リゼが少し目を見開いた。
「え?」
「私は正直、もったいなくて使えないし」
「いや、でも」
「売ったら罰が当たりそうな気もするので」
「売るつもりだったのね……」
言いながら差し出したままでいると、リゼはしばらく黙り込んだ。
その時、視界の端にまた表示が流れる。
【対象:リゼ】
【推奨:直接譲渡 / 軽い口調 / 見返り要求なし】
見返り要求なし……ね。
そこだけ少し癪だったが、たしかにその方がいい気はする。
「使ってくれるなら、その方が物としても幸せじゃないですか。それに私より、リゼさんの方が似合いそうだし」
リゼは一瞬、言葉を失ったみたいに黙った。
それから諦めたように受け取る。
「……本当に、いいの?」
「使ってもらえるなら」
困ったように笑って、リゼは指先で刺繍をなぞった。
その横顔が、思ったより嬉しそうで、カナミは内心で少しだけ驚く。
次の瞬間。
【対象:リゼ】
【好感度:上昇】
【報酬:有】
同じ褒め方は効かないが、別の切り口なら効果はあるらしい。
リゼは少しだけ声を潜めて、カナミに話しかける。
「……まあ、ここまでされると、こっちも少しは返したくなるのよね」
「何かくれるんですか?」
「ひとつ、あなたに条件の悪くない案件があるわ」
カナミの背筋が伸びる。
お金の匂いだ。
「詳しく」
「食いつくの早いね」
「だって今の流れ、明らかにおいしい話でしょ」
「ほんと抜け目がないわね……」
リゼは苦笑しながらも、周囲を一度見回してから続けた。
「表立って大きく張れない案件なのよ。扱いづらいから」
「危険なのですか?」
「再起案件だから、命の危険は高くないわ。たぶん」
「たぶんが怖いです」
「面倒なのよ、相手が」
そう言って依頼書の束から一枚を抜いた。
「元騎士で騎士団のエースだった人。だけど、今は酒場に入り浸っているわ。それに借金もある。仕事もしてない。性格は……終わってるわけじゃないけど、こじれてる」
「うわあ」
「でも、立て直せれば報酬は悪くない。再起支援だから、成功報酬が見込めるわ」
人を立て直す。信頼を得る。期待をかける。
今の自分の力と噛み合う。
「それ、誰も受けてないんですか?」
「受けたがらないのよ。日当は出るけど、そんなに高額ではない。それに手間がかかるし、途中で逃げられたら終わり。しかも相手が元エース級だったぶん、プライドも厄介でね」
「なるほど、面倒」
「そう。でも、あんたなら」
「私なら?」
「上手く転がせるかもしれないって思った」
本当ならそこで飛びつくのは浅ましいのかもしれない。
けれどカナミは、その依頼の向こうに見えてしまったのだ。
【報酬期待値:高額】
【報酬見込み:金貨、信用、信頼】
【案件適性:高】
【注意:忍耐、誠実さ必要】
「受けます」
「即答ね」
リゼは呆れたように言ってから、依頼票をカナミの前へ置いた。
アルト・フォン・ブラウニヒ
それが元騎士の名前だった。
カナミは依頼票を胸元へ引き寄せた。
金になる匂いはする。
ただ同時に、面倒の匂いもかなりした。
面倒だからこそ、誰も手を出さない。
でも、誰も手を出さないなら、そこには利益がある。
それに、私にはこのスキルがある。
「じゃあ、行ってきます」
「ええ。行ってらっしゃい」
リゼの見送りを背に受けながら、カナミはギルドを出た。
昼の光が眩しい。
ポーチの中には銅貨と焼き菓子。胸元には新しい依頼票。頭の中には、まだ消えきらない半透明の文字。
「……よし」
カナミは小さく呟いた。
「次は元騎士か。面倒な分、ちゃんと回収させてもらうからね」
その時だった。
視界の端に浮かんでいた半透明の文字が、ふっと明るくなる。
いつもより少しだけ強い光だった。
思わずカナミが足を止める。
【条件達成を確認】
【機能拡張を実行します】
【個別最適化精度:上昇】
【補助機能:追加】
「……え?」
思わず漏れた声に、通りを行き交う人々が怪訝そうな顔を向ける。
カナミは慌てて口元を押さえた。
頭のすぐ内側で、無機質な声が響いた。
『スキルがレベルアップしました。一部、音声アシストを開始します』
「…………は?」
今度こそ、本気で変な声が出た。




