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一宿一飯の魔法使い  作者: Sig
第二章 灰鐘編
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第十三話 灰鐘は鐘ではない(1)

 結論から言う。

 灰鐘は、人を危険から遠ざける。

 その代わりに何を諦めるのかは、誰も本人に聞かない。


 灰鐘谷には、岩壁に沿って家と倉と荷場が段々に重なる、大きな山の町があった。

 町には三つの門と三つの大きな荷場があった。その六か所に、灰色の大筒が一本ずつ立っていた。

 鐘の形ではないのに、町の人は六本まとめて灰鐘と呼んだ。

 筒は敷石の下の溝でつながり、崩れた道や塞がった門の知らせを町の端まで送っていた。

 人が走って伝えるより早い。門の人はその一鳴りで荷を止め、旅人が別の道を選ぶ時間を稼いでいた。


 キアラが足止めされたのは、上の山道へ入る人と荷を確かめる上門だった。

 上門の内側には、山道を通せない時に旅人を待たせる板屋根の小屋があった。

 火床と井戸はあるが、出るのは一晩分の藁と薄い粥だけだ。


 日暮れ前、呼び役が、上門で足止めされた旅人の名を一人ずつ呼ぶ。

 呼ばれた旅人は、その小屋で夜を明かすか、日のあるうちに下の宿へ戻るかを自分で答える。


「キアラ」


 呼び役のトビアが、門脇の台に立ち、呼び板を見てキアラの名を呼んだ。


 キアラは薬箱を抱え直した。

 肩紐の付け根から、糸が一本飛び出していた。

 今夜は残る、と答えようとした。


 その時、台の奥に立つ上門の筒が鳴った。


 筒の奥から、低く鈍い音が一度響いた。

 ごうん。足元の石が、かすかに震えた。

 少し遅れて、坂下の荷場と下門の灰鐘も一度ずつ鳴った。


 呼び板に書かれたキアラの名の横で、空欄に黒い筋がにじんだ。

 筋はひとりでに伸び、「帰り」の二字になった。

 トビアは板を見て、いつものように読み上げた。


「帰り」


 トビアは言い終えてから、キアラを見た。

 キアラはまだ、一言も答えていなかった。

 それでも台のそばにいた門番が、下の宿へ続く道を指した。


「私は帰ると言ってません」


「だが、呼び板には『帰り』と出た」


「板にそう出ただけでしょう」


 板屋根の小屋で、火床番がキアラに出しかけた藁束を壁際へ戻した。

 火床番は、粥をよそうはずだった空の椀も棚へ戻した。


 上門の外にいたリュカは、戻された藁束と椀を見た。


 門番がキアラの前に立つ。


「日が落ちる。下へ向かえ」


 キアラは薬箱を胸に抱き、門番を見返した。


「待ちな」


 台の脇にいた女が、二人の間に入った。


 短い髪。

 肘までまくった袖。

 目の下の濃い隈。


 三つの門を預かる谷守、シェイラだった。


「トビア。今の字は、いつ出た」


「名を呼んだあとだ。返事より先に」


 シェイラは「帰り」の二字と上門の筒を見比べた。


「上の道は閉じる。この子は小屋で待たせる。そこを空けな」


 門番はキアラの前から退いた。


 キアラが箱を抱え直す。肩紐の付け根のほつれが、わずかに広がった。


「その箱、紐が切れかけてる」


 キアラは薬箱を胸に押しつけた。


「取らないよ。誰に渡す荷だい」


「上の山番です。私の父です」


 シェイラが上門の筒を見る。


「上の小屋か」


「はい」


「上の小屋までの道は分かるのか」


「まだ行ったことがありません。父が上の小屋へ移ったのは去年です。

 弟が、昼に上門まで受け取りに来る約束でした」


 もう陽は岩壁の半ばまで落ちている。

 山道を下りてくる人影はなかった。


「父が肺を悪くしています」


 キアラは言った。


「薬は、明日の日暮れまでに飲ませるよう言われました」


「なら、今夜は小屋で待ちな」


「夜明けまでです。弟が来なくても、道を聞いて上ります」


「朝、もう一度呼ぶ」


「その時は、板に何が出ても、先に私に聞いてください」


 シェイラは台を見た。


 上門の筒は鳴らなかった。

 トビアは、「帰り」の字から目を離せずにいた。


「分かった」


 シェイラが答えた。

 トビアはうなずき、呼び板を下ろした。腰の炭布で「帰り」の字を消した。


 シェイラはトビアから板を取り、キアラの名の横に「待ち」と書いた。


 キアラはその字を見届けてから、薬箱を抱え直した。


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