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一宿一飯の魔法使い  作者: Sig
第一部 一宿一飯の魔法使い
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第五話 妖精に目を奪われる村(9)

 北畑へ上がる道は、広場から見るより少し急だった。

 北畑は、朝いちばんに光を受ける。

 坂の上からは、村の屋根も貯蔵庫もよく見えた。

 カーラは振り返った。

 広場から見上げれば、朝の光を受けた北畑はいやでも目に入る。


 カボチャの葉には、霜がうっすら残っている。

 葉が風で返るたび、白い裏がちらちら光る。

 遠目には、小さなものが畝を走ったようにも見える。


 子どもたちは畝の端にしゃがみこんでいた。

 小さい方の子が、指を唇に当てている。


「あそこにいる」


 指の先には、カボチャの葉の下に白いものがあった。

 何かはわからない。

 白い布切れにも見える。

 冬毛の小さな獣の背にも見える。

 霜が葉脈に残っているだけにも見える。

 けれど、どれとも少し違っていた。


 風が吹く。

 白いものが、すっと動いた。

 葉は右へ返った。

 白いものだけ、左へ滑った。


 子どもたちが息をのむ。

 大人たちも身を乗り出す。

 誰かの口から「妖精」が出かかって、止まった。


 止まったあとで、村長の妹が小さく言った。


「本当に白いね」


 鍋係が頷いた。


「たしかに白い」


 ユラが、まだ灰のついた指を見ながら言った。


「いま動いたな」


「うん、動いた」


 甥が答えた。


 ユラが、甥を見た。


「入口は見たのか」


「見た。扉の下の草は浮いてない」


 甥は笑いそうになって、すぐ口を結んだ。


 白いものは、もう一度だけ葉の下で揺れた。

 それが何だったのか、最後までわからなかった。

 風だったかもしれない。

 小さな獣だったかもしれない。

 本当に妖精だったかもしれない。


 リュカは畝の縁で膝をつき、土すれすれまで指を寄せた。

 そこには細い足跡のようなものが二つあった。

 獣のものにも見えるし、葉から落ちた水が作った穴にも見える。

 二つの跡の先には、葉も土も乱れていなかった。

 そこだけ、霜が白く残っていた。

 リュカはそれを消さず、触れもせず、立ち上がった。


「あれ、何だったの」


 カーラが聞いた。


「俺にもわからない」


「あんな近くで見ても、わからないの」


「わからないものもある」


 リュカは北畑から貯蔵庫を見下ろした。


「白いのは、今は置いておけ。入口なら、見ればわかる」


 カーラはその言葉を、すぐには記録帳へ書かなかった。

 いま書いたら、村の誰かが自分で言う前に、カーラが決まりを作ってしまう。


 子どもたちは、白いものが消えたあとも、しばらく畑を見ていた。

 鍋係は急かさない。

 村長も急かさない。

 もう、見ていい時間だった。


 やがて小さい方の子が言った。


「明日も、白いのを見に来ていい?」


 カーラは答える前に、村長を見た。

 村長は貯蔵庫の方を見てから言った。


「確認が済んだらな」


 子どもは満足そうに頷いた。


「じゃあ、明日も入口のあと」


「明日は入口、俺じゃない」


 甥が言った。


 母親が下から声を飛ばした。


「夕方見てからだよ」


 畑の上で、何人かが笑った。

 何人かは、面倒だと言いながら笑っていた。

 笑ったあとも、子どもたちは入口を見る順番を口にしていた。


 広場へ戻ると、カーラは記録帳の下にもう一行だけ足した。


 見るのは、確認のあと


 昨日、柱に打った二行より、声に出しやすい言葉だ。

 板に打つほど強くはない。

 けれど、記録帳の最初に置くにはちょうどよかった。


 村長が横から覗きこんだ。


「また増やすのか」


「増やしておく」


「また面倒になるな」


「減らしたら、また妖精で済ませる」


 カーラは即答した。


 村長は口を曲げた。


「だが、読める」


「読めないと困る」


「俺にも読ませるのか」


「村長にも読ませる」


 村長は笑わなかった。

 代わりに、貯蔵庫の柱の板を見た。

 その隣には、まだ少し空きがあった。


「そのうち、もう一枚いるな」


 村長が言った。


「何を書くの」


「まだ決めてない」


 村長はそう答えてから、声を低くした。


「決める前に、見る」


 カーラは頷いた。

 それ以上はいらなかった。


 リュカは広場の端で、旅支度を終えていた。

 鍋係が、包んだ干しカブを一つ差し出していた。

 リュカはすぐには手を出さなかった。


「飯は食べた」


「それは知ってるよ。これは道で食べる分」


 鍋係が言った。

 それ以上は何も足さなかった。

 リュカは包みを見て、それから受け取った。


 鍋係は満足そうに頷いた。

 干しカブの包みは小さく、リュカの手の中でしばらく白く見えた。


 村外れへ出る道で、リュカは一度も振り返らなかった。

 足を止めず、まっすぐ村道を下りていく。


「明日から変える」


 カーラが言った。


「名前は、もう板に書きっぱなしにしない。終わったら外せるようにする」


 リュカがカーラを見た。


「釘で止めるな」


「わかってる。紐で掛ける」


「それなら、外せる」


 カーラは記録帳の角を指で押さえた。

 帰ったら、まず掛け外しできる形を描く。

 誰の名前も、責める印みたいに残さないために。

 リュカの名前は書かない。


「やっぱり面倒ね」


「釘で打った名前よりましだ」


 リュカは干しカブの包みを肩紐に挟み直した。

 結び目を確かめる途中で、一度だけ手を止めた。


「どこでも、こういうことをするの」


「世話になるならな」


「頼まれてなくても?」


「知らん顔をする気はない」


 カーラは返事をせず、村の方を見た。

 広場の台。

 貯蔵庫の扉。

 井戸のふた。

 井戸の前にも、貯蔵庫の前にも、さっき確認した跡が残っていた。


「嫌がる人は出る」


「そうだろうな」


「でも、今度は言える気がする」


 リュカは短くうなずいた。


 カーラは、昨日の泥を思い出した。

 三粒の豆。

 夜の鍋に入った、あの小さな硬さ。


「三粒でも、言うの?」


 リュカは聞き返さなかった。


「三粒を笑うから、鍋が薄くなる」


 短く返した。


 カーラは、そこで初めて笑った。

 小さな笑いだった。

 それでも、ようやく息が少し楽になった。


 リュカが村道を下りきるころには、雪はまた細かくなっていた。

 広場も貯蔵庫も、白い湿りの向こうで少しずつかすんでいった。

 それでも貯蔵庫の前の板だけは、まだ読めた。


 妖精のせいにしない。

 最後の番を決める。


 その字の溝に残った雪だけが、薄い朝の光をかすかに返していた。

 北畑の方で、白い葉裏が一度だけ返った。

 風は、もうやんでいた。

 その少し奥で、炊事場の鍋ぶたが一度だけ鳴った。


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