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一宿一飯の魔法使い  作者: Sig
第二章 灰鐘編
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第十六話 見知らぬ顔の古なじみがいる町(9)

     *


 荷台に残った三本を下ろす間、ガドは「右」、「止めろ」とだけ叫んだ。


 ブレノは返事の代わりに、左手を荷縄へ添えた。


 門番が通りの端へ人を寄せる。

 染物屋は割れた桶の板を拾い、店の奥へ突っ込んだ一本を睨んだ。

 ガドは三本の丸太を一本ずつ下ろす順を決め、ロデンと白髭の男が受ける。


 ネルカは、ブレノに教わりながら、裂いた赤い布の上から細縄を巻いた。結び目を掌の外へずらし、短い端を引くと、布は傷口を覆ったまま動かなかった。


「靴とは、結び方が違うんだね」


「ああ」


「でも、教える人は同じ」


 ブレノは、ネルカが巻いた結び目を見た。


「今日はそれでいい」


「明日も教えて」


「明日は、また見て決める」


 最後の丸太が空き場の石敷きへ下りる。

 荷車の荷台が軽くなった。


 ガドは折れた制動棒を拾い、割れ目をブレノへ向けた。


「割れは、見えてたより深かった。おまえの言ったとおり、右輪が落ちた時に横から折れた」


「それでも外さなかった」


「知らない男に仕事のやり方を変えろと言われた。腹が立った。だから、棒の割れより先におまえを疑った」


 ガドは短く息を吐いた。


「朝、荷を下ろせと言われた時点で、棒を外すべきだった。止めるつもりで残した。止められると思った」


「輪止めも索も増やした」


「足りなかった」


「一人分な」


 ガドはブレノの顔を見た。

 折れた制動棒の右端を、ブレノの足元へ差し出した。


「明日の朝、修理小屋で新しい棒を入れる」


「勝手にしろ」


「右を見ろ」


「何で俺が」


「朝から、右ばかり気にする男を見てた」


 ブレノは腰縄の結び目をひとつ締めた。

 門外へ向いていた右足を、ガドのほうへ戻した。


「朝になったら、また俺だと分からなくなる」


「なら、朝になったら名を聞く。そのうえで、右を頼む」


「十年組んだ相手に、毎朝頼み直すのか」


「昔の相棒とおまえが同じ男だとは、今も分からない。だが、暴走した荷車の上で、おまえが何をしたかは見た」


「俺が断ったら、どうする」


「ロデンと白髭を呼ぶ。荷を二本ずつに分ける。昼を越すが、坂へは出さない」


「俺がいないと困るんじゃなかったのか」


「困る。だが、相棒だったはずだってだけで、おまえを働かせるのはやめる」


 ガドは、ブレノの足元へ差し出していた制動棒を引き、自分の脇へ置いた。


「だから、明日の右を頼む」


 ブレノは地面の折れた棒を見た。


「それなら、明日の朝に決める」


「今じゃ駄目か」


「次に、おまえが俺の顔を忘れた後だ」


「面倒なやつだな」


「十年遅い」


 ブレノは門外へ続く道を見た。

 黒パンと干し肉の包みは、外套の内に入っている。

 今から歩けば、日暮れ前に次の継場へ着ける。


 セルマが石段の陰から戻ってきた。


「今夜は、どこで寝る」


「長椅子が空いてるなら、朝まで借りる」


 ブレノが答えた。


「朝になってから決める」


「分かった」


 セルマはブレノの隣へ並んだ。


 宿へ戻る道で、女主人が向こうから走ってきた。

 息を切らし、片方の木靴が脱げかけている。


「ネルカ!」


「薬、割れてない!」


 孫の答えが先だった。


 女主人はネルカの両肩をつかんだ。

 頬には土、膝には薄い擦り傷、腕には赤い筋が一本あった。


「薬の話じゃないよ」


「でも、じいさんと半分にした」


「そうかい」


 女主人はネルカを抱きしめた。

 すぐに放し、赤い肩掛けの裂けた端へ気づく。


「これは」


「手を巻いた」


 ネルカがブレノを指す。


 女主人は見知らぬ男の赤く巻かれた手を見た。


「あんたが助けたのかい」


「みんなで荷車を曲げた。俺は荷台で丸太を押さえただけだ」


「走る荷車に乗って、丸太を押さえたんだろ。それを助けたって言うんだよ」


 ネルカが笑った。


「何がおかしい」


「朝も、板を替えただけじゃ直してないって言ってた」


「覚えてるのか」


 ブレノが聞く。


 ネルカは考えた。


「声を聞くと、少し。顔だけだと分からない」


「顔で分からなければ、声を掛けろ」


「忘れるのは嫌だ」


「俺もだ。だから、次も名前を聞け」


 女主人は宿のほうを見た。


「九番は、まだ開けないよ」


「分かってる」


「台所の長椅子なら貸す。夕食も出す。朝になってあたしが騒いだら、先に名前を言いな」


「棒を取る前に聞け」


「それは約束できない」


「正直だな」


「宿を預かってるからね」


 女主人はネルカの肩を抱き、先に歩いた。


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