第十六話 見知らぬ顔の古なじみがいる町(9)
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荷台に残った三本を下ろす間、ガドは「右」、「止めろ」とだけ叫んだ。
ブレノは返事の代わりに、左手を荷縄へ添えた。
門番が通りの端へ人を寄せる。
染物屋は割れた桶の板を拾い、店の奥へ突っ込んだ一本を睨んだ。
ガドは三本の丸太を一本ずつ下ろす順を決め、ロデンと白髭の男が受ける。
ネルカは、ブレノに教わりながら、裂いた赤い布の上から細縄を巻いた。結び目を掌の外へずらし、短い端を引くと、布は傷口を覆ったまま動かなかった。
「靴とは、結び方が違うんだね」
「ああ」
「でも、教える人は同じ」
ブレノは、ネルカが巻いた結び目を見た。
「今日はそれでいい」
「明日も教えて」
「明日は、また見て決める」
最後の丸太が空き場の石敷きへ下りる。
荷車の荷台が軽くなった。
ガドは折れた制動棒を拾い、割れ目をブレノへ向けた。
「割れは、見えてたより深かった。おまえの言ったとおり、右輪が落ちた時に横から折れた」
「それでも外さなかった」
「知らない男に仕事のやり方を変えろと言われた。腹が立った。だから、棒の割れより先におまえを疑った」
ガドは短く息を吐いた。
「朝、荷を下ろせと言われた時点で、棒を外すべきだった。止めるつもりで残した。止められると思った」
「輪止めも索も増やした」
「足りなかった」
「一人分な」
ガドはブレノの顔を見た。
折れた制動棒の右端を、ブレノの足元へ差し出した。
「明日の朝、修理小屋で新しい棒を入れる」
「勝手にしろ」
「右を見ろ」
「何で俺が」
「朝から、右ばかり気にする男を見てた」
ブレノは腰縄の結び目をひとつ締めた。
門外へ向いていた右足を、ガドのほうへ戻した。
「朝になったら、また俺だと分からなくなる」
「なら、朝になったら名を聞く。そのうえで、右を頼む」
「十年組んだ相手に、毎朝頼み直すのか」
「昔の相棒とおまえが同じ男だとは、今も分からない。だが、暴走した荷車の上で、おまえが何をしたかは見た」
「俺が断ったら、どうする」
「ロデンと白髭を呼ぶ。荷を二本ずつに分ける。昼を越すが、坂へは出さない」
「俺がいないと困るんじゃなかったのか」
「困る。だが、相棒だったはずだってだけで、おまえを働かせるのはやめる」
ガドは、ブレノの足元へ差し出していた制動棒を引き、自分の脇へ置いた。
「だから、明日の右を頼む」
ブレノは地面の折れた棒を見た。
「それなら、明日の朝に決める」
「今じゃ駄目か」
「次に、おまえが俺の顔を忘れた後だ」
「面倒なやつだな」
「十年遅い」
ブレノは門外へ続く道を見た。
黒パンと干し肉の包みは、外套の内に入っている。
今から歩けば、日暮れ前に次の継場へ着ける。
セルマが石段の陰から戻ってきた。
「今夜は、どこで寝る」
「長椅子が空いてるなら、朝まで借りる」
ブレノが答えた。
「朝になってから決める」
「分かった」
セルマはブレノの隣へ並んだ。
宿へ戻る道で、女主人が向こうから走ってきた。
息を切らし、片方の木靴が脱げかけている。
「ネルカ!」
「薬、割れてない!」
孫の答えが先だった。
女主人はネルカの両肩をつかんだ。
頬には土、膝には薄い擦り傷、腕には赤い筋が一本あった。
「薬の話じゃないよ」
「でも、じいさんと半分にした」
「そうかい」
女主人はネルカを抱きしめた。
すぐに放し、赤い肩掛けの裂けた端へ気づく。
「これは」
「手を巻いた」
ネルカがブレノを指す。
女主人は見知らぬ男の赤く巻かれた手を見た。
「あんたが助けたのかい」
「みんなで荷車を曲げた。俺は荷台で丸太を押さえただけだ」
「走る荷車に乗って、丸太を押さえたんだろ。それを助けたって言うんだよ」
ネルカが笑った。
「何がおかしい」
「朝も、板を替えただけじゃ直してないって言ってた」
「覚えてるのか」
ブレノが聞く。
ネルカは考えた。
「声を聞くと、少し。顔だけだと分からない」
「顔で分からなければ、声を掛けろ」
「忘れるのは嫌だ」
「俺もだ。だから、次も名前を聞け」
女主人は宿のほうを見た。
「九番は、まだ開けないよ」
「分かってる」
「台所の長椅子なら貸す。夕食も出す。朝になってあたしが騒いだら、先に名前を言いな」
「棒を取る前に聞け」
「それは約束できない」
「正直だな」
「宿を預かってるからね」
女主人はネルカの肩を抱き、先に歩いた。




