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一宿一飯の魔法使い  作者: Sig
第二章 灰鐘編
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第十六話 見知らぬ顔の古なじみがいる町(7)

     *


 荷場では、一本目の丸太が置き台へ移ったところだった。


 荷車には五本残っている。

 右輪の前後へ楔が一つずつ、左輪の前後にも一つずつ。

 さらに荷台後部から太い索を伸ばし、石切り台の鉄環へ二巻きしてある。


 ガドはブレノの忠告を退けた後、輪止めを一つ増やしていた。

 門柱でなく、石へ埋め込まれた鉄環を選んだ。

 ガドはあと三本を、斜路と反対側の置き台へ下ろすつもりだった。


 ガドの右に立つはずの場所だけが、空いていた。


「右、半歩!」


 ガドが叫ぶ。

 荷台右のロデンが、梃子を丸太の下へ入れた。

 左には白髭の荷運びがいる。

 上では二人が吊り縄を引き、二本目を置き台へ移そうとしていた。


 丸太の右端が、荷台から浮く。


 ガドは二本指を上げ、肩へ二度曲げた。

 ロデンが、その指を見て動きを止める。


「寄せろってことですか」


「止めろだ!」


「さっきは寄せろって」


 ガドは自分の手を見た。

 二本指を開き、握り直した。


 その一瞬に、吊り縄の左が滑った。


「放すな!」


 白髭の男が叫ぶ。


 丸太の左端が、荷台より低い置き台へ落ちた。

 右端は荷台の外へ抜けきらず、下桟へ引っかかっている。

 左端が落ちた勢いで、丸太が梃子になり、右端が下桟を押し上げた。


 右輪が石から指二本ぶん浮く。

 前後の楔から重みが消えた。


 ロデンは丸太の下から鉄棒を抜こうとした。

 だが先端が噛んでいる。


「手を離せ、下がれ!」


 ガドが飛びつき、ロデンの襟をつかんだ。

 二人が荷台から離れた時、吊り縄がもう一度滑った。


 丸太が置き台へ完全に落ちる。

 持ち上がっていた右輪が、楔の前へ落ちた。


 車体の重みが制動棒を横へねじった。


 乾いた音が三度、続いた。

 一本目は棒の根元が割れる音。

 二本目は鉄の爪が車輪から外れ、石へ落ちる音。

 三本目は右前の楔が砕ける音だった。


 荷車が半輪ぶん進んだ。


 後ろの索が張る。

 石切り台の鉄環が、索を受けて低く鳴った。


「止まれ!」


 ガドの声が斜路へ響いた。

 ガドは荷台後部の索へ両腕を回した。

 白髭の男もつかむ。

 ロデンは左輪の前へ新しい楔を投げた。


 楔は車輪へ弾かれ、斜路へ転がった。


 荷車がさらに、車輪一回転ぶん進む。


 鉄環の根元から、石の欠片が飛んだ。

 環は抜けなかった。

 だが二巻きした索の下側が、石の角へ食い込んでいた。


「水を掛けろ!」


 ガドが叫ぶ。

 摩擦で縄が焼ける。


 ロデンが水桶へ走る。


 間に合う前に、索の表面から白い煙が上がった。


 一本、撚りが切れる。

 続いて二本。


 ガドは索を離した。


「退け!」


 太い縄が弾けた。

 切れ端が荷台へ跳ね、積んだ丸太を打つ。


 荷車は四本の丸太を載せたまま、北門へ下る斜路へ出た。


 ガドは荷場の警鐘へ走った。

 鉄棒で、短く三つ叩く。

 荷崩れを知らせる音だ。


 鐘を鳴らした後、自分も斜路へ飛び出した。


「道を空けろ! 荷車だ!」


 荷車はまだ、人が走れば追いつける速さだった。

 だが石道は北へ向かって一段ずつ急になる。

 荷車は、車輪が一回転するたびに速くなった。


 ガドは後部から垂れた切れ索をつかもうとした。

 一度目は指先をかすめた。

 二度目は握れた。


 引かれ、靴底が石を滑る。

 自分の腰縄を切れ索へ掛けようとするが、結び目を作る余裕がない。


「石柱へ回せ!」


 白髭の男が後ろから叫ぶ。


 斜路の左右には、荷を休ませる低い石柱が並んでいる。

 ガドは一本目へ索を回そうとした。

 だが索を柱の裏へ回す前に、荷車の勢いに両腕を持っていかれた。


 ガドは道へ転がった。

 白髭の男が襟をつかみ、後輪から引き離す。


 荷車だけが、町へ下った。


 警鐘の三つ音は、宿の中庭まで届いた。


 セルマは、ブレノの荷縄が掛かった釘の下で顔を上げた。


 最初の一音では、荷場を見た。

 二つ目で、北通りへ目を向けた。

 三つ目で、土間の赤い肩掛けがないことに気づいた。


「ばあさん!」


 女主人が台所から出てくる。


「どうしたんだい」


「ネルカが北門へ行ってる。荷場の斜路は北通りへ出る」


 言い終える前に、セルマは走った。


 女主人は裏口を開けた。


「染物屋の裏を抜けな! 表より石段が一つ少ない!」


 セルマは振り返らず、片手を上げて応えた。

 女主人は通りへ出て、両腕を広げた。


「荷車が下ってくる! 道を空けな!」


 宿の客、隣のパン屋、向かいの桶屋が次々に声をつなぐ。

 荷馬を引く男が手綱を引き、馬を横道へ入れた。店先の籠も壁際へ蹴り寄せられた。


 リュカとブレノは、染物屋の青い竿を過ぎたところにいた。

 警鐘が三つ鳴る。

 続いて、坂の上から叫びが落ちてきた。


「荷車! 四本だ!」


 ブレノは振り返った。

 人波の向こうに、丸太の先端が揺れている。


「ガドは!?」


 リュカが目を細めた。


「荷車にはいない」


 ブレノは通りの幅を見た。

 左に染物屋。

 右には、何も置かれていない石敷きの空き場がある。

 空き場の奥には、低い石垣があった。

 その先に石段と、北門へ向かう最後の下り坂がある。


 ブレノは北門へ向けていた足を返し、人波の中へ踏み出した。


「脇へ寄れ!」


 買い物籠を持った女を石段へ押し上げる。

 荷馬の手綱をつかみ、横道へ追い込む。


 リュカは染物屋へ走った。


「裏へ出ろ! 丸太が外れる!」


 染物屋が動きを止めた。


「荷車がこっちへ来るのか!」


「荷車は反対へ入れる。丸太はどこへ飛ぶか分からない!」


 染物屋は奥へ怒鳴った。

 職人が二人、染め布を抱えて裏口へ走る。

 親方は最後の一人を押し出し、自分も裏へ消えた。


 リュカは通りを渡り、空の石敷きへ走った。


 荷車が近づく。

 後輪の片方に、折れた制動棒がぶら下がっている。

 石へ当たるたび、火花が散った。

 四本の丸太を縛る右の荷縄が毛羽立っていた。


「止めたら、荷が前へ出る」


 ブレノが言った。


「店には戻るな!」


 その先で、北門が見えた。


 門番小屋の石段に、赤い肩掛けのネルカがいる。

 薬の包みを抱えたまま、逃げる人々を見回している。

 膝を悪くした門番が小屋から出て、ネルカの肩へ手を伸ばしていた。


 二人とも、門の外へ逃げるには遅い。

 小屋の内側へ戻れば、荷車の進路に近づく。


「ネルカ!」


 ブレノが叫んだ。

 ネルカは顔でなく声へ振り向いた。


「じいさんを連れて、石段の陰へ入れ!」


 ネルカは門番の腕を引いた。

 石段の陰へ入ろうとする。

 老人の膝が曲がらず、動きが遅い。

 引いた拍子に、赤い肩掛けがネルカの肩から落ちた。


 セルマが染物屋の裏から飛び出した。

 地面の赤い肩掛けを見た。


「ネルカ!」


 門へ走り、門番の空いた側へ肩を入れた。

 ネルカと二人で老人を引き、石段の陰へ連れ込む。


 ブレノは、染物屋の向かいにある空の石敷きを見た。


「あそこへ入れる」


「何をする」


 リュカが聞いた。


「荷台に乗る。後ろの索を右へ引け」


「轢かれるぞ」


「横から乗る」


 坂の上から、ガドが走ってくる。

 膝と肘から血を流し、息が切れている。


「そいつを止めろ!」


 ブレノはガドへ二本指を上げた。

 右へ寄せろ。

 そこを持て。


 ガドの手も上がりかけた。


 だが、ブレノの顔を見て止まった。


「おまえは――」


 目の前の男を、ブレノとは呼べなかった。


 荷車が、二人の間へ迫った。


 ブレノは走り出した。


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