第十六話 見知らぬ顔の古なじみがいる町(7)
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荷場では、一本目の丸太が置き台へ移ったところだった。
荷車には五本残っている。
右輪の前後へ楔が一つずつ、左輪の前後にも一つずつ。
さらに荷台後部から太い索を伸ばし、石切り台の鉄環へ二巻きしてある。
ガドはブレノの忠告を退けた後、輪止めを一つ増やしていた。
門柱でなく、石へ埋め込まれた鉄環を選んだ。
ガドはあと三本を、斜路と反対側の置き台へ下ろすつもりだった。
ガドの右に立つはずの場所だけが、空いていた。
「右、半歩!」
ガドが叫ぶ。
荷台右のロデンが、梃子を丸太の下へ入れた。
左には白髭の荷運びがいる。
上では二人が吊り縄を引き、二本目を置き台へ移そうとしていた。
丸太の右端が、荷台から浮く。
ガドは二本指を上げ、肩へ二度曲げた。
ロデンが、その指を見て動きを止める。
「寄せろってことですか」
「止めろだ!」
「さっきは寄せろって」
ガドは自分の手を見た。
二本指を開き、握り直した。
その一瞬に、吊り縄の左が滑った。
「放すな!」
白髭の男が叫ぶ。
丸太の左端が、荷台より低い置き台へ落ちた。
右端は荷台の外へ抜けきらず、下桟へ引っかかっている。
左端が落ちた勢いで、丸太が梃子になり、右端が下桟を押し上げた。
右輪が石から指二本ぶん浮く。
前後の楔から重みが消えた。
ロデンは丸太の下から鉄棒を抜こうとした。
だが先端が噛んでいる。
「手を離せ、下がれ!」
ガドが飛びつき、ロデンの襟をつかんだ。
二人が荷台から離れた時、吊り縄がもう一度滑った。
丸太が置き台へ完全に落ちる。
持ち上がっていた右輪が、楔の前へ落ちた。
車体の重みが制動棒を横へねじった。
乾いた音が三度、続いた。
一本目は棒の根元が割れる音。
二本目は鉄の爪が車輪から外れ、石へ落ちる音。
三本目は右前の楔が砕ける音だった。
荷車が半輪ぶん進んだ。
後ろの索が張る。
石切り台の鉄環が、索を受けて低く鳴った。
「止まれ!」
ガドの声が斜路へ響いた。
ガドは荷台後部の索へ両腕を回した。
白髭の男もつかむ。
ロデンは左輪の前へ新しい楔を投げた。
楔は車輪へ弾かれ、斜路へ転がった。
荷車がさらに、車輪一回転ぶん進む。
鉄環の根元から、石の欠片が飛んだ。
環は抜けなかった。
だが二巻きした索の下側が、石の角へ食い込んでいた。
「水を掛けろ!」
ガドが叫ぶ。
摩擦で縄が焼ける。
ロデンが水桶へ走る。
間に合う前に、索の表面から白い煙が上がった。
一本、撚りが切れる。
続いて二本。
ガドは索を離した。
「退け!」
太い縄が弾けた。
切れ端が荷台へ跳ね、積んだ丸太を打つ。
荷車は四本の丸太を載せたまま、北門へ下る斜路へ出た。
ガドは荷場の警鐘へ走った。
鉄棒で、短く三つ叩く。
荷崩れを知らせる音だ。
鐘を鳴らした後、自分も斜路へ飛び出した。
「道を空けろ! 荷車だ!」
荷車はまだ、人が走れば追いつける速さだった。
だが石道は北へ向かって一段ずつ急になる。
荷車は、車輪が一回転するたびに速くなった。
ガドは後部から垂れた切れ索をつかもうとした。
一度目は指先をかすめた。
二度目は握れた。
引かれ、靴底が石を滑る。
自分の腰縄を切れ索へ掛けようとするが、結び目を作る余裕がない。
「石柱へ回せ!」
白髭の男が後ろから叫ぶ。
斜路の左右には、荷を休ませる低い石柱が並んでいる。
ガドは一本目へ索を回そうとした。
だが索を柱の裏へ回す前に、荷車の勢いに両腕を持っていかれた。
ガドは道へ転がった。
白髭の男が襟をつかみ、後輪から引き離す。
荷車だけが、町へ下った。
警鐘の三つ音は、宿の中庭まで届いた。
セルマは、ブレノの荷縄が掛かった釘の下で顔を上げた。
最初の一音では、荷場を見た。
二つ目で、北通りへ目を向けた。
三つ目で、土間の赤い肩掛けがないことに気づいた。
「ばあさん!」
女主人が台所から出てくる。
「どうしたんだい」
「ネルカが北門へ行ってる。荷場の斜路は北通りへ出る」
言い終える前に、セルマは走った。
女主人は裏口を開けた。
「染物屋の裏を抜けな! 表より石段が一つ少ない!」
セルマは振り返らず、片手を上げて応えた。
女主人は通りへ出て、両腕を広げた。
「荷車が下ってくる! 道を空けな!」
宿の客、隣のパン屋、向かいの桶屋が次々に声をつなぐ。
荷馬を引く男が手綱を引き、馬を横道へ入れた。店先の籠も壁際へ蹴り寄せられた。
リュカとブレノは、染物屋の青い竿を過ぎたところにいた。
警鐘が三つ鳴る。
続いて、坂の上から叫びが落ちてきた。
「荷車! 四本だ!」
ブレノは振り返った。
人波の向こうに、丸太の先端が揺れている。
「ガドは!?」
リュカが目を細めた。
「荷車にはいない」
ブレノは通りの幅を見た。
左に染物屋。
右には、何も置かれていない石敷きの空き場がある。
空き場の奥には、低い石垣があった。
その先に石段と、北門へ向かう最後の下り坂がある。
ブレノは北門へ向けていた足を返し、人波の中へ踏み出した。
「脇へ寄れ!」
買い物籠を持った女を石段へ押し上げる。
荷馬の手綱をつかみ、横道へ追い込む。
リュカは染物屋へ走った。
「裏へ出ろ! 丸太が外れる!」
染物屋が動きを止めた。
「荷車がこっちへ来るのか!」
「荷車は反対へ入れる。丸太はどこへ飛ぶか分からない!」
染物屋は奥へ怒鳴った。
職人が二人、染め布を抱えて裏口へ走る。
親方は最後の一人を押し出し、自分も裏へ消えた。
リュカは通りを渡り、空の石敷きへ走った。
荷車が近づく。
後輪の片方に、折れた制動棒がぶら下がっている。
石へ当たるたび、火花が散った。
四本の丸太を縛る右の荷縄が毛羽立っていた。
「止めたら、荷が前へ出る」
ブレノが言った。
「店には戻るな!」
その先で、北門が見えた。
門番小屋の石段に、赤い肩掛けのネルカがいる。
薬の包みを抱えたまま、逃げる人々を見回している。
膝を悪くした門番が小屋から出て、ネルカの肩へ手を伸ばしていた。
二人とも、門の外へ逃げるには遅い。
小屋の内側へ戻れば、荷車の進路に近づく。
「ネルカ!」
ブレノが叫んだ。
ネルカは顔でなく声へ振り向いた。
「じいさんを連れて、石段の陰へ入れ!」
ネルカは門番の腕を引いた。
石段の陰へ入ろうとする。
老人の膝が曲がらず、動きが遅い。
引いた拍子に、赤い肩掛けがネルカの肩から落ちた。
セルマが染物屋の裏から飛び出した。
地面の赤い肩掛けを見た。
「ネルカ!」
門へ走り、門番の空いた側へ肩を入れた。
ネルカと二人で老人を引き、石段の陰へ連れ込む。
ブレノは、染物屋の向かいにある空の石敷きを見た。
「あそこへ入れる」
「何をする」
リュカが聞いた。
「荷台に乗る。後ろの索を右へ引け」
「轢かれるぞ」
「横から乗る」
坂の上から、ガドが走ってくる。
膝と肘から血を流し、息が切れている。
「そいつを止めろ!」
ブレノはガドへ二本指を上げた。
右へ寄せろ。
そこを持て。
ガドの手も上がりかけた。
だが、ブレノの顔を見て止まった。
「おまえは――」
目の前の男を、ブレノとは呼べなかった。
荷車が、二人の間へ迫った。
ブレノは走り出した。




