第十五話 幕間 余白で鳴るもの(1)
結論から言う。
朝の帳面で二人に減らされた三人連れは、欠けた一杯を取り戻し、三人そろって渡し場へ向かった。
谷を下りた翌朝、山背継ぎでは、三人の名があるのに、朝の数だけが二人へ減った。
夜の寝床帳には、ミラ、テオ、ベルト。
人数欄には、三人。
朝鍋帳には、ミラ一行、二杯。
出立板には、東渡し、二人。
宿には三人ともいる。
ミラと、熱を出した息子のテオは土間に、同行の老人ベルトは戸外の荷車にいる。
それでも鍋の底には、二人分の粥しかなかった。
記帳机の前で、帳場番のヨルンが筆を止めていた。
痩せた中年で、話の途中でも帳面の角を揃える男だ。
「もう一度書く」
ヨルンは朝鍋帳の「二杯」へ一本線を引いた。
その横へ「三杯」と書く。
筆が紙を離れた。
こつ。
帳面の下で、机の板が小さく鳴った。
ヨルンは、筆を持ったまま帳面を見た。
三杯と書いた字の、いちばん下の線から墨の黒だけが抜けた。
紙に残ったのは「二杯」だった。
「今ので三度目だ」
ヨルンは筆を置いた。
「昨夜は三人で受けた。朝も三杯と書いた。だが、鍋へ入れる粟を量る時には二杯へ戻っていた」
宿の者ではないサラは、腰を痛めた鍋番に頼まれ、今朝だけ杓子を持って配膳を手伝っていた。
「三つあるのにね」
サラは空の木椀を三つ並べ、一つ目を指した。
「ミラ」
二つ目。
「テオ」
三つ目。
「ベルト」
名と空の椀は、一人につき一つずつ揃っている。
けれど鍋の粥は、椀二つを満たせば底が見える量だった。
ミラはテオの肩を抱き、自分の椀をその隣へ置いた。
「二杯を三人で分ける」
「分けるのは止めない」
ヨルンは、出立板の「二人」を指した。
「分ければ、三人とも食べられる。だが、このままじゃ、舟に乗れるのは二人だけだ」
サラは杓子を鍋へ沈めた。
「まず食べな。帳面が直るまで、腹を空かせておく気はないよ」
サラはミラの椀へ、一杯分の粥をよそった。
ミラはその半分をテオの椀へ移した。
サラはベルトの椀にも一杯分をよそい、鍋の脇へ置いた。
朝の配膳が一段落したら、サラが戸外の荷車へ届ける。
テオは粥を一口飲み込んだ。
熱の浮いた頬が、ほんの少し緩む。
ミラは半分だけ残した椀を両手で包み、テオが飲み込むのを待った。
*
継ぎ宿の土間には、夜の湿気がまだ残っていた。
濡れた外套。
干し草。
薪の灰。
割れた桶の木臭さ。
その真ん中を、粟粥の湯気だけがまっすぐ立っている。
宿の名は、山背継ぎ。
谷道と北道と東の渡し道が重なるので、泊まり客だけは妙に多い。
夜は、客ごとに名、荷、寝床を記し、最後に人数を足す。
朝は、同行者を一行へ束ね、代表者の名と粥の杯数を朝鍋帳へ写す。
出立板には、道と人数だけを載せる。
名前を三つ書く夜と、一行へまとめる朝。
今朝は、その継ぎ目で一人分が落ちた。
サラが山背継ぎへ着いたのは、昨日の昼だった。
昨日の朝までは、上の谷で、答える前から荷札に「北」と書かれた荷運びだった。
昨日、北越えの荷を自分から降り、空の薬箱二つをこの宿まで運ぶ仕事に替えた。
賃金は、北越えで得るはずだった額の三分の一だった。
薬箱を届けた時、宿の鍋番が腰を痛めていた。
それで配膳を頼まれ、サラは薬箱を隅へ置いて杓子を持った。
傷んだ右の踵は、まだ床へつけきれない。
それでも、目の前で椀が一つ空のままなら、手は止められなかった。
リュカは戸口の柱にもたれ、朝鍋帳を見た。
三杯と書き直した跡が三つ。
どれも、最後の一本だけが灰色に寝ている。
誰かが指でこすった跡ではない。
墨を吸った紙の毛羽が、同じ幅で横へ倒れていた。
「三人とも、昨夜ここへ来たのか」
「雨がひどくなる前に入った」
ミラが答えた。
「テオは熱がある。ベルトは荷車を離れたがらなかった。それで中の寝床は、私とテオの二人分だけ借りた」
「ベルトは一緒に渡し場へ行くのか」
「そのつもり」
「出る時刻は」
「この子の熱が下がってから決める」
リュカは出立板を見た。
東渡し。
ミラ一行。
二人。
「これを書いた時も、最初は三人だったか」
「ああ」
ヨルンは出立板を壁から外し、机へ置いた。
「朝鍋帳の二杯を見て二人と写したんじゃない。寝床帳の三人を見て、三人と書いた」
ヨルンが炭筆で「二人」へ線を引く。
その横へ「三人」と書いた。
ミラがテオの肩を抱き寄せた。
サラは杓子を持ったまま、出立板を見た。
こつ。
今度は、机の上で、出立板の縁が天板を叩いた。
三人と書いた字の、いちばん下の線が炭の粉をこぼした。
粉は線の下へ落ちず、右の空欄へ細く伸びた。
板に残った字は、また二人だった。
ヨルンの書き違いではない。
朝鍋帳だけの傷でもない。
三人を一行へまとめるたび、ほかの二人と同じ欄に収まらない一人が、数の外へ押し出される。
「名は残ってる」
サラが寝床帳を開いた。
「ミラ。テオ。ベルト。三つともある」
「だから、すぐ次の帳面へまとめるな」
リュカは三つの名を順に指した。
「先に、三つの名を別々に残す」
「帳面を増やすのか」
ヨルンが聞いた。
「増やした帳面も、一行へまとめたら同じだ」
リュカは記帳机の端にある、もう使っていない茶碗受けの木盆を引き寄せた。
「まとめる前に、一人ずつ名札を作れ」




