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一宿一飯の魔法使い  作者: Sig
第二章 灰鐘編
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第十三話 灰鐘は鐘ではない(10)

 やがて、キアラが顔を上げた。


「父のところへ行きます」


「崩れた足場は通れないよ」


「水路の道なら、ニルスが知っています」


 ニルスが立とうとした。

 右足に力を入れた途端、膝をつく。


「僕が道を教える」


 キアラは弟の腕を自分の肩に回した。


「私が支えます」


 シェイラはニルスの腫れた足と、薬箱の切れた肩紐を見た。


「その足で山道へ入るなら、杖なしじゃ無理だね。門に一本ある。

 箱の肩紐を直す間に、水筒を満たしておいで」


 キアラは頷いた。


「今度は、支度ができてから行きます」


 門番は薬箱の底に新しい革紐を回した。


 木の角に当たるところには、切れた布紐を挟む。

 結び目を二度引き、肩に掛けても緩まないことを確かめた。


「これなら上の小屋まで持つ」


 キアラは薬箱を受け取った。


「ありがとうございます」


「昨日、板の字だけ見て、あんたを追い返しかけた。

 その詫びだ」


 キアラが新しい革紐を肩に掛ける。

 薬箱は身体の横に収まり、両手を離しても傾かなかった。


 キアラは自分の水筒を井戸で満たした。

 門番はニルスに、先の二股になった杖を渡す。


 ニルスは右足をかばいながら、杖の長さを確かめた。


「水路の分かれ道は分かるかい」


 シェイラが聞いた。


「二つ目で上へ曲がります」


「霧が入ったら、石の印だけを見るな。

 右から流れてくる水の音を確かめな」


「分かりました」


 シェイラは呼び台へ戻った。

 呼び板の下端に、炭で二行書く。


 危険は、灰鐘の音で知らせる。

 行き先は、本人に聞く。


 トビアはその二行を読み、呼び板を持ち直した。


 上門の灰鐘が鳴った。


 低い音が敷石を震わせ、坂下の荷場へ渡る。

 呼び板の端に黒い線が浮いた。


 トビアは炭布で隠し、呼ばれた男の顔を見た。


「今日は、どうする」


「霧が晴れるまで待つ」


 トビアは男の答えを聞いてから、炭布の下の線を拭き取り、呼び板に書いた。


 トビアがキアラを呼び止めた。


「昨日は、悪かった」


 キアラは肩の薬箱に触れた。


「今の人には、先に聞いていましたね」


「ああ。これからも、本人が答えるまで板は読まない」


 キアラはニルスの腕を肩に回した。

 二人で上門を出る。


 水路側の道へ入る前に、キアラは一度だけ振り返った。


 シェイラは片手を上げた。

 トビアも、呼び板を持ったまま頷いた。


 キアラとニルスは、水の音を確かめながら曲がり角を上った。


 リュカは二人の姿が見えなくなると、外套の留め具を掛けた。


「下の町へ行く」


 シェイラがリュカを見る。


「もう出るのか」


「夜明けには出ると言った」


「薪車を一台運んでもらった。粥と藁の分は、それで済んでるよ。

 借りはない。もう行きな」


 リュカは上門から、町へ下る石段へ向かった。


 背後では、六本の灰鐘が少しずつ間を置いて鳴っている。

 上門の音も消えてはいない。


 上門では、もうその音だけで人の行き先を決めなかった。


     *


 水路の道を上るあいだ、薬箱は何度もキアラの腰に当たった。


 中の薄い板には、父が薬を受け取った印が残っていた。


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