第十三話 灰鐘は鐘ではない(9)
シェイラはゲイルの瞼を閉じ、毛布を肩まで引き上げた。
使いかけの赤い栓の小瓶はゲイルの寝台脇に残し、三本の枝が最後までつながった薄い板を薬箱に戻す。
崩れた足場へは戻れない。
薬箱を抱え、水路へ下りる遠回りの道へ入った。
*
小屋側の岩棚は落ち、道の切れ目は前より広がっている。
灰色の管も、崩れた道も、元には戻っていない。
キアラは切れ目の向こうを見た。
薬箱はもう見えない。
「上門へ戻ります。ニルスと水路を回ります」
リュカは門の綱を束ねた。
二人は来た道を下り始めた。
上門へ戻ると、ニルスは火床のそばで待っていた。
腫れた右足を投げ出し、霧に隠れた上の道を見ている。
「箱は?」
「シェイラさんに預けた」
「薬は届く?」
「届けてもらう」
ニルスは立とうとしたが、右足に力が入らず、火床の縁に手をついた。
キアラは井戸水で濡らした布を弟の腫れた足首に当て、シェイラが薬箱を抱えて消えた上の道を見ていた。
リュカは持ち帰った門の綱を、門番に返した。
門番は綱を巻き直し、火床の脇に戻した。
呼び台では、トビアが次の旅人の名を呼んでいた。
「マルタ」
老女が答える前に、呼び板に黒い線が浮いた。
線は曲がり、「帰」の字になっていく。
トビアは炭布をかぶせ、字を隠した。
「板はあとだ。あんたは、どうしたい」
「息子が迎えに来るまで、ここで待つ」
トビアは老女が言い終えるまで待った。
炭布の下の字を拭き取り、本人の答えを書く。
マルタ、迎えを待つ。
上門の灰鐘が、いつもの低い音で鳴った。
呼び板には、また黒い線がにじんだ。
トビアはその線も隠した。
布を何度か井戸水に浸し直すうち、日が岩壁の向こうへ傾き始めた。
ニルスの足首から熱が引き始めたころ、水路側の道から足音がした。
シェイラが、薬箱を片腕に抱えて戻ってきた。
キアラが立ち上がった。
シェイラはキアラの前で足を止めた。
「亡くなったよ。
薬を一口飲んだあとだった」
ニルスは腫れた足を両手で抱えた。
シェイラが薬箱を差し出し、キアラが両手で受け取る。
蓋を開けると、父の印を入れた薄い板が箱の底に戻っていた。
三つ編みの枝を表す、山番の印。
三本とも最後までつながっている。
「父が描いたんですか」
「ああ。
途中で止まりかけた三本目も、最後まで描いた」
キアラの親指が、三本目の枝をなぞった。
「『今日の荷は、キアラから受け取った』」
シェイラは、ゲイルが口にした通りに伝えた。
「それから、『キアラの椀は、まだ棚にある』」
「姉ちゃんが家を出る前に使ってた椀だよ」
ニルスが言った。
「父さん、誰にも使わせなかった」
キアラは父の印が入った板を薬箱に戻した。
蓋を閉めても、両手は箱の上から離れなかった。
「遅いです」
誰に向けた言葉か、シェイラは聞かなかった。




