第十三話 灰鐘は鐘ではない(8)
山番の小屋は、岩壁に背を預けるように建っていた。
シェイラは薬箱を抱えたまま、扉を叩いた。
「谷から来た!」
返事はなかった。
掛け金は外れている。
扉を押し開けると、寝台に山番のゲイルが横たわっていた。
毛布から出た手は細く、息をするたびに喉の奥で音がした。
寝台脇の壁には、手のひらほどの灰色の板が埋め込まれている。
落石や増水を町へ知らせるとき、山番が木槌で叩く板だった。
「ニルスか」
「谷守のシェイラだ。薬を持ってきた」
ゲイルの目が、わずかに開いた。
「キアラも来たのか」
「崩れた道の向こうまで来た。薬を届けるために、箱を私に預けたよ」
ゲイルは薬箱を見た。
「あいつが、箱を手放したのか」
「荷を届かせるためにね」
ゲイルは寝台脇の灰色の板へ目を向けた。
「朝、上の道で岩が割れる音を聞いた。
危険を知らせるために、この板を叩いた」
「やっぱり、あんたの警告だったのか。上門の灰鐘も鳴ったよ。
その合図を、灰鐘が勝手に『キアラを帰せ』という命令に変えた」
ゲイルの指が、毛布をつかんだ。
「板を叩いて伝えたのは、道が危ないってことだけだ。
人の行き先まで、板で決められるはずがない」
シェイラは薬箱を寝台の脇に置いた。
右側から赤い栓の小瓶を取り出し、寝台脇の椀に残っていた水に六滴落とす。
ゲイルの頭を片腕で起こし、椀を唇に当てた。
ゲイルは一口だけ飲み込んだ。
次の一口で咳き込む。
シェイラはすぐに椀を離し、咳が収まるまで待った。
「キアラは、どこにいる」
「崩れた道の向こうにいる。上門へ戻って、水路を回ってくる」
「そうか」
ゲイルは薬箱へ手を伸ばした。
「受け取りの印を入れる。板を出してくれ」
シェイラは箱の底から薄い板を出し、炭と一緒に渡した。
ゲイルは、三本の枝を編んだ山番の印を描き始めた。
一本。
二本。
三本目は途中で止まりかけた。
ゲイルは炭を持ち直し、最後まで線をつないだ。
「今日の荷は、キアラから受け取った」
「本人に言いな」
「間に合わなかったら、おまえが言え」
「縁起でもないことを言うんじゃないよ」
ゲイルは寝台の向かいにある棚を見た。
木の椀が三つ並んでいる。
「キアラの椀は、まだ棚にある」
「それも、自分で言いな」
ゲイルは答えなかった。
シェイラが名を呼ぶ。
ゲイルの胸は、もう動かなかった。
壁の灰色の板は、何も伝えずに低く震えていた。




