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一宿一飯の魔法使い  作者: Sig
第二章 灰鐘編
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第十三話 灰鐘は鐘ではない(4)

 そこで門の外から声がした。


「姉さん!」


 少年が一人、上の山道から下りてきた。


 片足を引きずり、肩で息をしている。

 三本の枝を編んだ山番の印が刻まれた木札を握っていた。


 キアラの顔から血の気が引いた。


 シェイラが呼び台を飛び下りる。


「山番の小屋か」


 少年――キアラの弟ニルスは頷いた。


「父さんは、どうしてる」


「もう起きられない」


 ニルスは息を整える間もなく続けた。


「朝から、水も飲めなくなった。

 薬を持ってきてくれって」


 キアラは薬箱を持ち上げ、肩紐を肩に掛けた。


 昨日ほつれた付け根が、ぶつりと切れた。

 箱が傾く。

 キアラは両腕で受け、胸に引き寄せた。


「案内してください」


 ニルスは首を横に振った。


 引きずっていた足首が腫れている。


「上の細い足場が崩れて、右足を取られた」


「ここまで下りるだけで精いっぱいだった」


 その場に座り込む。


 シェイラは岩壁の上を見た。


 朝の雲が低い。

 昼には上の道へ霧が入る。


 朝は人も荷も多い。

 門を離れられる者はいない。

 火床番は火から離れられず、呼び役は板に増えた文字を炭布で消している。


「今は、案内に出せる者がいない」


 シェイラが言うと、キアラは薬箱を抱え直した。


「案内はいりません。

 私一人で行きます」


 キアラが言った。


「道を知らない」


「印を見ます」


「霧が入れば、道しるべは見えなくなる」


「でも、今日の日暮れまでです」


「だからって、箱ごと落ちたら薬は届かない」


「ここに置いても届きません」


「上の足場は崩れ始めてる。

 灰鐘が鳴って、板に『帰り』と出たのは、それを知ってたのかもしれない」


「危ないなら、そう教えてくれればいいんです。

 行くか帰るかは、私が決めます」


 二人とも、相手から目をそらさなかった。


 上門の筒から、低い唸りが短く漏れた。


 呼び板の「待ち」の字が、かすかに震えた。


 リュカは呼び台の前にしゃがみ、震える板の縁に触れた。

 上門の筒に近い台の脚から、板へ冷たさが伝わっていた。


 キアラの靴先は、上門の外の山道へ向いていた。


 トビアは、消したあとの炭跡を見ていた。


「一人では行かせない」


 シェイラが言った。


「じゃあ、誰と行けばいいんですか」


 キアラは切れた肩紐を結び直していた。

 結び目が大きい。

 急いで引けば、また切れる。


 呼び台の周りでは、止まっていた朝仕事がまた動き始めている。


 トビアは、次の名を呼ぶ前に板の空欄を確かめる。

 門番は荷を持ち上げるたび、呼び板を見る。

 呼び台の前では、次に呼ばれる旅人たちが足を止めている。


 シェイラは呼び板、門番、足を止めた旅人に順に目を向けた。


「私が離れたら、上門の仕事が回らない」


 キアラは結び目から顔を上げた。


「なら、一人で行きます」


 キアラは結び直した肩紐を肩に掛けた。


 キアラは上門の出口へ走った。


「キアラ!」


 シェイラも駆け出した。


 門番が腕を伸ばしたが、キアラは身をひねって抜けた。


「門を頼む。私が追う」


 キアラは上へ続く細い道へ入る。


 シェイラは門口で足を止めた。


 背後の呼び台で、トビアは呼び板の前に立ち、シェイラの指示を待っている。

 火床番の灰掻きも、門番の手も止まっていた。


 キアラは上の道だけを見て、薬箱を抱えたまま登っていく。


「あの曲がり角の先は、どこへ続く」


 リュカは呼び台のトビアに聞いた。


「古い水路へ下りる分かれ道だよ」


 トビアが答える。


「道を知らない人間は、どっちへ行く」


「石の印を見て、右へ行く」


 キアラは上へ行くつもりで、下へ戻る古い水路へ近づいていた。


 シェイラは舌打ちした。


「トビア」


 トビアがシェイラを見る。


「何だ」


「私が戻るまで、板に何が出ても誰も帰すな」


「全員、ここで待たせるのか」


「そうだ。戻ったら一人ずつ確かめる」


 リュカは火床の脇に置いてあった細い綱を取った。

 門番が眉を寄せる。


「それは門のだ」


「借りる」


「返せるのか」


「戻ったら返す」


「必ず戻しな」


 シェイラは門柱に掛けていた外套を取った。


 シェイラとリュカは、呼び台と荷の列を背にして、上門を出る。


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