5.怪我人捕まえました
「アン先生っ! 怪我人連れてきた!」
「ま、待って、わたし、大丈夫で……!」
ぱたぱたと軽い足どりと、戸惑うように進む不規則な靴音。
誰かが『彼女』に捕獲され、手を引かれてきたのだと理解する。向かいでイアンが賑やかすぎるわ、と溢して眉間を揉んだ。
確かにそれは否定できない。
ニコは曖昧な笑みを返しつつ、それにしても、と壁の向こうへ意識を向けた。賑やかな彼女――ことルーチェはともかくとして、もう一人の声にも覚えがあった。
ミュゼットだ。
先日廊下でぶつかって、そそっかしそうな人だと感じたが。
(爆発にでも巻き込まれたのでしょうか……)
歩けているなら大事ないだろうが、煮え詰まった研究者達が起こす所業は予測できないから恐ろしい。
大丈夫だろうかと案じる間に、二つの足音は徐々に近づき隣の区画へと収まった。
診察場の壁は薄い。その上、奥側は開いている。
ともすれば聞いてしまいそうな隣の会話を、ニコは意識的に遮断した。衣服の釦を順に掛け、飴色の印を中へと仕舞う。
「ちょっと、まだ――」
「分かっていますよ。ただ、『アン先生』の出番かと思いましたので」
咎める声に目を細めれば、イアンは一瞬言葉に詰まり、軽く溜め息を吐いた。
ルーチェの魔力量では、魔法による治療が難しい。
無力を感じないはずはないのに、ひとに手を伸ばすことは諦めない。だからイアンは彼女を放っておけない。
(少し、眩しい……です)
どこまでも真っ直ぐな姿勢も、師への信頼を素直に示せるところも。ニコにはないものだと思っていると。
「アン先生ー」
診察場の途切れた壁の向こうから、ルーチェがひょこっと姿を見せた。ニコと目が合った瞬間彼女はにこっと微笑んで、あのね、と口を開いた。
「やっぱり打ち身みたいだけみたい。治してあげられる?」
「あなたはまた、無理矢理連れてきて……」
「だって階段から落ちてきたんだもん。大丈夫って走ろうとするから心配で」
「だからって引っ張って来ちゃ駄目でしょう」
「でもルゥじゃ抱えられなかったし」
「誰が抱き上げろと言ったのよ」
ルーチェの身長は年齢平均を大幅に下回る程しかない。特別鍛えている訳でもなければ、ミュゼットを持ち上げるのは難しいだろう。
「じゃあ仕方ないよね! それにこの子なんかまた怪我しそうだし、今日のことはルゥが記録に入れときたいと思います!」
いい案だろうと胸を張る弟子を前に、イアンが頭痛を堪えるように額に手を添えた。
所々引っかかる。だが治療も記録も確かに必要な事なのだ。全く以てルーチェらしいと温かな目で彼女のことを見ていると。
「あの……」
控えめな声と共に、茶色の癖毛が壁の端からちらりと覗いた。
それは恐らく、ルーチェに倣っての行動だろう。言い合う二人に声をかけ、大丈夫なので帰ります、と伝えるつもりだったと思う。
けれど結果的に、それは失敗に終わった。
「――ひっ……!」
栗色の瞳がニコを捉えたその瞬間。
彼女はまるで化け物でも見たかのように、悲鳴を上げて仰け反った。
ミュゼットが登場したのはちょうど2年前でした。
更新が遅すぎる……!泣




