第7話 狂犬の狩り場
街外れの解体業者の廃資材置き場。
うず高く積まれた鉄屑や錆びついた重機が不気味な影を落とすその場所に、スマートフォンのライトが次々と灯っていく。
「おい、本当にここに比良坂がいるんだな?」
「大河内からの連絡だ。警察にタレ込まれそうだから、動ける奴は全員集めて口封じしろってよ」
集まったのは、大河内の呼びかけ(ハルマの偽メッセージ)に応じた地元の不良や粗暴犯ども、総勢十数人。誰もがカッターナイフやバタフライナイフ、鉄パイプを手にし、数の暴力を背景に、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべていた。
彼らがライトで周囲を照らした、その瞬間。闇の奥から、錆びついた一本のバールが、狂ったような速度で突き出された。
ガツッ!!!
「っ……!?」
先頭の男の顎にバールが強烈に食い込み、歯が数本消し飛ぶ。男が崩れ落ちるのと同時に、闇から姿を現したのは、血と泥で顔をぐしゃぐしゃに汚した比良坂ハルマだった。
「ひ、比良坂!? お前、なんで――」
驚きを口にする暇すら、ハルマは与えない。返り血を浴びた顔のまま、ハルマは獣のような咆哮を上げて次の男の脳天めがけてバールを振り下ろした。
だが、相手は十数人の粗暴犯の集団だ。すぐにハルマの満身創痍の異変に気づき、数の暴力で一斉に襲いかかってきた。
「殺せっ! このガリ勉ぶち殺せ!!」
ドカッ! バキッ!!!
ハルマの背中に、容赦なく鉄パイプが叩きつけられる。蛇谷に痛めつけられた肋骨が悲鳴を上げ、ハルマの口から激しく血が吹き飛んだ。
「ハァッ……ハ、ァ」
ハルマは一瞬で十数人に取り囲まれ、地面に引きずり下ろされて激しいリンチに晒された。
容赦ない蹴り、殴打、迅速に繰り出される刃物がハルマの肉体を切り裂いていく。腕が、足が、背中が、またたく間に赤黒い血に染まっていく。
頭部を蹴られ、ハルマの視界が完全に真っ赤に染まる。だが、ハルマの瞳の奥にある、美澄を汚された怨念の炎だけは、どれだけ殴られようが絶対に消えなかった。
ハルマは口の中に溜まった血を吐き出す余裕すらなく、ただ視界に映る敵の脚を、泥にまみれた手で掴み倒した。
そして、馬乗りになられながらも、手放さなかったバールを、上にいる男の顔面に向けて、狂ったように何度も何度も突き立てた。
グシャッ! 鈍い肉の破壊音が響き、男の血がハルマの顔に降り注ぐ。
「ひ、ひぃっ! こいつ、おかしいぞ!」
リンチしている側の不良たちが、ハルマの「痛みを無視した狂気」に恐怖を覚え、一瞬怯んだ。ハルマはその隙を見逃さず、ボロボロの肉体を執念だけで引きずり起こし、ナイフを構えて突っ込んできた別の男の腕を、自分の肉を刺させながら強引に掴み取った。
刃物がハルマの脇腹を深く貫く。しかし、ハルマは叫ばない。ただ、冷酷な目で男を睨みつけ、至近距離からバールで男の手首の骨を、へし折るように叩き潰した。
「が、あああああああッっっ!???」
絶叫が響き渡る。
一方、その頃。
ハルマが逃げ出した廃倉庫から、激しいタイヤの摩擦音を響かせながら、一台の車が猛スピードで夜の道路を駆け抜けていた。
運転席の男の横で、大河内は血の気の引いた顔で、身内のスマートフォンの画面を凝視していた。
画面には、大河内自身のスマートフォンのGPSが、街外れの廃資材置き場で止まっていることを示している。
「クソッ、何なんだよ、一体何が起きてやがる……!」
大河内は恐怖で歯をガタガタと鳴らしていた。自分のスマホから発信された「比良坂を口封じするから全員集まれ」という偽の救援メッセージ。それに応じて、自分の仲間たちが十数人も現場に向かっている。
最初は、比良坂がただ逃げ出して、大挙した仲間たちにリンチされているだけだと思おうとした。だが、GPSが示すその場所から、仲間の一人から大河内の身内へ、途切れ途切れの、血を吐くような悲鳴の通話が入ったのだ。
『ヤバい、ヤバい、大河内、あいつ、比良坂の野郎……人間じゃねえ! 刃物で刺しても止まんねえんだよ! 突っこんできて、みんな骨折られて……ク、クソッ!!』
通話は、凄ましき金属音とともに強制的に切れた。
「比良坂ァ……お前、何をしてるんだよ……!」
大河内の背中に、未だかつてない冷たい汗が大量に流れ落ちる。あの優等生で大人しかったガリ勉が、十数人の粗暴犯を相手に、闇の中で怪物のようになぶり殺しにしている光景が脳裏をよぎる。
後部座席に座る蛇谷は、腕を組み、冷酷な目をさらに細めて窓の外を睨みつけていた。
「大河内、速度を上げろ。あの狂犬、放置すれば俺たちのビジネスの邪魔になる。ここで確実に、その息の根を叩き潰す」
「は、はいっ……!」
大河内は狂ったようにアクセルを踏み込んだ。
廃資材置き場。
「ヒュー……ッ、ヒュー……、がはっ、ぁ……」
凄惨な乱闘が止んだ静寂のなか、ハルマの喉から漏れるのは、もはや壊れた蛇腹のような、かすれた喘鳴だけだった。
地面には、十数人の不良たちが、ある者は手首を砕かれ、ある者は頭部から血を流し、全員が泥の中でピクリとも動かずに転がっている。
相打ちに近い形とはいえ、ハルマは全員を肉体的に『削り切った』。
しかし、その代償はあまりにも重かった。
ハルマはコンクリートの瓦礫の隙間に、崩れ落ちるように挟まったまま、完全に動けなくなっていた。
「ハァ、ッ、……は……っ……」
戦う気力など、もう一滴も残っていなかった。全身の筋肉がちぎれんばかりに硬直を引き起こし、酸欠で頭が割れそうだ。
脇腹の刺し傷からは、ドクドクと容赦なく温かい血が流れ出し、体温を奪っていく。右腕は折れているのか、完全に感覚を失って地面に投げ出され、指先一つピクリとも動かすことができない。
(もう……無理だ……。指、が……動か、ない……)
バールを握り直そうとしても、脳からの伝達信号が途絶えたかのように、ただ泥を掴むことしかできない。
視界は腫れ上がったまぶたと血のせいで、完全な暗黒に包まれようとしていた。冷たい泥の上に横たわりながら、ただただ、意識が遠のいていく。
その時だった。
猛スピードで近づいてくる車のブレーキ音が、ハルマの残された聴覚に響き渡った。
バァン! と激しい音を立てて車のドアが開く。
ヘッドライトの強い光が、廃資材置き場の凄惨な光景を容赦なく照らし出す。車から降りてきた大河内は、自分の仲間たちが全滅している地獄絵図を見て、「あ、ああ……うそだろ……」と声を失い、あまりの恐怖にその場にへたり込んだ。
だが、その後ろから歩み出てきた男――蛇谷だけは違った。蛇谷は、泥の中に転がるハルマを一瞥し、心底不快そうに、しかし冷酷な笑みを浮かべて近づいてくる。
ハルマは、近づいてくる足音を聞きながらも、首を動かすことすらできなかった。
もう、何の抵抗もできない。武器を拾うことも、立ち上がることも、逃げることも不可能な、完全なる「窮地」。
(……きたか。大河内……蛇谷……)
戦う気力を失い、肉体も完全に停止したズタボロの少年。その上から、蛇谷の冷酷な影がゆっくりと覆いかぶさる。
絶望が完全に満ちたこの戦場で、比良坂ハルマの復讐劇は、本当にここで終わりを迎えてしまうのか――。
──いや、絶対に美澄の為に、終わらせるわけにはいかなかった。




