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勉学だけの陰キャは無能と言われていたが、ならば対処の復習も兼ね、復讐を始めようか。〜実は僕、凶暴なんです〜  作者: アルファベータ
前編

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第2話 仮面の下の狂犬は

「お母さん、僕が美澄を救います」

 

 そう言って部屋を出ていったが、憤りを抑えきれない。そうして家に帰ったはいいが、何かに当たらなければ気が済まなかった。


 ガシャアン、と激しい音を立てて、ハルマの部屋の姿見が砕け散った。拳から流れる鮮血が、床に散らばる鏡の破片を汚していく。


 だが、ハルマはその痛みすら心地よかった。脳が沸騰するような怒りの中で、感覚だけが異常なほど冷徹に研ぎ澄まされていく。


鏡の破片に映る自分の顔を見る。


 分厚い黒縁メガネを外し、前髪を荒々しくかき上げたその顔は、昼間までクラスで「無能なガリ勉」と罵られていた陰キャの面影など、微塵も残っていなかった。


「……久しぶりだな、俺」


ハルマは低く、地を這うような声で呟いた。


脳裏に、中学時代の記憶が鮮明に蘇る。


 当時の比良坂ハルマは、地元でも有名な「本物の狂犬」だった。体格に恵まれていたわけではない。


 ただ、戦いにおける躊躇のなさと、相手を壊すことへの恐怖心の欠如が異常だった。絡んできた先輩不良の目を迷わず指で突き、集団で囲まれれば躊躇なく鉄パイプを拾って頭を叩き割る。


 相手が病院に運ばれようが、自分が血を流そうが、ただ本能のままに暴力を振るっていた。


 だが、中学の卒業式の日、血に染まった自分の拳を見て、急に強烈な虚しさが襲ってきた。


(暴力で他人を従わせても、残るのは恐怖と憎悪だけだ。こんなものは何の生産性もない、ただの無能のやることだ……)


 だからハルマは、自分を変えるために「高校デビュー」を決意した。


 過去のやんちゃな自分を完全に封印し、髪を整え、地味なメガネをかけ、大人しい優等生の仮面を被った。


 これからは必死に勉強して知識をつけ、まっとうに稼ぐかっこいい社会人になるのだと。


 周囲から「勉強しかできない無能な陰キャ」と見下され、大河内たちに玩具のように扱われても、その仮面を守り通した。


 それが、過去の自分に対する「罰」であり「更生」だと信じていたからだ。


だが、その結果がこれだ。


 自分が大人しく這いつくばっていたせいで、唯一自分を人間として見てくれた、あの優しくて温かい南雲美澄が、獣たちに犯された。


「クソが……ッ!!」


ハルマは拳を机に叩きつけた。


 我慢の限界だった。過去の自分を紛らわすための仮面など、もう必要ない。あのクズどもを全員、五体満足ではいられない身体にしてやる。


 しかし、ハルマはすぐに怒りに任せて家を飛び出すことはしなかった。彼はベッドに深く腰掛け、深く息を吸い、そして吐き出した。


(落ち着け。ただ殴り込みに行けば、俺はただの『傷害犯』だ。大河内の親が警察に泣きつき、俺が逮捕されれば、俺の人生が終わるだけじゃない。美澄をさらに傷つけることになる)


 ハルマは机に向かい、この数ヶ月間で猛勉強し、頭の中に叩き込んできた「法学」の知識を高速で検索し始めた。


目には目を、歯には歯を。そして、暴力には――「法律の盾」を。


「刑法第36条第1項……『急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない』。正当防衛、か」


ハルマの口元が、冷酷に歪んだ。


 法律は弱者を守るものではない。法律を知り、使いこなす者を守るための道具だ。大河内たちをただ襲撃すれば、それは「復讐(私刑)」であり罪になる。


 だが、あいつらが「今まさに自分を害しようとしてくる現場」を作り出し、そこに対処する形を取れば、それは合法的な防衛行為となる。


ただで病院送りにするつもりは毛頭ない。


 相手の攻撃を誘発し、こちらの反撃が「防衛の程度を超えた(過剰防衛)」とみなされない絶妙なラインで、肉体を、そして精神を合法的に叩き潰す。


「対処の復習、といこうか。まずは、あいつらの包囲網を切り崩す」


 ハルマはノートを開き、大河内グループの構成員の名前を書き連ねた。リーダーの大河内。


 そして、常にその影に隠れてハルマを小突いていた二人の腰巾着――金髪で小太りの「佐々木」と、ニヤニヤ笑いが不気味な長身の「上田」。


 まずは、一番精神的に脆く、大河内の威を借る狐に過ぎない佐々木からだ。


 翌日。ハルマはいつも通り、分厚い黒縁メガネをかけ、背中を丸めて登校した。


 教室に入ると、大河内たちはハルマの顔を見て、下品なニヤニヤ笑いを浮かべた。美澄にあれだけの凄惨な事をしておきながら、彼らの心には罪悪感など微塵もないようだった。


「よお、比良坂。昨日、南雲の女のところに行ったんだって? どんな顔してたよ、あのビッチ」


 大河内が声を潜めて言った。手下たちがクスクスと笑う。ハルマはメガネの奥の瞳を冷たく据え置いたまま、わざと怯えたように身体を震わせてみせた。


「あ、大河内くん……南雲さん、すごく傷ついてて……。お願いだから、もうこれ以上は……」


「ああん? 何被害者ぶってんだよ。元はと言えば、あの女が生意気に俺たちを脅したのが悪いんだろ。おい、今日の分の飯代、早く出せよ」


佐々木がハルマの肩を強く突き飛ばした。


 ハルマはわざと大げさにバランスを崩し、机にぶつかる。


「ごめん、本当にお金がないんだ。放課後……放課後の裏庭なら、誰にもバレない。僕の貯金通帳から下ろしたお金を渡せるから、そこで待っててくれないかな」


 弱々しく、今にも泣き出しそうな声でハルマは懇願した。佐々木はハルマのその態度を見て、完全に味をしめたような顔で笑った。


「へえ、通帳から下ろすか。いいじゃねえか。おい大河内、放課後、俺がちょっと裏庭でこいつから回収してきてやるよ」 


「おう、佐々木、しっかり搾り取ってこいよ」


大河内は退屈そうに鼻を鳴らした。


 すべてはハルマの計算通りだった。大河内は傲慢だ。たかが陰キャ一人を脅すのに、わざわざ全員で動く必要はないと考えている。


 まずは佐々木を単独で誘い出すことに成功した。放課後。夕暮れ時の学校の裏庭は、部活動の掛け声からも遠く離れ、不気味なほど静まり返っていた。


 佐々木はポケットに手を突っ込み、ニヤニヤしながら現れた。



◇◆◇


「おい、比良坂ぁ。金は用意できたんだろうな?」


 木陰で待っていたハルマは、ゆっくりと振り返った。その顔から、あの怯えた「ガリ勉」の表情は完全に消えていた。


 ハルマは静かに右手を伸ばし、かけていた分厚いメガネを外してポケットにしまう。


「……金? そんなものあるわけないだろ、デブ」


 ハルマの声のトーンが変わった。低く、冷たく、心臓を直接掴むような威圧感を孕んだ声。


 佐々木は一瞬、その場の空気が凍りついたような錯覚を覚え、思わず一歩後退りした。


「あ? ……お前、何言って……」


「お前さ、自分が大河内の後ろで吠えてるだけの無能だって、自覚あるか?」


 ハルマは一歩、また一歩と佐々木に近づいていく。その佇まいは、昼間までの陰キャとは完全に別人の、飢えた獣そのものだった。


「て、てめえ、なめやがって……! ガリ勉の分際で調子に乗ってんじゃねえぞ!!」


 ハルマの急変に対する恐怖を打ち消すように、佐々木は顔を真っ赤にして怒号を上げ、右拳を大きく振りかぶった。


(――急迫不正の侵害。相手からの明確な暴力の意思表示。条件は成立した)


ハルマの脳内で、冷静な計算式が弾けた。


 佐々木が放った大振りの拳。中学時代のハルマなら、これを避けて相手の顎を砕いていただろう。だが、今のハルマは違う。


 ハルマはあえて避けず、自らの左肩の肉が厚い部分を少し前に出し、佐々木の拳を受け止めるようにして、わざと強く殴らせた。


 ボカッ、と鈍い音が響き、ハルマの身体がわずかに揺れる。


「がっ……!」


 ハルマは小さくうめき、口元を拭った。少しだけ血が混じっている。だが、ハルマの瞳は全く揺らいでいなかった。それどころか、狂暴な歓喜に満ちた笑みを浮かべていた。


「よし、これで『正当防衛』の成立だ。先に手を出したのは、お前だからな」


「な、何言って……」


 佐々木が恐怖で顔を引きつらせた瞬間、ハルマの身体が爆発的な速度で踏み込んだ。


「まずは、その汚い手からだ」


 ハルマは佐々木の放った右腕を電光石火の速さで掴み、そのまま自らの肩を支点にして、合気道の要領で一気にひねり上げた。


 パキパキパキッ!!! という、生々しい骨の折れる音が裏庭に響き渡る。


「ぎゃああああああああああああっっっっっ!????」


 佐々木が絶叫し、地面に転がった。右腕が不自然な方向に曲がっている。だが、ハルマの復讐はこれだけでは終わらない。激しい打撃に悶える佐々木を更に追い詰める。


「おい、静かにしろよ。防衛行為は、侵害が止まるまで継続して許されるんだ。お前、まだ戦う意思があるだろ?」


 ハルマは地面に這いつくばる佐々木の髪を乱暴に掴み上げると、その肥満体を無理やり引きずり起こした。


「ひっ、あ、あが、やめ……」


「美澄の痛みは、こんなもんじゃなかったはずだ」


 ハルマの容赦のない、そして法律という壁を見極めた「合法的に執行する暴力」が、夕闇の裏庭で炸裂しようとしていた。


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