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勉学だけの陰キャは無能と言われていたが、ならば対処の復習も兼ね、復讐を始めようか。〜実は僕、凶暴なんです〜  作者: アルファベータ
中編

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第10話 それは救済なのだから


ウゥゥゥゥゥゥ―――ン、ウゥゥゥゥゥゥ―――。


 遠くから、夜の静寂を切り裂いて街に響き渡るサイレンの音が聞こえていた。


 近隣の住民が、廃資材置き場から聞こえる尋常ではない怒号と、金属が激しく崩落する大音響に怯え、警察に通報したのだろう。


 パトカーの赤い警告灯が、鬱蒼とした木々の隙間を不気味に、規則正しく照射する。数台の車両が激しい砂煙を上げて敷地内に突入し、何十人もの警察官が懐中電灯の光を交錯させながら、一斉に車から飛び出してきた。


「警察だ! 動くな!」


「なんだこれは……おい、応援を呼べ! 負傷者が多数出ている!」


 警察官たちの怒号が飛び交う。彼らのライトが照らし出したのは、地獄絵図そのものだった。地面のいたるところに、手足を異常な方向に曲げて悶絶する不良たちが転がり、その中心には、巨大な瓦礫と鉄筋に押し潰され、完全に物言わぬ肉塊と化した蛇谷の死体があった。


そして、その凄惨な瓦礫の山の下で。


 一人の少年が、泥と血にまみれたまま、ただ小さく蹲っていた。


「おい、君! 大丈夫か! 動けるか!」


 一人の年配の警察官が、足場の悪い廃材の山の下にいた少年駆け寄り、手を伸ばした。


 ライトの光に照らされたその少年――比良坂ハルマの姿に、警察官は思わず息を呑んだ。ハルマの制服はズタズタに引き裂かれ、全身から流れる血が泥と混ざり合って赤黒い鎧のようになっていた。


 右腕は不自然に垂れ下がり、脇腹からは今も鮮血が滴っている。肉体は文字通り、死の一歩手前まで破壊し尽くされていた。だが、何よりも異常だったのは、彼の精神だった。


「……あ……、あ、う、あ……」


 ハルマは自分の血塗られた両手を見つめたまま、ガタガタと歯を鳴らして震えていた。その瞳にはハイライトが一切なく、ただ果てしない虚無と、自己嫌悪の深淵だけが広がっている。


 涙と鼻水が血の混じった顔を伝って地面に落ちる。彼は勝利の余韻に浸るわけでも、捕まる恐怖に怯えるわけでもなかった。


 ただ、自らが「一線を越えて人を殺した」という、取り返しのつかない現実の重さに、魂を完全に叩き潰されていた。


「君、何があったんだ? この男たちは君がやったのか? 何か事情があったのか……!? 答えなさい!」


 警察官がハルマの肩を強く揺さぶり、必死に問いかける。何か事情があったのか。正当防衛なのか。それとも、凄惨な私刑の結果なのか。


 しかし、ハルマの耳には、その問いかけすら届かなかった。脳内で、蛇谷がグシャリと潰された瞬間の音が、無限にループして鳴り響いている。


 自分が信じた法律。美澄のために『正しい人間』として復讐を果たすという誓い。その全てを、自分のこの両手が粉々に踏みにじったのだ。


 自分はあいつらと同じ、いや、それ以上の怪物に成り下がった。その過ちへの嘆きだけが、彼の壊れた心を支配していた。


 ハルマは何も答えなかった。答えるための言葉すら、彼の精神はすでに失っていた。


「おい! 意識が混濁している! 救急車を早くしろ!」


 警察官の焦った声が遠くに聞こえた気がした。ハルマの身体から完全に緊張の糸が切れ、急速に体温が失われていく。


 視界が急激に狭まり、パトカーの赤い光も、警察官たちの騒音も、すべてが暗闇の底へと溶けて消えていった。ハルマはそのまま、血まみれの泥の上に崩れ落ち、深い、深い昏睡へと落ちていった。


────────────────────

 ──────────────────


カチ、カチ、カチ、カチ……。


 規則正しい、どこか穏やかな機械の音が耳の奥に届いた。鼻を突くのは、強烈な消毒液の臭い。


(ここは……どこだ……?)


ハルマは重い瞼をゆっくりと開けた。


 視界に飛び込んできたのは、ひび割れたコンクリートでも、錆びついた鉄屑でもなかった。真っ白な天井。 そして、自分の腕へと繋がっている点滴のチューブ。


そこは、病院のベッドの上だった。


 全身を包むのは、鈍い、しかし強烈な激痛。動かそうとした右腕はギプスで厳重に固定され、脇腹や頭部には幾重にも包帯が巻かれていた。応急処置はすべて終わっている。生き延びてしまったのだ。


あの地獄から、自分だけが。


「――気がついたかい。無理に動こうとしなくていい」


 優しく、それでいて芯のある落ち着いた声が、病室の静寂を破った。ハルマが痛む首をゆっくりと回すと、ベッドの脇に置かれたパイプ椅子に、一人の男が腰掛けているのが見えた。


 年齢は30代半ばほどだろうか。温和そうな顔立ちに、細いフレームの眼鏡。しかしその奥にある瞳には、数々の修羅場をくぐり抜けてきた者だけが持つ、深い理知と揺るぎない意思が宿っている。


 仕立ての良いスーツの胸元には、金色に輝く弁護士バッジが留められていた。男はハルマが怯えないよう、ゆっくりと、安心させるように微笑みかけた。


「失礼」


「僕は弁護士の、三島みしまという。君のお母さんから依頼を受けて、君の弁護人としてここに来た。少年犯罪を専門に扱っている」


 三島はパイプ椅子を少しだけベッドに近づけ、ハルマと同じ目線に合わせるように少し腰を落とした。


「君の怪我の治療と、警察による最低限の身元確認は終わった。……だがね、比良坂くん。あまり時間がないんだ。君の怪我の容態が安定し次第、君は僕と一緒に、裁判所へ行かなければならない。事態の重大性を鑑みて、少年審判か、あるいは通常の刑事裁判の廷へね」


 裁判。その言葉が、ハルマの耳の奥で爆音となって弾けた。自分が、被告人席に立つ。人殺しとして。


 ハルマは恐怖と自己嫌悪で息を詰め、シーツを握りしめようとしたが、指先は震えるだけで力が入らない。


「警察や世間はね、君のことを『十数人を返り討ちにし、一人の男を惨殺した冷酷な怪物』だと噂している。君が仕掛けたGPSの誘導形跡や、状況だけを見れば、君が計画的に引き起こした凶悪な少年犯罪だとね」


 三島はそこで言葉を区切ると、スーツのポケットから、透明な証拠品袋に入れられた一台のスマートフォンを取り出した。ハルマがあの夜、大河内のスマートフォンを奪い取ったため、大河内が使っていた別の端末だ。


 三島は証拠品袋越しに画面を操作し、ひとつの音声ファイルを再生した。


『ヤバい、ヤバい、大河内、あいつ、比良坂の野郎……人間じゃねえ! 刃物で刺しても止まんねえんだよ!突っ込んできて、みんな骨折られて……ク、クソッ!! ――ガガッ、プツン』


 病室に響き渡る、不良たちの血を吐くような悲鳴。恐怖に彩られた、携帯の断末魔の記録。


 周囲から見れば、ハルマの異常な攻撃性を証明する決定的な証拠。ハルマは激しい罪悪感に襲われ、顔を背け、耳を塞ごうとした。


「あ……ああ…ぁ」


(やっぱり、僕は人殺しだ。弁護士のこの人も、僕を軽蔑して、罪を暴きにきたんだ――)


 しかし、三島の口から出た言葉は、ハルマの予想とは全く異なるものだった。


「――でもね、比良坂くん。僕は君がそんな冷酷な人間だとは、絶対に思わない」


 三島の声は、どこまでも温かく、そして力強かった。


「警察に没収される前に、君の部屋を見せてもらった。君の机の上には、高校生が普通読まないような、ボロボロになるまで読み込まれた六法全書や法律の専門書が山積みになっていた。……君は、法を信じていたんだね。法という正しいルールで、何かを守ろうとしていた。そんな君が、自分の未来をすべて投げ打ってまで、一線を越えざるを得なかった。そこには、そうするしかなかった『絶対の理由』があるはずだ」


 三島はスマートフォンの画面を消し、それを優しくベッドの脇に置くと、ハルマの震える左手を、両手でそっと包み込んだ。


「僕は君の味方だ、比良坂くん。世間の誰もが君を人殺しだと責め立てても、君の弁護士である僕だけは、君を信じる。君が法を裏切ってまで守りたかったもの、戦わなければならなかった真実が、必ずそこにあると確信している」


 三島の眼鏡の奥の瞳には、哀れみではなく、一人の人間としてハルマと向き合う誠実な光が宿っていた。


「僕と一緒に、裁判へ行こう。そして、法廷という正しい場所で、君を地獄に突き落とした本当の悪党どもを裁かせるんだ。そのためには、君の協力が必要だ」


 三島はハルマの目を真っ直ぐに見つめ、静かに、優しく問いかけた。


「君に何があったのか、君の口から、すべての事情を僕に聴かせてくれ。君の戦いを、ここで終わらせてたまるか」


 三島の手の温もりが、ハルマの凍りついた心に少しずつ染み込んでいく。語れば、美澄の件が公になる。しかし、この三島という男なら、自分を、そして美澄を救ってくれるかもしれない。


ハルマの唇が、小刻みに震え始める。


 法に絶望し、法を裏切った少年は、自分を信じると言ってくれた「唯一の味方」を前に、一体何を語るのか――。


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