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第七章 3「魔女の来訪」

 ギルドの廊下を歩きながら、俺は小さく兜の中で欠伸を噛み殺した。


 先ほどからボックとロロ、それにメライと共に、特殊案件についての調書を取られることになっている。


 魔物を討伐して終わり、という依頼ならまだ楽だった。


 だが、今回ばかりはそうもいかない。


 何せ、関わった相手が相手だ。新鮮な情報を集めたいのだろう。


「ったく。面倒なことになったな」


 ぼやいたボックに、メライに抱っこされたままのロロが苦笑する。


「仕方ないでしょう。あれだけ騒ぎになったんだから」

「言っとくが、俺は悪くねぇぞ」

「誰も先輩のこと責めてませんよ」


「……おい後輩。そういう言い方が一番怪しいんだよ」


 二人のやり取りを横目に、俺は適当に相槌を打った。


 その時だった。


 前方――ギルドの正面玄関付近が、妙に騒がしくなった。


「何事っスか?」


 ロロをおぶったままのメライが、身を乗り出すように首を伸ばす。


 普段なら酒を飲みながら依頼を眺めている冒険者たちが、揃って入口へ視線を向けていた。


 ざわめきが広がっている。どうやら誰かが来たらしい。


「有名人でも来たのか?」


 俺は興味なさげに呟いた。


 実際、誰が来ようがどうでもよかったし、今は余計なことに関わりたくない。


 特殊案件の調書だけ済ませて、さっさと休みたい。


 そのつもりだった。


 ――入口に立つ女を見るまでは。


 その女が一歩踏み入れただけで、空気がわずかに変わった。


 人混みの間から姿を現したのは、一人の女だった。


 大きなつばのついた帽子。その隙間から覗く顔立ちは、見たところ年若いようにも見える。


 だが、ただ若いだけではない。


 彼女が一歩踏み入れただけで、周囲にいた冒険者たちが自然と道を開けていた。


 畏怖か、あるいは恐怖。


 そのどちらとも取れる空気が、女を中心に広がりつつあった。


「……へぇ」


 チラ見程度で済ませるつもりだった俺は、小さく呟いた。


 なるほど。確かに、これは騒ぎになる。


 俺は女そのものよりも、その隣にいた人物の方に目を引かれた。


「――メリネ?」


 声には出さなかった。


 だが、一瞬だけ足が止まりかける。


 女の傍らに、見覚えのある少女がいた。


 剣を携えた若い金髪の少女、メリネ。


 どうしてあいつが、あの女と一緒にいる?


 その瞬間、とてつもなく嫌な予感がした。


 そして、その予感を確信に変えるように、女がこちらを見た。


 俺と女、両者の視線が交わるのは、ほんの一瞬だった。


 それだけで十分だった。


 俺は、女が自分を認識したことを理解した。


 女もまた、こちらが自分を認識したことを理解している。


 ――面倒な。


 それ以外に言葉がなかった俺は、何事もなかったように視線を外した。


「さっさと行くぞ先輩」

「え?」


 ボックが振り返る。


「え?じゃないよ、これから調書だろ。こんなところで立ち止まっていたら遅れるぞ」

「あ、ああ」


 それだけ言って、俺は一足先に歩き出す。


 後ろを振り返らない。


 あの女に見られている。


 そんな感覚だけが、背中に刺さっていた。


「……ヴァルさん?」


 ロロが怪訝そうな顔をした。


「何だい?」

「いえ、どうかされましたか?なんだか、その……怒っているような」

「そうか?面倒な調書とやらを早く終わらせたいだけかな」

「はは、調書といっても簡単だから大丈夫ですよ。多分」

「……そういうもん?」


 ロロの意外な適当さに首を傾げたが、納得することにした。


 それにしても、あの女は一体何者だろうか。


 なぜ、あれほどの強さを持った女がメリネを連れているのか。


 そして。


 なぜ、自分を見ていたのか。


 考えが堂々巡りになり、考えるだけ無駄だと思った。


 今は逃げる。正確には――関わらない。


 それが一番だ。


 メリネには悪いが、少なくとも街中で死ぬことはない……はずだ。


 ◇


 調書は、思った以上に長引いた。


 特殊案件に関わった経緯、現場で何が起きたのか。誰が何を見たのか。


 それらと同じような質問を、何度も聞かれる。


 堪え性のないボックが途中から露骨に苛立ち始め、ロロがそれを宥め、メライは真面目に答えていた。


 俺も黙って、メライの発言に同意する形で質問に答え続けていた。


 もっとも、俺がオークカーストを倒したことは言うつもりはない。


 意識の半分は、別のところにあった。


 あの女はまだいるのか。帰ったのか。


 いや……帰る理由がないが、ここにいる理由もないはずだ。


 あの魔女が何を目的にここへ来たのかは知らないが、少なくとも偶然ではない。


 そしてメリネを連れていたことを踏まえて、俺には嫌な予感しかしない。


「――以上で終了です」


 ようやく担当職員がそう告げた。


 ボックたちも、やっと終わったことに安堵した。


「ご協力ありがとうございました」

「どういたしまして」


 俺は丁寧に頭を下げて、椅子から立ち上がる。


 ようやく終わった。帰ろう。


 今度こそ、何も考えずに。


「ヴァルさん」


 部屋を出たところで、別の職員に呼び止められた。


 とても嫌な予感がした。


 ものすごくした。


「……何です?」

「少々、お時間をいただけますか」

「今、ですか?自分、疲れてるので休みたいなと……」

「無理そうですか?」

「ええ」


 職員は困ったように眉を下げた。


「その……面会をご希望されている方がお待ちになっておりまして……」


 俺は目を閉じ、頭を抱えた。


 安直に逃げ切れると思った自分が馬鹿だった。


「その、待っている人は誰です?」

「ヴェルデ・エル・トゥーラ様です」


 誰だ?あの女か?


「断れます?」

「……」

「断れないんですね」


 気弱そうな職員は何も答えなかったが、それが答えだった。


 ◇


 案内された応接室の前で、俺は一度だけ立ち止まった。


 逃げることも考えた。だが、今さら意味がない。


 玄関で視線が交わった時点で、向こうは気づいている。


 そして、自分も気づいていることを知られている。


 ここで逃げれば、それこそ自分から答えを差し出すようなものだ。


 正体が露見するのは、まずい。


「どうぞ」


 職員が扉を開いた。


 俺は軽く息を吐くと、荒々しい冒険者を演じるように室内へ足を踏み入れた。


 そこには、一人の女がいた。


 間違いなく先ほどギルドの入口で見た女。


 名前は確か、ヴェルデ・エル・トゥーラ。


 窓際のソファに腰掛け、こちらを待っていた。


 そばにはメリネの姿はない。


 だが、気配は感じるので近くにいるのだろう。


「おかけになって?」


 ヴェルデが向かいのソファを示す。


「……失礼」


 俺は兜を外さず、室内を一度見回してからソファに腰を下ろした。


 それを見ていたヴェルデが、微かに笑う。


「そんなに警戒しなくてもいいでしょう?」

「いきなり突然呼び出されたんで、少々緊張しています」

「そうね。突然だったことは認めるわ。ごめんなさいね、お疲れのところ」


 あっさりと自分の非を認める彼女に、どう対処したものか。


 俺は机の上に置かれた茶に手を伸ばさなかった。


「それで、俺のような駆け出し冒険者に何の用でしょうか?」


 ヴェルデはすぐには答えなかった。


 こちらを観察するように、その瞳を細める。


「実は私、あなたに興味があるの。とーおっても、興味あって。つい声をかけてしまったの」

「……はぁ。新人冒険者に興味、ですか?」

「ええ、そうよ」

「よろしければ、理由を聞いても?」


 ヴェルデの唇が、僅かに弧を描いた。


「私を見て、逃げたから」


 それを聞いた俺は一瞬、言葉に詰まる。


 だが、何事もなかったように言葉を発した。


「皆、あなたに興味があって遠目に見ていただけです。知っての通り、自分たちは調書があったので急いだだけです」

「えぇ、えぇ。じゃあ、そういうことにしておきましょう」


 このやり取りだけでも、なんだか疲れる。目の前の魔女は面倒な相手。


 俺は内心でため息を吐き、そう位置づけた。


 この女は、言葉そのものを聞いているわけではない。


 こちらが何を言うか。何を言わないか。


 その両方を見ている気がする。


「じゃあ俺からも一つ聞いてもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

「あの剣士の方が一緒だったと覚えていますが、どちらに?」


 ヴェルデの視線が、ほんの僅かに変わった。


「彼女は私の護衛よ。今は外で楽にしてもらってるわ」

「……護衛、ですか?」


 口にしてから、少し失敗したと思った。


 ヴェルデほどの存在に護衛が必要ない。


 それを知っているような口ぶりだった。


 案の定。


「随分と私に詳しいのね」

「この街に入ってから、嫌でもあなた、魔女様の噂が聞こえます」

「そう」


 ヴェルデは追及しない。


 だが、納得したようにも見えなかった。


「ええ。本当は護衛なんて必要ないわ」


 あっさり認めた。


「じゃあ、なぜ護衛を?」

「会いたい人がいたの」


 俺は兜の中でも表情を変えない。


 だが、意識は一気に研ぎ澄まされた。


「でも、その人は街を離れていたわ」

「……そうですか」

「だから、その人を知っていそうな子に頼ったの」


 なるほど。


 最初から、メリネは自分へ繋がるための手段だったわけだ。


「黒騎士ヴァルツ」


 ヴェルデが、その名を口にした。


 途端に、俺の意識がさらに研ぎ澄まされる。


「彼のこと、何か知っている?」


 俺はすぐには答えなかった。


 即座に否定する方が自然だったかもしれない。


 だが、今さら遅い。


「……彼の噂くらいなら存じています」

「そう」

「なにぶん、とても強い方だとか」

「ええ。私もそう思うわ」


 ヴェルデは笑っている。


 しかし、その目は少しも笑っていなかった。


「それで、彼には会えたんですか?」

「残念。会えなかったわ」

「……そう、ですか」

「私はね、興味があるから。あのゴブリンキングを倒したとされる彼に、会って確かめたいの。彼が本当に人間なのかどうか」

「……!」

「ふふ、私が彼に会いたい理由はそれだけよ」


 嘘ではない。


 だが、それが全てでもない。


 俺にはそう感じた。


「私ね、随分と長く生きてきたの。もう昔の記憶があやふやなぐらいにね」


 唐突に、ヴェルデがそう言った。


「学院で魔法を学んで、魔物と戦って、世界を巡って知識を集めて」


 ソファに頬杖をついて、物憂げに窓の外へ視線を向ける。


「気づけば、周囲に並ぶ者はいなくなっていた」


 俺は何も言わず、ただ黙って聞いていた。


「でも、それだけ。世界には、まだ上がいる」


 その声には、奇妙な熱があった。


 憧れ。


 あるいは渇望。


 あるいは羨望。


「古英雄(オールドチャンピオン)たち」


 俺はその言葉に反応したが、何も言わないように努めた。


「私は、そこへ行きたいの。その頂へ」


 ようやく、ヴェルデがこちらを見る。


 初めて。


 魔女ではなく、一人の人間として本音を口にしたように思えた。


「だから黒騎士と呼ばれる方を探してると?」

「そうよ」

「なるほど……」

「彼には、そこすらも超越する可能性があるから」


 可能性?


 考え込むように、俺は視線を逸らした。


 それ以上は聞かない。


 聞けば、自分自身について尋ねることになる。


「その力の源を知りたいの」


 ヴェルデは続ける。


「彼がどこから来たのか。何を見てきたのか。どうして、そこまで強くなったのか」

「もし、それらを知ったら?」

「その先は、後で考えるわ」


 俺は眉をひそめた。


 吐き出す声色も、ついつい低くなる。


「求める先に答えがあると?」

「いいえ。答えがあるかどうかは、その時に決めるわ」


 ようやくわかった違和感。この魔女は、正直すぎる。


 だからこそ、信用できない。


 この女はまだ、自分が何をするのか決めていない。


 目的のためなら、誰かの協力者にもなる。


 あるいは敵にも。


「ねえ、ヴァルさん」

「……何です?」

「あなたは、彼を知っているよね?」


 沈黙。


 俺は揶揄うように、少しだけ笑った。


「もし知っていたら?」


 ヴェルデも笑う。


「内緒にしてあげる」


 その瞬間。


 二人の間から、笑みが消えた。


「……はて?何を秘密にしてもらえると?」

「さあ?」


 ヴェルデは背もたれに身を預けた。


「私は何も言っていないわ」

「残念ながら、自分は何も知りませんよ」

「そう?」


 短い沈黙。


 それで十分だった。


 俺はゆっくりと立ち上がる。


「俺は新人冒険者のヴァルです。いずれ彼のような戦士になりたいと思っていますとも」


 ヴェルデはしばらく、俺を見つめていた。


 やがて静かに微笑む。


「そういうことにしておきましょう」


 頷いた俺は扉へ向かう。


 だが、その背中に声がかかった。


「メリネちゃんのことは、安心して?」


 扉を開き切る前に、足が止まる。


「安心、できると思います?」

「少なくとも今は、あなたをどうこうするつもりはないわ、今は、ね。でも未来のことまで保証はできないもの」

「正直な人ですね」

「魔女だもの、遠慮なんて知らないわ」


 思わず、鼻で笑いそうになった。


 本当にこの魔女は面倒だ。


 俺は扉のドアノブに手をかける。


 そして、振り返らないまま言った。


「あの子には手を出すな。事を荒げたくないんでな」


 一瞬。


 部屋の気配が変わった。


「護衛を頼んだだけよ」

「それならいいですよ」

「心配しているのね」


 俺は少しだけ考えた。


「俺を慕う弟子ですから。もし害するのなら、あなたの血の一滴すら残しませんよ」


 それだけ言って、扉を開く。


 ヴェルデは何も止めなかった。


 廊下へ出て、扉が閉まる。


 ようやく一人になったところで、俺は深く息を吐いた。


「……最悪だ」


 魔女に目をつけられた。


 しかも、ただ強いだけではない。


 自分が何を望んでいるのか。


 その答えすら、まだ決めていない女だった。


 敵になるかもしれないし、味方になるかもしれない。


 だが、一つだけ確かなことがある。


 ――もう、あの魔女と無関係ではいられない。


 ◇


 扉が閉まった後も、ヴェルデはしばらく扉の方を眺めていた。


 先ほどまで目の前にいた新人冒険者、ヴァル。


 そう名乗った男。


 いや、黒騎士ヴァルツと呼ばれる男。


 二つの名を胸の中で並べる。


「……随分と面白い人を見つけたものね」


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