第四章 2「誰も知らぬ墓標」
アリサにメリネを任せ、その場を後にした俺は、足早に上り坂の石畳を進んでいく。
丘へと続く細道は木々の間を縫うように造られており、整えられた庭園も相まって穏やかな雰囲気を漂わせていた。
だが、今はそんな景色を楽しんでいる場合ではない。俺は気配のする方角へと足を進めた。
木々の間をしばらく歩くと、細道の先に小さな教会が姿を現した。
規模こそ小さいものの、隅々まで清潔に保たれている。清貧を大切にする教会なのだろう。
しかし、そこに似つかわしくない気配は、教会の脇にある墓地から強く感じられた。
いくつもの石碑や墓標が並ぶ中、俺は気配を辿るように進んでいく。そして、ついにその正体を突き止めた。
人ではない。物。正確には、地面に突き刺さった一本の剣だった。
野風に晒され、土埃を被ったその姿からは、相当な年月が経っているように見える。
だが、俺はその光景に覚えがあった。
――勇者が、勇者の証たる聖剣を引き抜く。
創作やゲームではお馴染みのイベントだ。その舞台が、まさか目の前にあるとは。
この世界にも、かつて勇者がいたのだろうか。
そんな空想を膨らませ、聖地巡礼にでも来たような気分になった俺は、思わず剣に向かって合掌していた。
そのとき、背後から足音が聞こえてきた。
「師匠!ここでしたか!お呼び出しが……」
振り返ると、メリネとアリサがこちらへ駆け寄ってくる。アリサは息を切らしていた。わざわざ走って知らせに来てくれたらしい。
二人には悪いことをしたなと思いつつも、俺の意識は目の前の剣に向いていた。
「……これが気になりますか?」
「あ?ああ。妙な気配がしたもんでな。ところで、こいつは誰かの墓なのか?」
この街で長く兵士を務めているメリネなら、何か知っているかもしれない。
そう尋ねると、彼女は首を横に振った。
「いえ。ただ、以前この剣を抜こうと、腕自慢や荒くれ者たちが何度も挑戦していたのは覚えています。私も抜けませんでしたから」
苦笑いを浮かべながら、メリネは聞いた話を教えてくれた。
この剣は、誰も知らない頃からずっとここに刺さっていたらしい。
兵士や冒険者、腕に覚えのある者たちがこぞって挑戦したものの、誰一人として抜くことができず、数十年もの間放置されているのだという。
「へえ……」
俺は感心したように声を漏らすと、両手をほぐして剣に向き直った。
「なら、俺が試しても問題ないってことだな」
剣に積もった土埃を払い、水をかけて軽く汚れを落とす。
二人が見守る中、俺は柄に手を添えた。
柄は、背負っている大剣のものよりもずっと細い。両手で握れば、すっぽりと隠れてしまうほどだ。
大剣以外の武器を扱うのは久しぶりだな、などと思いながら、ゆっくりと持ち上げようとした、その瞬間だった。
籠手の隙間から、血が滲み始めた。
「……は?」
慌てて手を離そうとする。だが、まるで柄に縫い付けられたかのように、手がまったく動かない。
視界の隅にある俺のHPバーを確認すると、見る間に数値が減少していた。
「やっべ……!?ふんぬぅううう……あっ!」
HPが尽きる前にと、やむを得ず全力で引き抜く。
その途端、バキッという嫌な音が響いた。
……やってしまった。剣の刀身が、途中から見事に折れている。
「や、やばっ、折れたぁ……!?」
「……!?師匠!剣が!」
「えっ?なに?」
手からは相変わらず血が流れ続けている。だが、折れた刀身に気を取られていた俺は、メリネの声に促されるように、改めて手元を見た。
そして、再び絶句する。
折れたはずの刀身が、ほぼ元通りになっていたのだ。
それだけではない。まるで打ち直されたかのように、剣そのものが変貌していた。
柄は先ほどよりも太くなり、風化していた部分も瘡蓋が剥がれ落ちるようにべりべりと崩れていく。
その下から現れたのは、血の色を思わせる濃い赤に染まった剣だった。
(えぇ……)
内心でドン引きする俺の横では、メリネもアリサも言葉を失っていた。
視界に表示された名称を確認する。
――魔剣バルム。
希少級の直剣らしい。いかにも魔剣といった禍々しい血の色で、これでもかと自己主張している。
剣を抜こうとしたら折れて、気づけば新しい魔剣になっていた。
……意味がわからん。
「す、すごい剣……」
傍らで剣を見上げていたアリサが、ぽつりと感想を漏らした。
その一言のおかげで、俺もようやく正気に戻ってくる。
「ハ、ハハ……ぬ、抜けちまったな。こいつ、どうするか……ここの偉い人に渡せばいいのか?」
普通の剣なら、総督か領主にでも渡せば済む話だ。
だが、どう見ても魔剣である。こんな物を渡していいものなのだろうか。
「で、でも、剣がなくなったら、さすがに誰かに気づかれますよ?」
メリネの言うとおりだ。
長年ここに刺さっていた剣がなくなれば、いずれ誰かが気づくだろう。問題は、それを抜いたのが有名人である俺だということ。
しかも、致死量どころではない出血をしながら抜いたのだ。
事情を聞かれたら、どう説明すればいい?
下手をすれば「なぜそんな出血で生きているんだ」「本当に人間なのか」と疑われかねない。
最悪なのは、純人間主義のような勢力に目をつけられることだ。
ようやく戦争を終わらせ、アリサやメリネが安心して暮らせる基盤を築こうとしているところなのに、ここで正体が露見して逃亡生活に逆戻りなど、冗談ではない。
仕方ない。苦肉の策だ。
俺はインベントリを開き、抜く前の剣に似たものを取り出した。
「落ち着け、メリネ。代わりの剣を刺しておく。ちょうど似たような剣があるから、たぶん大丈夫だ……たぶんな。これは三人の秘密だ。いいな?」
魔剣をインベントリにしまい、代わりの剣を二人に見せる。
それは、陽光を玉鋼に織り交ぜて鍛え上げたかのような、眩いばかりの一振りだった。
メリネも思わず感嘆の声を漏らすほど目を輝かせている。だが、彼女は打刀の鞘を握りしめ、どうにか我慢しているようだった。
(聖剣アロト……)
人族やエルフ族に好まれる、秘宝級の聖属性武器だ。今の俺には装備できない武器の一つだが、何本か所持しているため、インベントリの中で嵩張って仕方がなかった。
処分できるなら一石二鳥だろう。
俺は魔剣が刺さっていた場所に、聖剣を勢いよく突き刺した。
……うん。場違いなくらい輝かしい。
三人で慌てて土をかけ、なんとか誤魔化していく。
武器にこんな扱いをするのは本意ではないが、今回ばかりは仕方がない。許してくれと心の中で詫びながら、土をかけ続けた。
その後、俺たちは足早にその場を離れ、総督のもとへ向かった。
なお、後に一人の少年が丘を訪れ、俺の刺した聖剣を引き抜き、当代最初の勇者となるのだが……それはまた別の話である。
◇
「お待ちしておりましたぞ、黒騎士殿。おや、急がせてしまいましたかな?」
通されたのは、以前の会議室ではなく、総督個人の部屋だった。
「い、いや、気にしないでくれ。少し走り込みというか、メリネの鍛錬に付き合っていてな」
俺の言葉に、隣のメリネがこくこくと頷く。
もちろん、俺は息一つ切らしていない。アリサは総督と会うのが初めてなのか、俺の後ろに隠れるようにして、二人のやり取りを見守っていた。
総督は少し首を傾げたものの、それ以上は追及せず、現在の兵の状況や配置、斥候が集めた敵の情報などを共有してくれた。
ひととおりの報告を終え、進展があればまた知らせると話を締めくくった総督に、俺は声をかけた。
「話があるんだが、今、時間はいいか?」
「少しであれば構いませんぞ。何なりと」
メリネにアリサを任せ、二人に席を外してもらう。
そして、俺は宙に浮かぶモヤから魔剣を取り出し、机の上に置いた。
「これは……?いや、まさか……」
「お察しのとおり、あの丘に刺さっていた剣だ。さっき俺が抜いた」
魔剣が鈍く光ったように見えたが、総督は気にする様子もなく、手に取ってじっくりと観察し始めた。
「これは魔剣ですな。剣には本来ありえぬほどの魔力を感じますぞ」
さすがはドワーフ。武具を見る目が肥えている。
「ほう、さすがだな。だが、あんたたちの了承も得ずに勝手に抜いちまった。悪かったな」
総督は顔を上げ、重々しく口を開いた。
「とんでもない。むしろ、あなたほどの御仁が抜いてくださったこと自体、ありがたいのです。我々としても、ようやく肩の荷が下りた思いですからな。あの剣は少々不気味でしたので」
「というと?」
俺はソファに腰を下ろし、話の続きを促した。
「あの剣は、私が新兵だった頃からありました。先代、いや先々代の総督からは、私が子供の頃にはすでに刺さっていたと聞いております。それほどの武器が、何事もなく朽ちもせず、そこにあり続ける。どうにも不思議でしてな」
「それで、自分の代で抜いてしまおうとしたわけか」
「おっしゃるとおりです。街の者たちを集めて挑戦しましたが、結果はご覧のとおり。十年ほど試みても、抜けませんでした。一体、どうやって抜かれたのですか!?」
なるほど。剣を抜いたこと自体は、お咎めなしで済みそうだ。
問題は、ここからどう誤魔化すかだが……。
「あー……その、言うのも恥ずかしいんだが……地面ごと抜いた、みたいな?」
我ながら、誤魔化し方が雑すぎる。
兜があって本当によかった。
「……ぷっ。わっはっはっはっは!」
総督は腹を抱えて笑い始めた。
「それは盲点でしたな! 我々も、なかなか真面目に考えすぎていたようです!」
「一応、勝手に抜いたことを伝えておこうと思ってな。だが、抜いた方法は内緒にしてくれよ? ガキみたいなやり方だしな」
「心得ましたぞ、黒騎士殿。では、これはお返しします」
そう言って差し出された魔剣を、俺は戸惑いながら受け取った。
「え、いいのか?」
「もちろんです。あなたほどの御仁がお持ちくだされば、我々としても箔がつきますからな」
それならと、俺は魔剣をインベントリにしまい、代わりに別の剣を刺しておいたことを伝えた。
「この剣の代わりに、餞別として別の剣を刺して誤魔化した。あんたも知っておいてくれ。うまいこと話を合わせてもらえると助かる」
「お任せを。あとで拝みに行くつもりですが、黒騎士殿が刺した剣なら、さぞ名剣なのでしょうな」
総督はにんまりと笑った。
強かな人だ。だが、武器や防具に目がないのは相変わらずらしい。
最初に出会ったときも、彼の視線は俺の装備に釘付けだったことを思い出す。
せっかくだ。協力してくれた礼も兼ねて、俺の大剣も見せてやることにした。
机の上にゆっくりと置くと、総督は鼻息を荒くしながら、わきわきと手を動かし始めた。
そして、次の瞬間には、間近に迫る勢いで大剣に飛びついていた。
「こ、これほどの名剣を、生きている間に拝めるとは……! 我が友にも自慢したくなりますなあ!」
先ほどよりも一段と大きな声に、俺は思わず耳を塞ぎたくなった。
まあ、神話級の武器を目の前にしたら、こんな反応にもなるのだろうか。
(しかし、この世界じゃ一般級や希少級が普通なのか。なら、総督の反応も当然といえば当然か……。いや、待てよ。丘に刺したのは秘宝級の聖剣だぞ。ひょっとして、あれはまずかったか……?)
大剣を指の腹で撫で回す総督を尻目に、俺は一人で頭を抱えていた。
そのとき、扉が勢いよく開き、メリネが駆け込んできた。
――直後、敵襲を知らせる鐘が鳴り響いた。




