プロローグ1-A「逃走の果て」
それは、突然のことだった。
村のみんなが寝静まった、静かな夜。
ふとそんな夜中に目を覚ました私は、窓の外が赤く光っていることに気づいた。
「何だろう……」そう思って窓から外をのぞいた瞬間、私は息をのんだ。
村が。家が。全部が燃えていた。
あちこちから火の手が上がり、黒い煙が夜空へのぼっている。家々の間を皆が逃げまどい、あちこちから悲鳴が聞こえてきた。
何かが壊れる音。誰かが助けを求める声。
(いったい、何が起きているの?)
そう思っても、何もわからない。
わからないから。ただ、怖くてベッドの中で動けなかった。
「アリサ!」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、お父さんが立っていた。いつもと違う険しい顔で、私の手をつかむ。
「お、お父さん……?」
「いいから、早く動くんだ!早く一緒に逃げるぞ!」
お父さんに引っ張られ、私は家の外へ飛び出した。
目の前には、燃える家と逃げていく皆。そして、その向こうに――大きな緑色の化け物がいた。
人よりもずっと大きな体。手には、丸太のように太い棍棒を持っている。
化け物が棍棒を振り回すたび、家の壁や馬車が壊れ、人が吹き飛ばされていた。
「ひっ……!」
それを見てしまった私は、足が止めてしまった。
――早く逃げなきゃ。
そう思っているのに、体が動かない。まるで足が石になったように。
「アリサ、こっちだ!」
お父さんが強く手を引いた、そのときだった。
声に気づいた化け物が、こちらを振り向いた。
そのまま大きな足音が近づいてくる。
お父さんは私をかばうように前へ出た。
「下がっているんだアリサ!」
次の瞬間、化け物の棍棒が振り下ろされた。
「お父さん!」
お父さんの体が、まるで藁人形のように吹き飛んだ。
勢いよく地面を転がり、倒れたまま動かない。
何が起きたのか、すぐにはわからなかった。
お父さんが倒れている。
いつも一緒にいてくれた、大好きなお父さんが。
「お父さん……?」
お父さんを見ながら、声が震えた。
駆け寄ろうとした私の前に、化け物が立ちはだかる。
そのとき、お父さんが起き上がった。
ふらつく足で立ち上がり、近くに落ちていた斧を拾う。そして、化け物に向かって走り出した。
「アリサ!逃げろ!」
「でも、お父さん!」
「いいから走れ!振り返るな!」
お父さんの大きな声で、驚いてしまった。
私は動けなかった。
お父さんを置いて逃げるなんて、できるはずがない。助けに行きたい。そばにいたい。
だけど、お父さんは化け物に向かって斧を振るっていた。
私を守るために、戦っていた。
「早く行けえっ!アリサ!行くんだ!」
その声に背中を押されるように、私は走り出した。
何度も振り返りそうになった。それでも、お父さんの言葉を思い出して、必死に前を向いた。
後ろから、激しい音が聞こえてくる。
お父さんは、まだ戦っている。
そう思うたびに、胸が苦しくなった。
それでも、私は走る。
逃げなければ。お父さんが逃がしてくれたのだから。
やがて、見慣れた家が見えてきた。
いつも野菜を分けてくれる、おじいさんとおばあさんの家だ。
二人に助けを求めようとした、そのとき、二人の姿が目に入った。
化け物に襲われていた。
おじいさんが倒れ、おばあさんが悲鳴を上げる。次の瞬間、その声も途切れた。
「あっ……!」
足が止まりかけた。
助けなきゃ。いつも優しくしてくれた二人だ。何かできることがあるはずだ。
でも、足が震えていた。
あの化け物に近づいたら、私も殺されてしまう。
怖い。
怖くて、たまらなかった。
私は二人から目をそらした。
見なかったことにするように、何も考えないようにして、走り出す。
(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい)
心の中で何度も謝りながら、私は村の外へ必死に逃げた。
森の中へ入ると、辺りは急に暗くなった。
木々の間は薄暗く、足元もよく見えない。それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
後ろから、化け物たちの声が聞こえる。
まだ、生き残った人を探しているのだ。
化け物に見つかったら殺される。
私は木の陰に隠れ、息を殺した。
重い足音が近づいてくる。化け物の声が、すぐそばで聞こえた。
(お願い。こっちに来ないで)
私は口を押さえ、必死に祈った。
やがて足音が遠ざかると、ようやく息を吐いた。
けれど、安心はできなかった。
ここが安全だなんて、わからない。
私は立ち上がり、森の中を歩き始めた。
何度も通ったことのある道だ。いつもなら迷うはずがない。
なのに、今はどこを歩いているのかもわからなくなっていた。
木々の間を抜け、必死に先へ進む。
古びた靴が破け、小石が当たる。
足が痛い。息も苦しい。もう走れない。
そう思ったときだった。
背後で、草を踏む音がした。
振り返ると、後ろに化け物がいた。
「いやっ……!」
逃げようとしたが、足がもつれて転んでしまう。
起き上がる間もなかった。
化け物の棍棒が振り下ろされ、私の体を襲った。
「がっ……!」
全身に激しい痛みが走った。
息ができない。体が熱いのに、指先は冷たかった。
口から血がこぼれ、地面に赤いしみが広がっていく。
立たなきゃ。
逃げなきゃ。
そう思っても、手も足も思うように動かなかった。
化け物が近づいてくる。
私は必死に地面をはった。けれど、化け物に足を踏みつけられ、痛みに悲鳴を上げる。
「いやあああっ!」
化け物が棍棒を振り上げた。
もう、逃げられない。
そう思った瞬間、頭の中が真っ白になった。
────お父さん。
────おじいさん、おばあさん。
(もう、会えないの?)
嫌だ。死にたくない。
まだ、何もできていないのに。
涙があふれた。体は痛くて、怖くて、声を出すことさえできなかった。
それでも、私は願った。
誰でもいい。
誰か――。
誰か、助けて……!




