第380話:嘘をつけない炎
第380話「嘘をつけない炎」を執筆しました。
カラオケ大会のラストを飾るのは、クリザードの王女ソル。彼女が歌に乗せて吐露した本音は、ダリアムとの関係に決定的な変化をもたらします。戦いの中で凍りついていた心が、ついに溶け出す瞬間を書き上げました。
カラオケ大会の会場は、依然として人で溢れかえっていた。
柔らかな照明が場内を交差し、数十もの種族が会話を楽しんでいる。ある者は感極まり、ある者は笑い、またある者はただ沈黙を守っていた。
音楽というものは、戦いでは決して開けなかった扉を開いた。深く刻まれた傷を露わにしながら、同時に人々の距離を縮めていた。
レニは未だにマイクを握ったまま佇んでいた。ケルの瞳には薄っすらと涙が浮かび、ヴィニーは母親に抱きついている。カムは腕を組み、静かに立ち尽くしていた。彼でさえ、その胸の内を揺さぶられているようだった。
ソルはといえば、少し離れた席に座り、腕を組んでいる。努めて無関心を装おうとしていたが、その内側は……既に収拾のつかない混沌の中にあった。
レニが彼女の方を向く。
「さて……次は誰かに挑戦してもらいたい」
ソルが目を見開く。「私の方を見ないで」
レニが指をさす。「ソル」
「嫌よ」
「ソル」
「嫌だと言ったわ」
「ソル」
「帰るわよ」
ナンドが笑い出す。「帰らないさ」
ジュンが腕を組む。「帰さないわ」
キラが立ち上がる。「さっさと行きなさいよ」
「死んでも嫌」
レオンが微笑む。「ただ、心にあることを話すだけでいいんだ」
「私に心なんてないわ」
「あるさ」ラーラが即答する。
「ない」
「ある」
「ない」
「ある」
「ラーラ!!」
会場中が笑いに包まれた。ヴァーロンさえも目を細めている。ヴァンダーは静かにその様子を見守っていた。
ソルが立ち上がる。「あんたたち、どうかしてるわ」
「ソル! ソル! ソル!」ナンドがリズムを刻み始め、ザイラも加わる。
「ソル! ソル! ソル!」
やがて、見知らぬ客たちまでもが合唱を始めた。
「ソル! ソル! ソル!」
「……あんたたち全員、殺してやる」
レオンが微笑む。「俺たちも君が好きだよ」
「黙りなさい、レオン」
彼女が周囲を見渡す。誰もが彼女を見つめ、待っている。ダーリアムさえも。特にダーリアムが。その事実が、彼女の焦りを深めた。
「……殺すわよ、本当に」
「歌ってからにしなさい」キラが言う。
「キラ!」
「いいから、王女様」
「その呼び方をするなと言ったでしょう」
ソルは深く息を吸い込み、マイクを掴んだ。震える手を隠すように。
「……もし笑ったら、全員消すから」
「分かったよ」ナンドが返す。
「本気だからね」
「俺もさ」
会場に再び笑いが漏れる。ソルは目を閉じ、呼吸を整えて歌い出した。
『Yeah……私は戦争のために生まれた
でも多分……負けることに疲れてしまったみたい』
ホール全体が静まり返る。レオンの笑顔さえ消えた。
『幼い頃から教え込まれた
感情は弱さの証だと
父は言った。「支配せよ、さもなくば消えろ」
だから私は冷たく育った
瞳に炎を宿して
痛みさえ力に変えて
生き残るためだけに』
ダーリアムが微動だにせず立ち尽くす。初めて――彼はそこにクリザードの王女を見ていなかった。戦士としての顔も見ていなかった。ただ、「ソル」という一人の少女を見ていた。
『同胞の死を見届け
私の世界が崩れ去るのを見た
カオスの中で
私は立ち止まることもできずに……』
キラが視線を落とす。彼女には分かっていた。仲間を失う痛みも、折れてもなお歩み続ける重圧も。
『でも、あなたが現れて
何かが私の中で変わった
この地獄の中でも
あなたはまだ、微笑んでいるから』
レオンが密かにダーリアムを見た。ダーリアムの表情が凍りつく。
ソルはさらに声を落とす。より脆弱で、偽りのない声で。
『分からないの
なぜあなたが私を見るだけで
胸がこんなに高鳴るのか』
ダーリアムの心臓が激しく脈打つ。ナンドがゆっくりと彼を振り返った。
「おい、今のを聞いたか……」
「黙れ」
「お前への歌だぞ」
「ナンド!」
ラーラが笑みをこらえ、レオンも何も言わず、ただその瞬間を見守った。
『私の炎は焼き尽くすけれど
あなたは恐れない
暗闇の中にいても
あなたはまだ、光を見つけてくれる』
ヴァーロンは静かに観戦していた。ふと、ラウラとの記憶が蘇る。あの日のこと。彼女が微笑んでいた日のこと。
『ソルがレオンたちと過ごした時間が……彼女を変えたのだ』。
以前は理解できなかったその言葉が、今なら分かる。ラウラはアレスに対して、かつてレオンがソルにしたのと同じことをしようとしていたのだ。戦いや権力、王国といった境界線の向こう側に、確かに「生」があることを示そうとしていた。
その事実に、彼の心は痛んだ。まだ愛しているはずの、ラウラへの想いゆえに。
『私は戦うために作られた
壊し、勝つために
でも、あなたのそばにいる時は
ただ、生きていたいと思うの』
ラーラがレオンを見る。二人は理解し合っていた。ソルは、彼女なりのやり方で少しずつ、確かに変わろうとしている。
『生き残るために殺した
孤独を抱えて耐え抜いた
世界は冷酷なだけの場所だと
信じ込もうとしていた』
ジュンとリウが立ち尽くす。彼らもまた、その重みを誰よりも理解していた。
『でも、あなたは誰かを救う
死ぬかもしれないのに
私は学んだはずだった
生きるとは、勝利することだと』
レオンが俯く。その重みを分かち合うように。
『多分、私は変わりつつある
それは悪いことかもしれない
でも、初めて誰かが
本当の私を見てくれている』
ダーリアムが指先を強く握りしめる。ソルは感情を隠しきれず、切実な声で歌う。
『戦争が終われば
私たちは敵同士になるのかもしれない
でも、その日が来るまでは
……ただ、そばにいて』
絶対的な静寂。
ホールにいる者たちが息を呑む。カムも、潜入しているブズたちも、偽りのヴァーリア人も、偽りの黒き炎の使いも――誰もが言葉を失い、そこに立ち尽くしていた。
ソルが歌い終えると、クリザードの王女がさらけ出したその想いの重さに、会場は言葉を失っていた。
ソルはゆっくりと目を開け、自分がどれほどの人間に見つめられているかに気づく。
「……神様」
顔が紅潮する。
「……ああっ」
「ソル……」ラーラが近づこうとすると。
「近寄らないで!」
ソルは踵を返し、その場から走り去った。
「ソル!」ラーラが立ち上がるが、レオンがその手を制する。
「いや、今は……彼女に呼吸をさせる時間が必要だ」
ダーリアムが立ち上がった。思考などしていない。ただ、足が勝手に動いた。ラーラはそれを見て、小さく微笑む。レオンもまた笑みを浮かべた。
ナンドが腕を組む。
「やっぱりな」
「何がだ?」リウが尋ねる。
「心が扱いきれなくなった時の……いつもの光景さ」
山々には夜の冷たい風が吹き荒れていた。
ソルは一人、膝を抱えて岩場に座り込んでいた。一人の時間を欲して……。
「……そこに逃げ込んだのか?」
彼女が凍りつく。背後にはダーリアムがいた。
「どっかに行って」
「断る」
「ダーリアム」
「嫌だ」
「あんたって、しつこい男ね」
「知ってる」
彼は彼女の隣に腰を下ろした。数秒の沈黙が流れる。
「あんな歌……自分でも何だったのか分からない」彼女が小さく呟く。
「あれが出てきて良かったと、俺は思うよ」
「いいえ」
「いいや」
「いいえ」
「そうさ」
「ラーラみたいになってきたわね」
彼は微笑んだ。
「言いたいことが、山ほどある気がするのに」
「なら言えばいい」
「歌では足りないかもしれない」
「……」
風が緩やかに吹き抜ける。
「もう、自分を騙している気がするの……」ソルが低く言う。
「ソル」
「いつか必ず……どちらかの側に立たなきゃいけない」
彼女が頭を垂れる。「誰かが傷つく結末になるわ」
ダーリアムは静かに、だが確固とした声で言った。
「分かっている」
ソルは拳を握りしめた。
「本当に……私の方を選んでくれたらなんて……望んじゃいけないのよね」
涙が溢れた。初めて、彼女はそれを隠そうとはしなかった。
「そんなことしないで……」
「してないさ」
「してるじゃない」
「いや」
「……してる」
彼女が立ち上がる。「帰るわ」
「ソル」
「もう、限界よ」
彼女は背を向け、去ろうとする。しかし、彼の温かい手が、ゆっくりと、強くなく、ただ彼女が逃げるのを阻むように、その腕を掴んだ。
「行くな」
彼女は動けなくなった。
「お前は……」彼の声が震える。
「俺の人生で、最高のものだよ」
静寂。風さえも止まった。
彼女は振り返り、彼の瞳を見た。初めて、恐れも仮面も、王国も戦争も……すべてを脱ぎ捨てた、ただの「ダーリアム」と「ソル」として。
彼女はゆっくりと歩み寄り、そして――。
二人の唇が重なった。
今回は逃げない。拒まない。否定もしない。
湖に月光が反射している。
初めて、クリザードの王女は……自分の心と戦うのをやめた。
(第380話・完)
最後まで読んでいただきありがとうございます!
ついに交わされた二人の想い。しかし、彼らが背負う「戦争の結末」という重い運命は消えたわけではありません。ソルが選ぶ未来とは?
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