第369話 「戦争でさえ説明できないもの」
K11に夜が訪れていた。
惑星を囲む水晶の山々の間では街の灯りが輝き、巨大な光の河が紫色の空を静かに映し出している。
その頃――
ララの部屋では。
彼女は鏡の前で身支度を整えていた。
服装は派手ではない。
しかし、上品で落ち着いた雰囲気をまとっている。
髪も丁寧にまとめられ、数本の髪だけが頬に優しくかかっていた。
その様子を、ベッドに腰掛けたソルが退屈そうな表情で眺めている。
「はぁ……今日は退屈すぎる。」
そう言うと、彼女はそのままベッドへ倒れ込んだ。
「危険な任務とかないの? 誰か殴りたくて仕方ないんだけど。」
ララは小さく笑う。
「人生は、いつも戦いばかりじゃないのよ、ソル。」
「私はそう思わない。」
イヤそうに答えるソル。
ララはイヤリングをつけ終えると、鏡越しに妹を見つめた。
「今日はレオンと出かけるの。」
その一言で、ソルは露骨に顔をしかめた。
「えぇ……本気?」
ララは楽しそうに微笑む。
「ねぇ、ソル。 今まで誰かを好きになったことってある?」
ソルの目が大きく開いた。
「あるわけないでしょ!」
慌てて腕を組む。
「そんな暇あると思う? 結婚したがってたのは、お姉ちゃんたちだけ。」
ララは笑いをこらえながら頷く。
「そう。」
そして突然、何か思いついたように笑顔になる。
「だったら、一緒に来ない? レオンと私、それからダリアムも呼ぶから。」
数秒の沈黙。
ソルは完全に固まった。
「……は?」
「きっと楽しいわ。」
「何言ってるの!?」
ベッドから飛び起きる。
「私がザプリア人とデートなんてするわけないでしょ!」
ララは片眉を上げた。
「でも、お父様はその掟を破ったじゃない。」
「それとは話が違う!」
「そうかしら?」
ララは笑いながらソルの肩を押し、鏡の前まで連れていく。
「ほら。 私がかわいくしてあげる。」
「ちょっ……やめて!」
――場面転換。
基地の反対側。
レオンは黒いジャケットを羽織り終えたところだった。
その時だった。
頭の中にララの声が響く。
『レオン……ソルを説得できたわ。一緒に来るって。ダリアムも呼んで。』
レオンは目を丸くした。
「本当に?」
次の瞬間、一人で吹き出す。
「これは面白くなりそうだ。」
――場面転換。
数十分後。
四人はK11中央湖に浮かぶ巨大なレストランの前に立っていた。
黄金色の灯りが湖面を照らし、
静かな音楽が夜風に溶け込んでいる。
だが――
ソルだけは落ち着かなかった。
腕を組み、
真顔を保ち、
平然を装っている。
しかし誰の目にも緊張していることは明らかだった。
「先に言っとく。」
ララを見ながら口を開く。
「これはデートじゃないから。 お腹が空いたから来ただけ。」
ララはレオンの手を握ったまま微笑む。
「はいはい、お姫様。」
「人前でそう呼ばないで。」
そこへダリアムが現れた。
黒いフォーマルスーツ姿。
いつものように落ち着いた雰囲気をまとっている。
彼はソルを見る。
そして――
数秒間、言葉を失った。
今日は鎧ではない。
戦闘服でもない。
黒いシンプルなドレス姿の彼女は、
息を呑むほど美しかった。
その視線に気付いたソルが眉をひそめる。
「……何?」
ダリアムは慌てて我に返った。
「い、いや…… 何でもない。」
レオンは必死に笑いをこらえ、
ララも唇を噛んで笑いを我慢していた。
四人は席に着いた。
しかし――
空気はどこかぎこちない。
レオンとララは自然に会話を楽しんでいる。
その一方で、
ソルは今にも爆発しそうなほど緊張していた。
ダリアムは何とか話題を探そうとする。
「その……こういう場所には来たことある?」
「もちろん。」
ソルは食い気味に答えた。
「あ、あるに決まってるでしょ。 何千回も来てる。」
ちょうどその時、
ウェイターがやって来た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
ソルはメニューを手に取る。
じっと見つめる。
数秒後――
気付かないまま、
メニューを逆さまに持ち替えた。
「……何この文字。 全然読めないんだけど。」
ララは吹き出しそうになった。
「ソル…… 逆さまよ。」
その瞬間。
ソルの動きが止まる。
ゆっくりとメニューを正しい向きへ戻した。
ダリアムは顔を背け、
必死に笑いをこらえている。
「……今のは見なかったことにして。」
レオンはとうとう笑い出した。
「宇宙最強を目指すクリザード王女が、 メニューに負けた。」
「うるさい、レオン!」
しばらくして、
料理が運ばれてきた。
ソルは皿をじっと見つめる。
「……少なすぎない? これで誰のお腹が満たせるの?」
そう言いながら、
テーブルの上に置かれていた小瓶を手に取る。
「これ、飲み物でしょ?」
ダリアムが目を見開いた。
「ソル、待っ――」
遅かった。
彼女は瓶の中身を一気に飲み干した。
静寂。
二秒後。
ソルの顔が真っ赤になる。
口から煙が立ち上った。
「な、何これぇぇぇぇぇ!?」
ララは涙が出るほど笑い、
レオンは椅子から落ちそうになる。
ダリアムは慌てて水を差し出した。
「それは超激辛ソースだ!」
ソルは水を一気に飲み干し、
胸を叩く。
「こんなの食べるなんて…… この星の人たち正気なの!?」
周囲の客たちが一斉にこちらを見る。
それに気付いたソルは、
さらに顔を真っ赤にした。
「……もう帰りたい。」
ダリアムは思わず笑った。
小さく、
静かに。
だが――
それはソルが初めて見る、
心からの笑顔だった。
悲しみも、
傲慢さも、
過去の重荷もない。
ただ自然な笑顔。
その笑顔を見た瞬間、
ソルは思わず見とれてしまう。
――場面転換。
食事を終えた四人は、
K11の夜の街を歩いていた。
街には音楽が流れ、
子どもたちは笑いながら走り回り、
露店にはたくさんの人が集まっている。
レオンは穏やかに街を眺めた。
「ここへ来たばかりの頃は…… 本当に何もなかった。」
ララは彼の手を優しく握る。
「今は、あなたの帰る場所になった。」
レオンは静かに微笑んだ。
ソルは何も言わず、
街を見つめていた。
幼い子どもたちが楽しそうに遊んでいる。
家族が笑い合っている。
花を売る年配の女性が微笑んでいる。
その光景は、
彼女にとってあまりにも新鮮だった。
クリザードでは――
力。
規律。
恐怖。
上下関係。
それが全てだった。
だが、この場所には違うものがある。
人々は、
誰かより強くなるためではなく、
ただ幸せそうに笑っていた。
その光景に心を奪われ、
ソルは思わず足元への注意を失う。
「あっ!」
小さな段差につまずく。
倒れそうになったその瞬間――
ダリアムが彼女の腰を支えた。
二人の距離が一気に縮まる。
ソルは固まった。
ダリアムも動けない。
鼓動だけが、
やけに大きく聞こえる。
ソルは慌てて離れた。
「べ、別に…… ちょっと考え事してただけ。」
ダリアムは優しく微笑む。
「そういうことにしておこう。」
少し離れた場所では、
レオンとララが視線を交わし、
何も言わずに小さく笑っていた。
二人とも、
全て気付いていた。
しばらく歩いたあと――
レオンとララは湖のほとりへ腰を下ろしていた。
夜風は穏やかで、
湖面には街の灯りが静かに揺れている。
ララはそっとレオンの肩にもたれかかった。
「今日は……ありがとう。」
レオンは優しく微笑む。
「ソルも、この星を少し好きになってきた気がする。」
ララは小さく笑った。
「私はね…… この星だけじゃなくて、もっと別のものも好きになり始めてると思う。」
レオンは意味を理解し、
思わず笑ってしまう。
「確かに。」
二人は穏やかな夜を眺めながら、
しばらく何も話さなかった。
戦いとは無縁の、
静かな時間だった。
――場面転換。
その後、
レオンはララを部屋まで送り届けた。
扉の前で二人は向かい合う。
言葉はいらなかった。
互いに自然と近付き、
静かに唇を重ねる。
優しく、
穏やかな口づけ。
唇が離れると、
ララは微笑んだ。
「おやすみ。」
レオンも笑顔で答える。
「おやすみ。」
そう言って、
彼は廊下を歩き始めた。
しかし――
少し後ろでは、
ソルとダリアムが、
まだ部屋の前に立ったままだった。
沈黙。
どちらも、
何を話せばいいのか分からない。
ダリアムは照れ隠しのように後頭部をかく。
「……今日は楽しかった。」
ソルは視線を逸らした。
「信じられない……。」
大きく息を吐く。
「クリザード王女の私が…… どうしてこんなことになってるのよ……。」
ダリアムは思わず笑う。
「本当だね。」
ソルはゆっくり彼を見た。
その瞳。
穏やかな表情。
誰に対しても変わらない優しさ。
礼儀正しい話し方。
今日一日、
彼はずっと誰かを思いやっていた。
その姿が、
何度も頭に浮かぶ。
胸が苦しい。
鼓動が速い。
どうしてなのか、
自分でも分からない。
今まで経験したどんな戦いとも違う。
何かが、
心の奥で暴れていた。
そして――
考えるより先に体が動いた。
ソルはダリアムの服をぎゅっと掴む。
ダリアムが驚いて彼女を見る。
次の瞬間。
ソルは背伸びをして、
彼に口づけをした。
ダリアムの目が大きく見開かれる。
突然の出来事に、
頭が真っ白になる。
それでも――
彼はその想いを受け止めた。
静かな廊下。
時間だけが止まったようだった。
やがて、
唇が離れる。
二人とも顔を真っ赤にしていた。
ソルは自分自身が一番信じられないという表情を浮かべる。
「わ、私…… い、今のは……。」
完全に混乱していた。
「こんなの…… こんなの初めてよ!」
彼女は両目を大きく開き、
顔を真っ赤にしたまま叫ぶ。
「こんなの絶対に初めてなんだから!!」
そのまま勢いよく部屋へ飛び込み、
バタンッ!!
勢いよく扉を閉めた。
廊下には、
ダリアムだけが残された。
彼はしばらく立ち尽くしたまま、
何度も瞬きを繰り返す。
そして、
そっと自分の唇へ手を当てた。
まだ信じられない。
何が起きたのか、
理解が追いつかない。
それでも――
自然と笑みがこぼれていた。
「……今のは、一体何だったんだ?」
小さく呟きながら、
自室へ向かって歩き始める。
指先は、
まだ唇に触れたままだった。
その表情には、
これまで見せたことのない穏やかな笑顔が浮かんでいる。
一方その頃――
部屋の中では、
ソルが扉にもたれ掛かっていた。
顔は真っ赤。
鼓動は激しく鳴り続けている。
息も落ち着かない。
生まれて初めてだった。
クリザード王女ソルは、
自分自身の心との戦い方を知らなかった。
そしてその戦いは――
どんな戦場よりも難しいものだった。
――第369話・完――
いつも応援ありがとうございます。
現在、キャラクター「ソル(Sol)」の深掘りと物語の展開に力を入れています。彼女の新たな一面や変化を感じ取っていただければ嬉しいです。
皆さんは、ここまでの彼女の変化をどう感じていますか?また、彼女が今後、自分自身の複雑な感情とどのように向き合っていくのか、皆さんの予想もぜひ聞かせてください。
読者の皆さんからの感想や評価が、私にとって何よりの励みであり、創作の原動力(燃料)となります。ぜひコメント欄であなたの考えを教えてください。
それでは、次回の更新でお会いしましょう!




