第十二話 食文化への挑戦
色鮮やかな色彩の中に
あの子は立っていた。
美しい髪をして
あの子は虹のようだった。
あれはきっと幼い時の
真理奈の姿だったのだろう。
香津美が夢を見ていた時だった。
携帯電話の着メロが慌ただしく鳴っていた。
やっと目を覚まし香津美は携帯電話に出た。
電話の相手は不動産会社の男だった。
長い間待たされていた
建築許可が下りたという電話だった。
早い段階でレストランの場所は抑えたものの
海辺だということもあって、
場所が場所だけに
なかなか建築許可が下りなかった。
許可が下りるまでに
1ヶ月もの間
香津美はずいぶんと待たされた。
ソファに寝転んで雑誌を読んでいて
そのまま眠ってしまったようだった。
電話での知らせを聞いて
ソファの上から飛び起きた。
「おはようございます。
XXX不動産の丸山です。」
明るい電話の声を聞き
香津美はいつもの
インチキな電話での勧誘だと思った。
だから掛かってきた
電話を切ってしまった。
香津美を呼ぶ電話は
もう一度鳴った。
今度は頼んでいる
不動産会社だと気づいた。
不動産会社の丸山という男は
朝も早いというのに、
とても陽気でイカした声だった。
「遅くなりました。
お店の建築許可が下りたことをご報告いたします。」
待ちに待った報告を受けて香津美の声も弾んだ。
「本当ですか。それはありがとうございます。」
「ご都合を聞いてなかったのですが、
急で申し訳ありません。」
「本日建設会社が工事を開始します。
立会いをお願いしたいのですが。」
香津美は快く承知した。
「はい。分かりました。
それでは後ほど現地でお会いしましょう。」
香津美はそう言って携帯電話を切った。
香津美の顔に明るい笑顔が戻った。
「やっとこれで自分の店が出せる。」
昔、バスコダガマが
船の上から喜望峰を見たように、
香津美にとっての喜望峰も見えてきた。
長かった旅は終わり、
その長く
伸びた階段を一歩一歩登る。
香津美は喜びを胸に抱いて
夢の階段を希望に向かって登り始めた。
掛け替えのない
物語が今刻みこまれた。
香津美は寝る間も惜しんで
店の外装から
細かい内部の設計まで
自分一人で行った。
香津美は基礎工事の段階から
現場に立ち会って
細部にまで注意を払った。
自分の店が出来上がってゆく姿を見ているのは
何と心地よいものだろう。
その場所で黙って見ている事は、
どんなマネーゲームや
自社株が値上がることより楽しかった。
そもそも香津美が
食文化への挑戦に挑むようになったのは
いつからだったろう。
香津美は子供の頃からいつも食べていた
コンビニ弁当に少しづつ違和感を感じていた。
米国からビジネス・アイデアを持って帰国し、
母の会社で働きだした頃。
忙しくて忙しくて、
ただ忙しく仕事をしていた。
睡眠時間が少なくて
家に帰って来てまでも仕事をしていた。
当然時間がメチャクチャになって
食生活も不安定になった。
日々の仕事に追われて
自分のレストランを
持つ夢などすっかり忘れていた。
美味しいものを
時間を掛けて
じっくり味わって食べるなどというより、
時間が勿体ないので、
できるだけ早く
食事を済ませてしまう料理に変わっていた。
昔、神の舌と言われた香津美も
夜中に近くのコンビニに弁当を買いに行く姿は
普通のサラリーマンと変わらない。
そんなある日のことだった。
電子レンジで温められた
コンビニ弁当が食べられなくなった。
弁当の蓋をとって食べようとした時だった。
香津美は今まで感じたことのない
不快な臭いに耐えられなくなった。
その臭いの元は弁当が
長時間日持ちするように
弁当に振りかけられた
防腐剤やいろいろな添加物の
混じり合った臭いだった。
香津美はその臭いに耐え切れなくなり
台所で吐いた。
香津美の体が
コンビニ弁当を拒否した。
買ってきたコンビニ弁当は
食べられることもなくそのままゴミ箱に捨てた。
けっしてコンビニ弁当に
悪いモノが入っている分けではないだろうが、
疲れ果てた体調の悪い香津美に
コンビニ弁当を受け入れることは出来なかった。
コンビニ弁当に
愛情がこもっていないとは言えないが、
その時の香津美には
簡単に電子レンジで温められる料理に
愛情がこもってるとは思えなかった。
そういう添加物という物が
気になりだすと
ファミリー・レストランの料理も
街で氾濫している
ハンバーガーや
牛丼も食べられなくなった。
その時香津美は
始めて匂いと香りは
大切なんだと気づいた。
それからは出来るだけ
料理は手料理を食べ、
家政婦さんに出張して作ってもらった。
朝の食事や日曜祭日の日は
家政婦さんはお休みだから、
近所の手作り料理の飲食店に
デリバリーサービスを頼んで運んでもらった。
料理の大切さを
久しぶりに実感する出来事だった。
それから一週間後、
何気なく観たテレビ。
拒食症や過食症で
悩む人たちの特集だった。
過食症で悩む20代の女性。
持ってるお金すべてを食べ物に使い。
一日何度も食事を繰り返し
空いてる時間にはお菓子を食べていた。
「だけどこんなに食べ続けているの
に太ってないのはどうゆう事なのだろう。」
朝起きてから夜眠るまでの間
食べ続けているのに
その女性は痩せていて
ちっとも太っていない。
香津美は不思議に思った。
次の瞬間テレビはその答えを見せてくれた。
食べ続けていた女性は
急にトイレに向かうと
食べたものを吐き出した。
普通の人ならば
好きなものを食べれは満たされるのに、
その女性は食べても食べても
その心は満たされなかった。
その挙句、
吐いては食べ、
吐いては食べを
繰り返すものだから
栄養が胃に溜まらないで
こんなに痩せこけているのだ。
彼女の人生で一番の不安とは何かときかれて
「食べ物がなくなること。」
彼女はそう答えた。
部屋中食べ物だらけで囲まれて
これだけ食べているのに
彼女の一番の不安は
部屋の中から
食べ物がなくなることだと言った。
食べ物が口の中を通らないと
不安でしょうがないと言うのだ。
その彼女の満たされない欲求は
いつまで続くのだろう。
香津美はその事実に愕然とした。
そしてその後に
放送された拒食症の実態。
過食症とは対照的に
すべての食べ物を
口にすることを拒否した10代の少女。
始めはダイエットをするのに
お菓子しか食べなかった。
次第に減らない体重を気にして
無理なダイエットはエスカレートしていった。
何も食べない日もあった。
やがてお腹が減って食べる
という欲求もなくなってしまった。
ついに、食べたくても
食べれない体になってしまった。
食べ物を口にしても体が拒否し始めた。
テレビは彼女にきいた「
不安なことは?」
彼女はやせ細った手を
テレビに見せて体重は
20kgしかなかった。
「このまま死んでゆくことへの恐怖。」
ただそう言った。
テレビの前で服を脱ぎ
下着姿のままで背中を見せた。
鶏がらのようなその姿に
10代の女性の若さと輝きはなかった。
背中とお腹がくっついた
という歌があるがそのまんまだった。
今まで香津美は食事は
喉元を通り
胃の中に入れてこそ
活力が湧くと思っていた。
しかし、彼女たちは
満たされない欲求のために
一人はひたすら食い続け
もう一人は
口を開かないで
食べ物を拒否し続けた。
本来食べ物は、
その舌で美味さを味わい
目で彩りを脳に送り込んで
味覚を楽しむモノだ。
彼女たちは本物の食という物を
まだ口にしてはいないのかもしれない。
香津美はそんな彼女たちを
凄く不幸で憐れに思った。
金がない訳でもない。
食べ物がない訳でもない。
何不自由なく育った彼女たち。
彼女たちが本当に欲しているもの
それは美味しい物は
美味しく食べられるという食欲だった。
その放送が終わって
忘れかけていた頃。
新聞の見出しを見て
香津美は驚いた。
大都会の孤独死。
あのテレビに出ていた
拒食症の彼女が
亡くなったという内容だった。
その時香津美は密かに決意した。
拒食症や過食症で
苦しむ少女たちを助けること。
それは病気の人が食べても
美味しいと思えるそんな料理を作ろう。
病気なんて
吹っ飛ばしてしまうような
そんな料理をいつか作ろう。
現代社会が
あの子たちのような人たちを
生み出してしまった。
もう二度とあ
んな悲劇は繰り返してはいけない。
香津美がその日始めて
食文化への挑戦を誓った日だった。




