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第6話 侍女の挑戦状

「おはようございます、颯騨様。本日も、お願いに参りました」

「おはようございます。まだ無理です」

「かしこまりました。では、また明日」


 朝の教室で、秋穂は優雅に一礼して、自分の席へ戻っていった。

 その半歩後ろを、凛がすたすたとついていく。

 転入から四日目。

 このやり取りは、もはや二年三組の朝の風物詩になりつつあった。


「……お前ら、毎朝それやってて飽きないのか」


 前の席から、田淵が呆れ顔で振り返った。


「俺に訊くな。向こうが勝手に来るんだ」

「クラスのやつら、賭けてるぞ。お前が何日目に落ちるか」

「賭けるな」

「ちなみに俺は、今週中に一票」

「お前も賭けてんのかよ」


 田淵は、けらけらと笑った。

 それから、少しだけ声を落とした。


「でもさ、正直、紫条通さんってけっこういい人だよな。もっとお高くとまってるのかと思ってた」

「……まあ、世間知らずなだけで、悪い人じゃないよ」

「だよな。ただ――」


 田淵は、ちらりと教室の後ろのほうを見た。

 窓際の後ろの席に、女子が三人固まっていた。

 真ん中にいるのは、宇佐美玲奈。クラスの女子の中心にいる、いわゆる目立つタイプの女子だ。明るく染めた髪をいじりながら、秋穂のほうを見て何かを囁き合っている。

 聞こえてくる声の端々に、「国家機密」とか「週刊誌」とかいう単語が混じっていた。


「ああいうのも、いるってことだよ」

「……」


 秋穂は、背筋を伸ばして前を向いていた。

 聞こえていないはずはない。でも、その横顔には何の変化もなかった。

 凛だけが、後ろの三人組を、氷のような目で一瞥していた。



 昼休み。

 四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った瞬間、凛が立ち上がった。

 そして、自分の机の横に置いていた大きな風呂敷包みを、おもむろに解きはじめた。

 中から出てきたのは、赤い布だった。

 凛はそれを、教室の後ろの空いたスペースに、さっと広げた。

 緋毛氈。茶会などで使う、あの赤い敷物だ。


「……楯岡さん?」

「お嬢様の食後のお茶を、ご用意いたします」


 凛は、さらに風呂敷の中から次々と道具を取り出していく。

 茶碗。茶筅。棗。柄杓。小さな釜と、携帯用の風炉。どう見ても、本格的な茶道の道具一式だった。


「ここで!?」

「高峯学園では、昼餉の後にお茶を一服いただくのが、お嬢様の日課でした。場所が変わったからといって、習慣を崩すわけにはまいりません」

「いや、崩していいと思います。ここ、平民の公立高校なんで」

「本日は野点の心得で、簡略にいたします」

「話聞いてます?」


 凛は、俺の言葉など意に介さず、てきぱきと準備を進めていく。

 あっという間に、教室の後ろに小さな茶席ができあがった。

 クラス中の視線が、そこに釘付けになっていた。

 弁当を食べる手を止め、スマホを構える者まで出てきた。


「まあ、凛。ありがとうございます」


 秋穂は嬉しそうに緋毛氈の上に正座すると、周りを見回して、にっこりと微笑んだ。


「よろしければ、皆様もいかがですか? 凛の点てるお茶は、とても美味しいのです」


 教室が、ざわついた。

 伯爵令嬢が、平民のクラスメートをお茶に誘っている。

 どう反応していいのか、誰も分からないようだった。

 最初に動いたのは、田淵だった。


「え、いいの? じゃ、じゃあ、俺、いただいてみようかな」

「まあ、嬉しいです。どうぞ、こちらへ」


 田淵がぎこちなく緋毛氈に上がると、それを皮切りに、何人かのクラスメートがおずおずと近づいてきた。

 特に女子たちは、茶道具に興味津々といった様子で、凛の手元を覗き込んでいる。


「すご……本物の茶道って初めて見た」

「楯岡さん、手つき綺麗……」

「紫条通さん、正座の姿勢めっちゃ綺麗じゃない?」


 凛が茶筅を振ると、しゃかしゃかと小気味いい音が教室に響いた。

 茶碗の中で、鮮やかな緑色の抹茶が、きめ細かく泡立っていく。

 差し出された茶碗を、田淵がおっかなびっくり受け取った。


「え、ええと、これ、どうやって飲むんだっけ。回すんだよな?」

「茶碗の正面を避けるため、手前に二度回してからお飲みください」

「に、二度……」


 田淵は、茶碗をぐるぐると五回くらい回してから、一気に飲み干した。

 そして、顔をしかめた。


「……苦っ」

「お菓子を先にお召し上がりいただくべきでした。こちらを」


 凛が、懐紙に載せた上品な和菓子を差し出した。

 田淵はそれを口に放り込み、目を丸くした。


「うまっ! なにこれ、めちゃくちゃうまい」

「京の老舗の練り切りです」

「老舗……」


 田淵の顔から、血の気が引いた。値段を想像したらしい。

 気がつけば、教室の後ろには小さな人だかりができていた。

 秋穂は、一人一人に丁寧に挨拶をして、お茶の作法を優しく教えている。クラスメートたちも、最初の緊張がほぐれたのか、少しずつ笑顔を見せはじめていた。

 いい光景だな、と思った。

 秋穂が、ちゃんとこのクラスに受け入れられはじめている。

 そのとき。


「――へえ。国家機密を売った人のお茶って、どんな味がするのかな」


 教室の空気が、一瞬で凍りついた。

 声の主は、宇佐美玲奈だった。

 窓際の後ろの席から立ち上がり、腕を組んでこちらを見ている。その両脇には、いつもの取り巻きの二人。


「宇佐美……」


 誰かが、小さく呟いた。


「だってそうでしょ? 週刊誌に載ってたじゃん。国の大事な書類を、反政府のマスコミに流したって」


 玲奈は、わざとらしく首をかしげた。


「そんな人とお茶会とか、みんなよくやるよね。私だったら怖くて無理。何されるか分かんないし」


 緋毛氈の周りにいたクラスメートたちが、気まずそうに顔を見合わせた。

 何人かは、そっと茶席から離れはじめた。

 凛が、茶筅を置いた。

 その手が、膝の上で静かに握りしめられている。怒りを必死に押し殺しているのが、はっきりと分かった。

 だが、凛は動かなかった。

 ここで凛が騒ぎを起こせば、それこそ「伯爵令嬢の侍女が平民に暴力」と、新たな醜聞の種になる。それが分かっているのだろう。

 秋穂は、正座したまま、静かに玲奈を見上げていた。


「……ご不安にさせてしまったのなら、申し訳ありません」


 秋穂は、穏やかに言った。


「わたくしは、文書を持ち出してはおりません。けれど、それを信じていただけないのも、無理のないことだと思います」


「ふーん。口では何とでも言えるよね」


 玲奈は、鼻で笑った。


「証拠がないから捕まらなかっただけでしょ? ていうか、そんな人がなんでうちの学校に来たわけ? 華族の学校にいられなくなったからって、平民の学校に逃げてくるとか、迷惑なんだけど」


 秋穂は、何も言わなかった。

 ただ、膝の上に置いた両手が、きゅっと重なり合った。

 昨日、コンビニで週刊誌の表紙を見たときと、同じ仕草だった。


 ――ああ、もう。


 俺は、深々とため息をついた。

 平凡に、目立たず。そう決めていたはずなのに。


「……宇佐美さ」


 気がつけば、口が勝手に動いていた。

 玲奈が、怪訝な顔でこちらを見た。


「なに、涼木。あんたには関係ないでしょ」

「いや、ちょっと気になったんだけど。それ、週刊誌で読んだだけだよな」

「は? だから何」

「週刊誌って、売れるように書くもんだろ。この前も、どっかの芸能人の熱愛報道がデマだったって、謝罪記事出してたし」

「……それは」

「それに、紫条通さんの件って、証拠不十分でお咎めなしになったんだよな。つまり、法的には何もやってないってことになってる」


 俺は、なるべく淡々と、軽い口調で続けた。

 責めるつもりはなかった。ただ、事実を並べているだけだ。


「本人がやってないって言ってて、裁判所もやったとは認めてない。で、宇佐美が知ってるのは週刊誌の見出しだけ。……それで『国家機密を売った人』って決めつけるのは、ちょっと無理があるんじゃないかなって」


 教室が、しんと静まり返った。

 玲奈の顔が、みるみる赤くなっていく。


「な、何よそれ。あんた、紫条通さんの味方するわけ?」

「味方っていうか。俺、あんまり噂とか信じないタイプなんだよ。自分の目で見たものしか信じない」


 俺は、緋毛氈の上に正座している秋穂を見た。


「で、俺が見た紫条通さんは、自販機にお辞儀して、コンビニの自動ドアにお礼を言うような人だった。国家機密を売るとか、そういう器用なことができる人には、とても見えない」


 一拍の沈黙。

 それから、誰かが、ぷっと吹き出した。


「……自販機にお辞儀って、マジで?」

「あ、それ俺見た! 昨日、廊下の自販機に挨拶してた!」

「自動ドアにお礼って、何それかわいい」


 くすくすという笑い声が、教室のあちこちから漏れはじめた。

 それは、さっきまでの気まずい空気とはまるで違う、温かい笑いだった。

 玲奈は、口をぱくぱくさせていた。

 何か言い返そうとしたようだったが、周りの空気が自分の味方ではないことを悟ったのか、やがて「……もういい」と吐き捨てて、取り巻きと一緒に教室を出ていった。

 ぴしゃり、と扉が閉まる音がした。


「――さ、さあ! お茶の続き、お願いしてもいいかな、楯岡さん!」


 田淵が、わざと明るい声を上げた。

 それをきっかけに、離れかけていたクラスメートたちが、また緋毛氈の周りに戻ってきた。


「私も、一杯いただいてもいいですか?」

「作法、教えてもらえる?」

「紫条通さん、自販機にお辞儀したって本当?」


 秋穂は、少し驚いたように周りを見回した。

 それから、ふわりと微笑んだ。


「はい。とても親切な箱でしたので」


 また、笑い声が起きた。

 凛が、再び茶筅を手に取った。

 しゃかしゃかという音が、教室に戻ってくる。

 ふと、凛と目が合った。

 凛は、何も言わなかった。

 ただ、ほんのわずかに、本当にわずかに、顎を引いた。会釈とも呼べないくらいの、小さな動きだった。

 たぶん、あれが凛なりの「礼」なのだと思う。



 五時間目は、体育だった。


「えー、来月の体育祭に向けて、今日はクラス対抗の男女混合リレーの選手を決める。全員、五十メートルのタイムを測るぞー」


 体育教師の号令に、グラウンドのあちこちから「えー」という不満の声が上がった。

 俺は、内心で身構えていた。

 五十メートル走。俺にとって、最も手加減が難しい種目だ。

 速すぎれば目立つ。遅すぎても不自然だ。

 毎年、この時期は「中の上」のタイムを出すために、細心の注意を払って走っている。去年の記録は、七秒一。目標は、今年もそのあたりだ。


「涼木颯騨」


 背後から、名前を呼ばれた。

 振り返ると、体操服姿の凛が、腕を組んで立っていた。

 長い黒髪をきつく結い上げ、足元はしっかりと運動靴で固めている。その目には、昼休みの穏やかさの欠片もなかった。


「……なんでしょう、楯岡さん」

「勝負です」

「またですか」

「購買での一件は、正式な勝負ではありませんでした。今度こそ、公正な条件で、あなたの速さを見極めます」


 凛は、びしっと俺を指さした。


「五十メートル走。同じ組で走りなさい」

「いや、男女別に測るんじゃ」

「先生には、すでに許可をいただいております」


 体育教師のほうを見ると、苦笑いで親指を立てていた。

 なんで許可したんだ。


「颯騨様、頑張ってくださいませ!」


 グラウンドの端から、秋穂の声が飛んできた。

 体操服姿の秋穂が、両手を振っている。その周りには、昼休みのお茶会に参加していた女子たちが、なぜか一緒に並んで応援していた。


「凛も、頑張ってくださいねー!」

「はい、お嬢様!」


 凛の返事は、俺に向けた声より三オクターブくらい高かった。


「……それで、楯岡さん。俺に勝って、どうするんですか」

「勝ち負けではありません」


 凛は、スタートラインに立ちながら言った。


「私は、校門でのあの一瞬を、この目で見極めたいのです。あなたが何者なのか。お嬢様がおっしゃる『神様』とやらが、本当にあなたの背にいるのか」

「……」

「本気で走りなさい、涼木颯騨。手を抜いたら、許しません」


 凛の目は、真剣だった。

 昼休みのお茶会の後、ほんの少しだけ柔らかくなったと思ったのに。

 ……本気で、なんて。

 そんなことをしたら、この学校にいられなくなる。


「位置についてー」


 体育教師の声が響いた。

 俺と凛は、並んでスタートラインにしゃがみ込んだ。


「よーい」


 ピッ、と笛が鳴った。

 凛が、飛び出した。


 速い。


 とんでもなく速い。スタートの反応、一歩目の踏み込み、加速の滑らかさ。どれをとっても、女子高生の域をはるかに超えていた。陸上部の短距離選手だって、ここまでの走りはできないだろう。

 俺は、その少し後ろを走った。

 全力の、たぶん百分の一くらいの力で。

 速すぎず、遅すぎず。

 フォームは普通の高校生らしく、少しだけぎこちなく。息も、それなりに上がっているように見せかけて。

 凛の背中が、わずかずつ遠ざかっていく。

 ゴールラインを、凛が先に駆け抜けた。俺は、その半歩後ろ。


「楯岡、六秒八! 涼木、七秒〇!」


 グラウンドが、どよめいた。


「六秒八!? 女子で!?」

「陸上部の男子より速くない?」

「楯岡さん、すご……!」

「涼木も、七秒〇ってけっこう速いじゃん」


 ざわめきの中、俺は膝に手をついて、わざとらしく荒い息をついた。

 よし。計算通りだ。女子に負けたのは少々格好悪いが、目立たないという意味では完璧な結果だった。

 顔を上げると、凛が目の前に立っていた。


 勝ったはずの凛の顔は、まったく嬉しそうではなかった。

 むしろ、怒りに震えていた。


「……涼木颯騨」

「はい」

「わざと、負けましたね」


 心臓が、どきりと跳ねた。


「いや、全力でしたよ。見ての通り、息も上がってるし」

「嘘です」


 凛は、俺の胸元を指さした。


「あなたは、ゴールしてから三秒で、呼吸が完全に元に戻っていました。それに、走っている間、あなたは一度も私の背中を見ていなかった。ずっと、周りの目を気にしていた」

「……」

「本気で競り合っている者は、そんな走り方はしません」


 言葉が、出なかった。

 この侍女、とんでもない観察眼だ。


「私は、本気で走れと申し上げたはずです」


 凛の声が、わずかに震えた。


「私を、侮っているのですか」

「違います」


 それだけは、はっきりと言えた。


「侮ってなんかいません。楯岡さんは、本当に速かった。あんなに綺麗な走り方をする人、初めて見ました」

「……っ」

「ただ、俺には、本気で走れない事情があるんです。それだけです」


 凛は、しばらく俺の目をじっと見つめていた。

 それから、ぎゅっと唇を噛んで、顔を背けた。


「……納得は、いたしません」

「はい」

「ですが、その事情とやらを、無理に聞き出すつもりもありません。お嬢様が、そうおっしゃいましたから」


 凛は、くるりと背を向けた。

 そして、背中越しに言った。


「次こそは、あなたに本気を出させてみせます。覚えておきなさい」


 凛は、秋穂のもとへ駆け戻っていった。

 秋穂が「凛、すごいです!」と手を叩いて迎え、凛の顔がぱっと明るくなるのが見えた。

 俺は、大きく息を吐いた。

 ……疲れた。走ったことより、凛の相手をするほうが、よっぽど疲れる。



 全員のタイム測定が終わり、体育教師がクリップボードを手に集合をかけた。


「えー、じゃあ、男女混合リレーの選手を決めるぞ。基本はタイムの速い順だ。女子は、楯岡、佐々木、宇佐美。男子は、陸上部の三浦、サッカー部の――」


 読み上げられる名前の中に、当然、俺の名前はなかった。

 七秒〇は、クラスで七番目くらいのタイムだ。選手になるには、ぎりぎり届かない。これも計算通りだった。


「――以上。アンカーは、まあタイム順で三浦かな」

「先生」


 凛が、すっと手を挙げた。


「なんだ、楯岡」

「アンカーについて、推薦したい者がおります」


 嫌な予感がした。

 ものすごく、嫌な予感がした。


「推薦? 誰だ」


 凛は、ゆっくりと振り返った。

 そして、まっすぐに俺を指さした。


「涼木颯騨です」


 グラウンドが、静まり返った。


「……え、涼木?」

「七秒〇だろ? 三浦のほうが速いじゃん」

「なんで涼木?」


 ざわめきが広がる中、凛は涼しい顔で続けた。


「本番に強い者を、アンカーに据えるべきだと考えます。この男は、ここぞという時に、驚くほどの力を発揮します。……私は、それをこの目で見ました」


 凛の目が、ちらりと俺を見た。

 その口元に、ほんのかすかな笑みが浮かんでいた。


 ――次こそは、あなたに本気を出させてみせます。

 さっきの言葉は、こういう意味だったのか。


「まあ、素敵です!」


 秋穂が、ぱちぱちと手を叩いた。


「颯騨様がアンカーでしたら、きっと誰よりも速く走ってくださいます!」

「紫条通さんまで!?」

「だって、颯騨様はわたくしの救い主……ヒーローですもの」


 秋穂の一言で、クラスメートたちの目の色が変わった。


「……そういえば、校門前の事件のとき、涼木いたよな」

「え、まさか、あれ涼木がやったとか?」

「ないない。でも、紫条通さんがそこまで言うなら」

「ヒーロー涼木、アンカーで見てみたくね?」

「賛成ー!」

「涼木アンカー! 涼木アンカー!」


 なぜか、コールが始まった。

 田淵が、いちばん大きな声で叫んでいた。あいつ、絶対面白がっている。

 体育教師は、困ったように頭を掻いた。

 それから、クラスの熱気に押されるように、クリップボードに何かを書き込んだ。


「……まあ、クラスの総意なら仕方ないか。三浦、いいか?」

「あ、はい。俺は別に、どっちでも」

「じゃあ、アンカーは涼木で決定な」

「ちょっと待ってください!?」


 俺の抗議は、クラスメートたちの歓声にかき消された。

 凛が、腕を組んでこちらを見ていた。

 勝ち誇った顔だった。五十メートル走で勝ったときより、ずっと嬉しそうだった。


「楽しみにしておりますよ、涼木颯騨」

「……楯岡さん、覚えといてくださいよ」

「ええ。私は、忘れません」


 秋穂が、凛の隣で無邪気に笑っていた。

 その周りで、クラスメートたちが「頑張れよヒーロー」と俺の背中を叩いていく。

 平凡に、目立たず。

 そのモットーの墓標に、今日、新たな一文が刻まれた。


 ――体育祭、男女混合リレー、アンカー。


 全力で走れば、正体がバレる。

 手を抜けば、凛に殺される。

 俺は、秋の高い空を見上げて、深々とため息をついた。

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