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第5話 伯爵令嬢、はじめてのコンビニ

「では、参りましょう」


 放課後の校門前で、秋穂は胸の前で両手を握りしめた。

 その目は、遠足前日の小学生みたいにきらきらしている。


「コンビニ、というところへ」

「……そんなに気合入れる場所じゃないですよ」

「いいえ。颯騨様が連れて行ってくださる、初めての場所ですもの」


 なんだか、言い方がいちいち誤解を招く。

 校門の周りにいた下校中の生徒たちが、ちらちらとこちらを見ていた。「デート?」「え、もうそこまで?」という囁きが、風に乗って聞こえてくる。

 違う。断じて違う。

 俺はただ、昨日の成り行きで、近所のコンビニを案内するだけだ。


「涼木颯騨」


 秋穂の半歩後ろから、凛が声をかけてきた。

 その手には、なぜか小さな手帳とペンが握られている。


「コンビニまでの経路と所要時間、それから店内の構造を、事前に説明しなさい」

「……え、なんで」

「お嬢様をお連れする以上、万が一に備えて退路を確保しておくのは当然です」

「ただのコンビニですよ?」

「昨日、ただの校門で何が起きたか、もうお忘れですか」


 ぐうの音も出なかった。

 確かに、それを言われると弱い。


「……学校から歩いて五分。大通り沿いの店です。出入り口は正面の一つだけ。店員は、たぶん二人くらい」

「裏口は」

「知りません」

「非常口は」

「知りませんって」

「使えませんね」


 凛は、手帳に何かを書き込みながら、心底呆れたようにため息をついた。

 なんで俺が怒られているんだろう。



 大通り沿いのコンビニは、いつも通りの佇まいだった。

 青と白の看板。ガラス張りの店構え。入り口の横には、雑誌コーナーの背表紙が並んでいる。

 秋穂は、店の前で立ち止まった。

 そして、ガラス越しに中を覗き込み、感嘆の息を漏らした。


「まあ……! なんて明るいのでしょう。まるで、夜でも昼のような」

「二十四時間やってるんで」

「にじゅうよじかん。……では、こちらの方々は、いつお休みになるのですか?」

「交代で働いてるんです」

「まあ。とても勤勉でいらっしゃるのですね」


 秋穂は、心から感心したように頷いた。

 たぶん、この人が思っている以上に、世の中の勤勉はしんどいものだと思う。


「では、失礼いたします」


 秋穂が、入り口に向かって一歩踏み出した。

 ウィーン、と自動ドアが開いた。

 秋穂は、びくりと足を止めた。

 それから、開いたドアに向かって、丁寧に一礼した。


「ご親切に、ありがとうございます」

「……紫条通さん、それ、自動ドアです。人が近づくと勝手に開くんです」

「まあ。勝手に?」

「はい。誰も開けてないです」

「では、この扉は、自らの意思で、わたくしを迎え入れてくださったのですね」

「そういう解釈ではないです」


 秋穂は、自動ドアの枠をそっと撫でて、「よいお仕事をなさっていますね」と労いの言葉をかけた。

 店の中にいた客が、何事かとこちらを振り返っていた。

 その後ろで、凛が自動ドアの上部にあるセンサーをじっと睨んでいた。


「……涼木颯騨。あの装置は何ですか」

「人が近づいたのを感知するセンサーです」

「感知。つまり、何者かが常にこの入り口を見張っているということですね」

「機械ですってば」

「機械であろうと、見張りは見張りです」


 凛は手帳に「自動扉:見張りあり」と書き込んだ。

 その情報、たぶん何の役にも立たないと思う。



「いらっしゃいませー」


 レジの奥から、大学生くらいの男性店員が、気の抜けた声で挨拶した。

 秋穂は、その店員に向き直ると、背筋を伸ばして深々と頭を下げた。


「本日は、お招きいただきまして、誠にありがとうございます。紫条通秋穂と申します。こちらは、わたくしの侍女の凛です。どうぞよしなに」

「……え? あ、はい……?」


 店員の顔が、完全に固まった。

 当然だ。コンビニで、客にフルネームで自己紹介されたことなんてないだろう。


「紫条通さん、店員さんには挨拶しなくていいんです。『いらっしゃいませ』は、決まり文句みたいなものなので」

「まあ、そうなのですか?」

「はい。返事しなくても、誰も気にしないです」

「ですが、ご挨拶をいただいたのに、お返ししないのは失礼ではありませんか?」


 秋穂は、少し困ったように眉を下げた。

 それから、店員に向かって、にっこりと微笑んだ。


「では、せめて会釈だけ。お仕事、ご苦労さまです」

「あ……ど、どうも……」


 店員の顔が、見る間に赤くなっていった。

 気持ちは分かる。若い男が初対面の神秘的な美少女に微笑まれれば、高確率でそうなる。

 凛が、店員をじろりと睨んだ。

 店員は、そそくさとレジの奥へ引っ込んでいった。……なんか、すみません。



「まあ……まあ……!」


 店内を歩きはじめた秋穂は、一歩進むごとに感嘆の声を上げた。


「颯騨様、ここには、どれだけの品物があるのですか?」

「たしか、三千種類くらいだったかな」

「三千! この小さなお店に、三千も!」


 秋穂は、お菓子の棚の前で足を止めた。

 色とりどりのパッケージが、ずらりと並んでいる。チョコレート、ポテトチップス、グミ、クッキー。


「これは、すべて食べ物なのですか?」

「はい。お菓子です」

「こんなにたくさんの種類が……。わたくしが知っているお菓子は、和菓子と、お茶会で出る洋菓子くらいです」


 秋穂は、ポテトチップスの袋を両手で持ち上げ、しげしげと眺めた。

 それから、袋を軽く振って、中でしゃかしゃかと鳴る音に目を丸くした。


「中に、何かが入っていますね」

「ジャガイモを薄く切って揚げたやつです。美味いですよ」

「ジャガイモを……。平民の方々は、なんと創意工夫に富んでいらっしゃるのでしょう」


 たぶん、ポテトチップスの発明者も、ここまで感動されるとは思っていなかっただろう。

 その隣で、凛がなぜか陳列棚の裏側を覗き込んでいた。


「……楯岡さん、何してるんですか」

「棚の裏に、何者かが潜んでいないか確認しています」

「潜んでないです」

「確認は必要です」


 凛は、真剣な顔で棚の隙間を一つずつチェックしていく。

 他の客が、不審者を見る目で凛を見ていた。いや、実際どう見ても不審者だった。



 次に秋穂が足を止めたのは、おにぎりの棚の前だった。


「これは……おむすび、ですか?」

「はい。コンビニのおにぎりです。中に具が入ってて、けっこう種類があるんです。鮭とか、梅とか、ツナマヨとか」

「つなまよ」

「ツナとマヨネーズです」

「おむすびに、マヨネーズを……?」


 秋穂は、信じられないものを見るような目で、ツナマヨおにぎりを手に取った。

 それから、そのフィルムに包まれた三角形を、ためつすがめつ眺めた。


「どのようにして、いただくのですか? この透明な包みごと?」

「いや、包みは剥がすんです。ここに番号が書いてあるでしょう。一、二、三の順に引っ張ると、海苔がパリッとしたまま巻けるようになってて」


 俺が説明すると、秋穂は目を輝かせた。


「まあ、仕掛けが施されているのですね! わたくし、やってみたいです」

「じゃあ、それ買いましょうか」

「はい!」


 秋穂は、ツナマヨおにぎりを大切そうに胸に抱えた。

 まるで、宝物でも見つけたかのように。

 それを見ていた凛が、横から手を伸ばし、鮭おにぎりを一つ手に取った。


「……楯岡さんも食べるんですか」

「毒見です。お嬢様がお召し上がりになるものと、同じ店の品を先に確かめておく必要があります」

「中身、違いますけど」

「……同じ工場で作られているはずです」


 凛は、ぷいと顔を背けた。

 その耳が、ほんのりと赤い。たぶん、普通に食べてみたかっただけだと思う。



 レジの横のホットスナックのケースの前で、秋穂がまた足を止めた。


「颯騨様、こちらの温かそうなものは?」

「肉まんです。あと、あっちはおでん」

「おでん! おでんは、わたくしも存じております。屋敷の料理人が、冬になると作ってくれました」


 秋穂は、湯気を立てるおでんの鍋を覗き込んだ。

 大根、たまご、こんにゃく、ちくわ。出汁のいい匂いが、ふわりと漂ってくる。


「こちらも、いただけるのですか?」

「はい。好きな具を選んで買うんです」

「まあ、選べるのですね。では」


 秋穂は、レジの店員に向き直ると、真剣な顔で言った。


「こちらのお鍋を、すべていただけますか?」

「……は?」


 店員が、再び固まった。


「紫条通さん、鍋ごとは買えないです」

「まあ。では、この中身をすべて」

「それも普通はしないです。一人二つか三つくらいで」

「そうなのですか? 屋敷では、料理人が用意したものは、すべていただくのが礼儀でしたので……」


 秋穂は、しょんぼりと肩を落とした。

 それから、鍋の中を一つ一つ吟味し、ようやく大根とたまごを選んだ。


「では、大根と、たまごを、お願いいたします」

「は、はい……」


 店員が、震える手でおでんを容器に移していく。

 今日一日で、この店員の寿命はだいぶ縮んだと思う。


「颯騨様、肉まんというものも、いただいてよろしいですか?」

「どうぞ。俺も食いたいし」

「では、肉まんを――」


 秋穂は、ホットスナックのケースを指さした。


「こちらからこちらまで、すべて」

「だからそれやめましょう!?」



 どうにか品物を選び終え、会計の段になった。

 秋穂は、小さな巾着袋から、黒く光るカードを取り出した。

 昨日、自販機の前で見た、あのブラックカードだ。


「こちらで、お支払いできますか?」

「あ、それならコンビニでは使えますよ」

「まあ、本当ですか?」


 秋穂が差し出したカードを、店員が受け取った。

 そして、そのカードの表面に刻まれた家紋と名前を見て、動きを止めた。


「……紫条通、って……え、あの、紫条通……?」


 店員の目が、秋穂の顔とカードの間を何度も往復する。

 それから、ゆっくりと、レジの横に置かれた雑誌のラックへと視線が移った。

 俺も、その視線を追った。

 雑誌ラックの一番手前。

 週刊誌の表紙に、大きな見出しが躍っていた。


『伯爵令嬢・紫条通秋穂 国家機密漏洩疑惑の闇 "巫女の家"に何が起きたのか』


 その隣には、隠し撮りらしい秋穂の横顔写真。

 さらにその下に、小さな見出しがもう一つ。


『婚約破棄の侯爵家三男、早くも新たなお相手は"妹"か』


 寄り添って歩く、男女の写真が添えられていた。

 男のほうは、整った顔立ちの、どこか神経質そうな青年。女のほうは、明るい茶髪を巻いた、華やかな美少女だった。

 秋穂も、その表紙に気づいていた。

 彼女の表情は、変わらなかった。

 いつもの穏やかな微笑みを浮かべたまま、ただ、じっと表紙を見つめていた。

 けれど、カードを差し出したままの指先が、かすかに震えていた。

 俺は、何も言わずに雑誌ラックの前に立った。

 そして、その週刊誌を一冊手に取ると、表紙を裏返して棚に戻した。ついでに、その後ろに並んでいた同じ号も、全部裏返した。


「……颯騨様」

「すみません、店員さん。会計、お願いします」


 店員は、はっと我に返ると、慌ててカードを読み取り機に通した。

 ぴっ、と軽い音がした。


「あ、ありがとうございました……」


 レシートと一緒に、カードが秋穂の手に戻る。

 秋穂は、それを受け取ると、ほんの少しだけ俺のほうを見て、小さく頭を下げた。

 声には出さなかったけれど、「ありがとうございます」と、唇が動いていた。

 隣で、凛がレジ横の週刊誌を睨んでいた。

 その目には、はっきりとした怒りが燃えていた。


「……あの写真の女」


 凛が、押し殺した声で呟いた。


「春花(はるか)様、です。お嬢様の、妹君の」


 俺は、もう一度、裏返した雑誌の背表紙に目をやった。

 秋穂の妹。

 姉の元婚約者と、早くも噂になっている妹。

 昨日、倒れた男が言った言葉が、頭の中でよみがえる。

 侍女は、離れてるはずだった。

 ……いや、まだ何も分からない。

 ただの週刊誌のゴシップだ。そう自分に言い聞かせて、俺は店を出た。



 コンビニの前の小さな公園で、三人並んでベンチに座った。

 秋穂は、ツナマヨおにぎりのフィルムと格闘していた。


「ええと、一番を、下へ……」

「そうそう。で、二番を右、三番を左」

「右と、左……」


 秋穂は、真剣な顔で慎重にフィルムを引っ張った。

 ぴり、ぴり、と音がして、フィルムが綺麗に外れる。三角形の白いご飯に、パリッとした海苔がぴたりと巻きついた。


「まあ……!」


 秋穂が、歓声を上げた。


「できました、颯騨様! 海苔が、ちゃんと巻かれています!」

「上手いじゃないですか」

「凛、見てください!」

「お見事です、お嬢様」


 凛は、微笑ましそうに秋穂を見守っていた。

 その手元では、凛の鮭おにぎりが、フィルムを失敗して海苔がびりびりに破れていたが、本人は気づかないふりをしていた。

 秋穂は、おにぎりを両手で持ち、小さく一口かじった。

 もぐもぐと咀嚼して、飲み込んで。

 それから、ぱっと顔を輝かせた。


「美味しい……! マヨネーズとおむすびが、こんなに合うなんて!」

「でしょう」

「平民の方々は、天才ですね!」


 秋穂は、嬉しそうにおにぎりを頬張った。

 口の端に、ご飯粒がひとつついている。

 さっき、コンビニの中で見た週刊誌の表紙が、頭をよぎった。

 あの見出しを見たときの、震えていた指先。

 この人は、きっと、ずっとそうやって笑ってきたのだ。

 どれだけ傷ついても、どれだけ裏切られても、表には出さずに。


「……紫条通さん」

「はい?」

「ご飯粒、ついてますよ」

「まあ」


 秋穂は、慌てて口元に手をやった。

 でも、反対側を触っている。


「逆です。右」

「右……こちらですか?」

「もうちょい上」


 秋穂が、困ったように首をかしげた。

 それから、何を思ったのか、俺のほうに顔を向けて、目を閉じた。


「では、颯騨様が取ってくださいませ」

「……っ」

「お、お嬢様っ!!」


 凛が、ベンチから跳び上がった。


「そ、それはいけません! 殿方に、そのような!」

「でも凛、わたくしには見えないのです」

「私が取ります! 私が!」


 凛は、ものすごい勢いで秋穂の口元のご飯粒を取った。

 それから、俺に向かって、今日一番の殺気を放った。


「……涼木颯騨。今のは、見なかったことにしなさい」

「何もしてないですよね、俺」

「見なかったことに、しなさい」

「……はい」


 秋穂は、きょとんとした顔で俺と凛を見比べていた。

 それから、何がおかしいのか、くすくすと笑いはじめた。

 夕焼けが、公園を橙色に染めていた。

 肉まんの湯気と、おでんの出汁の匂いが、秋の風に溶けていく。

 悪くない、と思った。

 平凡で、目立たない毎日とは、ずいぶん違うけれど。

 こういうのも、悪くないのかもしれない。



 その夜。

 俺は、いつものように『フラッシュソルジャー』にログインした。

 対戦を一戦終えたところで、チャットの通知が点く。


【カトレア】こんばんは、救い主様

【カトクシン】……なんだその呼び方

【カトレア】ネットで話題になってるわよ。「校門前集団転倒事件」

【カトレア】それと、「月下の姫君」が転校した先で、平民の男子を「救い主」と呼んでるって話も


 背筋が、ぞくりとした。


【カトクシン】それが俺と何の関係があるんだよ

【カトレア】あら、違うの?

【カトレア】事件が起きたのは、県立中平高校。あなたの学校よね


 俺は、キーボードの上で指を止めた。

 カトレアとは、ネットの中だけの付き合いだ。

 本名も、住所も、通っている学校も、教えたことは一度もない。


【カトクシン】なんで俺の学校を知ってる

【カトレア】さあ、どうしてかしら

【カトレア】前に言ったでしょう。情報を集めるのは、趣味みたいなものだって

【カトクシン】怖いんだけど

【カトレア】安心して。悪用はしないから

【カトレア】それより、忠告しておくわ

【カトレア】あの週刊誌、見た? 妹と元婚約者の記事

【カトレア】あれ、情報の出どころがおかしいのよ。ちょっと調べてみる


 画面の向こうで、カトレアが何を考えているのか、俺には分からなかった。

 ただ、ひとつだけ確かなことがあった。

 この事件は、俺が思っているより、ずっと多くのものを巻き込みはじめている。

 そして、そのど真ん中に、どうやら俺は立っているらしい。


【カトレア】おやすみなさい、救い主様

【カトクシン】だからその呼び方やめろって


 既読の印だけがついて、カトレアはログアウトした。

 俺は、ため息をついてヘッドセットを外した。

 窓の外には、丸い月が浮かんでいた。

 月下の姫君、か。

 口の端にご飯粒をつけて笑っていた顔を思い出して、俺は、なぜか少しだけ笑ってしまった。

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