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第12話 三階の電脳基地

 月曜日の朝、俺は、教室に入るなり自分の席に座って頭を抱えた。


「どうした颯騨。朝から辛気くさい顔して」

「……田淵。俺、昨日、とんでもないことを知ってしまった」

「お、なんだ。紫条通さんとのデートの話か?」

「違う。……いや、半分合ってるけど違う」


 日曜日の喫茶店のことを思い出す。

 佐生蘭花。三年A組。

 俺がこの一年半、ネットの向こうの顔も知らない相手だと思っていた友人は、同じ校舎の中にいた。毎日、同じ下駄箱を使い、同じ廊下を歩き同じチャイムを聞いていた。

 それに、一度も気づかなかった。


「田淵。三年の佐生蘭花って先輩、知ってるか」

「さぶ?」


 田淵は、しばらく天井を見上げて考え込んだ。


「……いや、知らね。有名な先輩なのか?」

「たぶん、違うだと思う」

「じゃあ分かんねえよ」


 やっぱりか、と俺は思った。

 国内五百万人がプレイするゲームを作った人間が、自分の学校では誰にも知られていない。あの人は、そういう生き方を、自分で選んでいるのだ。



 昼休みになると、秋穂と凛が俺の席へやってきた。


「颯騨様。蘭花さんから、ご連絡はありましたか」

「あ、はい。来てます」


 俺はスマホを取り出した。昨日の夜、蘭花先輩から連絡先が送られてきていた。今朝も、一通メッセージが届いている。


『昼休み、三階の西の端まで来て。三人で』

『階段を上がって、突き当たりを右。「旧視聴覚準備室」って札の部屋』

「……準備室?」

「そのようなところに、何がございますの?」

「分かりません。でも、行ってみましょう」


 そう言って立ち上がった俺の腕を、凛が掴んだ。


「お待ちください」

「なんですか」

「三階の西の端。突き当たり。準備室。……人目のない場所です」


 凛の目が、すっと細くなった。


「昨日会ったばかりの人物に、そのような場所へ呼び出されるとは。罠の可能性は考えないのですか」

「いや、蘭花先輩ですよ」

「昨日まで、素性も本名も年齢も顔も知らなかった相手です」

「今は全部知ってるじゃないですか」

「……それは、そうですが」


 凛は、不本意そうに手を離した。


「ですが、油断は禁物です。私が先に入ります」

「凛は心配性ですね」


 秋穂が、くすくすと笑った。


「お嬢様。心配するのが、私の仕事です」



 三階の西の端は、驚くほど静かだった。

 この階は三年生の教室が並んでいるが、廊下の突き当たりまで来る生徒はほとんどいないらしい。両側には、使われていない教室が並んでいる。壁の塗装は剥げ、窓枠には埃が積もっていた。

 突き当たりを右に曲がると、古い木の扉があった。色褪せた札に、『旧視聴覚準備室』と書かれている。

 凛が、扉に手をかけた。


 ――ぴっ。


 電子音が鳴った。

 凛が、ぎょっとして手を引いた。


「な、なんですか、今の音は」


 よく見ると、扉の横の壁に、小さな黒い箱が取り付けられていた。カードリーダーのようなものだ。その上に、小型のカメラが一つ。

 カメラのレンズが、ぐるりと動いて、こちらを向いた。


『……三人とも来たわね』


 スピーカーから、蘭花先輩の声がした。


「うわっ!」

『驚かないでよ。ただの監視カメラとインターホン』


 かちゃり、と電子錠の外れる音がした。


『どうぞ、お入りください』


 扉が、ゆっくりと内側に開いた。



 中に入って、俺は言葉を失った。

 外から見れば、ただの古い準備室だ。だが、中は、まるで別世界だった。

 埃っぽい木の棚の代わりに、黒いスチールラックが三台。

 その中に、何台ものサーバー機が収まり、無数のLEDが規則正しく明滅している。ファンの回る低い唸りが、部屋全体に満ちていた。

 壁際には、大きな作業机。

 その上に、モニターが五枚。横に三枚、その上に二枚。それぞれに、コードや、グラフや、見たこともない管理画面が表示されていた。

 部屋の隅には、小型の冷蔵庫と、電気ケトルと、なぜか折りたたみ式の簡易ベッドまである。


「……なんですか、ここ」

「私の部屋」


 作業机の前の椅子を回して、蘭花先輩がこちらを向いた。

 制服姿だった。

 きっちりとリボンを締め、黒縁の眼鏡をかけ、髪をそのまま下ろしている。昨日のパーカー姿より、さらに地味に見えた。教室の隅で本を読んでいそうな、目立たない女子生徒そのものだ。

 この人が、この機械の山の主なのだ。


「学校の部屋を、勝手に使ってるんですか」

「まさか。ちゃんと許可は取ってるわよ」


 蘭花先輩は、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。学校の書式の、正式な書類だった。『情報処理研究部 部室使用許可証』と印字されている。


「情報処理研究部……そんな部活、ありましたっけ」

「去年、私が作ったの。部員は一人」

「一人で部活って作れるんですか」

「普通は無理。でも――」


 蘭花先輩は、部屋の隅を指さした。

 そこには、段ボール箱がいくつも積まれていた。箱の側面には、大手メーカーのロゴが印刷されている。


「うちの学校、パソコン室の機材が十年前のままだったの。予算がなくて更新できないって、先生が職員室で愚痴ってた」

「まさか」

「四十台、寄付したわ。設置と設定も、全部私がやった」


 蘭花先輩は、にやりと笑った。


「そしたら、校長先生が『何かお礼を』っておっしゃるから、『この部屋を貸してください』ってお願いしたの。電気代は実費で払ってるし、ネット回線も自前で引いてる。学校には一円も負担かけてない」

「……えげつない」

「人聞きの悪いこと言わないでよ。WIN-WINって言って」


 凛が、部屋の中を無言で見回していた。その視線が、サーバーラックの間を抜け、窓の位置を確認し、天井の隅で止まる。

 そこには、もう一つ、小型のカメラがあった。


「……佐生様。この部屋、随分と厳重ですね」

「蘭花でいいって言ったでしょ」

「では、蘭花様」

「様もいらない」

「……蘭花さん」


 凛は、諦めたように言い直した。


「これほどの警戒をなさるのは、何かを守っておられるからでしょう」

「まあ、そうね」


 蘭花先輩は、サーバーラックを親指で示した。


「ここ、フラッシュソルジャーの開発環境のバックアップと、私の研究データが全部入ってる。……盗まれたら、たぶん数十億の価値があるわ」

「じゅ――」


 凛の顔が、引きつった。


「そ、そのようなものを、学校に置いておられるのですか」

「家に置くほうが危ないのよ。うちの会社、狙われることが多いから。……まさか公立高校の準備室に本命があるとは、誰も思わないでしょ」


 その発想の逆転に、俺は妙に納得してしまった。


「まあ、座って。狭いけど」


 蘭花先輩が、パイプ椅子を三つ、ばさばさと広げた。

 秋穂が、その一つに腰を下ろす。

 そして、部屋の中を見回して、うっとりと呟いた。


「……不思議なお部屋ですね。まるで、機械の神殿のようです」

「神殿」

「はい。たくさんの光が、一定の律動で明滅しております。祭祀のときの、灯明の揺らぎに似ております」


 蘭花先輩が、ぽかんと口を開けた。

 そして数秒のラグをおいて、吹き出した。


「……あなた、面白いこと言うわね」

「そうでしょうか」

「うん。気に入ったわ」



「じゃあ、本題に入りましょうか」


 蘭花先輩は、椅子を回して机に向き直った。

 五枚のモニターのうち、正面の一枚に、真っ白なメモ画面が表示される。


「昨日の続き。浮橋志乃さんを探す件」


 凛が、鞄から一枚の写真を取り出した。


「こちらを」


 机の上に置かれたのは、集合写真だった。紫条通家の屋敷の玄関前で、使用人たちが並んで写っている。

 凛が、その中の一人を指さした。


「浮橋志乃さんです。今年の春の、屋敷の年始の集合写真です」


 俺は、写真を覗き込んだ。

 二十代半ばくらいの女性だった。地味な色の着物に、白い割烹着。髪をきっちりとまとめて、背筋を伸ばして立っている。

 特別に目立つ容姿ではない。

 けれど、その表情が印象的だった。

 カメラのほうを見ていない。彼女の視線は、少し右にずれていた。

 その先には、振袖姿の秋穂が立っていた。

 志乃さんは、秋穂を見ていた。

 ほんの少しだけ口元を緩めて、まるで、小さな子どもの成長を見守る親戚のような目で。


「……この人、秋穂さんのこと」

「はい」


 凛が、静かに頷いた。


「志乃さんは、お嬢様がお三つのときから、お部屋のお世話をしておりました。お嬢様のことを、心から大切に思っていたはずです。……少なくとも、私はそう信じておりました」


 秋穂は、写真をじっと見つめていた。


「志乃は、わたくしに、初めて折り紙を教えてくれた人です」


 秋穂が、小さく言った。


「巫女の修行が辛くて、部屋で泣いていたときに、そっと鶴を折ってくれました。『お嬢様、泣き止むまで、いくつでも折って差し上げます』と」

「……」

「あの日、わたくしの部屋には、鶴が三十羽ほど並びました」


 誰も、何も言わなかった。


 サーバーのファンの音だけが、低く鳴っていた。


「……フルネーム、年齢、出身地」


 蘭花先輩が、キーボードに指を置いた。

 その声から、さっきまでの軽さが消えていた。


「浮橋志乃。二十六歳。出身は、栃木県の――」


 凛が、手帳を開いて読み上げていく。

 蘭花先輩の指が、猛烈な速さでキーを叩いた。



「……三十分ちょうだい」


 十分ほど経ったところで、蘭花先輩がそう言った。


「その間、そこの棚のお菓子でも食べてて」


 指さされた棚には、スナック菓子とカップ麺が山のように積まれていた。

 完全に、この部屋で生活している人間の備蓄だった。


「蘭花さん、ちゃんと家に帰ってます?」

「帰ってるわよ。週に四回くらい」

「少なっ」

「週三日はここで寝てるってだけ。ちゃんと寝てるんだから問題ないでしょ」

「大ありです」


 凛が、眉をひそめた。


「食事はどうなさっているのですか」

「そこのカップ麺」

「…………」


 凛が、無言で棚に歩み寄った。カップ麺のパッケージを一つ手に取り、成分表示をじっと読む。

 それから、深いため息をついた。


「明日から、お弁当をお持ちします」

「えっ?」

「三十二人分を作っておりますので、一つ増えても手間は変わりません」

「三十二人分!?」

「クラスの皆様の分です」

「……なにそれ、どういう学校生活してるの、あなたたち」


 蘭花先輩は、心底不思議そうな顔をした。

 凛は、それには答えず、棚のカップ麺を一つずつ手に取っては、賞味期限を確認しはじめた。時々、「これは処分いたします」と呟きながら、いくつかを脇に避けていく。

 秋穂が、その様子を見て、くすくすと笑った。


「凛は、世話を焼かずにいられないのです」

「……そうみたいね」


 蘭花先輩は、画面から目を離さずに言った。

 でも、その口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。



 予告したちょうど三十分後に、蘭花先輩が「出たわ」と声を上げた。

 その声に、俺たちは一斉に画面を覗き込んだ。モニターには、いくつもの断片的な情報が、時系列に並べられている。


「まず、浮橋志乃さん本人の痕跡から。携帯は八月二十九日に解約。銀行口座は九月三日に、残高を全額引き出して以降、動きなし。健康保険証の使用記録も、それ以降はゼロ」

「……何も、手がかりがないということですか」

「いいえ」


 蘭花先輩は、首を横に振った。


「『何も痕跡を残していない』こと自体が、手がかりなの」

「どういう意味ですか」

「普通の人は、ここまで綺麗に足跡を消せないのよ」


 蘭花先輩は、画面の一箇所を指で叩いた。


「解約、引き出し、それ以降完全に沈黙。この手際は、誰かに教わってる。……浮橋さんは、一人で逃げてるんじゃない。逃がした人間がいる」


 背筋が、冷たくなった。


「そして、本題はこっちよ」


 蘭花先輩は、別のウィンドウを開いた。そこには、栃木県の地方紙の記事のスクラップと、いくつかの公開情報らしきものが並んでいた。


「浮橋家。栃木の、元士族の家。志乃さんの父親が十二年前に事業に失敗して、多額の負債を抱えてる」


 凛が、はっと顔を上げた。


「……存じております。志乃さんが紫条通家に奉公に上がられたのは、そのためです。お給金の大半を、実家に送っておられました」

「そう。で、ここから」


 蘭花先輩は、画面をスクロールさせた。


「浮橋家の実家、栃木の土地と家屋。ここに、抵当権が設定されてたの。債権者は、地元の信用金庫と、あと個人が二人」


 画面に、登記情報らしきものが表示された。俺には読み方が分からなかったが、蘭花先輩が指でなぞった箇所には、確かに何かの記載が並んでいた。


「不動産登記は、誰でも取れる公開情報よ。……で、見て。この日付」


 蘭花先輩の指が、一行の上で止まった。


『令和八年八月二十七日 抵当権抹消』

「……八月二十七日」


 俺は、思わず呟いた。


 リーク記事の写真が撮影されたのが、八月二十三日。

 記事が公開されたのが、八月三十一日。

 その、間だ。


「抵当権抹消。つまり、借金が全額返済されたってこと」


 蘭花先輩は、静かに言った。


「十二年間、細々と返し続けてきた借金が、八月二十七日、一日で全部消えた」


 部屋が、静まり返った。


「金額は」

「残額は、登記からは分からない。でも、地元紙の当時の記事と、事業規模から推定すると、当初の借金は少なくとも三千万」


 凛が、息を呑んだ。


「三千万……」

「侍女のお給金で、二日で用意できる額じゃないわよね」

「……ありえません」


 凛の声は、震えていた。


「志乃さんのお給金は、月にして――」


 凛は、そこで口をつぐんだ。

 言うまでもない、と思ったのだろう。


「もちろん、これだけじゃ証拠にはならないわ」


 蘭花先輩は、椅子の背にもたれた。


「親戚が助けたのかもしれない。宝くじが当たったのかもしれない。……登記に載るのは『抵当権が消えた』事実だけで、誰が払ったかまでは書いてないの」

「でも」

「ええ。タイミングが良すぎる」


 蘭花先輩は、眼鏡を押し上げた。


「文書が持ち出されて、写真が撮られて、記事が出るまでの、ちょうど真ん中。その日に、実行犯と目される人物の実家の借金が、一日で消えた」


 俺は、拳を握りしめた。

 買収。それも、三千万という、人ひとりの人生を丸ごと買えるような額で。


「……志乃さんは」


 秋穂が、ぽつりと言った。

 その声は、驚くほど静かだった。


「志乃さんは、お父様のために、そうしたのですね」

「秋穂さん」

「志乃さんは、いつも、実家のことを気にかけておられました。年に一度、お盆に帰省なさるたびに、少し痩せてお戻りになるのです。わたくしが理由を尋ねても、いつも『何でもありません』と笑っておられましたけれど」


 秋穂は、机の上の集合写真に、そっと指を触れた。


「……どれほど、苦しかったでしょう」

「お嬢様」


 凛が、たまりかねたように言った。


「志乃さんは、お嬢様を裏切ったのですよ」

「ええ。そうですね」

「お嬢様のお部屋から、祭祀文書を盗み出した。そのせいで、お嬢様は――」

「凛」


 秋穂は、静かに凛を見た。


「わたくしは、志乃さんを許すとは、まだ申しておりません」


 凛が、言葉を呑んだ。


「ただ」


 秋穂は、写真の中の志乃さんを見つめた。


「わたくしは、志乃さんの口から、真実を聞きたいのです。なぜそうしたのか。誰に頼まれたのか。……そして、今、どこで、どうしておられるのか」


 秋穂は、顔を上げた。


「志乃さんが、生きていてくださるなら。わたくしは、それだけで――」


 そこで、秋穂の言葉が止まった。


 秋穂は、しばらく黙っていた。

 それから、小さく首を振って、微笑んだ。


「いえ。何でもありません」


 誰も、その先を訊かなかった。

 三千万で人ひとりを買った相手が、用済みになったその人をどうするか。

 考えたくないことは、この場の全員が、たぶん同じように考えていた。



「……とにかく、方向性は見えたわ」


 蘭花先輩が、空気を変えるように言った。


「お金を払った人間を追う。三千万が、どこから、どうやって浮橋家に流れたのか。そこを辿れば、買収した人物にたどり着く」

「できますか」

「時間はかかるわね。現金で持ち込まれてたら、お手上げだし」


 蘭花先輩は、肩をすくめた。


「でも、三千万を現金で動かすのは、それはそれで大変なのよ。どこかで、必ず記録に残る。……時間をちょうだい」

「お願いします」


 俺は、頭を下げた。

 その隣で、秋穂も、凛も、同じように頭を下げていた。


「やめてよ、もう。伯爵令嬢と侍女に頭下げられるの、心臓に悪いんだから」


 蘭花先輩は、ぱたぱたと手を振った。

 そして、ふと思い出したように言った。


「あ、そうだ。もう一つ」

「まだ何かあるんですか」

「例の、うちのサーバーへの侵入者」


 蘭花先輩の目が、すっと鋭くなった。


「昨日の夜も来たわ。今朝も」

「……大丈夫なんですか」

「今のところはね。ただ」


 蘭花先輩は、五枚のモニターのうち、一番右の一枚を指さした。

 そこには、赤い文字のログが、上から下へと絶え間なく流れていた。


「相手のやり方が、日に日に変わってるの。昨日通用しなかった手を、今日は使ってこない。ちゃんと学習して、次の手を打ってくる」

「……それって」

「腕のいい人間が、本気でこっちを見てるってこと」


 蘭花先輩は、赤い文字の流れをじっと見つめた。


「私、今までいろんな攻撃を受けてきたけど。……この相手、たぶん、今まででも指折りに厄介よ」



 五時間目と六時間目を終え、放課後。今日は、秋穂と凛を家まで送っていくことになっている。

 校門の一件以来、下校はいつも三人一緒だ。凛は「不要です」と言い張ったが、秋穂が「颯騨様とご一緒したいのです」と言うと、あっさり黙った。


「では、参りましょうか」


 秋穂が、いつものように微笑んだ。

 その時だった。

 廊下が、妙にざわついていた。

 いくつもの足音が、昇降口のほうへ向かって走っていく。教室の窓際に、生徒たちが集まりはじめていた。


「なあ、見ろよ! 校門のとこ!」

「うわ、なにあの車」

「リムジンじゃん。ドラマの撮影?」


 俺は、窓際に近づいた。

 校門の前に、一台の車が停まっていた。

 黒塗りの、長いリムジン。その周りを、黒いスーツの男が四人、取り囲むように立っている。全員が、同じ意匠の徽章を襟につけていた。

 車のドアが開き、運転手が恭しく頭を下げる。

 降りてきたのは、一人の少女だった。

 明るい茶色の髪を、緩やかに巻いている。

 高峯学園のものと思われる、見たことのない制服。白を基調にした上品なデザインで、平民の高校の紺のセーラー服とは、比べものにならないほど華やかだった。

 少女は、校門の前で立ち止まると、校舎を見上げた。

 そして、周りに集まった生徒たちに向かって、にっこりと微笑んだ。

 その笑顔に、校門の周りで、小さなどよめきが起きた。


「え、めちゃくちゃ可愛くない?」

「モデルさんかな」

「なんでうちの学校に……」


 俺の隣で、凛が窓枠を握りしめていた。

 その手が、白くなるほど強く。


「……あの方は」


 凛の声は、かすれていた。

 俺は、秋穂を見た。

 秋穂は、窓の外を見ていた。

 その表情からは、いつもの微笑みが、すっかり消えていた。


「春花」


 秋穂が、呟いた。

 校門の前で、少女が――紫条通春花が、ゆっくりと、こちらの窓を見上げた。

 距離は、優に五十メートル。

 三階の窓にいる俺たちの顔が、見分けられる距離ではない。

 それでも。

 春花の目は、確かに、まっすぐこちらを見ていた。

 そして、赤い唇が、ゆっくりと動いた。

 声は、聞こえなかった。

 けれど、その唇の形を、俺は読み取ってしまった。


 ――お・ね・え・さ・ま。


 春花は、嬉しそうに笑って、小さく手を振った。

 その仕草は、どこまでも無邪気で、愛らしくて。

 そして、どうしようもなく、悪意に満ちていた。

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