5話:追われる魔女
ひとりになりたくて、調味料なんて言い訳をしながら家を出てきてしまった。
今日のエルシオンは曇天だった。
一応調味料がないのは事実なので、店に向かって街を歩きながら、エフィは自分の右手を見た。
家に帰るまで、ずっと繋いでいた手。そこにまだ彼の熱が残っている気がして、なぜか落ち着かない気持ちになる。
——こうしたいのは、エフィだけだ。
ルーカスの言葉が、頭の中でぐるぐると回っている。
(私、だけ)
反芻して、胸に手を当てる。
そんなことを言われたのは、初めてだった。エルシオンに来る前、両親や兄と暮らしていた時は——兄以外誰も、エフィのことを見ていなかったから。
『偉大な兄』の妹。それがエフィの居場所だった。
(でも、ルーカスは違う)
ルーカスは兄を知らない。エフィを見て、エフィだけを『特別』だと思ってくれる人。
(この気持ちは、何なんだろう)
心の中で問いかけても、答えは出なかった。石畳を歩く足が、完全に止まってしまう。彼のことを考えずにはいられない。
そんなエフィの思考を切り裂いたのは、通りに響き渡った悲鳴と、煤けた熱い空気だった。
「あっ……!」
そちらに目を向けると、建物から吹き上がる炎と煙が飛び込んできた。まだ距離があるのに、通りには黒煙が漂い始めている。
それだけではなく、逃げ遅れたと思われる人が、3階部分の窓から身を乗り出していた。逃げるためだろうか。しかし、今にも転落してしまいそうだ。
火事自体は既に蒸気消防車からのポンプによる放水が始まっているため、エフィにできることはなさそうだった。
「でも、あの人は、逃げられないよね……」
よし、と決意して、エフィは野次馬に紛れて火事の現場に近寄った。こっそり魔法を使って、3階の窓から地面に向かって、光の階段を形成する。
「ま、魔女!?」
野次馬の人々が魔法に気付き、大きくざわめく。逃げ遅れた人も一瞬あっけに取られていたが、恐る恐る光の階段の上に足を乗せる。
落ちないと気付いてからのその人の動きは早かった。転げ落ちるような速度で階段を駆け下り、地面にたどり着いてへたり込む。
「よかった……」
無事に、逃がすことができた。
それを見届けてから、エフィは光の階段を消した。そのまま人々の中に紛れ、その場を離れる。
現場から離れて一息ついた時、後ろから早足で誰かが近付いてくる気配がした。
「おい」
そのまま、強く肩を掴まれた。振り向くと、見知らぬ男が立っている。
「お前、魔女だな」
囁き声に、思わず体が震えた。
(まずい、見られてた……!)
人混みだからバレないだろうと油断していた自分を呪うが、既に遅い。エフィは逃げようと踵を返すが、男の仲間らしい者が数人、立ち塞がっていた。
ここでは人目がありすぎて、魔法を使って逃げることは難しい。エフィは男の手を振り払った。その拍子に髪飾りが地面に落ちるが、今はそれに構っている暇はない。
脇にある路地へと逃げ込む。
「待て!」
十分に人目がつかないところまで逃げ込んだ後、エフィはくるりと振り向いた。追ってきているのは3人。
彼らと自分を隔てるように、光の結界を張る。
「くそっ! こんなもの!」
男たちが結界を破壊しようと、腰に帯びていた剣を抜く。エフィは目いっぱい魔力を使って結界を厚く丈夫にしてから、路地の奥へと逃げ込む。
「回り込むぞ!」
「ああ。珍しい商品だからな、逃がすな!」
そんな声が聞こえてきて、ぞっとした。
(あの人たち、人身売買をするつもりなの!?)
絶対に捕まるわけにはいかない。エフィは全速力で宛もなく走る。
しかし、先ほど逃げ遅れた人を助けるために魔力をかなり消費してしまった上、今は陽の差さない曇り空。
自然の光を己の力とするエフィにとっては、条件が悪い。
(だめだ……)
誤魔化しながら逃げようとしてきたが、魔力が尽きかけ、目の前がぐらぐらとして真っ直ぐに走れなくなる。速度を落として、やがて完全に足が止まってしまう。目を開けると視界が回る。
思わず建物の壁に寄りかかって、肩で荒く息をした。
(どうする……?)
まだルーカスの家を出てからそれほど経っていない。ふたりが探しに来てくれる可能性は低いだろう。エフィはこの街に知り合いも少ないし、ここは自力で突破しなくては——
「いたぞ!」
そんな声が聞こえて、エフィは咄嗟に走り出そうとした。しかし視界が歪み、足がもつれて地面に倒れ込んだ。
「魔法を使うかもしれない。油断するなよ」
そんな声と共に、複数の足音が聞こえてくる。前から3人、後ろからひとり。囲まれている。
(まだ……できることはある……)
最後の魔力を指先へ集める。強い光を放って目を眩ませれば、逃げる隙くらいは作ることができるかもしれない。もちろん、魔法を放てばさらに目眩は酷くなるだろうし、分が悪い賭けだ。
「でも、諦めたくない」
体調不良を抑えつつ、エフィが気力で立ち上がろうとした時——
「エフィ!!」
今一番聞きたかった声が、聞こえた。背後で男の短い悲鳴と、重いものが地面に転がる音が響く。
男たちが動揺したように、呼吸を乱した。
背後から誰かが走ってきて、庇うように男たちとの間に入り込んでくれる。
頼りになって、広い背中。
「ルーカス」
彼の名前を呟く。
「この子には、指一本触れさせない」
ルーカスは振り返らず、そう男たちに向かって告げた。





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