4話:なくはない
アリステアはしばらく何も言わずにこちらを見ていたが、踵を返し、奥へと消えた。ルーカスはややほっとしつつ、エフィを連れて中に入る。
「あ! 昨日の夜ご飯と朝ご飯、作れなかったけど大丈夫だった……?」
「昨日の夜はミラが来て作ってくれた。朝は食べてない」
「ミラが? そうか……」
ルーカスの実妹、ミラ。今は色々あってルーカスの家にはいないが、エフィが来る以前はミラがこの家の家事を担当してくれていた。
「医者が朝飯抜きでいいと思ってるのかよ」
「……」
アリステアは答えず、ふいっと視線を逸らした。彼はいつもそうだ。嘘や誤魔化しは言わず、答えられないときは黙り込む。
案外、素直な男なのだ。
「アリステアごめん。朝ご飯、すぐ作るね」
エフィが言って、キッチンに立つ。
ルーカスはいつもの朝と同じように、新聞を手に着席した。新聞を開いたところで、
「あ、ミラが作り置きしてくれてある」
エフィがそんなことを言い出したので、呼吸が止まった。
アリステアはミラに夕食を作ってもらったと言っていた。その上作り置きということは、つまりミラは、ルーカスとエフィが朝まで帰ってこない可能性を見越していたということで——!?
(ま、待て、ミラに俺たちの不在がバレてる!)
今、ようやく気がついた。
恋バナとやらが大好きな妹のことだ、絶対に絶対に次に会った時、根掘り葉掘り聞かれるだろう。
(終わった……)
ルーカスの尊厳ある人生は、もう二度と戻ってこない。本気でそう思った。
「ミラは本当にしっかりしてるよね」
なんて言って、エフィは笑っていた。駄目だ、彼女は多分、この危機的状況に気付いていない。
新聞の内容など、もはや頭に入ってこなかった。
ルーカスは絶望的な気持ちで、朝食を終えた。
「あ、調味料が終わっちゃいそう。ちょっと買ってくるね」
なんて言って、エフィはひとりで出かけてしまった。家のリビングに残されたのはルーカスとアリステアだけ。
玄関扉が閉じた瞬間、室内の空気が一気に緊張へと傾く。
この男は、ルーカスを見逃すつもりは全くないらしい。
アリステアが本から顔を上げて、真っ直ぐにこちらを見据えた。
(ヤバい……)
その眼光は鋭い。背中に汗が伝い落ちる。
アリステアは、エフィをとても大事にしている。正直ルーカスから見ても重い上に、あの色恋に疎いエフィですら気付いているくらい、その感情は大きい。
その感情の種類こそわからないとはいえ、ルーカスは自分に近い気持ちなのではないかと当たりをつけている。
つまり、アリステアもエフィを——
「昨日のことだけど」
彼がおもむろに思考を切り裂く。
(ですよね! 知ってたさ!!)
ルーカスは心の中だけで即ツッコミを入れた。そういうテンションで挑まなければやっていけない気がした。
「別に、ふたりがどこで何をしていようと、僕には関係のないこと……の筈だ」
(筈だ、ってなんだよ)
アリステアはルーカスの何か言いたげな視線に気付いた様子で、顎に手を当てて考え込む。しかし結論は出なかったのか、首を横に振った。
「でも」
そこで一度、言葉が止まる。珍しく言葉を選んでいるように、青い瞳が少しだけ部屋の中を彷徨った。それからまた、ルーカスへと戻ってきた。
「エフィを傷付けることは許容できない。そう思う」
「お前から見て、エフィはどうだった?」
アリステアはまた僅かに考え込んだ。
「……傷付いているようには、見えなかった」
「だろ?」
「ただ、責任は取るべきだ」
青い瞳と真剣な表情に、冗談の気配は微塵もない。ルーカスは大きく息を吐いた。
「それは誤解だって。俺とエフィはそういう仲じゃ——」
言いかけて、止まる。
昨夜の光景が脳裏を過った。
ルーカスに抱かれて、安心したように眠っていたエフィの顔。そんな彼女に一方的にキス未遂をして、恋人繋ぎをして帰ってきた。
少しでもいい。男として意識をしてほしかった。
ルーカスのそういう自分勝手な行為を、彼女は嫌だとも、怖いとも言わなかった。
(でも……俺も、何も言ってない)
エフィはルーカスの気持ちを知らない。
こちらが何も言わず、一方的に距離を詰めているだけ。
それは酷く、無責任なことのような気がした。
「……いや、違わないな。責任は取るべきだ」
ルーカスが言い直すと、アリステアの目が細くなる。彼の右手が、テーブルに立てかけてあった仕込み杖に触れた。
「ま、待て。それは違う! ていうか、いちいちそれ持ち出すのやめろよな!?」
「違わないのか違うのか、はっきりして」
「エフィにはアレだ、何もして……なくはないけど、誓って手は出してないからな!?」
「なくはない」
「ない! エフィが寒そうにしてたから、抱きしめてただけだ! あと、エフィがあんまり無防備だから、その……男の危険性を教えた」
結局、ぼかしたとはいえ一晩何をしていたかを暴露する羽目になってしまった。羞恥心がこみ上げてきて、もうこの家にはもういられないとさえ感じた。ここはルーカスの家で、アリステアは居候なのだが。
アリステアはじっとこちらを見て、数秒動きを止める。その時間が、永遠のように長く感じた。
彼はゆっくりと、仕込み杖を手放した。
「なら、いい」
緊張の糸が切れて、ルーカスは大きく息を吐き出した。





こちらが本編です。