3話:新手の拷問
(いや……いやいやいや)
ルーカスを下敷きにしながら、エフィは規則正しい寝息を立てはじめる。
(この状況で寝られるか!?)
ふたりきり。抱き合ったまま。何ならルーカスはエフィに押し倒されている。
間近にある彼女の髪からは何やらいい匂いがするし、体は柔らかくて温かい。彼女の体をソファに横たえたくても、しっかりと絡められた腕がそれを許してくれない。
ルーカスのベストを羽織らせたが、彼女の体には当然大きすぎる。自分とエフィの体格の差、彼女の小ささが、どうしたって目について——
(無理だ。俺には無理。これはあれか、新手の拷問か?)
いっそ意識を飛ばしてしまった方が楽なのに、力強く脈打つ心臓は、それを絶対に許さない。
エフィは穏やかな寝顔を晒している。その顔を見ていると、先ほど彼女からかけられた言葉が蘇ってくる。
——ルーカスは、誰にでもここまでする……の?
——嫌なわけ、ないよ。
(どういう意味なんだよ、それ)
彼女が身動ぎして、触れ合う面積が少しだけ増える。それだけでもう、全身が熱くなった。
(絶対、わかってないだろ……)
こっちは色々必死で堪えているというのに、エフィは安心しきった様子で眠っている。信頼されている。それは嬉しいのに、それだけではもう、足りない。
「嫌じゃないのなら、遠慮はしてやれないぞ」
エフィには聞こえていないのに、先ほど届かなかったであろう言葉を、もう一度呟く。
彼女の顎に手を添えて、そっとこちらに顔を向けさせた。目に入ったのは、薄紅色の小さな唇。そこは意識して見ないようにして、代わりに彼女の額に唇で触れる。
(……あー、やめときゃよかった……)
歯止めが効かなくなりそうだった。これ以上は、エフィの意思を聞いてからでないとまずい。それに、寝ている時の不意打ちではなく、ちゃんと彼女の反応を楽しみながら踏み込みたかった。
唇を離し、もう彼女を見ることはやめようと、視線を逸らす。
(俺の心臓と理性は、明日の朝まで保つのか……?)
最終手段としては、どこかでエフィを起こし、距離を取ることも必要になってくるだろう。
夜はまだ、始まったばかりだった。
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朝の光が、窓から差し込んでくる。
エフィは温かく、不安定なぬくもりの上で目覚めた。昨夜はとてもよく眠れた気がする。今抱きしめているもののおかげだろうか。
「抱き枕……?」
寝起きの、ふにゃふにゃした声で呟く。『抱き枕?』がもそもそと動いた。
(……!!)
抱き枕では、ない。
(昨日、水を被っちゃって……それで、ルーカスに……!!)
昨夜のことを思い出して、エフィはぱっと目を開けた。予想通り、目の前にはルーカスの顔がある。
「おはよう、エフィ」
いつも通りの挨拶。しかし言葉の端々には疲労感が滲んでいるし、何よりその目は笑っていない。真剣な眼差しが、エフィを捉えている。
「ご、ごめんなさい。私が下敷きにしちゃったから、ルーカスはあんまり寝られなかったんだよね……?」
そう言って、エフィは彼の上から降りようとした。しかし彼の腕がしっかりと背中に回されていて、抜け出せない。
「ルーカス……?」
「エフィ」
名前を呼ばれると同時に、くるりと視界が反転した。背中がソファの柔らかさに沈む。ルーカスが、エフィの上にいる。
琥珀の瞳の奥に、熱がちらついて見えた。
ルーカスの顔が近付いてくる。彼の吐息すら感じられるような距離。瞬きもできずに、ルーカスを見つめた。
唇が触れ合う——寸前、エフィの上からふっと重さが消える。ルーカスは立ち上がって、こちらに背を向けた。
「これでわかっただろ。兄みたいだからって、気軽に男にくっついたり、一緒に寝たら駄目だ」
からかいも軽口もない、真剣な言葉だった。
「う、うん。ごめんなさい」
だからエフィは、そう答える他なかった。まだルーカスは背を向けている。
自分の唇に、両手を添えた。触れ合ってはいないはずなのに、意識がそこに集中している。たぶん、顔も赤くなっているだろう。
(……嫌じゃ、ないよ)
その言葉は、どうしてか言うことができなかった。
人々が出勤してくる時間になり、ようやくエフィたちは監禁状態から解放された。家に帰るために、彼と並んで歩く。
「俺が頼んだせいで、悪かったな」
ルーカスの言葉は、あまりにもいつも通りだった。昨夜の、それから今朝の出来事なんか、何もなかったかのように。
「大丈夫だよ。それに、壊れたままじゃみんなが困っちゃうでしょ」
だからエフィも、笑って返す。
いつも通り。
なのに、ルーカスの手はしっかりとエフィのそれと繋がれていた。普段、走ったりする時に彼に手を引かれるのとは訳が違う。指がひとつひとつ絡み合って、端的に言えば、とても密着している。
「あの、ルーカス、手が」
「ん? 嫌か?」
「嫌じゃ……ないけど」
「なら、このままで」
ルーカスはぎゅっと、強く手を握ってきた。
「俺は、この方がいい」
それは、どういう意味なのか。
エフィにはわからない。
考えている間に、家まで帰り着いてしまった。ルーカスが扉を開け、中に入ろうとした。
が、その足がぴたりと止まる。
「あ」
ルーカスの凍りついたような堅い声が響く。直後、絡んでいた手がぱっと離れる。指に視線を落としていたエフィは、顔を上げた。
「あ」
玄関に、アリステアがいた。直立不動で。
青い瞳がエフィを見て、ルーカスを見て、それから繋いでいた手を見た。
アリステアは何も言わない。表情を崩さない。それが何よりも恐ろしい。
エフィは昨日の夜、結果的に無断外泊したことになったことを、ここでようやく認識した。
「あ、アリステア……その」
何か言わないといけない。だけど、うまい言葉が出てこない。
「心配かけてごめんなさい。事件に巻き込まれたとかじゃないから、大丈夫だよ。一晩中ずっとルーカスと一緒にいたし——」
「え、エフィ!!」
ルーカスが慌てたように声をあげる。
アリステアは、すっと目を細めてルーカスを見た。
彼は右手に持っていた仕込み杖で、床を一度だけ叩いた。





こちらが本編です。