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2話:エフィだけ


 ルーカスは、腕の中に収まったエフィを見下ろした。


「俺にくっついてれば、少しは寒さが和らぐだろ?」


 声をかける。彼女は答えない。ルーカスの胸に顔を埋めたまま、目も合わない。


(必要なこととはいえ、不快だったか?)


 そんな不安が過る。

 しかし、エフィは大人しくルーカスに抱かれている。彼女の考えが分からない。腕の力を弱めるべきか、迷う。


(これは、エフィを温めるためだ)


 なのに、勝手にルーカスの鼓動は速くなっている。


(別に、他意はない。……はずだ)


 腕の中で、彼女が身動ぎする。そんな些細なことで、顔が勝手に緩んでしまう。今ほど、彼女がこちらを見ていなくて良かったと思ったことはなかった。

 

「……エフィ」


 名前を呼ぶ。思ったよりも熱が滲んでしまった声。気付かないでほしい。そんな身勝手なことを願う。


(今だけでいい。……兄だと、思わないでくれ)


 言えるはずもない願いを、心の奥にだけそっと浮かべた。






⋆⋅⋅⋅⊱∘──────────∘⊰⋅⋅⋅⋆






 エフィのすぐ目の前に、ルーカスの胸板がある。

 肉体を使う技術者らしい、引き締まって無駄のない体つき。背中に回された腕は力強く、ふたりの体は隙間がないほど、ぴたりと密着していた。紅茶の香りに包まれる。


 彼の胸に耳を着けると、規則正しくて、少しだけ速い音が聞こえてくる。

 

 ルーカスは、家族だ。

 ひとりぼっちのエフィにとっては、無条件に頼れる実の兄のような人。


 そう、思っていたのに——


(近い、よね)


 この距離感が、その思いを粉々に砕いてしまう。兄と妹の距離感ではない。もっと、別のなにか。


 兄ではない。なのに、離れがたい。その思いに素直になって、エフィはルーカスの背におずおずと腕を回した。彼がぴくりと体を震わせた。


(……嫌だった?)


 咄嗟にそんなことを思って、不安になる。しかしルーカスは、強く抱きしめ返してくれた。


 このまま、ただ身を任せていられたら楽だったのに。

 思い出すのは、行きに見かけたあの女性のことだった。きゅっと胸が軋む。


(もし、水を被ったのが私じゃなくて、あの女性だったら)


 そんなもしもを考えてしまう。


(ルーカスはやっぱり、こうするのかな)


 紳士だから。

 誰にでも優しいから。


(私だけが、特別じゃない……)


 その事実に、体よりも心が冷えていく。それが嫌で、エフィは彼に縋るように、力いっぱい抱きしめた。


「あったかいな」


 ルーカスの掠れた声が、耳元で聞こえる。


「ご、ごめんね。ルーカスは寒いよね」


「いや。可愛い女の子のためなら、お安い御用さ」


 彼が笑ったのが、吐息でわかった。エフィはぎくりと身を震わせる。考えていたことが、言い当てられたかのようだった。


 いつもの軽口。でもそれをいつもと同じように流せなくて、エフィはルーカスから逃れようと、咄嗟に身をよじる。


「うわっ」


「きゃ……!」

 

 急な動きに体勢を崩し、ルーカスが背後のソファに倒れ込んだ。彼の腕に拘束されたままのエフィも巻き込まれる。


 気付いた時、彼を押し倒すように、完全に下敷きにしてしまっていた。


 至近距離で、琥珀色の瞳と目が合う。

 その瞬間、時間が止まったかと思った。


「ご、ごめん!!」

 

 肘を伸ばし、彼になるべく体重がかからないように上体を支える。


「え、エフィ? 急に、どうしたんだ?」


 戸惑ったような声。それでも彼は、こちらの様子に何か察したのか、優しく背を擦ってくれる。


「ルーカス……あの、あのね」


 彼に直接聞いてはいけない。わかっているのに、その優しさと触れたところから伝わる熱のせいで、本音が口をついてしまう。


「ルーカスは、誰にでもここまでする……の?」


「え?」 

  

「ルーカスは優しいから、誰かが濡れちゃった時、こうやって抱きしめたり……する? アリステアとか」


「は?」


 咄嗟にアリステアの名を挙げたのは、逃げだった。女性を挙げて、肯定されたら——立ち直れない気がした。


 ルーカスは露骨に顔を歪める。


「アリスなんか放置に決まってるだろ。頼まれたってごめんだ」


「うん……」


「まあ、上着くらいは恵んでやるかもしれないが」


 ルーカスはふと、真剣な顔になった。

 

「エフィ」


 背を擦ってくれていたルーカスの手が、後頭部へと移動する。髪の流れに沿って、大きな手が頭に触れる。


「さっき、『誰にでもここまでするのか』って聞いたよな」


 真っ直ぐにこちらを射抜く、熱を帯びた瞳。目が離せない。声を出すことすらできずに、エフィはただ、頷いた。


「誰にでもなんて、しない」


 低い声が、耳をくすぐる。指先がうなじを掠めて、エフィは短く息を吐く。


「こうするのは——こうしたいのは、エフィだけだ」


 目を見開いた。


「妹には、するよね?」


「しない」


 即答された。


「絶対嫌がるだろ、たぶん。だからしない。……これさ、エフィが嫌なら離れるけど。どうする?」


 問いかけながらも、エフィを抱く左腕の力は強い。まるで、逃さないとでも言うように。

 

(離れないで)


 そう言うのは恥ずかしくて、自分の中に留める。代わりに、


「嫌なわけ、ないよ」


 そう言って、エフィは力を抜いた。彼の上に完全に倒れ、その胸に身を預ける。これはもう兄と妹の距離じゃない。それはわかるのに、名前が付けられない。


 一拍遅れて、ルーカスが抱き直してくれる。

 

 こうして彼の規則的な命の音を聞いていると、訳もなく安心できた。温かいし、落ち着く。

 

(ルーカス)

 

 体から力が抜けた。いつの間にか意識がまどろみ、溶けていく。

 彼が何かを言っている。しかしそれは、眠りに落ちようとしているエフィの耳まで届かなかった。



 

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暁光の魔女エフィ
-運命に背いた少女は、蒸気都市で理不尽な未来に抗う-


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こちらが本編です。
エフィ、ルーカス、アリステアが冒険したり恋愛したりするお話です。
イラストは手描きです
― 新着の感想 ―
きゃーーー!! よき、よきです!! でも眠ってしまわないでー!
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