1話:特別
「なあエフィ、頼みたいことがあるんだ」
改まった様子のルーカスに言われて、エフィは目を瞬かせた。
具合を悪くして、倒れた日から数日が経っていた。ルーカスはここのところ休みなく毎日出掛けている。例の、下町の水道修理の件だ。
今日も朝一で出掛けていたが、昼過ぎにふらりと帰ってきて、エフィにそう切り出してきた。
彼の言いたいことに、ひとつ、心当たりがあった。
「もしかして、魔法の力が必要になった?」
「バレたか。エフィには敵わないな」
ルーカスが頭を掻く。
このエルシオンの蒸気機関には、魔法文明の遺産——魔石が使われている。が、魔法文明は数百年も昔に衰退していた。
「任せて。私、技術とか機械はさっぱりだけど、たったひとりの魔女だからね」
この世界で、魔法を使えるのは現状、エフィだけ。
つまり、魔石の不調を修理できるのもエフィだけということになる。
「それに、ルーカスにはいつもお世話になってるから、で私にできることで協力したいよ」
そう言い切ると、ルーカスは一瞬目を丸くした。それから、ふわりと解けるように笑ってくれる。彼の屈託ない笑顔に、エフィの心も自然と温かくなる。
「助かる。エフィはほんと、可愛くて頼りになって、最高の淑女だよな」
「じゃ、行こうか」
そんなやり取りを経て、エフィとルーカスは揃って家を出た。エルシオンの外れにある、労働者階級が多く暮らす下町へと向かう。
エフィは発展した中央部よりも、自然が多く雰囲気ものんびりとした郊外の方が好きだった。
「お、ルーカスじゃないか。後ろのお嬢さんは恋人か?」
道行く人たちはルーカスのことを知っているのか、気さくに声をかけてきた。恋人、と言われ、なぜか落ち着かない気持ちになる。
「いや、家族みたいなものなんだな、これが」
彼もそれに明るく応じていた。
「そうだね。ルーカスが兄で、私がルーカスのもう一人の妹かな」
エフィが補足すると、ルーカスはなぜか寂しげに笑った。通行人の男性はそんなエフィとルーカスを見比べて、「なるほど」と頷く。
「ルーカスも大変だな。ま、頑張れよ」
ひらひら手を振って、男性は去っていく。ルーカスは彼の背を、苦笑いで見送った。
「あの、ルーカスさん」
進もうとしたところで、また声をかけられる。振り向くと、若い女性が立っていた。
エフィよりも少し年上だろうか。服装もおしゃれで、身なりにも気を遣っているとわかる。
(……綺麗な人)
咄嗟に、そう思った。
「この前、とても助かりました。格安で修理を受けていただいて」
「ああ。気にしないでくれ。困っている女性を助けるのが、紳士の役割だからな」
ルーカスの、いつもの軽口。
「もう、お上手ですね」
それを聞いた女性が、くすくすと笑い出だす。つられたように笑みを浮かべたルーカスを見て、エフィはなぜか、ちくりと胸が痛んだ。
(……あれ?)
胸に手を当てる。もちろん、傷も何もない。しかし疼きだけが止まらない。ルーカスに頼られて浮かれていた気持ちが、みるみる萎んで小さくなっていく。
「エフィ?」
気付くとルーカスが、俯いたエフィの顔を覗き込んでいた。さっきの女性はもういない。
「ごめん。ぼーっとしちゃった。行こっか」
笑って誤魔化す。ルーカスは何か言いたげにエフィを見つめていたが、結局何も言わず、背を向けて歩き出した。
その広い背中を追いかけ始めても、胸の中の何かは消えてくれない。
思い出すのは、さっきの軽口と、女性の笑顔。
(……私だけが特別じゃない……んだよね)
当たり前のはずの事実が、なぜかモヤモヤとして、重くのしかかってくる。足が重い。ルーカスが遠い。
前を行く彼との距離は、少しずつ離れていった。
下町の下水道を管理する建物に到着した時には、もう空は赤く染まっていた。鐘が5回鳴り、普通の労働者は終業する時間を伝えている。
建物の中に入らせてもらい、エフィはルーカスと共に作業に当たった。
エルシオンは水道が整備されていて、上水道と下水道がきっちり分かれている。
魔法文明を生きてきたエフィからすると、下町にまで水道が張り巡らされているエルシオンは、想像を絶するほどの都会のように見えていた。
上水道を各地に届けるポンプを見て回り始めてすぐ、エフィは足を止める。
西の窓から差す夕日の中、並んだポンプはどれも魔力を帯び、その力で水を沸かして蒸気を生み出している。
しかし、そのうちひとつから完全に魔力の気配が消えていた。
「あ、ここだね。魔石が魔力切れを起こしてるのかも」
「これか?」
ルーカスが工具で機械を開けて、中の魔石を取り出してくれた。白色——水属性を秘めたそれは、今は光を失い、ただの硝子のようになっている。
魔力切れを起こした魔石は本来交換しなければならないが、魔石自体が魔法文明の遺産なので、小さなものでもかなり高価だった。
労働者階級が暮らす下町に、そんなお金は当然ない。
なら、魔力を補充してやればいい。
「任せて」
エフィはルーカスから魔石を受け取ると、自分の魔力を魔石に流し込む。魔女だからこそできる芸当だ。少しすると魔石は完全に光を取り戻し、ほんのりと光を帯び始める。
「はい、これでいいはずだよ」
エフィから魔石を返してもらったルーカスが、機械に魔石を装着する。低い駆動音と共に、機械は再び動き出した。
「動いたね。良かった」
「ああ。これで下町の水問題も解決だな。……ってこれ、なんて報告する? さすがに魔女が直しました、は駄目だよな」
派手に『予言』を変えて回ったので魔女の存在自体はエルシオン中に広まっているが、それがエフィという少女だということはまだ伏せられている情報だった。
「ルーカスが直した、でいいよ。別にこんなの、私の功績じゃないもん」
エフィは笑って、機械から距離を取って歩き出そうとした。瞬間、先ほど修理した機械から勢いよく水が噴き出す。
「エフィ!!」
逃げる間もなく、頭から水を被ってしまう。まだ蒸気になる前の冷水だったから、体には何の支障もない。が、ルーカスは慌ててネジを締め直した後、顔を青くしてエフィに駆け寄ってきた。
「悪い! 俺の閉じ方が甘かった!」
「ううん、大丈夫だよ……っくしゅ」
エフィはぶるっと身を震わせた。何の支障もないが、髪も服もすっかり濡れているためひどく寒い。おまけに夕方の空気は冷たかった。
「とりあえず、これでも羽織るか?」
ルーカスが手早くベストを脱いで、ふわっと肩に掛けてくれた。
「あ、ありがとう……」
なぜかルーカスの顔が見られなくて、俯く。そこに残ったぬくもりと紅茶の香りが、妙に気になって落ち着かない。
「寒いんだろ。無理しなくていい」
そんなこちらの内面など知らずに、ルーカスはいつものようにエフィの頭にぽんぽんと触れる。
「ここじゃ拭くものもないし、とにかく外に出よう」
「う、うん」
ぎこちなく返事をして、ふたりで足早に建物の入り口まで引き返す。
が、入ってくる時は問題なく開いた扉は、押しても引いても開かなかった。ルーカスがため息をつく。
「くそっ、外から施錠されてるな」
「あ、終業時間を過ぎちゃったからね……」
恐らくエフィたちが中にいることに気付かなかったのだろう。中からは鍵が開けられない構造になっているようで、鍵らしきものは見当たらない。
ふたりで建物内の他の出入り口も回ってみたが、どこもしっかり施錠されている。最終的にふたりがたどり着いたのは、作業員用の休憩室だった。一応ソファもあり、体を休めることはできそうだ。
「仕方ない。明日の朝になれば誰かしら来るだろうけど、窓を破って出るか?」
持ったままだった工具を構え、剣呑な様子で窓硝子に目をやったルーカスの手に、エフィは慌てて自分の手を重ねる。
「だ、ダメだよ。窓を割ったら、魔石を盗もうとする泥棒が入るかも。そうしたら、みんなが困っちゃう」
「それはそうだけどさ。今日はここに泊まらせてもらうとしても、このままじゃエフィが風邪引くだろ」
ルーカスは言葉を止めて、エフィを上から下まで眺めた。濡れきった髪からは、まだ雫がぽたりと滴っている。
「ま、背に腹は代えられないな。……エフィ」
名前を呼ばれた。
直後、工具を適当に放ったルーカスが、エフィの体を引き寄せる。そのまま、ぎゅっと抱きしめられた。





こちらが本編です。