エピローグ:伝わる気持ち〜君が望むなら
「……これが、君の幸せなの?」
アリステアはベッドに寝転び、エフィを見上げていた。頭の下には柔らかく、温かな感触がある。
膝枕。どうしてか、彼女はこれをするのが好きなようだった。
細い指先が、少し癖のある髪を弄ぶ。
「そうだよ。だから、このままで」
こうして彼女に触れて、髪を撫でられるのは嫌いではない。でも、こうしてくれる理由がわからない。
わからないから、知りたいと思う。でも、今はただ、この時間を享受していたかった。
「アリステアが側にいてくれるのが、すごく嬉しいから」
そう言って、彼女は悲しげに、こちらを見下ろす。
「……ごめん」
すぐに謝った。
好きだと言われたあの時——アリステアは、エフィから逃げた。本気で、彼女に近付くべきではないと思った。
エフィはアリステアにとって誰よりも大切な人。罪のある自分が近付いて、汚してはいけないと思ったのに——彼女はそんな境界を軽々越えて、飛び込んでくる。だから、逃げ切れなくて捕まってしまった。
「もう、いなくならないでね。……できるなら、ずっと側にいたいけど……」
エフィがこちらから視線を外し、窓へと向けた。窓の外はすっかり陽が落ち、夜の闇と街の明かりが広がっている。
「さすがにそろそろ帰らないと、ルーカスが心配するよね」
(……まただ)
アリステアは僅かに唇の端を下げる。
エフィはいつも、ルーカスの名前を出し、ルーカスのことを気にかける。それは特別な気持ちではなくて、あくまで一緒に暮らす友人や家族としての距離感だというのはわかっている。
わかっているけど、納得できるかと言われれば、できるはずがなかった。
ルーカスに好敵手だと言われ、『これ』が嫉妬という感情なのだと、初めて気付いた。
「……帰りたくない」
つい、そんな言葉が口を突いた。エフィは予想外のことを言われたとばかりに、目を丸くしている。
「……帰ったら、君とふたりじゃなくなる」
それは、紛れもない本心だった。
おかしなことだと思う。心など無いものとして生きてきたのに、彼女の前では勝手に引きずり出され、すべて言わされてしまう。
でもそれは——決して不快ではない。
「じゃあ、今夜はここに……と、泊まらせて、くれる?」
エフィは何を考えているのか、頬を赤らめながらそう言った。その姿がいじらしくて、つい余計なことを言いたくなってしまう。
「顔が赤い。照れてる?」
「そ、そういうことは言わないで。恥ずかしい……」
ますます顔を赤くするエフィが眩しくて、真面目な顔を装って観察した。
自分は、彼女を恥ずかしがらせるのが好きなのかもしれない、と思った。
この家はあまり使っていなかったので、生活必需品というものがほぼ存在しない。調理器具など当たり前にないので、夕食は外で済ませた。
来客用の着替えなども、もちろんない。自分の服を渡したら、エフィは素直にそれを身に着けていた。
「………………」
自分のシャツを着たエフィを見て、一瞬だけ、良くなかったかもしれないと思った。
彼女が自分よりも華奢な体格だということが視覚的に丸わかりだ。胸元は大きく開いていて、目のやり場に困る。エフィ自身も、見えていないか気にしている様子だった。
おまけに袖口が長すぎて、手が指先しか出ていない。それは全く問題ないはずなのだが、なぜか、ひどく可愛いと思ってしまった。
すべて口には出さない。なるべく彼女の方も見ないようにする。
それは、元の服に着替えられたくなかったから——という理由に気付いた時には、エフィの関心は別のものへと移っていた。
「……ベッド、ひとつしかないね」
知っていた。あえて口にはしていなかった。
「大丈夫。僕は床で寝る」
本気でそう思っていた。エフィがあの家に帰らなければいい。ただそれだけだったはず、なのに——
「それはだめ。固いし、風邪引いちゃうでしょ」
そう言ってくれることを、どこかで期待していた自分がいる。本当に、エフィといると、色々な感情が溢れて止まらない。
寝る場所を探すような素振りをしたら、エフィに手を取られた。そのままベッドに引きずり込まれたので、それをただ受け入れる。
狭いベッドで、体が密着する。
「な、なんか緊張する……眠れるかな……」
自分で同衾しておいて、エフィはそんなことを呟いていた。
「側にいる。だから、安心して眠って」
「う、うん。隣にいるから、寝れないんだけどね……」
エフィは小声で呟いていた。
(隣にいるから?)
彼女はさっき、もういなくならないで、と言った。ふたりで一晩一緒にいることを受け入れて、ベッドにアリステアを連れ込んだのも彼女だ。
なのになぜ、隣にいると眠れないのか。
その疑問について考えていたら、当のエフィから手を握られた。
彼女の考えていることがわからない——いや、今、少しだけわかった。自分のものではない体温が、触れ合ったところから伝わってきて、勝手に心臓を働かせる。苦しいくらいなのに、不快ではない。
「アリステアは? あんまり眠れないって、前に言ってたよね」
「……今日は、眠れると思う。君が隣にいてくれるから」
これも、本心。彼女の隣でだけ、アリステアは自分としていられるから。
「え!?」
素直に告げたら、エフィは花が咲いたように顔を赤くして、ぷいと顔を背けてしまった。
(……この言動は、失敗だっただろうか)
彼女の表情が見れなくなって、寂しいという感情が押し寄せてくる。こんなに近くにいるのに、ひどく贅沢なことだ。
「そ、そういうの、真面目な顔で言うのは良くないと思う!」
「……本当のことだから」
きっと、エフィにはわからない。
彼女が思うよりずっと前から、アリステアにとってはエフィだけが特別だった。決して手の届かない存在だと思っていた。
それが今、彼女はアリステアを選んで、隣にいてくれる。その事実がどれだけ救いになっているか——エフィは知らない。
「君に触れていると、安心できる」
少しでも、わかりあえるように言葉を伝える。
エフィが僅かに身動ぎした。
「安心、だけ?」
その声は、ひどく寂しげだった。
まるで、安心だけでは不満だと言いたげな態度に、ぎゅっと胸が掴まれたような感覚になる。
(……ああ、やっと、君の言動の理由がわかった)
エフィはアリステアを男性として意識しているし、女性として意識してほしいのだと。
言葉で返事はせず、代わりに、繋いだ手を持ち上げ、左胸へと触れさせる。
そこは力強く、速く、脈打っている。
「アリステアと私、お揃いだね」
エフィはそう言って、小さく笑ってくれた。
気持ちが伝わるのはこんなにも嬉しいことなのだと、この時、はじめて知った。
(君といると……はじめてが、たくさんある)
アリステアは、柔らかく微笑んだ。
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目覚めた時、夜はすっかり明けて、東の空から光が差していた。
すぐ隣にぬくもりを感じて視線を向けると、見慣れた赤茶色の髪が視界に飛び込んでくる。彼と絡めた手は、まだ繋がれたままだった。
(そういえば、アリステアの家で泊めてもらったんだっけ……)
——帰ったら、君とふたりじゃなくなる。
昨夜の、甘えてくれたようなアリステアを思い出して、自然と笑みがこぼれた。
「アリステア」
名前を呼ぶ。
しかし、反応がない。
(……あれ?)
いつもは気配に聡く、誰よりも耳がいいはずの彼から返事がないことに、エフィは疑問を覚えた。
そっとアリステアの顔を覗き込む。彼は目を閉じ、小さく寝息を立てていた。
(ねっ……寝息!!)
目を見開いて、まじまじとアリステアを見つめてしまう。
彼が負傷して意識がなかった時はともかく、普通に寝ているところは初めて見た。力が抜けているからか、普段よりもずっと幼く見える。
その姿に、胸が詰まった。
「かわいい……」
耐えきれなくて、エフィは彼の頭に手を伸ばした。彼を起こさないよう、慎重に髪に触れる。
少し癖のある髪はふわふわで、顔がまた緩んでしまう。
顔を近付けると柑橘系のいい香りがして、ついでにそのまま、髪の一房に唇を触れさせる。
(あんまり眠れないって言ってたけど……良かった)
自分が隣にいることで、アリステアがゆっくり休めるなら、こんなに嬉しいことはなかった。
エフィはしばらく、彼の髪を撫で続けた。
やがて、彼の長い睫毛が小さく震える。瞼がゆっくり持ち上がり、青い瞳が姿を現した。
「……エフィ?」
「おはよう」
そう言って、彼の胸に飛び込んだ。急に抱きついたエフィを、アリステアは慌てることなく受け止めてくれる。
「寝顔、見ちゃった」
そう言ったら、恥ずかしがってくれるかなと思った。いろんな顔の彼が見てみたい。
そんなこちらの打算をすべて崩壊させるように、アリステアは柔らかく微笑んだ。
「君が望むなら、いくらでも見せるよ」
「えっ……」
「他に、君は何を望む?」
抱きしめる腕の力が強まる。
「えええ……な、なんか、重くない? とりあえず、離してくれる?」
「それはしたくない」
「なんで!?」
彼の指がエフィのうなじに触れ、それから豊かなプラチナブロンドをかき上げた。
「……エフィは、離れたいの?」
「それを聞かれるとすっごく答えにくいんだけど。でも、ほら、そろそろ帰らないとル——んー!!」
突然、唇を塞がれた。触れるだけの軽いものだったけど、甘い刺激に喋ろうとしていたことが行方不明になってしまう。
「それは聞きたくない。……ごめん。僕は少し、わがままになってしまったみたいだ」
真面目な顔でそんなことを言うので、エフィはくすっと笑った。
「言ってくれた方が、嬉しいよ。あ、でも帰るのは帰るからね?」
エフィが言うと、アリステアは不満げに唇を尖らせる。あんなにエフィを避け、自分の感情にも疎かった彼が、わかりやすく愛情や独占欲を示してくれることに、胸がいっぱいになる。
「だって……これからは、ずっと隣にいてくれるんでしょ?」
「………………うん」
「でも、私も、もうちょっとこうしていたい」
宣言して、アリステアの逞しい胸に顔を埋めた。彼の鼓動が早鐘を打っていることがわかる。
「アリステアは、いま、幸せ?」
「君と同じ気持ちだよ」
答えは、すぐに返ってきた。
「なら、よかった」
隣にいる大切な人に向かって、エフィはとびきりの笑顔を向けた。





こちらが本編です。