8話:応えたい
仮眠から目覚めたエフィがリビングに戻ると、そこには先ほどと同じように、アリステアとルーカスの姿があった。
アリステアは本を読んでいて、ルーカスは蒸気機関をいじっている。いつも通りの光景なのに、ふたりが纏う空気は、普段とどこか違う気がした。
「エフィ」
アリステアに声をかけられて、反射的に背筋を伸ばす。
勢いのままに想いを告げて、逃げた彼を追って、半ば無理やり連れて帰ってきてしまった。一端冷静になった今、彼とどう接したらいいのか、まだ掴めないでいる。
「君を、連れていきたいところがある」
いつも通りの真面目な顔で言って、アリステアは手を差し出してきた。彼がそんなことを言い出すのは初めてで、少しだけ戸惑う。
しかし、エフィは意を決して首を縦に振った。
「うん」
彼の手を取る。指が絡んで、しっかりと繋がれる。そんの些細なことに、どうしようもなく全身が熱くなった。
「ごゆっくり。しばらく帰ってくるなよ」
蒸気機関から顔を上げて、ルーカスがひらひらと手を振った。彼は笑顔だったが、どこか寂しげにも見えた。
アリステアは、郊外近くにあるルーカスの家から、エルシオンの中心部に向かって歩いていく。その足取りは迷いがないが、今まで一度も来たことがない区画のため、思わずきょろきょろと周囲を見回してしまう。
この辺りは煉瓦造りの立派な集合住宅が多い。道行く人の身なりも良く、身分や地位のある者が暮らしているのだとわかる。
「私、場違いじゃない?」
「そんなことないよ」
アリステアは短く返し、1件の集合住宅の前で足を止めた。
「ここ」
立派な前庭付きの建物に、アリステアは臆することなく入っていく。エフィも彼の後に続いた。
彼が案内してくれたのは、上階にある一室だった。
「ここ、もしかしてアリステアの家?」
入った瞬間にわかった。ルーカスの家で彼が使っている部屋と同じく、ほとんど私物や生活感といったものがない。辛うじでベッドとその他基本的な家具だけがあり、ただ寝るための場所という雰囲気だった。
「うん。ここに誰かを呼ぶのは、初めてだ」
「ルーカスも呼んでないの?」
気になって聞いてみたら、アリステアは唇を尖らせた。珍しい反応に、エフィは目を丸くする。
「どうしてそこで、ルーカスの名前が出る?」
「だって、友達同士だし、仲良しだよね」
「……僕とルーカスは、敵同士だ」
「て、敵……?」
アリステアは真面目な顔で頷く。冗談を言っている様子はなかった。
「どうしても、彼には負けたくない」
妙に熱の籠もった言葉だった。
その意味を考えている間に、アリステアはエフィとの距離を一歩だけ、詰めてくる。
「君を、どうしたら幸せにできる?」
「し、幸せ!?」
話の脈絡が掴めなくて、思わず聞き返してしまう。一瞬、冗談かと思って笑い飛ばしかけたが、彼の表情は真剣そのものだった。
「どういう時に、君は幸せを感じるのか……それを知らないと、実践できない」
「じ、実践?? え、ええと……好きなものを食べたり、とか?」
言ってみたが、不満そうに唇の端が僅かに下がった。
「好きなことをしたり……」
「うん」
「好きな……」
声が、途切れる。エフィは改めて、アリステアを見上げた。
(好きな人と、一緒に過ごしたり)
それだけの簡単な言葉が、どうしても出てこない。
好きだと、二度伝えた。でも彼から返ってきたのは、沈黙だけ。彼の気持ちがわからない。近付くべきじゃないと言われた。自分のこの感情は、彼にとっては迷惑なことなのかもしれない。
でも、彼はエフィを拒絶しない。あの海でのことだって、振り払おうと思えば振り払えたはずなのに、しない。
それどころか、「幸せにしたい」なんて言ってくる。
(貴方を、知りたい)
一体何を考えているのか、まるでわからないから。
まるでわからないのに——気持ちを抑えられないから。
「アリステア」
名前を呼んで、アリステアの肩に手を置いた。背伸びをする。重さが彼にかかった。それを、微動だにせず受け止めてくれる。
吐息がかかるくらい、顔が近付いた。
「貴方が、好き。だから……」
3度目の告白を告げながら、アリステアの唇を盗んだ。彼は目を見開くが、離れない。それどころか、不安定なエフィの体を抱き留め、支えてくれた。彼のフロックコートを、ぎゅっと握りしめる。
僅かに唇を離し、至近距離から彼を見つめる。
「一緒にいるだけじゃ、幸せになれない。私は、貴方にも幸せでいてほしい」
「……っ」
息を呑む音。青い瞳が揺れている。
自分から身を引こうとした彼が、動揺してくれている。確かな手応えに、エフィは微笑んだ。
「だから、貴方がどう思っているのか……貴方の言葉で、教えて」
言い終えた直後、息ができないほどの強い力で抱きしめられた。
アリステアの行為を、エフィは黙って受け入れる。
長いこと、彼の言葉を待った。時計の針が時を刻む音。外の通りを自動車が駆け抜けていく音。胸にぴたりと付けた耳から伝わる、彼の鼓動。
ある時、アリステアが大きく息を吸った。
「……僕はかつて、人を殺した」
一段低くなった声が、エフィの鼓膜を震わせる。
それ以上、彼は何も語らなかった。
この街で起こる事件は、予言されている。エフィがここに来る前は、理不尽な運命に抗う術すらなかった。きっとその殺人だって、アリステア自身にはどうしようもないことだったのだ。
それでも——言い訳も、気持ちの吐露もしないのが、アリステアらしいなと思った。そういう彼の誠実さが、また心を締め付ける。
「うん」
だからエフィも、ただそう答えた。
「罪滅ぼしのように医者をしても、それは別の相手だ。僕のしたことは許されないし、償いきれることでもない。だから——」
「『君の側にはいられない』?」
言葉の続きを、勝手に引き取る。アリステアが首を縦に振ったのが、触れ合ったところから伝わってきた。
「そう、思ったのに……君は、僕が幸せであることを望んでくれる」
「望むよ。そもそも、アリステアが私を幸せにしたいって言ってくれたんだよ」
言いながら、フロックコートを離してアリステアの髪に触れる。いつも青紫の髪紐でまとめている髪を、乱さないように丁寧に撫でた。
「アリステアが悪くないとは言わないけど……だから、貴方の抱えた過去を、一緒に背負わせてほしい」
自分の気持ちを、伝える。
少しだけ、アリステアがエフィの手の方へと身を寄せた。それだけで、胸が湧き上がるものでいっぱいになる。
「君の気持ちに、応えたい」
腕の拘束が解かれる。両肩を掴まれ、距離を取られて、エフィは恨めしげにアリステアを見上げた。
「アリステア、なんで離すの? 私、もっと——」
言葉を、最後まで言い切ることはできなかった。
彼は軽く身を屈めて、触れるだけの口付けをくれた。その甘さに、不満が解けて消えていく。
綻んでしまう顔を隠せないまま、エフィは目を閉じ、彼に身を任せた。
お読みいただきありがとうございます。
ムーンライト版の追加シーンとの兼ね合いで、2日投稿をお休みさせていただき、9/6にエピローグを投稿予定です。





こちらが本編です。