2話:膝枕でおやすみ
事故に遭った人は4人。うち3人は軽傷で自分で立ち上がることができていたが、ひとりはひどく出血している状態だった。
アリステアは彼を一目見て、すぐに首を横に振った。
「ここでは出来ることが限られる。診療所に運ぼう。手を貸してほしい」
「うん。任せて」
エフィとアリステアは頷き合うが、事故現場を調べていた治安維持部隊のひとりが、ふんと鼻で笑った。
「この事故で、ひとりが死んで3人が負傷すると決まっている。そいつは死ぬから捨て置け」
その言い様に、エフィは唇を噛んだ。
予言で決まっている——それは数百年前もの間、この街における絶対の事実とされてきた。
実際、予言に存在しないエフィがこの街に迷い込むまで、予言は一度も破られなかった。
ここはすべての運命が、あらかじめ決められている街。
(……でも!)
エフィは拳を握る。アリステアやルーカスと出会ってから、彼らと一緒にいくつもの予言を変えてきた。
予言は覆すことができる。それをもう、エフィは身をもって知っている。
「私は、この人に何かしてあげたい」
「死ぬとしても、全力を尽くすのが医者の——僕の務めです」
エフィとアリステアがぴしゃりと言うと、治安維持部隊は不快そうな表情を浮かべ、しかし咎めることなく去っていった。どうせ何もできないと、高をくくるような顔だった。
その背中を最後まで見送ることはせず、エフィとアリステアは負傷者に向き合う。
目の前の人は、まだ生きているから。
他に負傷した3人が協力してくれて、重傷者をアリステアの診療所まで運び込むことができた。
もしかしたら、重傷の人は予言を変えることを望まないかもしれない。
でも、自分にできることをしたかった。きっとアリステアも、同じ気持ちだろう。
軽症者は待合室で待っていてもらい、エフィとアリステアは診察室で重傷者に向き合う。
アリステアが土埃で汚れた傷口を洗浄、消毒してからエフィは治癒魔法で深すぎるその傷を塞ぎにかかる。
とはいえエフィは治癒魔法はあまり得意ではなく、流れ続ける血を止めることはできたものの、傷を塞ぎきることまではできなかった。
「後は任せて」
アリステアはそう言って、再度洗浄してから、針と糸を使って傷口を縫い合わせていく。
「……っ」
裁縫でもするかのように傷口を縫う姿に、思わず息を呑む。
故郷では治癒魔法を専門に使う治療師がいたから、アリステアのように魔法を使わない『医学』というものに馴染みがなかった。
迷いのない正確な手つきと、真剣な横顔に、思わず見惚れてしまう。それと同時に、なぜか胸が苦しくなった。
ざわざわと落ち着かない。なのに、嫌ではない。むしろ、もっとアリステアの姿を見ていたいとさえ思う。
(これは……憧れ、なのかな)
自分の感情に、そう結論付けた。あながち間違ってはいないようで、改めて彼の姿を見て、自然と背筋が伸びた。彼の隣に立つのにふさわしい助手でありたかった。
「アリステアはいつも、真剣に命に向き合ってるよね。尊敬する」
つい、呟く。
縫合を続けるアリステアの肩が、ぴくりと跳ねた。しかし彼は振り向かず、患者に向き合い続けた。そういう姿勢が——やっぱり、尊敬できるなと思う。
その時、診療所入り口のドアベルが鳴った。元々来る予定の患者たちだろう。
「私、少し待っててもらうようにお願いしてくるね」
エフィはアリステアを見つめることをやめて、待合室へ続く扉へ向かう。
扉が閉じる寸前、彼が小さく息を吐いた音が聞こえた気がした。
重傷の人は無事に意識を取り戻し、ここに運び込まれたと聞いて駆けつけた家族に支えられて帰宅した。他の負傷者もそれぞれ治療を受け、すべてが片付いたのはすっかり陽が沈んだ頃だった。
アリステアは珍しく、疲れたような顔をして診察室の椅子に背を預けていた。少しでも休もうとしているのか、目を閉じている。
「今日、大変だったね。少し休んでから帰る?」
「……うん」
素直なアリステアの返事を聞いて、エフィは診察室の中を見回した。
「横になったほうがいい……けど」
小さな個人診療所のため、体を横たえられるようなものは診察台しかない。それも先ほどまで重症者が寝ていたところで、血で汚れたマットレスを洗濯してしまったので、枠組みだけになっている。
ここで寝たら、余計に体が痛いだろう。
「待合室のベンチの方がまだマシ、かな……?」
「そうだね」
ふたりで待合室まで移動した。ひとつしかないソファの端に、エフィが率先して腰掛ける。
それから、自分の膝を指差した。
「はい、どうぞ」
「………………」
アリステアは目を瞬かせ、その場で硬直している。意図が伝わらなかったらしい。
「ソファで寝たら枕がないでしょ? だからその、私の膝の上に頭を置けばいいかなって」
「………………」
丁寧に説明したつもりだったが、アリステアはまだ無言のまま、こちらを見ている。
「……アリステア?」
エフィは立ち上がって、彼に歩み寄った。固まっている彼の手を引いて、ソファまで誘導する。それからもう一度、ソファに座って膝を示した。
アリステアはぎこちない動きで、口を開いた。
「それだと、君が大変だと思う」
「さっきまでアリステアが大変だったでしょ? だから、これでおあいこ」
エフィが笑うと、ようやくアリステアは観念したのか横に座ってくれた。しかし、横になろうとはしない。ちらちらと、時々こちらを見てくるだけ。
「もう。アリステア、ちゃんと休んで」
言いながら、ほとんど無理やり肩を掴んで彼を引き倒し、頭を太腿の上に乗せる。
アリステアは、抵抗しなかった。
「硬かったらごめんね」
「………………いや」
返事が来るまでが、長かった。彼はエフィに背を向けているし、髪に隠されていてその表情はよく見えない。ただ、彼の声は柔らかかった。嫌がられているわけではないだろうと判断する。
そのまましばらく、彼に足を貸していた。
アリステアの頭を安定させようと、エフィは僅かに姿勢を直す。その拍子に、彼の赤茶の髪が太腿をさらりとくすぐった。
(……綺麗な髪)
そんなことが気になって、触れるか触れないかのギリギリの位置で、彼の頭を撫でてみた。
「……っ」
アリステアは微かに身動ぎしたが、何も言わなかった。
「ごめん。起こしちゃった?」
「いや。元々あまり眠れないから」
返事は、どこか寂しげに聞こえた。
もう一度、エフィは彼の頭を撫でる。やはり、何も言われなかった。
「アリステア、お疲れ様」
そう声をかけたら、強張っていたアリステアの体から、ふっと力が抜けた気がした。エフィの太腿に身を預けてくれたことが、その重みから伝わってくる。
(なんか、猫みたい……かも)
拒絶されなかったことを理由に、エフィはアリステアの柔らかな髪を撫で続ける。彼は微動だにしない。
そのまま、しばらくそうしていた。
穏やかで、静かで、ずっとこんな時が続けばいいなと思うほどだった。
(ちょっと無理やりだったけど、頼ってくれたのは、すごく嬉しい)
そう思いつつ、はにかんだような笑みを浮かべる。
そんなふわふわとした静寂を破ったのは、診療所の扉がノックされる音だった。エフィははっと息を呑んで、出入り口の扉の方に視線を向ける。
「明かりがついてるけど、エフィ、いるか?」
「あ、ルーカス?」
声の主はルーカスだった。診療所に出かけたエフィとアリステアが戻ってこないから、探しに来てくれたのだろうか。
「うん。ごめんね、まだちょっと帰れそうにないんだ」
「ん? そうなのか? 俺にできることなら手伝うけど——」
ルーカスが言いながら、扉を開けた。エフィと目が合う。それから彼の視線は、膝の上にいるアリステアへとぎこちなく移った。
「なっ……」
琥珀色の目が見開かれる。言葉が途切れた。
沈黙。
口がぱくぱくと何か言いたげに、しかし何の言葉も出てこないまま動き——そのまま、何事もなかったかのように扉を閉められた。彼の姿が見えなくなる。
「え、ルーカス?」
「いや、俺は何も見てない。見てはならないものなんか見てないぞ」
扉の外から声だけが聞こえる。
「見てはならないものなんか、ないよ?」
「え!? ま、その、アレだ。うん。俺は先に戻ってるから、ごゆっくり!」
言いたいことだけ言って、ルーカスは去ってしまったのか、足音が遠ざかっていく。
エフィは目を瞬かせた。
「変なルーカス」
彼の言動の理由がまるでわからず、首を傾げた。





こちらが本編です。