EP66:風は再び掌へ、だって私が決めたから [LOG_AER]
風は、思い通りにならない。
だから押さえるのか。
それとも、思い通りにならないことごと受け入れるのか。
凛は少しずつ、自分だけの答えへ近づいていきます。
なお、その傍らで何やらこっそり始めた兄弟子が一名。
どうか皆さま、温かく見守ってください。
予定より一週間も早く帰ってきた白兎は、双神嶺の修行場へそれなりの騒ぎを持ち込んだ。
スカイゼルを「我が王」と呼び。
凛とは顔を合わせて早々に衝突し。
互いに、
「嫌い」
というところまで、驚くほど短時間でたどり着いた。
それでも。
凛の修行が再開されると、ラヴィの態度は少しだけ変わった。
凛の掌から離れた風。
右へ流れ。
岩へぶつかり。
上へ逃げ。
また別の風と重なって。
やがて、凛の掌へ戻ってきた。
凛はそれを押さえなかった。
捕まえもしなかった。
ただ、戻ってくるための道をほんの少しだけ作った。
すると。
掌の数センチ上に、淡い虹色の円弧が浮かんだ。
四分の一。
半分。
三分の二。
さらに、その先まで。
だが。
最後のわずかな隙間を残して。
円は、閉じなかった。
風球にはならない。
凛は自分の掌を見つめた。
「……今の、少し違った」
その一言を聞いた時。
ラヴィの赤い瞳は、すでに凛の掌へ釘付けになっていた。
長い時間。
彼自身もまた、風球に挑み続けてきたからこそ分かる。
今のは。
ただ「惜しかった」のではない。
(風が、戻った……?)
ラヴィは隣のスカイゼルを見る。
「……君主様」
「ん?」
「凛殿が、この修行を始めてどれほどになります?」
「昨日」
そして。
ラヴィの長い耳が、ぴたりと止まった。
「……昨日?」
一拍。
「昨日というのは……昨日、ですか?」
「他にどんな昨日があんだよ」
スカイゼルが呆れたように返す。
ラヴィは答えなかった。
赤い瞳だけが、再び凛へ向く。
その視線を受けても、凛は気にした様子もなく、自分の掌を見つめていた。
つい先ほどまで。
そこには確かに、淡い虹色の円弧があった。
だが、閉じなかった。
風球には、ならなかった。
失敗。
少なくとも、ラヴィの知る基準ならば。
だが。
(……違う)
ラヴィの耳が、ごくわずかに凛の方へ傾いた。
失敗したことが問題なのではない。
風が戻った。
一度、掌から離れた風が。
追われたわけでもない。
押し戻されたわけでもない。
凛がほんの少し道を作った、その先へ。
自ら巡るように戻ってきた。
ラヴィは長い時間、風球と向き合ってきた。
逃げた風を追えば、別の風が抜ける。
押さえれば、今度は内側で流れが歪む。
一つを直せば、別の一つが崩れる。
そんな失敗を、嫌というほど繰り返してきた。
だからこそ分かる。
あれは、昨日始めた者が偶然起こすには少し奇妙だった。
「何?」
凛が顔を上げた。
「さっきから人の手ばかり見て。趣味が悪いわよ」
「……いえ」
ラヴィは静かに眼鏡の位置を直した。
「少々、確認したいことができまして」
「確認?」
「はい」
ラヴィは一歩前へ出た。
黒い傘を閉じ、脇へ抱える。
「凛殿」
「何よ」
「風球というものを、どこまでご存じですか?」
凛の眉が上がった。
「昨日、セレスティア様に見せていただいたわ」
「それだけですか?」
「それだけって何よ」
「いえ」
ラヴィは小さく息を吐く。
「でしたら、一度ご覧になりますか?」
「何を?」
「風球を」
横でスカイゼルが、にやりと笑った。
「お。やるのか?」
「君主様は黙っていてください」
「なんでだよ!」
「昨日の時点で余計なことを言いかけたでしょう」
「余計じゃねぇだろ。お前も昔は風球で」
「君主様」
「……はい」
即座に止まった。
凛が半眼になる。
「あなたたち、本当に面倒な関係ね」
「誰のせいだと思ってんだ」
「少なくとも私ではないわ」
「お前が来てから面倒が増えたんだよ!」
「人のせいにしないで」
「お前なぁ!」
「二人とも」
セレスティアの柔らかな声が落ちる。
それだけで、スカイゼルが口を閉じた。
凛も咳払いを一つする。
ラヴィだけが、何事もなかったかのように右手を上げた。
「では」
空気が動いた。
凛の表情が変わる。
ラヴィの掌の数センチ上。
何もなかったはずの場所へ、細い風が集まっていく。
一筋。
二筋。
三筋。
それぞれ向きの違う風が、ぶつかることなく絡み合う。
やがて。
透明な輪郭が生まれた。
小さい。
ピンポン玉ほど。
朝の光を受け、その表面には淡い虹色が浮かんでいる。
風球。
完全な球だった。
凛は黙って見つめた。
先ほど自分が作りかけたものとは違う。
円は閉じている。
揺らがない。
形も崩れない。
「……上手いわね」
ラヴィの耳が、ぴくりと動いた。
「これはどうも」
「何、その顔」
「いえ。もう少し何か言われるものかと」
「何を?」
「白兎のくせに、とか」
「言ってほしいの?」
「結構です」
凛は鼻を鳴らし、再び風球を見る。
綺麗だった。
それは認めるしかない。
自分の未完成な円弧とは比べるまでもない。
悔しくないと言えば、嘘になる。
昨日から何度も失敗している。
ようやく風が戻るところまでは来た。
それでも。
目の前の白兎は、当然のように完成した球を掌へ浮かべている。
凛は唇をわずかに結んだ。
できないものは、できない。
そこを誤魔化すつもりはなかった。
だからこそ。
見る。
何が違うのか。
どこが違うのか。
やがて、凛の目が細くなった。
風球の内部。
細い流れがわずかに偏った。
その瞬間。
ラヴィの指先が、ほんの少し動く。
偏った流れが戻る。
次に、下側へ風が膨らんだ。
また指先が動いた。
形が整う。
右から新しい風が入り込もうとする。
その流れも、ごく小さな動きで受け流す。
一つ。
また一つ。
凛は数えていた。
ラヴィは、ずっと風へ手を入れている。
大きな動きではない。
見落としそうなほど細かな修正。
だが確かに。
絶えず。
風を見て。
逸れれば戻し。
偏れば整え。
崩れそうになれば支えている。
「……なるほど」
凛が呟いた。
「何か?」
「あなた、忙しいのね」
「はい?」
少し離れたところで、スカイゼルが吹き出した。
「ぶはっ」
「君主様?」
「いや、悪ぃ」
まったく悪いと思っていない顔だった。
凛は構わず風球を見続ける。
「ずっと直しているでしょう?」
ラヴィの表情が変わる。
「……よく見ていますね」
「見れば分かるわ」
「容易に見えるものではありませんが」
「でも、やっているのでしょう?」
「ええ」
ラヴィは否定しなかった。
「風は均一ではありません。流れも、速さも、向きも絶えず変化します。それらを見極め、崩れないよう整え続ける。それが風球の基本です」
「ふうん」
凛は少し考える。
そして。
「やっぱり違うわ」
ラヴィの耳が立った。
「何がでしょう?」
「セレスティア様と」
空気が少し変わった。
スカイゼルが凛を見る。
ラヴィの口元から笑みが消えた。
「当然です」
声は穏やかだった。
「私ごときがセレスティア様と同じ境地にあるなどとは思っておりません」
「そういう意味じゃない」
凛は即座に否定した。
「上手いとか下手とか、その話をしているんじゃないわ」
「では?」
凛は昨日見た光景を思い出す。
セレスティアの掌。
そこに浮かんでいた、小さな透明の球。
静かだった。
何も押さえつけているようには見えなかった。
風は好き勝手に巡っていた。
曲がり。
すれ違い。
また戻る。
それでも、球は崩れなかった。
「セレスティア様は……」
凛は言葉を探した。
「あなたほど、風を直していなかった気がする」
ラヴィは黙った。
「もちろん、私が見えていなかっただけかもしれない。でも」
凛はラヴィの風球を見る。
「あなたは、風が逸れるたびに正しい場所へ戻している」
「ええ」
「セレスティア様は、逸れること自体を悪いことだと思っていなかった」
ラヴィの目が細くなる。
「……それは」
「凛」
セレスティアが呼んだ。
凛が振り返る。
セレスティアは微笑んでいた。
ただ。
ほんの一瞬だけ。
その緑の瞳から、いつもの柔らかさとは違う光が覗いた。
凛の言葉を吟味するような。
弟子の中に芽生えた何かを、見逃すまいとするような。
けれど、すぐにいつもの微笑みへ戻る。
答えを教える顔ではない。
凛は小さく息を吐いた。
「また自分で考えろ、という顔ですね」
「あら。そんな顔をしていた?」
「しています」
「そう」
セレスティアは楽しそうに笑った。
「なら、考えてみたら?」
「言われなくても」
凛は右手を上げた。
掌を上へ向ける。
「もう一度やります」
ラヴィが風球を消した。
「どうぞ」
風が吹く。
凛は目を閉じなかった。
もう、追わない。
押さえない。
掌へ触れた風を見る。
指の間を抜ける。
右へ。
岩へぶつかる。
少し上へ。
別の風と重なる。
凛は待った。
一筋の風が掌へ戻ってきた。
淡い虹色が浮かぶ。
細い円弧。
先ほどと同じ。
ただし。
今度の凛は、それを閉じようとしなかった。
風が離れる。
行く。
凛の指は動かない。
ラヴィの眉が寄る。
(修正しない?)
風は右へ流れ。
岩肌へ沿い。
また凛の方へ戻った。
二度目。
同じ風が掌を掠めた。
虹色の線が、また伸びる。
ラヴィの瞳がわずかに開く。
凛は何も言わない。
ラヴィはその流れを見つめた。
一度なら。
偶然ということもある。
二度目なら。
ならば。
「凛殿」
「何?」
「一つ、試してもよろしいでしょうか」
凛が横目を向く。
「何をする気?」
「確認です」
「曖昧ね」
「凛がいいなら、やってみたら?」
セレスティアが言った。
凛は少し考え。
「いいわ」
と答えた。
「ただし邪魔をするなら、あとで文句は言うわよ」
「承知しました」
ラヴィが左手を上げる。
ほんのわずかな風。
糸のように細い。
凛の掌へ戻ろうとしていた流れの先へ、それが滑り込む。
風同士が触れた。
向きが変わる。
凛へ戻ろうとしていた流れが、横へ弾かれた。
ラヴィの目が凛へ向く。
普通なら。
ここで修正する。
追う。
別の道を作る。
魔力を足す。
だが。
凛は動かなかった。
「凛殿」
「何?」
「流れが逸れました」
「見れば分かるわ」
「でしたら、修正を」
「どうして?」
ラヴィが一瞬、言葉を失った。
「……どうして、と申されましても」
「だって」
凛は逸れていく風を見ている。
「道を塞がれたのでしょう?」
「ええ」
「なら、別の道を通ればいいじゃない」
ラヴィの耳が立った。
「……風が、自分でですか?」
「何か変?」
「変かどうかで申し上げれば、かなり」
凛の眉が寄る。
「でも、道を一つ塞いだからといって、行き先までなくなるわけじゃないでしょう?」
「それは人の話では」
「同じよ」
凛は即答した。
「門が閉まっていたら、人はその場で一生立ち尽くすの?」
「……いえ」
「でしょう?」
凛は風を見る。
「別の道を探す」
「しかし風は」
「人みたいに考えると言ってるんじゃないわ」
凛の声が少し低くなった。
「流れたいものを止めれば、別の方へ流れる。それだけでしょう?」
ラヴィが黙る。
そこまでは。
分かる。
理屈として、理解できないわけではない。
その少し離れたところで。
スカイゼルが、そっと自分の右手を持ち上げていた。
誰も見ていない。
凛とラヴィは風に夢中。
セレスティアも二人を見ている。
スカイゼルは自分の掌を睨む。
(……繊細に、だよな)
昨日も散々言われた。
荒っぽい。
無駄が多い。
繊細さがない。
ならば。
繊細にやればいい。
「……よし」
小さく呟く。
掌へ風を集める。
いつものように一気には引かない。
少しだけ。
もっと小さく。
逃がさない。
暴れさせない。
掌の中へ。
ぎゅっと。
ぎゅっと。
さらに。
誰も気づいていなかった。
そして、その頃。
凛は続けていた。
「セレスティア様は、風を好きにさせろと言った」
「正確には」
「分かってるわよ」
凛が遮る。
「でも、好きにさせると言いながら、こちらが決めた道から外れたら失敗扱いするのって、少し勝手じゃない?」
ラヴィの口が閉じた。
凛は淡々と続ける。
「思い通りにならないことと、失敗することって、本当に同じなの?」
セレスティアの瞳が、またわずかに細くなった。
今度は笑わなかった。
ほんの一瞬。
師として。
凛の言葉だけを見ていた。
風がさらに離れていく。
「私は、違うと思う」
凛は言った。
「だって、あの風はまだ消えていないもの」
逸れた風は岩へぶつかった。
上へ逃げる。
木の枝を揺らす。
別の風へ押され。
さらに外へ。
ラヴィが目で追う。
(もう戻らない)
距離が離れすぎた。
流れも崩れている。
あそこから掌へ戻すなら、術者が新しい道を。
「凛殿」
ラヴィが口を開く。
その瞬間だった。
風が。
曲がった。
岩壁へぶつかった流れが、細く割れる。
一方は山肌へ。
もう一方は下へ。
さらに別の風と重なり。
大きく弧を描くように。
戻ってくる。
ラヴィの赤い瞳が見開かれた。
「……な」
凛の髪が揺れる。
背後から。
風が戻った。
掌を通り過ぎる。
その瞬間。
淡い虹色の光が走った。
一筋。
二筋。
透明な球体の輪郭をなぞるように。
一度途切れた円弧が。
反対側から。
伸びる。
あと少し。
閉じる。
そう思った直前。
ふっ。
光が消えた。
風は再び空へ溶けていった。
静寂。
球にはならなかった。
凛は掌を見る。
「……また閉じなかった」
少し不満そうだった。
ラヴィは何も言えなかった。
凛が顔を上げる。
「何?」
「……いえ」
「さっきからそればかりね」
「凛殿」
「だから何よ」
「今の風を」
ラヴィは言葉を選んだ。
「戻したのですか?」
凛が怪訝そうな顔をする。
「戻ってきたでしょう?」
「そうではなく」
「何が違うの?」
ラヴィの耳が微かに震える。
「私が、流れを変えました」
「知ってるわ」
「それでも、凛殿は何もなさらなかった」
「したわよ」
「何を?」
凛は本気で分からないという顔をした。
そして。
「戻ってくる場所を決めた」
と言った。
ラヴィの思考が止まる。
「……はい?」
「だから」
凛は自分の掌を指す。
「ここへ戻ってくると決めたの」
「誰がです?」
「私が」
即答だった。
「……凛殿が?」
「そうよ」
「それは……風へ、何か命じたという意味ですか?」
「命令なんてしてないわ」
「では」
「面倒ね」
凛は小さく息を吐いた。
「帰る場所がここだと決めたのだから、戻ってくるでしょう?」
ラヴィは完全に黙った。
その時。
少し離れた場所で。
スカイゼルの掌の中に、小さな風の塊が生まれていた。
球。
というには、あまりにも歪んでいる。
風が外へ逃げようとする。
「逃げんな……!」
スカイゼルがさらに押さえる。
風が軋む。
「繊細に……繊細に……」
なぜか歯を食いしばっている。
掌の中で、圧縮された風が震えた。
膨らもうとする。
「まだだ……!」
さらに押さえ込む。
そして。
――バシュンッ!!
凛とラヴィが同時に振り返った。
白い風圧が修行場を横切る。
葉が舞う。
砂が巻き上がる。
一瞬の静寂。
「…………ん?」
スカイゼルが、自分の右手を見る。
正確には。
そこにあるはずの右手を。
手首から先が。
ない。
「……おい」
もう一度見る。
やっぱりない。
「…………俺様の手は?」
誰も答えない。
「お、おい……」
スカイゼルの顔が引きつる。
「俺様の手が……」
一拍。
「ない」
さらに一拍。
そして。
「お、俺様の手がなくなってるぅぅぅぅぅっ!?」
双神嶺に絶叫が響き渡った。
鳥が一斉に飛び立つ。
「ラ、ラヴィィィィ! 俺様の手首が! 手首がな、なくなってるっ!」
慌てた形相で、スカイゼルが手首から先の消えた右腕をラヴィへ突き出す。
その必死さだけなら、世界の終焉でも告げに来たようだった。
ラヴィが眉を寄せる。
「君主様? どうなさいました?」
「どうなさいましたじゃねぇぇぇ! 見ろ! ここ! 俺様の手!」
「いちいちうるさいわね。子供じゃあるまいし……」
凛が呆れながら振り返る。
そして。
止まった。
「…………」
視線がスカイゼルの右腕へ落ちる。
「あなた」
「何だよ!」
「手はどうしたのよ?」
「だからそれを俺様が聞きてぇんだよ!」
「知らないわよ」
「な、なくなった!」
「見れば分かるわ」
「いや、吹き飛んだ! 俺様の手が吹き飛んだんだよ!」
「だから見れば分かるって言ってるでしょう」
凛は眉間を押さえた。
それから、ふと隣のラヴィを見る。
「ねえ、ラヴィ」
「何でしょう」
凛は、半ば泣きそうな顔で右腕を掲げているスカイゼルを指した。
「本気で、こんなのが君主なの?」
「…………」
ラヴィが止まった。
ほんの一瞬。
だが。
その一瞬は。
あまりにも長かった。
「……も、もちろんです」
スカイゼルの顔が引きつる。
「おい、ラヴィ!」
「はい?」
「な、何だよ今の間は!?」
「間、ですか?」
「とぼけんな! あっただろ! ものすっげぇ間が!」
ラヴィは静かに視線を逸らした。
長い耳まで、どことなく居心地悪そうに傾いている。
「お前……今度から人参分けてやんないからなッ!」
「…………」
ラヴィの耳が、ぴたりと止まった。
何ともバツの悪そうな沈黙。
凛はそんな白兎を横目で見た。
「ラヴィ」
「……はい」
「今後の身の振り方を考えた方が良さそうね?」
ラヴィは答えなかった。
ただ。
ほんのわずかに。
目を伏せた。
「おい! 考えんな!」
スカイゼルの絶叫が重なる。
「今それ考える場面じゃねぇだろ! まず俺様の手だろ!?」
凛は改めて右腕を見る。
「どうしてそんなことになったのよ」
「風球だよ!」
凛とラヴィが同時に黙った。
「……風球?」
「お前らがやってるから、俺様にもできると思ったんだよ!」
「なぜ?」
凛が真顔で聞いた。
「なんでそこから疑問なんだよ!」
ラヴィが額へ手を当てる。
「君主様……まさか、風を掌の中へ押し込めましたか?」
「繊細にやろうとしたんだよ!」
「それは繊細とは申しません」
「じゃあ何なんだよ!」
「圧縮です」
「先に言え!」
「聞かれておりません」
「俺様のせいか!?」
「全面的に」
「お前、主君に冷たくない!?」
「君主様です」
「今そこどうでもいいだろ!」
スカイゼルが叫びながら、ようやくある人物の存在を思い出した。
ぎこちなく首を動かす。
セレスティア。
師は少し離れたところで、静かに立っていた。
「お、お師匠」
「何?」
「これ」
スカイゼルが、手首から先のなくなった右腕を恐る恐る持ち上げる。
「……治りますよね?」
セレスティアは右腕を見る。
次にスカイゼルを見る。
そして。
少し呆れた顔で。
「さて、どうかしら?」
ぼそり。
スカイゼルの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「…………え?」
セレスティアは何も言わない。
「えっ?」
沈黙。
「ちょ、お師匠?」
「…………」
「お、おい」
「…………」
「その沈黙やめて!? 治るよな!? なあ!? お師匠!」
ラヴィが肩を落とす。
「君主様。少々お静かに」
「手がねぇのに静かにできるか!」
凛は完全に呆れていた。
「自分で吹き飛ばしたんでしょう?」
「好きで飛ばしたんじゃねぇ!」
「でも」
凛の視線が、スカイゼルの手首へ移る。
少し考える。
「……押さえすぎると、外へ逃げられない分、中で暴れるのね」
「今それ研究すんのやめろ!」
「参考にはなるでしょう?」
「俺様の手を教材にすんな!」
セレスティアが、とうとう小さく吹き出した。
「もう。仕方のない子ね」
その言葉を聞いた瞬間。
スカイゼルの顔が輝く。
「治るんだな!?」
「誰もそうは言っていないわ」
「お師匠ぉぉぉぉっ!」
再び、双神嶺に絶叫が響いた。
◇
しばらくして。
騒ぎは収まった。
少なくとも。
スカイゼルが自分の右手を抱えて泣きそうな顔で騒ぎ続ける状況だけは。
セレスティアの治癒を受け、右手は元通りになっていた。
何度も指を握ったり開いたりしながら。
「ある……」
スカイゼルが呟く。
「俺様の手がある……」
「よかったですね、君主様」
「お前、絶対心配してなかっただろ」
「大変心配しておりました」
「嘘つけ!」
凛はもう相手にしていなかった。
自分の掌を見つめている。
球はない。
結局。
今日も完成しなかった。
ラヴィのような、美しい風球にはならなかった。
セレスティアのものには、なおさら遠い。
悔しい。
それは変わらない。
けれど。
さっきの風は戻った。
ラヴィに道を塞がれても。
こちらが追わなくても。
遠回りをして。
別の風と重なり。
それでも戻ってきた。
「……もう一度」
凛が手を上げようとする。
「今日はそこまで」
セレスティアが止めた。
「まだできます」
「知っているわ」
「なら」
「続けることと、進むことは同じではないでしょう?」
凛が止まった。
一瞬。
何か言い返そうとして。
やめる。
「……はい」
不満そうではあったが、手を下ろした。
その様子を。
ラヴィは黙って見ていた。
右手を上げる。
風を集める。
すぐに。
透明な球が浮かんだ。
完全な円。
形は崩れない。
風が逸れれば。
直せる。
偏れば。
戻せる。
どこへ行くのか。
どう流すのか。
すべて把握している。
自分の方が上手い。
それは間違いない。
凛には、まだこの球を作れない。
今日も完成しなかった。
技術だけを見れば。
比べるまでもない。
それなのに。
ラヴィの目は、自分の完成した風球ではなく。
何もなくなった凛の掌へ向いていた。
自分が道を塞いだ。
凛は追わなかった。
直さなかった。
それでも。
風は戻った。
(……どういうことです?)
答えが出ない。
自分なら。
あの流れは修正する。
それ以外の選択肢など考えたこともなかった。
修正できるから。
形にできる。
だから、風球になる。
それが正しい。
そのはずだった。
ラヴィは掌の球を見る。
美しい。
閉じている。
間違いなく完成している。
なのに。
今まで当然だと思っていたその完全な円が。
ほんの少しだけ。
窮屈なものに見えた。
ふと。
凛の言葉が頭をよぎる。
思い通りにならないことと。
失敗することは。
本当に同じなのか。
ラヴィの長い耳が。
本人にも気づかれないほど、わずかに。
凛の方へ傾いた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
少しでも「続きが気になる」「凛と海を見守りたい」と思っていただけましたら、
ブックマーク・評価・感想で応援していただけると、とても励みになります。
この物語は、異世界ファンタジーに変身ヒーロー要素と高飛車令嬢コメディを混ぜ込んだ作品です。
凛と海の全力変身を、これからも見届けていただければ嬉しいです。




