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EP63:解除不能、残り0.06666秒 [LOG_OMEGA]

EP62から続く、王都消滅までのカウントダウン。


残されたのは77層の封印と、容赦なく削れていく時間だけ。


怖がりながらも逃げない海の戦い、その決着です。

【残存時間――830秒】


――ドクン。


赤い数字が一つ減った。


同時に、床一面へ広がった魔紋が脈を打つ。


――ドクン。


また一秒。


一定の間隔で削られていく数字と、足元から伝わる低い振動。


まるで、この場所そのものが巨大な心臓へ変わり、王都が死ぬまでの鼓動を刻んでいるようだった。


海は天照の柄を握り直した。


指先が震えている。


喉がひどく乾く。


怖くないはずがない。


失敗すれば、自分だけではない。


フィリアも。


カスミも。


地上にいるエレアナも、パールも。


シャルロットも。


そして、何も知らずに王都で暮らしている人たちも。


全部、消える。


建物が壊れるのではない。


命を奪われるだけでもない。


王都という場所そのものが、そこに存在していたという情報ごと消される。


【残存時間――826秒】


また4秒。


数字は、こちらの都合など一切待ってくれない。


海は小さく息を吸った。


「怖いけど、逃げちゃダメなんです」


フィリアが海を見た。


カスミは何も言わない。


ただアークレンズ越しに、赤く染まった封印構造を睨んでいる。


《マスター。第1層から第7層に、人為的接続構造を確認》


Deltaの声が響いた。


海の眼前に、複雑に絡み合う術式が立体表示される。


螺旋。


円環。


幾重にも重なる線。


無数の光点。


その中央に、一本だけ明らかに異質な黒い線が刺さっていた。


人の手で後から差し込まれた楔。


「まず、これを切ります」


カスミがしゃがみ込み、石床から突き出した黒い楔へ視線を落とした。


「抜く?」


「ダメです」


即答だった。


「抜いた瞬間に接続断を検出します」


「それが?」


「たぶん、不正侵入扱いになります」


カスミの眉がわずかに動いた。


「面倒」


「僕もそう思います」


海は天照を楔の脇へ滑らせた。


物理的には抜かない。


接続も残す。


ただ、その向こうへ流れている認証だけを殺す。


「Delta。楔から出ている認証波形を複製」


《アクセプト》


「実線を残したまま、仮想接続へ切り替えます」


《警告。切替誤差0.003秒以上で接続断を検出する可能性があります》


海の喉が鳴った。


0.003秒。


失敗した瞬間、王都全域へ何が起こるか分からない。


【残存時間――804秒】


――ドクン。


「……いきます」


海の右手が動く。


天照が細い軌跡を描いた。


一閃。


楔を取り囲んでいた術式の一本だけが、音もなく切れる。


同時にDeltaが複製波形を流し込んだ。


【接続状態――維持】


【認証経路――切替】


【誤差――0.00041秒】


黒い楔は、まだそこにある。


術式側から見ても接続中。


しかし実際には、もう何にも繋がっていない。


《第7層までの人為的認証経路、切離し成功》


【残存時間――786.314秒】


フィリアが小さく息を吐いた。


「7層……」


「あと70」


カスミが淡々と言った。


「言わないでください。余計怖くなるので」


「現実」


「分かってます……」


海はHUDを見る。


開始から約44秒。


7層。


残り70層。


単純計算するな。


そんなことをすれば、この先に出る答えなど分かりきっている。


第8層。


第9層。


第10層。


だが、解除するたびに別の場所が赤く染まった。


『海様!』


エレアナの通信が飛び込む。


『東区画、魔力密度上昇! 北側第三結界塔にも負荷が移っています!』


「負荷が……移った?」


第11層。


解除。


南区画に異常。


第13層。


解除。


今度は王城側へ。


第15層。


解除。


三つの結界塔が同時に警告を発した。


――ドクン。


数字が削れる。


解除している。


確実に前へ進んでいる。


なのに。


時間の方が、もっと速い。


第18層。


【残存時間――699.842秒】


海の指が止まった。


開始時830秒。


もう130秒以上を消費している。


残り59層。


このペースでは。


「……間に合わない」


フィリアが息を呑んだ。


「海様?」


海は返事をしなかった。


視界いっぱいに77層を展開する。


一つ。


二つ。


三つ。


これまで一列に並んで見えていた封印を、一気に引いた視点から見直す。


77層。


すべて。


そして。


気づいた。


「……違う」


カスミが視線だけを向ける。


「何?」


「これ、77個の封印じゃない」


海は指を動かした。


一つ解除すると、別の層へ負荷が移る。


二つ解除すると、残された層が強くなる。


77層すべてが中央の一点へ繋がっている。


「一つの術式だ」


「77層全部で?」


「はい」


海の紅い瞳が細くなる。


「77方向から、一つの処理を固定してる」


カスミが立体構造を覗き込んだ。


「アンカー?」


「そうです」


海は頷いた。


「順番に壊したらダメなんだ」


「残ったところに負荷が集中する」


「だから王都側の魔力網が振られてる」


【残存時間――688.104秒】


解析している間にも、数字は減る。


――ドクン。


「Delta。単層解除を中止。77層全体の負荷分布を常時監視」


《アクセプト》


「解除じゃなく、張力を逃がしながら外します」


『海! 聞こえる?』


通信へ別の声が割り込んだ。


シャルロットだった。


「はい」


その背後では、複数の報告が飛び交っている。


『北区第三結界塔、出力限界!』


『王城防壁、応答しません!』


『南街区の避難路で魔力逆流!』


『団長、王城結界を最大出力へ――』


「必要ないわ」


シャルロットの声が、すべてを切った。


『……え?』


「全隊、聞きなさい。防壁維持を停止」


通信網の向こうがざわめく。


「これは外からの攻撃ではない。防いでも意味がないわ」


声は冷静だった。


しかし、強く握られた杖の柄だけが、彼女の恐怖を物語っている。


「余剰魔力は生命維持、通信、避難誘導へ回しなさい」


『しかし団長! 王城防壁を落とせば――』


「結界塔を守るために人を死なせることは許しません」


一拍。


そして。


『海』


「はい」


『あなたは、自分の為すべきことに集中なさい』


海は一瞬だけ目を閉じた。


「……ありがとうございます」


地上はシャルロットが支える。


なら。


自分はここだけを見る。


第19層。


第21層。


第24層。


77層全体を監視しながら、張力を逃がしていく。


しかし。


第27層。


Deltaが新しい処理経路を提示した。


《最短処理を提示》


HUD上で西区画が強調表示される。


そこを切り離す。


その区域を消去領域の緩衝材にする。


それだけで。


全体成功率は大幅に上昇する。


「……この区域に何人います?」


《現在推定、11,842名》


フィリアの顔色が変わった。


「海様……」


《当該区域を演算対象から除外した場合、王都全域の生存確率は大幅に上昇します》


合理的だった。


正しい。


11,842人を捨てれば。


残りは助かる可能性が高い。


時間はない。


【残存時間――646.117秒】


――ドクン。


フィリアにも、その意味が分かった。


その顔から血の気が引く。


海の指が止まった。


ほんの一瞬。


怖い。


失敗すれば、今度は一万人余りではなく全員が消える。


それでも。


「……いや、それじゃダメだ」


Deltaが沈黙した。


「全員助けるルートを探すよ」


《成功確率が低下します》


「……分かってる」


【残存時間――641.802秒】


また数字が落ちた。


海は拳を握る。


「誰かの犠牲に立つ平和じゃダメなんだ。きっと」


自信に満ちた声ではなかった。


むしろ、自分自身へ言い聞かせるような声だった。


フィリアは海を見つめた。


怖がっている。


迷っている。


それでも。


逃げない。


《アクセプト》


Deltaが別経路の走査を開始した。


第28層。


第29層。


そして。


【解除成功】


表示が浮かぶ。


「海様!」


フィリアが息を吐きかける。


「待って」


海の声で止まった。


カスミも目を細める。


「何?」


「減ってない」


「何が」


「エネルギーです」


解除されたはずなのに。


全体エネルギーが落ちていない。


0.4%。


むしろ増えた。


――ドクン。


【残存時間――629.551秒】


「解除処理が……次の起動キーになってる」


《再照合》


Deltaの声。


《……該当。正常解除表示は偽装です》


「やっぱり」


カスミが小さく舌打ちした。


「性格悪い」


「設計した人に言ってください」


「会えたら言う」


第30層。


第31層。


海は処理を進める。


だが。


遅い。


【残存時間――611.204秒】


海が1層解除する間に。


10秒。


15秒。


20秒。


赤い数字が先へ走っていく。


フィリアの視線は、いつしか術式ではなく時計へ吸い寄せられていた。


――ドクン。


「……時間が……」


海にも聞こえないほど小さく呟く。


「削られていく……」


その時だった。


『東側魔力網に異常反応――』


エレアナが報告を始める。


「第三結界塔ですね?」


『え?』


「7秒後に位相が反転します。切らないでください。そのまま第34層へ流します」


『……まだ、こちらでは異常を検出していません』


「来ます」


7秒。


反転。


『反転しました……!』


パールの声が続く。


『おい、エレアナ。王都上空の光が一本消えたぞ』


『一本……?』


『さっきからだ。下で何かやるたびに減ってる』


カスミが海を見る。


じっと。


「ミュート」


「はい?」


「今まで、僕たちに合わせてた?」


海の指が止まった。


「え?」


「処理速度」


「いや……その……」


カスミの目が細くなる。


「Delta」


海より先に名を呼んだ。


「実際どうなの」


わずかな間。


そして。


(YES)


海が目を瞬いた。


Deltaが淡々と続ける。


《直近の共同作業におけるマスターの平均演算出力は、最大処理能力比16.4%です》


沈黙。


赤い数字だけが動く。


【606.812秒】


【605.812秒】


【604.812秒】


「……は?」


カスミの声だけが落ちた。


海は困ったように眉を下げる。


「いや、その……みんなで動くなら、合わせた方が……」


「16%」


「はい……」


「六分の一まで落とすのを『合わせる』って言わない」


「でも、僕だけ先に行っても意味ないですし」


カスミが海を睨む。


「……ムカつくけど、死ぬよりはまし」


「え?」


「今は合わせるな」


海が目を見開いた。


「でも」


「置いてけ」


フィリアが息を呑む。


「カスミさん?」


「僕たちが追いつく」


一拍。


「……やっぱり、ミュートキモい」


「こんな時にキモいって……」


「褒めてる」


海が、ほんの少し笑った。


その間にも。


【残存時間――603.771秒】


「Delta」


《待機》


「共同作業用演算制限を解除」


《警告。推奨安全域を超過します》


「分かってる」


《オメガフレーム、天照、外部魔素領域との演算資源接続を確認》


「多重螺旋演算機構を展開」


《アクセプト》


海の視界が変わった。


【Poly-Helix Executor】


【Logical Branch:256】


【512】


【1,024】


【2,048】


空間に展開していた術式が分裂する。


一つ。


二つ。


四つ。


十六。


百。


異なる処理経路が同時に走り始めた。


Delta本体の演算性能そのものが変わったわけではない。


オメガフレーム。


天照。


そして、周囲を満たす魔素。


使えるものすべてを、一時的な外部演算領域へ変えていく。


【OVERCLOCK MODE】


【実効クロック倍率――320%】


【演算出力――32.8%】


【48.1%】


【64.7%】


海の紅い瞳が細くなる。


それまで絡み合っていた線が。


見える。


流れが。


次に何が起きるのかが。


「……これならいけるかも」


第34層。


「Delta、第34層から第38層まで並列」


《アクセプト》


【残存時間――602.284秒】


第34層。


突破。


【601.092秒】


第35層。


突破。


【600.188秒】


第36層。


突破。


フィリアが目を見開いた。


さっきまで1層に10秒以上かかっていた。


今は。


1秒。


あるいは、それ以下。


【第38層突破】


【残存時間――597.611秒】


カスミが時計を見る。


「……減り方が変わった」


「時計は同じです」


海は次の層を開きながら答えた。


「僕が速くなっただけ」


第40層。


突破。


第41層。


突破。


「東側第三塔。7秒後に再反転」


『またですか!?』


「その次、西側第六塔。11秒後」


エレアナが観測盤を見る。


まだ正常。


7秒。


東側反転。


11秒。


西側反転。


『……まだ起きていないのに……』


エレアナの声が震える。


パールが低く呟いた。


『当てたんじゃないのか?』


カスミが返す。


「違う」


一拍。


「見えてる」


未来が見えているわけではない。


2,048の論理分岐。


そこから枝分かれする数千、数万の結果。


それらが同じ一点へ収束するなら。


起きる前に動けばいい。


【第42層突破】


【残存時間――592.244秒】


初めて。


海が時計を追い越した。


ほんのわずか。


希望が見えた。


しかし。


第43層から。


術式が変わった。


一つの層から。


さらに三つ。


五つ。


八つ。


解除経路が枝分かれしていく。


「……増えてる」


カスミが呟く。


「深層ほど、複雑になってます」


第47層。


海の眉が動いた。


「……違う」


《照会》


「第31層で選んだ経路。後で干渉します」


《現在処理からの完全再演算には112.4秒を要します》


「そんな時間ない」


【残存時間――548.901秒】


海が天照を床へ突き立てる。


「晶塔記憶殿、展開」


淡い結晶光が立ち上がった。


【Crystal Stacked Archive】


【External Archive――64TB Equivalent】


それまでの演算軌跡が魔結晶へ流れ込む。


過去を戻すわけではない。


第31層時点の演算状態だけを呼び戻す。


「第31層処理直前から別分岐」


《アクセプト》


失敗した未来を捨てる。


別の枝へ。


第51層。


第55層。


第58層。


しかし。


時間消費がまた増え始める。


1層。


3秒。


次。


5秒。


さらに9秒。


【残存時間――407.331秒】


海の顔から笑みが消えた。


さっき追い越したはずの時計が。


また。


背後まで迫ってきている。


第60層。


Deltaが解析を開始する。


《第61層、因果連結式を――》


「違う」


海が遮った。


「第61層は囮。先に第63層」


一瞬。


Deltaが止まる。


《照合》


さらに一瞬。


(YES)


カスミの目が海へ向く。


AIの解析が完了するより先に。


海が答えへ到達していた。


【残存時間――341.882秒】


第63層。


突破。


だが、その頃から。


海の身体にも異変が始まった。


「海様!」


フィリアの声が届く。


なのに。


音が、途中から引き延ばされる。


「か……い、さま……」


声の間に。


あり得ないほど長い空白が生まれる。


フィリアの唇が、ゆっくり動く。


瞬きすら。


遅い。


カスミが顔を上げる動作も。


水の底から見上げているように鈍い。


違う。


世界が遅くなったのではない。


海の思考だけが。


速くなりすぎている。


指先が震える。


視界が二重になる。


【第1冷却系――飽和】


【ナノ液冷循環――最大流量】


【第2冷却系――投入】


【超臨界冷媒――限界圧接近】


フィリアの顔色が変わった。


「海様、赤い警告が増えています!」


「僕も見えてます」


カスミが睨む。


「なら止めろ」


「止めたら王都が消えます」


ただ、それだけ。


格好をつける余裕すらない。


第66層。


第67層。


そして。


第69層。


赤黒い光が暴れた。


複雑に重なった術式が、視界の奥へ落ち込むように捩れる。


《解析開始》


海は無数の分岐へ目を走らせる。


一つ。


失敗。


別分岐。


再演算。


また失敗。


【残存時間――148.221秒】


「まだです!」


フィリアが思わず叫ぶ。


海は答えない。


天照。


一閃。


絡み合った術式が崩れる。


【第69層突破】


【残存時間――121.844秒】


――ドクン。


地上。


王都上空を覆う薄い赤光が、急激に濃くなった。


家々。


市場。


王城。


歩道。


人。


その輪郭が、わずかに揺らぎ始める。


パールが窓の外を見て、表情を失った。


「エレアナ」


『はい』


「これ……失敗したら、本当に全部なくなるんだな」


沈黙。


『……はい』


パールは拳を握った。


【第71層突破】


赤い光が一瞬だけ薄くなる。


「あいつ、まだやってる」


『え?』


「まだ諦めてない」


王城側でも。


シャルロットは次々と届く被害報告を受けながら、王都各区画の生命維持と避難誘導を指揮し続けていた。


その傍ら。


ユリウスは中央観測記録へ表示された数字を見つめる。


「77……」


シャルロットが視線だけを向けた。


「博士?」


「始源の七柱」


「……七柱?」


「古い文献には、七を基礎数とする封印体系が複数残っている」


「では、魔族由来なの?」


ユリウスはすぐには答えなかった。


やがて。


ゆっくり首を振る。


「分からない」


「ただ……妙だ」


「何が?」


一拍。


「古すぎる」


シャルロットが眉を寄せる。


だが。


今は追究する時間がない。


同じ頃。


ヴァルディア視察団は、それぞれ別の場所へ留め置かれていた。


国家存亡級の異常事態。


まして他国の視察団を、アストリア側の指揮中枢へ入れることなどできない。


ルドベックは王城来賓棟の一室。


リゼットは西塔の視察団用研究区画。


イングリットは護衛兵と共に別棟。


ガルドもまた、別の待機区画から外の異変を見ていた。


誰にも。


詳しい説明はない。


王城内を兵が走る。


封鎖線が増えていく。


魔導灯が赤く染まる。


窓の外では。


王都そのものの輪郭が揺れている。


リゼットは自前の観測板を握りしめていた。


表示されるのは、原因不明の巨大な魔力変動だけ。


「……何なの、これ」


外から攻撃されている形ではない。


中心から。


王都全域が何かへ引き込まれている。


イングリットは、警備兵の流れを見ていた。


兵力が。


中央魔導書庫周辺へ集まっている。


ガルドは窓の外を見ながら、ただ拳を握った。


そして。


ルドベックは。


事件の直前。


海たちがどこへ向かったのかを思い出していた。


音無海。


フィリア。


カスミ。


三人は。


まだ戻っていない。


誰も彼の名を口にはしなかった。


けれど。


ルドベックの思考から。


その名だけが消えなかった。


【残存時間――79.382秒】


第72層。


海の鼻先から一筋の血が落ちる。


「海様!」


「大丈夫です」


「大丈夫ではありません!」


【緊急冷却機構――起動】


【緊急格子冷却――投入】


【冷却余力――6.1%】


――ドクン。


【残存時間――63.004秒】


第73層。


突破。


――ドクン。


【51.117秒】


第74層。


海の右手が震える。


カスミが短く言った。


「ミュート。手」


「動いてます」


「正常じゃない」


「使えるなら大丈夫です」


「そういうとこ」


「え?」


「あとで怒る」


【残存時間――38.402秒】


その瞬間。


地上の魔導灯が一斉に瞬いた。


一つ。


二つ。


街の灯りが落ちていく。


人々の声も。


遠くなる。


音そのものが、何かへ吸われ始めていた。


パールが顔を上げる。


「……静かになってないか?」


エレアナが答えられない。


王城では。


シャルロットが窓の外を見る。


王都が。


薄くなっている。


来賓棟でも。


ルドベックが初めて椅子から立ち上がった。


窓の向こう。


王都の街並みが。


わずかに透けて見えた。


「……馬鹿な」


【残存時間――24.811秒】


第75層。


海の視界が大きく揺れた。


フィリアが背中へ手を添える。


「海様!」


「まだ……」


息が乱れる。


「まだ、いけます」


天照を振る。


光が切れる。


【第76層突破】


【残存時間――12.711秒】


そこで。


――ドクン。


音が。


消えた。


心臓の鼓動も。


魔紋の脈動も。


何も聞こえない。


数字だけが。


落ちる。


【11.842秒】


第77層。


それまでとは違った。


術式がない。


扉もない。


数式も。


封印も。


ただ。


一つの命令だけが。


そこにある。


Deltaが全演算資源を投入する。


【Logical Branch――2,048】


【全分岐走査】


【晶塔記憶殿――全履歴参照】


【有効解除経路――0】


海の呼吸が止まった。


《再走査》


【9.611秒】


【有効解除経路――0】


「Delta……?」


《解析結果》


【7.204秒】


《第77層に解除構造は存在しません》


フィリアが海を見る。


「海様……?」


【6.311秒】


《解除不能》


【5.882秒】


海の頭の中に。


ここまでのすべてが。


一瞬で流れ込んだ。


楔。


認証。


都市魔力網。


反転層。


生命情報。


77層。


全部。


なぜ。


解除するたびに。


次が起動した。


なぜ。


最後だけ。


解除方法がない。


【4.911秒】


「……違う」


Deltaが応答する。


《照会意図不明》


【4.119秒】


海の紅い瞳が大きく開いた。


「解除するから……」


【3.408秒】


フィリアの唇が震える。


「海様!」


【2.804秒】


「止まらないんだ」


Deltaが沈黙する。


【2.117秒】


「第77層は、封印じゃない」


天照を握る。


【1.592秒】


「実行命令だ」


そして。


海が叫んだ。


「王都を『消す対象』じゃなくせばいい!」


【0.991秒】


「Delta! 認証対象を偽装!」


《アクセプト》


【0.803秒】


オメガフレームが唸る。


【0.611秒】


「天照!」


一閃。


物理接続。


切断。


【0.421秒】


【対象領域照合】


【0.284秒】


【ASTORIA CAPITAL】


【再照合】


【0.181秒】


赤い文字が揺れる。


【0.102秒】


【TARGET RESOLUTION ERROR】


海が息を止めた。


【消去対象――NULL】


【実行条件――不成立】


【残存時間――0.06666秒】


止まった。


何も。


爆発しなかった。


何も。


砕けなかった。


ただ。


王都を覆っていた赤い光が。


一つ。


また一つ。


消えていった。


魔紋の脈動が止まる。


重苦しい圧迫感が消える。


そして。


風。


遠くで誰かが呼ぶ声。


さらに遠く。


鐘。


いつもの。


何でもない。


王都の音。


海は立ったまま。


しばらく動けなかった。


「……残ってる」


ようやく。


声が出た。


フィリアの瞳から涙が溢れる。


海は天照を握ったまま。


深く。


息を吐いた。


「……怖かった」


地上でも。


パールが窓の外を見ていた。


王都がある。


家がある。


人がいる。


風が吹いている。


「……あるぞ」


エレアナが振り向く。


『え?』


「王都。まだある」


エレアナは観測盤を見る。


一度。


二度。


三度。


震える手で確かめる。


『領域消去反応……消失』


シャルロットが即座に返す。


「再確認」


『……消失しています』


「もう一度」


『消失しています』


そこで初めて。


シャルロットが息を吐いた。


「……そう」


静かに目を閉じる。


「よくやったわ、海」


ユリウスだけが、一つの表示を凝視していた。


【消去対象――NULL】


【実行条件――不成立】


「……解除していない」


シャルロットが振り向く。


「え?」


「海君は、あの術式を解除していない」


ユリウスの声には、畏怖すら混じっていた。


「術式の方に……実行する理由を失わせたんだ」


その頃。


王城来賓棟。


ルドベックは、突然戻ってきた街の音を聞いていた。


人の声。


鐘。


風。


先ほどまで薄れ始めていた街並みが。


元へ戻っている。


誰からも。


何の説明もない。


だが。


中央魔導書庫へ向かっていた兵の流れが変わった。


走っていた兵たちの表情にも。


明らかな安堵がある。


ルドベックは窓の外を見ながら、小さく目を細めた。


一人の青年の名を。


口にはしなかった。


その頃。


封印層。


カスミが突然、顔を上げた。


「来る」


海が荒い息を整えながら問い返す。


「何がです?」


「複数」


カスミの目が上を向く。


「上から」


一拍。


「……早い」


海の表情が変わった。


正式な緊急報告から。


この場所へ到達するには。


早すぎる。


海は何も断定しない。


ただ。


考える。


「カスミさん」


「何」


「隠れて上へ戻ってください」


フィリアが驚いたように海を見る。


海は楔のそばへしゃがみ込んだ。


切断時に外れた小さな接続端子。


導線片。


Deltaが保存した認証改竄ログ。


それらを分ける。


「これを」


カスミが受け取る。


「楔本体は?」


「残します」


「なんで」


「証拠を一か所に置きたくない」


海は息を吐いた。


「僕のログだけなら、僕が作ったと言われるかもしれない」


カスミの目が細くなる。


「……そこまで考えてた?」


「今、考えました」


「やっぱりキモい」


「さっき褒め言葉って言いましたよね」


「今も」


カスミは楔片をしまった。


「すみませんが、フィリアさんは残ってください」


「もちろんそのつもりです。海様を置いて立ち去るなど……」


海は小さく首を振った。


「僕たち二人ともいなくなったら、逃げたって言われるかもしれない」


フィリアが言葉を止めた。


「それに」


海が少しだけ笑う。


「今の僕、一人で立ってるのもしんどいので」


フィリアの表情が曇った。


それでも。


「……承知しました」


カスミの姿が薄れる。


空気へ溶けるように。


完全な隠蔽。


そして。


消えた。


上層。


エレアナがログ整理を続けている横で、パールのアークレンズに一瞬ノイズが走った。


【UNKNOWN SIGNAL】


「……ん?」


『どうしました?』


「いや」


表示は消える。


少しして。


再び。


【UNKNOWN SIGNAL】


パールが立ち上がる。


「……何か来る」


『え?』


空間が揺らぐ。


カスミが姿を現した。


「カスミさん!?」


エレアナが声を上げる。


「海様は!?」


「下」


パールが眉を寄せる。


「……あいつ、残ったのか」


「自分から」


カスミは楔片と記録媒体を差し出した。


「これ」


エレアナが受け取る。


「何です?」


「証拠」


短く。


「守って」


その頃。


封印層のさらに奥。


海とフィリアの耳に、重い足音が届いた。


複数。


今度は隠すつもりもない。


鎧。


靴底。


金属が擦れる音。


海が顔を上げる。


フィリアが海の隣へ立った。


最初に姿を現したのは。


アルフレッドだった。


その後ろには近衛兵。


そして。


エドガー。


海の目がわずかに細くなる。


早い。


やはり。


早すぎる。


一方。


さらに離れた暗がり。


別経路から封印層付近へ入り込んでいた黒衣の老傭兵が、誰にも気づかれぬまま立っていた。


アルフレッド一行とは距離がある。


ただ。


見ている。


音無海を。


天照を。


消えた77層を。


そして。


その青年を中心として枝を伸ばす、理解不能な魔術痕を。


老傭兵の指が武器へ触れる。


だが。


抜かない。


長い沈黙。


やがて。


指が離れた。


その視線もまた。


静かに海から外れていった。


一方。


アルフレッドは現場を見回した。


停止した術式。


石床へ残された楔。


天照。


疲弊した海。


その隣のフィリア。


そして。


もう一人。


いるはずの人物がいない。


アルフレッドの視線が細くなる。


「……鋳鍛地澄架(カナジカスミ)はどこだ」


海は一瞬だけ黙った。


「カスミさんなら、上層の異常を別系統から調べてもらっています」


「貴様の判断でか?」


「……はい。必要だと思ったので」


「この非常時に、勝手なことを」


低い声。


しかしアルフレッドは、それ以上カスミを追及しなかった。


目の前には。


もっと大きな問題がある。


彼の視線が海へ戻る。


「音無海」


「はい」


「何が起きた」


海が答えようとする。


だが。


アルフレッドは先に続けた。


「なぜ、貴様の認証によって異常が起動した」


フィリアの眉が動く。


「アルフレッド様――」


「なぜ、この場にいた誰よりも早く構造を理解できた」


アルフレッドの視線が天照へ移る。


「そして」


もう一歩。


「なぜ、誰も知らぬ方法で止めることができた?」


海は言葉に詰まった。


「それは……僕にも、まだ」


「分からぬ、か」


アルフレッドの目が細くなる。


「ずいぶん都合のよい話だな」


その時だった。


「……はっ」


乾いた笑い声。


エドガー。


海が視線を向ける。


口元には。


薄い笑み。


「さすがだな、音無海」


言葉だけを聞けば。


称賛にも聞こえる。


だが。


その声音には。


たっぷりと毒が混じっていた。


「騒ぎを起こした術式を、自分だけが理解して」


一歩。


「自分だけが止める」


さらに。


「ずいぶん出来すぎた英雄譚(えいゆうたん)じゃないか」


「エドガー」


フィリアの声が低くなる。


だが。


止まらない。


父が海を追及している。


その事実だけで。


これまで押し殺してきたものが、堰を切った。


「いつもそうだ」


笑みが歪む。


「何も知らないみたいな顔をして」


海の目を見る。


「最後には、全部お前が持っていく」


一歩。


「魔力も」


一歩。


「属性も」


「団長からの信頼も」


そして。


一瞬。


フィリアへ視線が向いた。


「……人の信頼までな」


フィリアの表情が変わった。


「エドガー。お言葉が過ぎます」


「何だ?」


エドガーが鼻で笑った。


「またこいつを庇うのか、フィリア」


「庇っているのではありません」


フィリアが海の前へ。


一歩。


出た。


「私は見ていました」


その声には。


震えがあった。


だが。


逃げなかった。


「海様が、何度も答えを探したことを」


「一部を切り捨てれば助かる可能性が高いと分かっていても、それを選ばなかったことを」


「ご自身の身体が壊れかけても、最後まで諦めなかったことを」


エドガーが眉をひそめる。


「だから何だ」


「この方は」


フィリアの声が強くなる。


「最初から答えを知っていたのではありません」


一拍。


「最後まで、答えを探していたのです」


エドガーの口元が引きつる。


「随分とご執心じゃないか」


「エドガー」


「昔はもう少し、物を見る目があると思っていたがな」


フィリアの瞳に。


明確な怒りが宿った。


「海様が何者であるかは」


静かに。


「私にも分かりません」


海がフィリアを見る。


「ですが」


フィリアはエドガーから視線を逸らさない。


「今、この王都が残っている理由なら分かります」


そして。


言い切る。


「この方が、逃げなかったからです」


エドガーが口を開く。


「大げさな」


鼻で笑う。


「多少の被害が出た程度で――」


「多少の被害ではありません!」


フィリアの声が。


初めて。


封印層へ強く響いた。


エドガーが止まる。


アルフレッドも。


僅かに眉を動かした。


フィリアの胸が上下している。


「今回の術式は、王都を破壊するものではありませんでした」


アルフレッドの目が。


ほんのわずかに細くなる。


「……何?」


「あの術式は」


フィリアが言う。


「王都という領域そのものを」


一拍。


「そこに暮らすすべての人々ごと、消去する術式でした」


沈黙。


アルフレッドの表情から。


初めて。


何かが抜け落ちた。


「……王都……だと?」


その声だけが。


先ほどまでと違っていた。


フィリアは、その反応の意味までは知らない。


だが。


海は。


僅かな違和感を覚えた。


アルフレッドの驚愕。


それだけは。


演技には見えなかった。


「はい」


フィリアは答える。


「海様が止めなければ、アストリア王都は……あと一秒にも満たない僅かな時間で消滅していました」


アルフレッドの顔から。


僅かに血の気が引いた。


「……間違いないのか」


問いが変わった。


先ほどまでの追及ではない。


「王都全域が……対象だったと?」


「間違いありません」


フィリアが即答する。


海も頷いた。


「領域消去型でした」


「王城も、防壁も関係ありません」


「逃げても……たぶん、助からなかったと思います」


アルフレッドの視線が。


ゆっくり。


床へ残された楔へ向かった。


その目が変わる。


先ほどまで。


海を追及するための証拠として見ていたものを。


今は。


別の何かとして見ている。


何を。


自分は起動させた。


知らされていたものと。


何が違う。


その疑念を。


彼は一言も口にはしなかった。


言えるはずがなかった。


それを口にすれば。


自分が、この装置について事前に何かを知っていたと。


認めることになる。


その沈黙を。


エドガーだけが。


別の意味に受け取った。


「だからこそ!」


勢いに任せ。


声を上げる。


「だからこそ怪しいんじゃないですか、父上!」


アルフレッドの目が動く。


「そんな化け物じみた術式を!」


エドガーは海を指差した。


「どうしてこいつだけが止められる!」


「偶然?」


「そんなもの、誰が信じる!」


海は何も言わない。


「またお前か!」


エドガーの声が荒くなる。


「俺たちが何年かけても届かないことを!」


「お前はいつも!」


「何でもないみたいな顔で!」


「全部!」


握った拳が震えている。


「全部、奪っていく!」


「エドガー!」


フィリアが声を上げた。


「いい加減になさい!」


「お前は黙ってろ!」


その一言。


そして。


「――エドガー」


低い声。


父だった。


エドガーが振り向く。


「……父上?」


「もうよい」


「ですが!」


「黙れ」


怒鳴ってはいない。


それでも。


エドガーの口が閉じた。


アルフレッドの顔から。


先ほどまでの露骨な敵意が。


ほんの少しだけ。


消えている。


代わりに。


もっと深い何か。


疑念。


恐怖。


計算。


それらが入り混じった表情。


アルフレッドは楔を見る。


そして。


海を見る。


「私は感情論を聞きに来たのではない」


エドガーが悔しげに口を閉じる。


アルフレッドは海へ向き直った。


「……音無海」


「はい」


「この術式について」


一拍。


「貴様が知り得たことを」


さらに。


「すべて話してもらおう」


先ほどまでとは。


僅かに意味が違っていた。


海を犯人へ仕立てるためだけの質問ではない。


アルフレッド自身が。


知りたがっている。


だが。


そのことを表情から読み取るには。


海は疲れすぎていた。


「……分かりました」


海が答える。


その後ろで。


エドガーが。


まだ。


笑っていた。


フィリアに言い返され。


父に止められ。


それでも。


口元には。


薄い。


不敵な笑み。


勝ったつもりなのだ。


ようやく。


音無海が。


自分より低い位置へ落ちてくる。


そう信じて。


けれど。


アルフレッドだけは。


もう同じ場所を見ていなかった。


やがて。


現場の確認を終えた近衛兵たちが動き始める。


正式な拘束命令はない。


剣も抜かれていない。


それでも。


海とフィリアの周囲へ。


自然と兵が配置されていく。


英雄を迎える配置ではなかった。


フィリアは。


それに気づいた。


海も。


気づいていた。


それでも。


今は。


歩くしかない。


「海様」


フィリアがそっと腕を支える。


「ありがとうございます」


「当然です」


二人は。


封印層を後にした。


王城来賓棟へ続く回廊。


少し離れた場所。


警備兵によって隔てられた向こう側に。


ルドベックがいた。


騒ぎが収まったことで。


ようやく来賓区画からの移動が許され始めていた。


その視線の先。


赤い髪。


疲弊した青年。


フィリアに身体を支えられ。


歩くのもやっと。


英雄のようには。


到底見えない。


だが。


王都は。


残っている。


事件が始まる前。


中央魔導書庫へ向かった三人。


事件が終わった後。


そこから出てきた青年。


誰も。


何も説明していない。


それでも。


十分だった。


ルドベックは声をかけなかった。


海も。


彼の存在に気づかなかった。


ただ。


その背を。


見送る。


海の姿が。


回廊の向こうへ消える。


それでも。


ルドベックの視線だけは。


しばらく。


動かなかった。


王都は救われた。


77層の死の術式は停止した。


けれど。


海はまだ知らない。


王都を救ったこの瞬間が。


自分を追い詰める、新たな始まりでもあったことを。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


少しでも「続きが気になる」「凛と海を見守りたい」と思っていただけましたら、

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この物語は、異世界ファンタジーに変身ヒーロー要素と高飛車令嬢コメディを混ぜ込んだ作品です。

凛と海の全力変身を、これからも見届けていただければ嬉しいです。


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