EP62:77層の封印、王都消滅まで842秒 [LOG_OMEGA]
中央魔導書庫の封印層、その続きです。
今回は調査回のつもりでした。
ですが、77層と842秒が出た時点で、話はそう簡単ではなくなりました。
封印層は、音無海自身が鍵となって踏み込む瞬間を待っていた。
海は、第5階層へ続く階段へ置いた足を止めた。
薄暗い階段の先にあるのは、扉ですらない。
古い石壁と、その中央を縦に走る細い光。
ただそれだけだった。
それなのに、海のオメガフレイムには、先ほどから同じ表示が消えずに残っている。
【照合対象を確認】
【継承資格を照合】
【接続鍵候補――音無海】
【認証要求――待機】
海はオメガフレイムの奥で目を細めた。
「……やっぱり、おかしい」
「何が?」
背後からカスミが問う。
海は階段の先を見たまま答えた。
「待ってるんです」
「見れば分かる」
「そうじゃなくて」
海は小さく首を振った。
「僕を認識している。でも、認証はしていない」
フィリアが不安げに海の横顔を見る。
「つまり……海様を中へ招いているわけではない、ということでしょうか?」
「たぶん」
海はオメガフレイムへ指を滑らせた。
Deltaへ最低限の解析だけを要求する。
「認証要求の送信経路を追って。境界には書き込まないで」
《了解しました》
薄い光の文字列が視界を流れる。
数秒後。
新たな表示が重なった。
【外部認証経路――検索中】
海の表情が変わった。
「外部?」
フィリアが聞き返す。
カスミは答えず、階段脇の石壁へしゃがみ込んだ。
指先で壁面をなぞる。
一度。
二度。
そして、爪先ほどの小さな金属部分で止まった。
「ミュート」
「はい」
「こっち」
海とフィリアが近づく。
一見すれば、ただの補修金具だった。
長い年月を経た石材同士を固定するために埋め込まれた、黒ずんだ金属片。
だがカスミは、腰の工具から細い針を取り出し、その隙間へ差し込んだ。
「新しい」
「え?」
「石は古い。これだけ新しい」
海もオメガフレイムを通して見る。
確かに、周囲の封印術式とは魔力の流れ方が違う。
表面には古代魔導文字に似せた文様。
だが内部は。
「……これ、人が作ってます」
カスミが頷く。
「加工痕が残ってる」
さらに外殻を観察する。
「鋳造じゃない。削ってる。穴も後から開けた」
フィリアが息を呑んだ。
「では、昨夜、何者かが……?」
「可能性は高いです」
海は金属片へ手を伸ばしかけ、止めた。
カスミが横目で見る。
「触るなよ」
「触りません」
「ミュートだから言ってる」
「信用ないなぁ……」
「ないから言ってる」
海は返す言葉を失った。
カスミはさらに装置の端を覗き込む。
しばらくして、短く言った。
「爆弾じゃない」
「分かるんですか?」
フィリアが尋ねる。
「壊す出力がない」
海も解析を重ねる。
装置内部を走る魔力導線。
入力。
分岐。
記録層。
そして、別の経路へ伸びる細い線。
理解した瞬間、海の背筋に冷たいものが走った。
「……鍵穴の横に、偽物の受付を置いてるんだ」
フィリアが海を見る。
「受付……ですか?」
「僕が封印へ認証要求を送ったら、こいつが先に拾う」
海は装置を指す。
「僕の認証波形を複製して、別の要求に書き換える」
カスミが続ける。
「ログも変える」
「たぶん」
海は頷いた。
「僕が不正に封印層へ接続したように見せるための装置です」
フィリアの顔から血の気が引いた。
「海様を……陥れるために?」
海は答えなかった。
まだ断定するには情報が足りない。
だが、偶然ではない。
この装置は明確な意志を持って、ここへ設置されている。
その頃。
中央魔導書庫の上層部では、エリアナが研究支援用アークレンズへ視線を固定していた。
その傍らで、パールもアークレンズ越しに地下の状況を追っていた。
「海様たち、第5階層へ入りました」
「そうか」
エリアナが横を見る。
「……それだけですか?」
「他に何て言えってんだ」
「心配ではないのですか?」
パールは地下から送られてくる情報へ目を向けた。
「心配してどうにかなるなら、いくらでもする」
「ですが、海様は……」
エリアナは言葉を探した。
「ご自身の危険を、とても軽く考えるところがあります」
「ああ」
「……ご存じなのですか?」
「知ってる」
パールは即答した。
「あいつ、自分が壊れる計算だけ抜くからな」
エリアナが目を瞬かせる。
思いがけないほど的確な言葉だった。
パールはそれ以上説明する気もないらしく、再び地下へ視線を戻した。
第5階層。
海は楔の前にしゃがみ込んでいた。
「抜けばよろしいのでは?」
フィリアが尋ねる。
カスミが首を横に振る。
「駄目」
「なぜですか?」
「抜いたら動く型かもしれない」
海も同意する。
「破壊も危険です」
「では……」
「触らずに、通信経路だけ読みます」
海は立ち上がる。
そしてDeltaへ命じた。
「診断モード。完全READ ONLY」
《診断モードを構築します》
オメガフレイムの表示が切り替わる。
【診断モード:READ ONLY】
【認証情報送信:禁止】
【封印境界への書込:禁止】
【外部装置への制御命令:禁止】
カスミが海を見る。
「ミュート」
「何です?」
「本当に読むだけ」
「分かってます」
フィリアは心配そうに二人を見ていたが、やがて海の手首へそっと指を添えた。
「海様。少しでも異常があれば、すぐに中止してくださいませ」
「はい」
海は一度深く息を吸った。
怖くないわけではない。
むしろ、嫌な予感しかしなかった。
それでも。
誰かが何を仕掛けたのか。
なぜ自分の認証を必要としているのか。
確認しなければならない。
「Delta」
《はい》
「構造照会だけ送信」
《実行します》
【構造照会】
【書込権限:未要求】
【認証権限:未要求】
【応答待機】
一秒。
二秒。
何も起こらない。
海が僅かに息を吐いた。
その瞬間。
楔が光った。
「っ!」
カスミが身を起こす。
【要求を捕捉】
「何……?」
【認証波形を抽出】
海の顔色が変わる。
「切って!」
《切断要求――》
【READ ONLY属性を破棄】
【接続資格へ変換】
「違う!」
海が叫んだ。
「これは僕の要求じゃない!」
フィリアが海の腕を掴む。
直後、魔力が逆流した。
「海様!」
「くっ……!」
腕から肩へ。
冷たい刃を突き込まれたような感覚が走る。
フィリアは即座に海との間へ治癒障壁を滑り込ませた。
「この流れ……海様から吸い上げています!」
カスミは工具を楔の脇へ突き込む。
「導線切る」
「お願いします!」
硬い金属音。
火花。
一本。
二本。
カスミが魔力導線を断ち切る。
だが。
遅かった。
【正式認証要求を受理】
【接続者――音無海】
【不正接続を検知】
「違う……」
海が呟く。
床が震えた。
足元に赤い魔法陣が展開する。
【対象を拘束】
【監査記録を固定】
【局所封鎖を開始】
第5階層の扉が一斉に閉ざされた。
フィリアが海の前に立つ。
「海様!」
「大丈夫です!」
海は表示を高速で追う。
まだ読める。
まだ間に合う。
「これは……そこまで複雑じゃない」
カスミが床を見る。
「人間が作った」
「はい」
海にも分かった。
局所拘束。
記録固定。
逃走防止。
海をこの場所に閉じ込め、不正接続者として発見させるための罠。
「解除できます」
海が呼吸を整える。
「十秒もあれば――」
その言葉が途切れた。
魔法陣の色が変わった。
赤ではない。
青でもない。
黒ですらない。
床に刻まれた光が、一瞬だけ色という概念そのものを失ったように見えた。
空気が変わった。
耳の奥に残っていた魔力の低い唸りが、ふっと消える。
代わりに、何もないはずの石壁の向こうから、脈打つような振動が伝わってきた。
フィリアの指先が海の腕を強く掴んだ。
「……海様。これは……」
カスミが顔を上げる。
「さっきの構造じゃない」
海も動けなかった。
表示形式が変わっていた。
現代魔導文字ではない。
先ほどまでの楔とも違う。
【接続鍵を確認】
【管理資格照合を再開】
「Delta、この術式は?」
返答がない。
ほんの一瞬。
普段なら即座に返ってくるDeltaが、沈黙した。
「……Delta?」
《解析不能》
海の喉が鳴った。
【局所封鎖――拒否】
「拒否……?」
【保全範囲を再定義】
【接続領域を拡張】
次の瞬間。
第5階層の床から光が走った。
階段へ。
壁へ。
天井へ。
そして書庫の外へ。
エリアナのアークレンズが激しく警告を発した。
「何……?」
表示される魔力線が、一気に増殖していく。
「海様?」
応答がない。
「海様、聞こえますか?」
パールもアークレンズへ視線を集中する。
「おい」
「どうしました?」
「地下だけじゃない」
エリアナがパールを見る。
パールの視界には、王都を走る魔力流が簡易図として映っていた。
一本。
二本。
十本。
数え切れない魔力線が、同じ地点へ向かって流れ始めている。
「街の魔力が動いてる」
「そんな……」
エリアナはすぐに詳細解析へ切り替える。
【接続先:中央魔導書庫】
【接続先:王城防壁】
【接続先:地下魔力路】
【接続先:都市結界塔】
「嘘……」
さらに増える。
【接続先:王都生活魔力網】
エリアナの指が震えた。
「王都全部……?」
「……見ろ」
パールの声が低くなった。
エリアナが顔を上げる。
書庫の高窓の向こう。
昼の王都に並ぶ魔導灯が、一つ、また一つと不規則に明滅していた。
まだ灯を必要とする時間ではない。
それなのに、街路に沿って並ぶ光が、遠くから順番に目覚めていく。
一斉に。
同じ脈動で。
さらにその奥。
王都を囲む結界塔のひとつが淡く発光した。
続いて二つ目。
三つ目。
遠く離れているはずの塔が、まるで何か巨大な一つの術式に呼吸を合わせるように、同じ周期で明滅を始める。
エリアナの唇が震えた。
「本当に……王都全体が……」
パールは答えない。
アークレンズに映る魔力線と、窓の向こうの王都を交互に見つめていた。
地下。
海も同じ表示を見ていた。
「切断!」
《実行不能》
「何で!?」
《既存魔力網そのものが術式構造へ組み込まれています》
カスミが床の魔力線を見ながら呟く。
「街そのものが、回路にされてる」
フィリアの顔が強張る。
「では……このままでは?」
誰も答えなかった。
上層部。
エリアナは必死にログを複製していた。
READ ONLY要求。
認証禁止。
楔による要求改竄。
人間側の局所拘束術式。
そこへ割り込んだ、別系統の巨大術式。
全てを可能な限り外部へ保存する。
「海様、ログを保存しています!」
雑音の向こうから、かすかに声が返る。
『エリアナ……そのまま……記録を……』
「はい!」
通信品質が急激に低下する。
「海様?」
『もし……切れ……ても……ログを……』
「海様!」
ノイズ。
映像が歪む。
パールがアークレンズへ意識を集中した。
「まだ映像は拾える」
「本当ですか!?」
「断片だけだ」
エリアナは再び記録処理へ戻る。
だが、指が震えて動かない。
「海様が……」
「手ぇ止めんな」
低い声だった。
エリアナが振り返る。
「ですが……!」
「だから残せ」
パールは静かに言った。
「あいつらが戻ってきた時、何が起きたか説明できる奴が必要だろ」
エリアナは唇を噛んだ。
そして頷く。
「……はい」
地下。
古代術式の表示が一度すべて消えた。
静寂。
海の耳には、自分の心臓の音だけが聞こえていた。
そして。
新しい文字が浮かぶ。
【処理領域――確定】
【対象領域――アストリア王都全域】
海の呼吸が止まる。
【領域内構造情報――捕捉】
【領域内生命情報――捕捉】
フィリアが震える声で聞いた。
「……海様」
「待って」
海は解析を続ける。
「これは……爆発じゃない」
《肯定》
Deltaの声が響く。
《対象領域の存在情報が削除対象に指定されています》
海の目が見開かれる。
「つまり……」
声が震えた。
「王都を壊すんじゃない」
フィリアとカスミが海を見る。
「王都という場所そのものを……消す」
上層部。
エリアナの画面にも、最後の情報が届いた。
【領域処理開始準備】
「そんな……」
次の瞬間。
通信が完全に切れた。
「海様!」
アークレンズが暗転する。
「海様! 応答してください!」
返事はない。
エリアナが立ち上がる。
「私、下へ――」
「駄目だ」
パールが止めた。
「ですが!」
「今お前が行ったら、外に誰もいなくなる」
エリアナは足を止めた。
「でも……」
「戻ってくる場所ぐらい残しとけ」
パールはKを即座に動かせる状態へ切り替えた。
「こっちはいつでも動けるようにする」
「……どこへ向かうのですか?」
「知らん」
パールは前を向いた。
「呼ばれた時、すぐ動けりゃいい」
地下。
海のオメガフレイムの視界を埋めるように、巨大な術式が展開した。
一枚ではない。
層。
その奥に層。
さらに奥。
立方体。
螺旋。
互いに噛み合いながら回転する魔法陣。
理解しようとするたび、さらに深い構造が現れる。
Deltaが解析結果を表示する。
【封印・解除階層――77層】
【同時並列解除――不可】
【誤解除時――即時実行】
海は息を呑んだ。
冗談だと思いたかった。
だが、目の前の数字は消えない。
一つでも順番を間違えれば終わる。
その向こうには、さらに76層が待っている。
「77……」
フィリアが呟く。
海は数字から目を逸らせない。
そして。
最後の表示が現れた。
【領域消去開始まで】
【842秒】
「……14分ちょっと」
海の声が掠れた。
一秒。
【841秒】
数字が減った。
フィリアの手が海の腕を掴む。
震えていた。
それでも、離さない。
「海様……解除なさるおつもりなのですね」
海は答えなかった。
怖い。
本当に怖かった。
自分が読み取ろうとした。
その要求を、あの楔に奪われた。
READ ONLYだったはずの照会を、勝手に認証要求へ書き換えられた。
それでも。
起動に使われたのは、自分の認証だった。
もし失敗すれば。
王都にいる人間が。
シャルロットが。
エリアナが。
パールが。
名も知らない人たちまで。
全部消える。
手が震えた。
海は自分の右手を見つめる。
「……怖いです」
フィリアの瞳が揺れる。
海は、それでも前を向いた。
「ものすごく怖い」
息を吸う。
「でも」
77層の術式を見る。
「僕が読めるなら、僕がやるしかない」
「違う」
カスミの声だった。
海が振り向く。
カスミは楔の前から立ち上がった。
「ミュートは一人じゃない」
フィリアも海の腕を支えたまま、一歩前へ出る。
「はい。海様お一人の命で、王都を救おうとなさらないでくださいませ」
海は二人を見る。
ほんの少しだけ。
呼吸が楽になった。
その間にも。
数字だけは、彼らの決意など待ってはくれなかった。
【残存時間――832秒】
「……分かりました」
海は震える息を整える。
オメガフレイムの解析表示を展開する。
オメガフレームの補助系を起動する。
天照を握る。
Deltaが77層の構造を視界へ展開した。
【残存時間――830秒】
海は震える指で、最初の層を指した。
「やりましょう」
王都を消すための秒針は、すでに動き始めていた。
そして音無海は、その77層すべてを。
仲間と共に止めると決めた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
少しでも「続きが気になる」「凛と海を見守りたい」と思っていただけましたら、
ブックマーク・評価・感想で応援していただけると、とても励みになります。
この物語は、異世界ファンタジーに変身ヒーロー要素と高飛車令嬢コメディを混ぜ込んだ作品です。
凛と海の全力変身を、これからも見届けていただければ嬉しいです。




