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EP61:襲撃の残響、封印層に触れた影 [LOG_OMEGA]

王都襲撃の翌日。


表では国家同士の駆け引きが続くなか、中央魔導書庫には、誰にも説明できない6.2秒の空白が残されていました。


消された記録の向こうで待っていたものとは。


今回は、封印層へ続く新たな異変の始まりです。

ヴァルディア視察団との会議を終え、海たちを下がらせてから、まだ一時間も経っていなかった。


正午を回った王城では、昨夜の襲撃に関する報告と指示が、絶え間なく行き交っている。


シャルロットも会議室を離れ、執務室へ戻っていた。


机の上には、すでに新たな報告書が積み上げられている。


襲撃者の拘束状況。


回収された禁魔道具の数。


救護拠点へ運び込まれた負傷者。


破壊された通信中継点。


視察団の帰国予定と、国境までの護衛編成。


どれも、判断を一つ誤れば、国の内外へ新たな火種を生む案件ばかりだった。


それでも、彼女の筆は止まらない。


誰をどこへ動かし、何を優先するのか。


迷いはあっても、決断を後回しにすることはできなかった。


最後の書類へ署名を終えたとき、執務室の扉が三度、短く叩かれた。


「入りなさい」


入室した書記官は、両手で一通の黒い封書を捧げ持っていた。


通常の報告書ではない。


封蝋には中央魔導書庫の管理印と、緊急監査を示す銀の刻印が重ねられている。


「中央魔導書庫より、最優先の監査報告です」


シャルロットの指が、わずかに止まった。


「誰が作成を?」


「魔導師団研究員、エリアナ・フェリステッドです。先の魔導具暴発を受け、書庫の監査補助へ派遣されておりました」


シャルロットは封蝋を切り、報告書を開いた。


最初の数行を読んだ時点で、執務室の空気が変わった。


昨夜の襲撃開始後、王都の警備術式は非常体制へ移行している。


魔導書庫の外周警備に配置されていた魔導師の一部も、市街地の防衛と救護へ回された。


そこまでは、シャルロット自身が出した命令だった。


問題は、その直後だ。


第4階層と第5階層の境界。


本来、管理責任者の許可がなければ反応することすらない封印扉へ、認証要求が送られている。


認証者名は空欄。


使用された鍵も、登録されている術式も存在しない。


完全な開扉記録は残っていなかった。


しかし、封印層側からは、確かに応答が返されている。


さらに、その前後6.2秒間だけ、監査記録が欠落していた。


シャルロットは報告書を机へ置かなかった。


第5階層。


その文字を、指先でゆっくりとなぞる。


彼女にとって、中央魔導書庫は単なる国家施設ではない。


若き日に何度も夜を越えて魔導書を読み、自らの術式を組み上げた場所。


そして今では、音無海という規格外の青年が、世界の理を貪欲に吸収した場所でもある。


先の魔導具暴発を受け、シャルロットはヴァルディア側による書庫視察を中止した。


あの判断は間違っていなかった。


だからこそ、胸の奥に生じた違和感を、ただの不安として処理することはできない。


報告書には、もう一つ気になる記述があった。


第5階層への直接認証ではない。


魔導書庫の外周区画を通過する際に使用される、臨時通行権限の断片。


正式な書庫職員へ発行されるものではない。


国外から訪れた技術者や、短期雇用された護衛を施設内へ案内する際にだけ用いられる、限定的な識別片だった。


その識別片が、欠落した6.2秒の直前に一度だけ記録されている。


だが、識別番号も発行先も消されていた。


シャルロットは別の報告書を取り出した。


中央広場、通信中継所、救護拠点が同時に攻撃を受けた時刻。


そして、第5階層へ認証要求が送られた時刻。


ほぼ一致している。


「王都を攻撃するために、警備を分散させたのか」


誰に聞かせるでもなく、シャルロットは呟いた。


「それとも、魔導書庫へ触れるために、王都を攻撃したのか」


答えは出ない。


だが、後者の可能性を捨てるには、記録が不自然すぎた。


再び扉が叩かれた。


今度は、先ほどよりも重い音だった。


「失礼いたします」


入室したのは、アルフレッドとエドガーだった。


アルフレッドは数枚の書類を手にし、その一歩後ろをエドガーが歩いている。


「ヴァルディア視察団の帰国護衛について、編成案をお持ちしました」


アルフレッドが書類を机へ差し出した。


視察団は翌朝、王都を出発する予定だった。


本来ならば、襲撃直後の移動は避けるべきだ。


しかし、これ以上の滞在はアストリアにとっても、ヴァルディア側にとっても、政治的な危険が大きい。


シャルロットは編成案へ目を通した。


王国騎士団。


魔導師団。


街道警備隊。


そして、視察団が独自に雇用している護衛の一覧。


「外部契約の護衛は、これですべてですか?」


シャルロットが一覧を指で示した。


「ヴァルディアの正規護衛に加え、現地雇用と第三国出身の傭兵も含まれております」


アルフレッドが答える。


「第三国?」


エドガーが眉をひそめた。


「視察団の護衛が、ヴァルディア人だけとは限らぬということだ」


アルフレッドは息子へ説明した。


「外部契約者であれば、所属国の認証を使わずに動くこともできる」


シャルロットは、臨時通行権限の記録へもう一度目を落とした。


アルフレッドの指摘は筋が通っている。


正規の使節や軍人であれば、自国の認証記録を残す危険を冒すとは考えにくい。


所属を持たず、契約だけで動く者ならば話は別だ。


「昨夜の襲撃中、中央魔導書庫へ何者かが接触した可能性があります」


シャルロットは、二人へ最低限の情報だけを伝えた。


エドガーが息を呑む。


「魔導書庫へ?」


「第5階層へ続く封印境界です。侵入の有無は確認できていません。ただし、認証記録の一部が消されています」


シャルロットは、アルフレッドの目を真っ直ぐに見た。


「先の魔導具暴発と、今回の異常。偶然だと思いますか?」


「そう断じる材料も、否定する材料もございません」


アルフレッドは視線を逸らさずに答えた。


「ですが、通常の魔導師が第5階層を調べても、現在の異常と、以前から存在する封印を区別できるとは限りません」


シャルロットは黙って続きを待った。


「かつて書庫の深層を解析し、その反応を直接受けた者に確認させるべきでしょう」


アルフレッドの言葉に、エドガーの顔が険しくなる。


「まさか、あの男を?」


「音無海を信用せよと申し上げるつもりはない」


アルフレッドは、息子ではなくシャルロットを見た。


その声には、普段どおりの冷たさがあった。


「だからこそです。危険な存在を遠ざけ、我々が目を閉じたところで、安全になったとは言えない」


アルフレッドは護衛編成案から手を離した。


「厳重な監視のもと、本人に確認させる。それが最も合理的ではありませんか」


あれほど海を警戒していた男から出た言葉にしては、意外な提案だった。


だが、内容だけを見れば間違ってはいない。


海ほど中央魔導書庫の術式を深く読み解いた者はいない。


異常が彼へ反応しているのなら、海を遠ざけたままでは原因を確認できない可能性もある。


「ただし、調査を行うのであれば、視察団が王都を離れた後がよろしいでしょう」


アルフレッドは続けた。


「今、第5階層で新たな問題が起きれば、ヴァルディア側へ余計な疑念を与えかねません」


「それでは遅いかもしれません」


シャルロットは黒い報告書を閉じた。


「封印境界からの微弱な応答は、今も続いています。記録も消され始めている。明日まで放置することはできません」


「本日中に、調査へ入るおつもりですか」


アルフレッドが確認する。


「ええ」


シャルロットは迷わず答えた。


「ならば、人数は可能な限り絞るべきでしょう。内部協力者が存在する可能性もございます」


「俺も行きます」


エドガーが一歩前へ出た。


「音無海だけを第5階層へ入れるなど、認められません。あいつが何か企んでいるのなら、俺が監視します」


「お前は行くな」


アルフレッドの声が、エドガーの言葉へ重なった。


エドガーが父を振り返る。


「なぜです、父上」


「音無海に対するお前の感情は、すでに誰の目にも明らかだ」


アルフレッドは表情を変えない。


「冷静さを欠いた者を、国家機密の調査へ同行させることはできぬ」


「ですが」


「それに、お前には視察団の帰国警備がある」


アルフレッドは机上の編成案を示した。


「もし外部契約者が関与しているのであれば、視察団そのものが次の標的になる可能性もある。護衛を薄くするわけにはいかない」


反論の余地を奪う、隙のない理屈だった。


エドガーは唇を噛んだが、それ以上は言い返さなかった。


「外部契約護衛の雇用元を調べてください」


シャルロットはアルフレッドへ命じた。


「ヴァルディアの正規名簿だけではなく、再委託先と出身国まで。傭兵組織を介している場合は、その取引記録も確認を」


「承知いたしました」


アルフレッドが一礼する。


「ただし、証拠が出るまでは視察団へ接触しないように。第三国の関与を疑っていることも伏せてください」


「無用な外交問題を避けるためにも、それが賢明でしょう」


アルフレッドとエドガーが退出した後、シャルロットは閉じた扉をしばらく見つめていた。


二人へ下した判断に、不自然な点はない。


ただ、エドガーを止めた声の速さだけが、わずかに耳へ残った。


シャルロットは呼び鈴へ指を触れた。


「音無海、フィリア・アークライト、鋳鍛地 澄架(カナジカスミ)。この三人を呼んでください」


少し間を置き、さらに言葉を加える。


「この件の関係者以外には、三人を招集したことも知らせないように」


三人が執務室へ入ったのは、それから間もなくのことだった。


先頭に立つ海は、歩くたびに片脚をわずかに庇っていた。


5層偽装術式を解除した影響が、まだ完全には抜けていないらしい。


海はシャルロットの前まで来ると、どこか警戒するように背筋を伸ばした。


「あの……まだ何か、怒られることが残っていましたか?」


シャルロットは答えず、机の上へ報告書を置いた。


カスミが海を横目で見る。


「正座の追加じゃない。顔を見ろ」


「それは分かってるけど……」


フィリアは二人の短いやり取りを制するように、報告書へ視線を向けた。


「シャルロット様。何かございましたか?」


「昨夜の襲撃中、中央魔導書庫の第5階層へ、何者かが接触した形跡が見つかりました」


海の表情から、先ほどまでの気弱な色が消えた。


カスミも無言で報告書を手に取る。


視線が上から下まで一度走り、すぐに最初の頁へ戻った。


「欠け方が変」


「ええ」


「監視が止まったんじゃない。ここだけ抜かれてる」


海がカスミの隣から記録をのぞき込む。


「第4階層までの記録は連続してる。でも、第5階層との境界だけが欠けてる」


海は赤い瞳を細めた。


「侵入したというより、外から触ったんだと思います」


「どういう意味でしょうか」


フィリアが尋ねる。


「完全に扉を開けたなら、周囲の術式にも記録が残るはずです。けれど、反応したのは境界だけです」


海の指が、空欄の認証記録を示す。


「誰かが中へ入ろうとしたんじゃない。封印がどう反応するのか、外から確かめた。あるいは……何かを残した」


その言葉に、フィリアの表情が曇った。


「襲撃の混乱に乗じて、ということでしょうか」


「可能性はあります」


海は断定を避けた。


「ただ、襲撃のすべてが魔導書庫のためだったとは限りません。僕を戦場へ出すことも、警備を分散させることも、両方が目的だったのかもしれない」


異なる思惑を持つ者たちが、同じ襲撃を別々の目的へ利用したのだとすれば、証言の食い違いにも説明はつく。


だが、それを裏づける証拠はまだない。


シャルロットは三人を順に見た。


「内部協力者がいる可能性も否定できません。そのため、調査へ入る者は最小限にします」


まず海へ目を向ける。


「あなたには、異常ログと封印術式の解析をお願いします」


次にフィリア。


「フィリアは、魔力と精神への干渉の確認。海の身体状態も監視してください」


「承知いたしました」


最後にカスミ。


「カスミは、記録の改竄と構造上の異常を確認してください。それから」


シャルロットは一拍置いた。


「海が自分を勘定から外した場合は、止めなさい」


「言われなくても」


カスミの返答は短かった。


海だけが不服そうに口を開く。


「僕、そこまで信用ないですか?」


「ない」


カスミは即答した。


フィリアも柔らかな声ながら、否定しなかった。


「先ほど、ご自身の身体を証拠にされたばかりですので」


「……はい」


海は小さく肩を落とした。


「本来なら、あなたを休ませるべきでしょう」


シャルロットの声から、わずかに厳しさが薄れた。


「ですが、第5階層からの微弱な応答は今も続いています。証拠が消える可能性も、別の何かが起動する可能性もある。明日まで待つことはできません」


「分かりました」


海は真っ直ぐに頷いた。


「必ず原因を確認して戻ります」


シャルロットの緑の瞳が、わずかに揺れた。


その言葉に、胸の奥の不安が消えたわけではない。


むしろ、海が迷わず引き受けたことで、嫌な予感は輪郭を増したように思えた。


「無理に封印を開く必要はありません」


シャルロットは念を押した。


「調査の目的は、侵入痕の確認と記録の回収です。異常を感じたら、すぐに戻りなさい」


「はい」


カスミは答えず、海の足元から頭までを一度見て、わずかに眉を寄せた。


「ミュート」


「何?」


「性能は戻ってる。耐久は戻ってない」


海が何かを言い返す前に、フィリアも頷いた。


「わたくしも同じ意見です。少しでも異常があれば、調査を中止いたします」


「二人とも、僕の保護者みたいになってませんか?」


「遅い」


カスミが踵を返す。


「もうなってる」


中央魔導書庫は、以前とは別の場所のように静まり返っていた。


正面門には二重の封鎖術式が展開され、警備兵の数も増やされている。


空を巡回する魔導師たちの視線は鋭く、入場者の認証は一人ずつ厳密に行われていた。


三人を入口で待っていたのは、エリアナだった。


オレンジ色の髪を後ろで束ねた彼女は、海たちの姿を見つけると深く頭を下げた。


「お待ちしておりました、海様。フィリア様、カスミ様」


普段の穏やかな笑みはない。


胸元には、異常ログを保存した薄い記録板が抱えられていた。


「報告を見ました。エリアナさんが見つけたんですね」


「はい。先の魔導具暴発以降、わたくしは書庫側の監査補助を命じられておりました」


エリアナは記録板へ視線を落とした。


「ですが、このような記録は一度も確認しておりません」


「原本は?」


カスミが尋ねる。


「シャルロット様の命令どおり、封印保管しております。こちらは閲覧用の複製です」


「判断は正しい」


カスミが記録板を受け取る。


エリアナは一瞬迷った後、海を見た。


「海様。わたくしも同行させていただけないでしょうか」


「エリアナさん……」


「異常を発見したのは、わたくしです。それに、監査補助として確認してきた範囲であれば、書庫の構造も把握しております」


エリアナは記録板を抱く手に力を込めた。


「少しでも、お役に立てるのであれば」


海が答えるより先に、カスミが口を開いた。


「駄目」


短い一言だった。


エリアナの肩がわずかに落ちる。


「第5階層へ入るのは三人だけ。外の記録を見張る人間が必要」


フィリアも優しく続けた。


「エリアナが残ってくださるからこそ、わたくしたちは内部へ進むことができます」


理屈は理解できる。


それでも、エリアナの表情には、仲間から外されたような寂しさがわずかに残った。


その様子を見た海は、コートの内側へ手を入れた。


取り出したのは、透明なレンズと細い銀のフレームで構成された小さな装置だった。


「これを、エリアナさんに」


「これは……」


「アークレンズです」


海は少し照れたように笑った。


「模擬戦が終わってから、少しずつ作っていたんです」


「わたくしのために、ですか?」


「エリアナさんが自分の魔法をもっと知るための、研究支援用として作り始めました」


海はアークレンズを掌へ載せた。


「今回は通信と記録照合、それから外部監視にも使えるように調整してあります」


エリアナは、両手でアークレンズを受け取った。


壊れ物を扱うように、慎重な指先でフレームへ触れる。


「わたくしも、皆様と同じものを見ることができるのでしょうか」


「同じ場所には行けません」


海は正直に答えた。


「でも、同じ事件を一緒に見てほしいんです」


エリアナが顔を上げる。


「前の模擬戦では、エリアナさんの雷が届くための道を作りました」


海はアークレンズを指した。


「今度は、僕たちの情報がエリアナさんへ届く道です」


エリアナの瞳が、わずかに潤んだ。


「……ありがとうございます、海様」


彼女は両手でアークレンズを装着した。


細い銀のフレームへ淡い光が走り、記録板との接続を開始する。


《外部観測端末を認証》


Deltaの声が、海たちのアークレンズへ響いた。


《使用者、エリアナ・フェリステッド》


エリアナの視界へ、複製ログの一覧が展開される。


彼女は驚きながらも、すぐに表情を引き締めた。


「記録板との同期を開始いたします」


「原本には触れないでください」


海が告げる。


「まず複製だけで、欠けた場所の前後を見ます」


「承知いたしました」


エリアナが6.2秒の欠損箇所へ指を伸ばした。


その瞬間だった。


記録板の表面に、細い亀裂のような赤い光が走った。


「これは……?」


ログの文字列が、端から黒く崩れ始める。


一行。


二行。


保存されていた記録そのものが、燃え尽きる紙のように消えていく。


《警告》


Deltaの声が鋭くなる。


《複製記録に連鎖消去を確認》


《完全消失まで、6.2秒》


「切ってください!」


フィリアが叫ぶ。


「待って」


海は記録板を見つめたまま答えた。


「今、接続を切ったら欠損部分も消える」


「ですが、海様」


「コピーも駄目」


海の視界を、無数の文字列が流れていく。


「そのまま複製したら、消している術式まで一緒に保存される。次の記録も同じように壊される」


《残り5.1秒》


カスミが記録板を奪うように手へ取った。


その指が、表面を走る赤い線を追う。


「二重」


「何が?」


「消してる流れが二つある」


カスミの視線が鋭くなる。


「外から記録を削ってる術式と、奥から閉じてる術式が別」


《残り4.3秒》


海は消えていく順番を追った。


文字そのものではない。


最初に消されているのは、記録同士を結ぶ索引だ。


次に認証者。


最後に送信元。


「ログを保存するんじゃない」


海は言った。


「消される順番から、元の位置を逆算します」


「位置が分かっても、経路が残ってる」


カスミが記録板の一点を示す。


「ここ。記録本体と消去術式がつながってる」


《残り3.4秒》


そのとき、エリアナが小さく息を呑んだ。


アークレンズから逆流した魔力が、彼女のこめかみを走る。


指先が震え、膝がわずかに沈む。


「エリアナ!」


フィリアが背後から肩を支えた。


淡い治癒光が、エリアナの首筋からアークレンズへ広がる。


「意識を保ってください。逆流はこちらで抑えます」


「は、はい……!」


《残り2.8秒》


海の視界に、一本の細い導線が浮かび上がった。


消去術式と、欠損ログをつなぐ最後の経路。


「エリアナさん」


海が手を伸ばす。


アークレンズを通して、同じ導線を彼女の視界へ重ねる。


「見えますか」


青白い線が、黒く崩れる記録の中を貫いていた。


「見えます」


「そこだけを切ってください」


「記録まで焼けば、全部消える」


カスミが短く告げた。


「細く。針一本分」


《残り1.9秒》


エリアナが右手の人差し指を記録板へ向けた。


指先へ集まった雷は、模擬戦のときのような奔流ではない。


糸よりも細く。


光の針のように。


「届いて……!」


雷光が走った。


海が示した導線へ、青白い針が突き刺さる。


《残り0.8秒》


赤い消去経路と、複製ログをつないでいた一点が焼き切れた。


次の瞬間、記録板の大半が黒い粒子となって崩れ落ちる。


《残り0.0秒》


光が消えた。


静寂が戻る。


エリアナは荒い息を吐きながら、フィリアに支えられていた。


海は記録板を見つめる。


画面の大半は失われている。


だが、中央にわずかな断片が残っていた。


【認証要求送信元:封印境界内側】


その下に、欠けた一文が続く。


【継承資格照合:継続】


さらに、文字とも紋章とも判別できない、欠けた封印印が一つ。


それだけだった。


「内側……」


フィリアが呟いた。


「侵入者が、外から扉を開こうとしただけではないのでしょうか」


「外から触った人間はいる」


カスミが答える。


「でも、応答を返したのは中」


海は残された二行を見つめた。


外側の工作と、封印境界の内側から返された応答。


少なくとも、二つは同じ術式ではない。


「今の書庫で使われている形式とも少し違います」


海が、欠けた封印印へ視線を向ける。


「今の封印の下に、もっと古い層が残っているのかもしれません」


「今の断片だけで追える?」


「無理です」


海は首を横へ振った。


「現場で、境界そのものを確認する必要があります」


エリアナが自分の右手を見た。


指先には、まだ微かな雷光が残っている。


「わたくしが……残せたのでしょうか」


「はい」


海は微笑んだ。


「僕が道を見つけて、カスミさんが切る場所を決めて、フィリアさんがエリアナさんを守った」


海は残された二行を指した。


「最後に証拠を残したのは、エリアナさんです」


カスミが記録板を返す。


「道を作ったのはミュート。切ったのはお前」


それは彼女なりの、短い評価だった。


エリアナはアークレンズの縁へ、そっと触れた。


「必ず、この記録を守ります」


フィリアは無意識に、自分の銀縁のアークレンズへ指を触れた。


胸の奥に、小さな揺れが生まれる。


だが、エリアナの顔に浮かんだ喜びと決意を見て、フィリアはそっと手を離した。


「とてもよくお似合いです、エリアナ」


「フィリア様……ありがとうございます」


カスミがエリアナ用のアークレンズを指先で操作し、保存設定を確認する。


「外部記録は独立保存」


「はい」


「通信が切れても、記録は消すな」


エリアナの表情が引き締まる。


「承知いたしました」


第4階層までの道は、異様なほど静かだった。


三人の足音だけが、石造りの通路へ一定の間隔で響いている。


壁面の魔導灯は点灯している。


封鎖術式にも、目立った破損はない。


それでも、以前ここを歩いたときとは空気が違った。


フィリアは胸元へ手を添えた。


「息苦しいわけではないのですが……何かに見られているような感覚がございます」


「魔力濃度は正常」


カスミが壁面へ指を滑らせる。


「でも、流れが一方向に寄ってる」


海の視界では、Deltaが周囲の術式を走査していた。


《第4階層までの監査術式に異常なし》


「第5階層から引っ張られてる?」


《可能性を否定できません》


アークレンズを通じ、エリアナの声が届く。


『外部側でも、微弱な魔力移動を確認しております。第5階層方向へ集中しています』


「記録を続けてください」


『はい、海様』


三人は、最深部へ続く階段の前で立ち止まった。


その先にあるのは、一般に存在が知られている最後の階層。


第5階層。


だが、その最奥には、階層として数えられていない封印境界がある。


国家が存在そのものを秘匿してきた、禁書と禁呪の眠る領域。


海が一歩、階段へ足をかける。


その瞬間だった。


アークレンズの視界に、赤い線が走った。


《警告》


Deltaの声が低くなる。


《第5階層より、未登録の応答を受信》


「まだ、何も触ってないよ」


《そのとおりです》


階段の下。


闇に沈んだ第5階層の奥で、何かが脈打った。


一度。


二度。


長い眠りから覚めた心臓のように。


海の視界へ、本来存在しないはずの文字列が浮かび上がる。


【照合対象を確認】


フィリアが息を呑む。


カスミの指が、腰の工具へ伸びた。


次の一文が、暗闇へ淡く浮かぶ。


【継承資格を照合】


海の足元から、細い光の線が階段の奥へ伸びていく。


それは海の魔力を吸い上げているのではない。


形を測り、輪郭をなぞり、何かと重ね合わせている。


【接続鍵候補――音無海】


海の背中を、冷たいものが走った。


名前を呼ばれたことが怖いのではない。


封印層は今、初めて海を見つけたのではなかった。


すでに知っている何かと、海を比べている。


最後の文字列が浮かぶ。


【認証要求――待機】


闇の奥から、重い金属がわずかに軋む音が響いた。


扉はまだ開いていない。


正式な認証も成立していない。


それでも、海には分かった。


封印層は、音無海自身が鍵となって踏み込む瞬間を待っていた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


少しでも「続きが気になる」「凛と海を見守りたい」と思っていただけましたら、

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この物語は、異世界ファンタジーに変身ヒーロー要素と高飛車令嬢コメディを混ぜ込んだ作品です。

凛と海の全力変身を、これからも見届けていただければ嬉しいです。


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