EP59:七相終端、黒きΩは災厄を呑む [LOG_OMEGA]
今回は、黒きΩの初陣です。
念願の変身を果たした海は、王都へ降り注ぐ災厄を前に、解析者ではなく一人のヒーローとして立ち上がります。
なお、必殺技の口上が長いのは仕様です。
お楽しみください。
夜の王都を、黒い影が駆け抜けていた。
石造りの屋根を蹴り、細い路地を飛び越える。
黒いコート状の外装が夜風を切り、赤い複眼が闇に沈む街並みを走査していた。
《中央通信中継所まで、残り420メートル》
Deltaの声が、オメガライザーの内部だけに響く。
《KTC-α右作業アーム、出力低下》
《中継所内部、複数の敵性反応を確認》
《カスミ様の魔力消費、上昇中》
(分かってる)
海は屋根の端を蹴った。
黒い装甲が宙へ舞い上がる。
風が身体の傾きを整える。
土が着地点を補強する。
雷が神経伝達を加速させる。
本来なら、異なる術者が別々に扱うはずの属性だった。
だが海は、それらを歩幅や呼吸を調整するように切り替えていく。
本人にとっては、必要な機能を、必要な場所へ割り当てているだけだった。
《着地衝撃を予測》
(吸収して)
《土属性術式、展開》
次の瞬間。
黒い戦士が、中央通信中継所の外壁を突き破った。
轟音。
砕けた石片と埃が、円塔の内部へ吹き込む。
だが、床に広がる術式線は一本も傷ついていない。
衝撃を土属性で制御し、破壊する場所だけを選んでいた。
カスミは床へ片手を押し当てたまま、顔だけを上げる。
傍らでは、機甲コアラ《メカラ》の右作業アームから火花が散っていた。
もう一方では、ノルドが三人の覆面兵を相手に短剣を振るっている。
黒い戦士を見た瞬間。
カスミの目が、ほんのわずかに細くなった。
(無事でよかった)
その言葉は、外装の中にだけ留まった。
外へ発する声は、Deltaが声質、音域、話速、語尾、一人称まで変換する。
「解除に専念したまえ。敵は、私に任せるがいい」
数秒の沈黙。
カスミは黒い戦士を見た。
胸に輝く金色のΩ。
赤い複眼。
長いコート状の外装。
そして、必要以上に整えられた着地姿勢。
「遅い……カラス」
それだけ言うと、解除作業へ視線を戻した。
(遅い……カラス?)
《発言意図は不明です》
(僕も分からない)
覆面兵の一人が、黒い戦士へ杖を向けた。
赤い術式が開く。
「何者だ!」
「私か」
黒い戦士は、ゆっくりと右手を胸元へ添えた。
ほんの一瞬。
名乗りの構えへ入りかけた腕が止まる。
《敵性術式、発動まで0.4秒》
(今は名乗っている場合じゃないね)
《妥当です》
(少し残念だけど)
炎弾が放たれた。
黒い戦士は避けなかった。
右手を前へ突き出す。
炎弾が掌へ触れる直前、その輪郭が崩れた。
炎を構成する魔力だけが分解され、残った熱は風によって天井へ逃がされる。
赤い火の粉が、黒い装甲の周囲を舞った。
覆面兵の目が見開かれる。
「術式を、素手で……」
「火属性の回路へ、水属性の冷却処理を挟んだ。それだけのことだ」
覆面兵たちの表情が引きつる。
カスミが床を見たまま言った。
「普通じゃない」
「相反属性を組み合わせたことか?」
「全部」
三人の覆面兵が、同時に動いた。
一人が正面。
一人が右。
残る一人は天井へ魔力糸を伸ばし、頭上から刃を落とす。
赤い複眼に、三本の予測線が浮かび上がった。
《回避経路を表示》
(必要ない)
黒い戦士の姿が消える。
雷光が一度だけ室内を照らした。
正面の男の杖が宙を舞う。
右から迫った男は、いつの間にか床へ倒されていた。
天井から落ちた刃は、黒い戦士の指先に挟まれている。
「危険な玩具だ」
指先へ闇属性の魔力が集まる。
刃に刻まれた術式だけが、黒い粒子となって崩れた。
金属そのものには、傷一つ残っていない。
「武器から、術式だけを……」
ノルドが息を呑んだ。
黒い戦士は刃を床へ落とす。
「命まで奪う必要はあるまい」
敵の足元から、石の輪が伸びる。
三人の両腕と両脚が、土属性の拘束具によって床へ固定された。
戦闘開始から、10秒も経っていなかった。
ノルドが短剣を下ろす。
その視線が、黒い戦士の足運びから胸のΩへ移った。
だが、何も言わない。
黒い戦士は、カスミのそばへ歩み寄った。
「状況を報告してくれ」
「解除すると、別の回路が起爆する」
カスミは床の中心を示した。
赤黒い金属球が、無数の術式線に絡みついている。
KTC-αの作業アームが、その一部を物理的に固定していた。
「通信を切れば王都中が孤立。残せば汚染が広がる。手を離せば爆発」
「理解した」
黒い戦士は膝をつき、赤い複眼越しに金属球を見た。
1秒。
2秒。
内部構造が、視界の中で何層にも分解されていく。
《7系統の干渉回路を確認》
《火、水、風、土、雷、光、闇。全属性系統と一致》
7つの回路は、互いを守るように絡み合っていた。
一つを解除すれば、別の属性が起爆条件へ変わる。
一つずつでは解けない。
すべて同時に止めなければならない。
(だったら、全部止めればいい)
黒い戦士は金属球へ手をかざした。
「3秒後、手を離したまえ」
「爆発する」
「させはしない」
「根拠」
「7系統すべてを、同時に停止させる」
カスミは黒い戦士を見る。
赤い複眼の奥にある顔は見えない。
それでも。
無理をする時に、ほんの少しだけ右肩が下がる癖までは隠れていなかった。
「壊れたら?」
「修復する」
「誰を?」
黒い戦士の返答が止まる。
「……装置を」
「自分、計算外」
カスミは、それ以上追及しなかった。
黒い戦士が数える。
「3」
火、水、風、土、雷、光、闇。
7つの属性が、黒い装甲の内側で別々に起動する。
「2」
赤黒い金属球の脈動が速くなる。
「1」
カスミが手を離した。
禁魔道具が脈打つ。
赤黒い光が中継所を満たした。
火が偽装回路を焼く。
水が汚染された魔力を洗い流す。
風が混線した通信波形を分離する。
土が結界の境界を固定する。
雷が起爆命令を逆流させる。
光が隠された回路を暴き出す。
闇が、行き場を失った禁魔力を呑み込んだ。
7つの光が、黒い戦士の周囲で円環を描く。
一つずつ。
だが、人の目には同時に見える速度で。
禁魔道具の表面に刻まれていた赤黒い紋様が、音もなく消えていった。
直後。
中継所の術式線へ、青白い光が戻る。
王都各地の通信が、一斉に復旧した。
《王国軍通信網、再接続》
《通信回復率、100%》
ノルドが言葉を失う。
カスミは、沈黙した禁魔道具を工具の先で軽く叩いた。
「解除完了」
黒い戦士は立ち上がる。
「それほど複雑な構造ではなかった」
「7属性」
「必要な処理へ、必要な属性を割り当てただけだ」
「自覚なし」
「何のことだ?」
「重症」
その時。
復旧した通信網へ、切迫した声が飛び込んだ。
『救護拠点より緊急要請! 治癒阻害が拡大しています! 防壁も、もう長くは持ちません!』
海の身体が反応する。
《東区救護拠点、防壁損耗率86%》
《フィリア様の魔力残量、危険域》
(Delta、座標を)
《表示します》
床へ光の線が伸びる。
黒い戦士が走り出そうとした。
「カラス」
カスミの声が背中へ届く。
足が止まりかける。
「壊れるな」
黒い戦士は振り返らなかった。
「心配には及ばない」
カスミは工具を持ち直した。
「下手」
黒い戦士は、中継所を飛び出した。
東区救護拠点では、白い防壁が崩れかけていた。
ひび割れた光の向こうで、フィリアとイングリットが負傷者を守っている。
床へ横たわる患者たちの傷には、赤黒い術式が絡みついていた。
治癒の光を流すたびに、汚染術式がそれを吸収する。
患者の傷は塞がらず。
治療した術者の魔力だけが奪われていく。
「防壁、もう一度重ねます!」
フィリアが杖を掲げる。
腕が震えている。
イングリットが叫んだ。
「これ以上は、あなたが持ちません!」
「それでも、ここを離れるわけにはまいりません!」
防壁の亀裂が広がる。
外側から、覆面兵の刃が打ち込まれた。
次の一撃で砕ける。
誰もがそう思った瞬間。
黒い影が、防壁の外へ降り立った。
敵の刃を、片手で受け止める。
「随分と、趣味の悪い術式だ」
黒い戦士が敵の腕を掴む。
軽く払っただけに見えた。
だが、覆面兵の身体は地面を滑り、数十メートル先の壁へ叩きつけられた。
残る敵が一斉に術式を展開する。
炎。
氷。
雷。
土槍。
闇の刃。
五つの攻撃が、黒い戦士へ殺到した。
(属性が重なってる)
《干渉点を表示》
(ほどけばいい)
炎の奔流へ、水の壁が立ち上がる。
衝突した瞬間、白い蒸気が空へ噴き上がった。
氷槍の群れへ、灼熱の風が吹きつける。
尖った氷が、黒い戦士へ届く前に霧へ変わる。
大地から伸びた巨腕を、白金の雷が貫いた。
土の内部を雷光が駆け抜け、巨腕が内側から弾け飛ぶ。
闇の刃へ、金色の光輪がぶつかる。
光と闇が互いを削り、夜空に黒と金の火花を散らした。
一つ。
また一つ。
黒い戦士の周囲で、異なる属性が生まれては敵の魔法を打ち砕く。
敵も。
フィリアも。
イングリットも。
その光景を理解できずにいた。
「いくつの属性を……」
イングリットの声が震える。
敵の魔導士が、杖を握ったまま叫んだ。
「貴様の属性は何だ!」
黒い戦士は、問いの意味を測るように首を傾けた。
「私は属性という概念の外にいる者!」
(決まった!)
場の空気が凍りついた。
海にとっては、事実を答えただけだった。
フィリアは、黒い戦士を見つめた。
声は違う。
体格も違う。
魔力の波形さえ、知っているものとは一致しない。
それでも。
あれほどの異常を、異常だと理解していない。
自分より先に患者を見て。
自分の魔力残量を確かめ。
必要な属性を、ためらいもなく使う。
フィリアの表情から、張り詰めていたものが少しだけ消えた。
黒い戦士は負傷者へ視線を移す。
「治療術師よ。よく持ちこたえた」
低く変換された声が続く。
「君たちが傷ついた者たちを生かし続けたからこそ、私も間に合った」
「……ありがとうございます」
フィリアは、それ以上何も言わなかった。
その必要もなかった。
黒い戦士が、傷ついた者たちへ絡みつく赤黒い術式を見据えた時だった。
《城壁上に、新たな敵性反応》
赤い複眼の視界が切り替わる。
王都外周の城壁。
高い塔の縁に、弓を構えた男が立っている。
弦につがえられているのは、通常の矢ではない。
矢尻には赤黒い小型魔導具が取りつけられていた。
《禁魔爆弾を装着した矢を確認》
《推定着弾地点、市場避難区画》
男が弦を引き絞る。
距離は遠い。
走っても間に合わない。
海は左腕を前へ伸ばした。
左手を、見えない弓を握るように閉じる。
右手を耳元まで引いた。
白金の雷が、両手の間へ一本の弦となって走る。
左腕に沿って、雷光の弓身が形を成す。
引き絞られた右手には、細長い雷の矢が生まれていた。
(きたぁー。これ、一度やってみたかった)
《射線補正》
《風速、距離、対象移動量を反映》
黒い戦士の低い声が、夜の王都へ響く。
「射線、確保」
城壁上の男が矢を放つ。
同時に、海も右手を離した。
「ライトニングゥ・アロォォォー!」
存在しない弦が、鋭く空気を鳴らした。
白金の雷矢が夜空を一直線に貫く。
狙ったのは、射手の身体ではない。
放たれた禁魔矢の矢尻。
雷撃が、小型禁魔爆弾の起爆術式だけを正確に焼き切った。
力を失った矢が、市街地へ届く前に砕け落ちる。
直後。
城壁上の石床が隆起した。
射手の両足へ石の枷が絡みつく。
男の身体が城壁の内側へ引き倒され、弓が手を離れた。
《射手、行動不能》
《落下危険なし》
(よし)
「当てた……?」
イングリットが、城壁を見上げた。
「あの距離から、矢尻の術式だけを……」
だが。
最初の狙撃手が倒されたことで、潜伏していた賊たちが一斉に動いた。
城壁。
監視塔。
民家の屋根。
鐘楼。
外周の物見台。
四方八方で、弦の音が鳴った。
一発ではない。
十発でもない。
数十本の禁魔矢が、夜空へ一斉に放たれる。
狙いは黒い戦士ではなかった。
市場。
救護拠点。
避難路。
通信中継所。
人々が集まる王都内部へ、赤黒い矢の雨が降り注ごうとしている。
《禁魔矢、三十七》
《複数方向から市街地へ接近》
《個別迎撃では間に合いません》
雷の弓が消える。
黒い戦士は、両腕を正面へ突き出した。
十本の指を大きく開く。
炎の赤。
水の蒼。
風の翠。
土の褐色。
雷の白金。
光の金。
闇の漆黒。
残る三本には、二つの色が螺旋状に絡みついた。
炎と雷。
水と風。
土と闇。
十本の指先に、十系統の術式環が灯る。
《十指魔導回路、並列接続》
《禁魔矢三十七。全対象の照準固定》
海は開いていた両手を強く握り締めた。
十色の光が、一度消える。
次の瞬間。
黒い戦士は胸の前で両腕を交差させた。
重なった拳が、胸部のΩを挟み込む。
十系統の魔力が、金色の円環へ圧縮されていく。
(この角度なら、完璧だ)
《姿勢による術式性能の変化はありません》
(分かってる)
黒い戦士が、ゆっくりと顔を上げる。
「禍事を統べし我が命ずる」
胸部のΩが、強い金色の光を放った。
「降り注ぐ数多の厄災を、一片残らず薙ぎ払え!」
交差させていた両腕を、鋭いV字を描くように夜空へ跳ね上げる。
握られていた拳が、一斉に開いた。
十本の指先が、四方八方から王都へ降り注ぐ禁魔矢を捉える。
「カラミティィィー・エーーンド!」
十本の指先から、異なる魔法が一斉に放たれた。
炎が、北側を飛ぶ禁魔矢の外装だけを焼き切る。
水が、発火術式を包み込む。
風が、東側の矢をまとめて市街地の外へ押し流す。
土の壁が、城壁近くの矢を受け止める。
雷が、遠隔起爆回路を連続で焼き切る。
光が、偽装された禁魔術式を夜空へ浮かび上がらせる。
闇が、漏れ出した禁魔力を音もなく吸収する。
炎と雷が絡み合った閃光が、複数の矢を同時に貫く。
水と風が氷の網を作り、矢の群れを空中へ縫い止める。
土と闇が黒い鎖へ変わり、最後の矢を絡め取った。
十方向。
十種類の魔法。
三十七本の禁魔矢。
一本ごとに軌道を変え。
一本ごとに威力を変え。
一本ごとに異なる方法で無力化する。
夜空に、十色の魔法が咲いた。
それは砲撃というより、巨大な光の花だった。
禁魔矢は一本も爆発しない。
一本も市街地へ落ちない。
誰一人、傷つかない。
静寂の中。
無力化された矢の欠片だけが、光を反射しながら王都の外へ降っていった。
フィリアが、言葉を失ったまま黒い戦士を見つめる。
イングリットの唇が震えた。
「十の術式を、同時に……?」
黒い戦士は、両腕を下ろした。
「矢ごとに性質が異なる。適した処理を割り当てただけだ」
通信越しに、カスミが答える。
『長い』
「何がだ?」
『全部』
(最高だったのに)
《警告》
《王都内12地点で、第二起爆準備を確認》
海の意識が、瞬時に戦場へ戻る。
禁魔矢は陽動だった。
賊たちが空へ視線を集めている間に、市街地へ設置されていた禁魔道具が起動を始めている。
市場。
避難路。
通信中継所。
救護拠点。
軍施設。
12の禁魔道具が、王都の魔力網を通じて一つへ繋がっていた。
《推定起爆まで、18秒》
(Delta)
《はい》
(全術式を一つの処理対象にする)
《王都全域への同時干渉となります》
(できる?)
《マスターの魔力量を前提とすれば可能です》
(なら、やる)
《警告。7属性の広域展開は、オメガライザーの設計上限を超過します》
(出力を抑える)
《現在の出力も、この世界の基準では異常値です》
(そうなの?)
《はい》
(あとで聞く)
黒い戦士は、まだ光を残す十本の指を見た。
四方へ散っていた魔法が、引き寄せられるように戻ってくる。
炎。
水。
風。
土。
雷。
光。
闇。
7つの属性が、黒い戦士の背後へ巨大な円環を描く。
王都中の魔導士が、その光を見上げた。
フィリアが息を呑む。
「7属性……」
イングリットは、首を振った。
「あり得ません。そんな術者が、存在するはずが……」
黒い戦士は右手を胸の前へ。
左手を腰へ引いた。
何年も。
何度も。
誰にも見られない場所で繰り返してきた構え。
テレビの向こう側にしか存在しなかった必殺技。
それを今。
自分の声で。
自分の力で。
現実へ放つ。
胸部のΩが回転を始める。
《全術式、接続準備完了》
海は外装の中で、一度だけ深く息を吸った。
次に外へ響いたのは、黒い戦士の低く尊大な声だった。
「七相統合。全術式、終端領域へ接続」
7つの円環が重なる。
「火は災厄を焼き、水は穢れを洗い流す」
敵の一人が我に返り、杖を向けた。
炎弾が放たれる。
黒い戦士の周囲に自動防壁が展開し、攻撃を弾いた。
海は気づかない。
「風は虚偽を暴き、土は崩れゆく理を支えよ」
二撃目。
闇の槍が背後から迫る。
Deltaが光の盾で受け止めた。
海は止まらない。
「雷は閉ざされた道を穿ち、光は命を導き、闇はすべての悪意を呑み込め」
三撃目。
氷の刃が足元から伸びる。
風と炎が自動展開され、刃を霧へ変えた。
海は完全に、自分の世界へ入っていた。
少年の頃から、何度も夢見てきた。
自分の考えた口上を叫び。
自分の決めた構えを取り。
誰かを守るために、必殺技を放つ瞬間を。
七色の光が、胸部のΩへ収束する。
「七つの理よ、一つの円環となり、世界を蝕む災厄に終焉を告げろ!」
遠く離れた通信中継所。
復旧した映像越しに口上を聞いていたカスミが、一言だけ呟いた。
『また長い』
海にも聞こえていた。
だが、今は止まれない。
黒い戦士は、右腕を大きく振り抜く。
7つの光が、王都の夜空を覆った。
「七相終端!」
黒と金の光が、音もなく王都全域へ広がった。
建物は壊れない。
市民にも触れない。
夜空を飛ぶ鳥さえ、その羽ばたきを止めなかった。
だが。
市場に仕掛けられた禁魔爆弾が沈黙する。
避難路を汚染していた術式が消える。
救護拠点の患者を繋いでいた赤黒い線が、光の中でほどけていく。
覆面兵たちの武器から、禁魔術式だけが失われる。
遠隔起爆装置が、一斉に焼き切れた。
12地点。
すべて同時に。
王都を覆っていた災厄だけが、黒と金の光に呑み込まれて消えた。
夜が戻る。
静寂。
誰も歓声を上げなかった。
何が起きたのか。
理解が追いつかなかった。
フィリアは、赤黒い術式が消えた患者の傷へ治癒の光を流す。
今度は逆流しない。
傷が静かに閉じていく。
「治療が……通ります」
イングリットは、自国の禁制技術が消えた跡を見つめていた。
「王都全域の禁魔道具を、一人で……」
通信中継所では、ノルドが剣を下ろしていた。
カスミは、沈黙した金属球を見る。
その横で、KTC-αの青いLEDが一度だけ点滅した。
王城指令室。
エリアナの記録板には、膨大な処理結果だけが表示されている。
途中経過は、一行も残されていなかった。
リゼットが震える指で画面をなぞる。
「解析記録がありません……」
「違います」
エリアナが答える。
「あまりに速すぎて、記録術式が追いつかなかったんです」
エドガーは、王都上空に残る巨大なΩを見上げていた。
模擬戦で。
海は一歩も動かなかった。
だが、それは戦えなかったからではない。
戦う必要がなかっただけなのだ。
「一人で……軍そのものじゃないか」
誰かの呟きが、指令室へ落ちた。
シャルロットは何も答えなかった。
ただ、通信映像に映る黒い戦士を見つめている。
視線は冷静だった。
けれど、その指先は机を強く掴んでいた。
救護拠点。
黒い戦士は右腕を下ろした。
赤い複眼の奥で、海の口元が少し緩んでいる。
(……決まった)
《口上開始から術式発動まで、4.8秒の遅延を確認》
(遅延じゃない。溜めだよ)
《口上中、自動防御を三回実行しました》
(三回?)
通信越しに、カスミの声が届く。
『敵、待ってない』
黒い戦士は、わずかに肩を揺らした。
「演出を損なう報告は、発動後に回したまえ」
『先に死ぬ』
フィリアが、黒い戦士へ恐る恐る尋ねる。
「先ほどの言葉は、詠唱ではないのですか?」
「詠唱ではない」
「では、術式を安定させる祈りでしょうか?」
「それに近いものだ」
《音声工程は、発動条件に含まれません》
(Delta)
フィリアは、ますます困惑した。
「では、いったい何のために……」
通信越しに、カスミが答える。
『趣味』
黒い戦士が胸を張る。
「精神を戦闘状態へ移行させる、重要な起動儀式だ」
『趣味』
「ヒーローには必要なのだ」
『長い趣味』
黒い戦士は反論しようとした。
だが、遠くから騎士団の増援が近づいてくる。
一般兵へ姿を見られる前に、離れなければならない。
黒い戦士はコートを翻した。
「災厄は終わった。後は諸君らに任せよう」
フィリアが頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました」
黒い戦士は、一瞬だけ動きを止めた。
それから、低く変換された声で答える。
「礼には及ばない」
黒い戦士が夜空へ跳び上がる。
フィリアはその背中を見送りながら、小さく微笑んだ。
名前は呼ばなかった。
その必要もなかった。
襲撃の収束から、しばらく後。
魔導騎士団本部の中央フロアには、帰還した者たちが集まっていた。
負傷者の搬送。
敵工作員の拘束。
通信記録の確認。
慌ただしい空気の中。
音無海は、何事もなかったような顔で歩いてきた。
「皆さん、お疲れさまでした。ご無事で何よりです。大変だったみたいですね」
声が少し上ずっている。
エリアナが、悪意のない笑顔で海へ近づいた。
「海様。先ほどの黒い戦士、素晴らしいご活躍でしたね」
「そ、そうなんだ。僕は王城にいたから、直接は見てないけど……」
「海様の遠隔支援が途切れた直後に現れました」
「ははっ、偶然って、あるよね」
フィリアが海の前へ立つ。
「ご無事で、本当によかったです」
「うん。だから僕はずっと王城にいたから、危険なことは何も……」
「はい」
フィリアは穏やかに微笑んだ。
「そういうことにしておきます」
海の笑顔が引きつる。
その後ろから、シャルロットの声が落ちた。
「待機と命じたはずだけれど」
「待機していましたよ」
海は胸へ手を当てた。
「音無海は……」
「言葉遊びを許可した覚えはないわ」
「でも、結果的に被害は止められましたし」
「それと命令違反は別の話よ」
「はい……」
海は小さくなった。
それでも、まだ一つだけ納得していないことがあった。
「でも、顔も声も体格も全部変えていたし、正体までは分からなかったと思うけど」
カスミが海を見る。
「あれで?」
「何?」
「バレてないと思えるの、才能」
海の表情が、わずかに緩んだ。
「いやぁ〜、天才だなんて」
「言ってないし、褒めてない」
「えっ、そうなんですか? 完璧だったじゃないですか」
カスミは一度、海を頭から足元まで見た。
「あれでバレてないと思える思考がすごい」
「声も口調も変えていたんですよ?」
「中身がミュート」
「中身までは変えられませんよ!」
「全てが無理」
カスミの宣告が、海の胸へ容赦なく突き刺さった。
反論の言葉を探して口を開きかけた、その時だった。
「まあ、何にせよ。よくやったじゃねえか、坊主」
少し離れた壁際で腕を組んでいたパールが、満足そうに頷く。
「ありがとうございます。とにかく、皆が無事で本当によかったです」
海が安堵の息を吐くと、パールは片方の眉を上げた。
「皆が、ねえ」
その視線が、ゆっくりとフィリアへ向く。
「命令まで破って飛び出した理由は、あのお嬢ちゃんを助けるためだったんだろ?」
「えっ」
フィリアの肩が跳ねた。
「好きな女一人守れねえようじゃ、男が廃る。そうだろ、あのお嬢ちゃん」
「す、好きな……女……?」
フィリアの頬が、耳まで一気に赤く染まった。
両手を胸元で重ね、助けを求めるように海を見る。
だが。
見られた海も、同じくらい真っ赤になっていた。
「い、いや、違います! フィリアさんは大切な仲間で、もちろん心配ではありましたけど、別にそういう意味ではなくて!」
「海様、そこまで強く否定なさらなくても……」
フィリアが傷ついたように視線を伏せる。
「あっ、違うんです! フィリアさんを否定したわけじゃなくて、僕が言いたいのは、そういう意味じゃないというか、でも大切なのは本当で……!」
言葉を重ねるほど、海の足元だけが深く沈んでいく。
パールは盛大にため息を吐いた。
「坊主。そこで必死に否定したら、あのお嬢ちゃんの立つ瀬がねえだろうが」
「えっ?」
「空から降る矢は全部落とせても、目の前の女心は一つも拾えねえのか」
海の口が、声もなく開いた。
フィリアは顔を隠すように俯き、ますます赤くなる。
カスミは目を閉じたまま、腕を組み直した。
「ミュート、そういうとこ」
# 今話あらすじ・公開用
王都各地で同時に発生した襲撃と禁魔道具の起動。
黒き戦士へ変身した海は、窮地に立たされたカスミとフィリアのもとへ駆けつける。
雷の矢で狙撃手を制し、十本の指から放つ魔法で王都へ降り注ぐ禁魔矢を迎撃する海。
やがて王都全域を巻き込む第二起爆が始まり、黒きΩは七つの属性を一つへ束ねる。
# 今話あらすじ・管理用
オメガライザーで変身した海が中央通信中継所へ到着し、カスミ、KTC-α、ノルドを救援する。
7属性を同時に使用して禁魔道具を解除し、王都の通信網を復旧。
東区救護拠点へ移動し、フィリアとイングリットを救援する。
海は全属性魔法を行使し、ライトニング・アローで城壁上の狙撃手を無力化。
続く三十七本の禁魔矢を、十指から十系統の魔法を放つカラミティ・エンドで全迎撃する。
王都内12地点の第二起爆に対し、七相終端を発動。市民や建物を傷つけず、禁魔道具のみを一斉停止させる。
帰還後、海は正体を隠せたと思い込むが、身内には完全に露見。
最後はパールが海とフィリアの関係へ踏み込み、海の鈍感さをカスミが切り捨てて締める。
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この物語は、異世界ファンタジーに変身ヒーロー要素と高飛車令嬢コメディを混ぜ込んだ作品です。
凛と海の全力変身を、これからも見届けていただければ嬉しいです。




