EP58:命令の檻、黒きΩは夜を駆ける [LOG_OMEGA]
今回は、海が「待つ側」から一歩踏み出す回です。
離れていても届く声。
届かない手。
守るための命令と、守りたいという自分の意思。
そして、ずっと憧れていた言葉を、ついに彼が口にします。
どうぞ最後までお楽しみください。
設計処理は、海の迷いなど待ってはくれなかった。
宙に浮かぶオメガコードの隅で、黒い人型の輪郭が少しずつ組み上がっていく。
頭部。
胸部。
両腕。
腰部。
脚部。
それぞれがまだ淡い線で描かれただけの、実体を持たない設計図だった。
《外装基本構造、演算進行率23%》
Deltaの声が、静まり返った演習場に響く。
海は画面から目を逸らし、王都の地図を拡大した。
黒い外装を完成させることより、今は優先するべきものがある。
東区。
中央通信中継所。
西区避難路。
王城指令室。
赤い警告が、地図の上で脈を打っていた。
《東区防衛隊、敵前衛と交戦中》
《負傷者、増加》
《中央通信中継所、通信回復率12%》
《西区避難路、通行不能》
「外装処理はバックグラウンドへ」
《アクセプト》
黒い人型が画面の端へ縮小される。
代わりに、王都各地の情報がいくつもの小窓となって展開された。
海は深く息を吸った。
ここからでも、できることはある。
命令を破る必要はない。
走らなくても。
剣を振るわなくても。
先ほどの模擬戦と同じように、仲間が必要とする答えを渡せばいい。
「Delta。王国軍の通信網へ接続」
《中央通信中継所との直接接続は不安定です》
「王城指令室を経由する。エリアナさんの記録板へ送って」
《アクセプト》
海の指が、オメガコードの上を走る。
東区の立体地図が広がった。
崩れた建物。
燃える露店。
逃げ惑う市民。
道路を塞ぐ瓦礫。
その間を、騎士団と覆面の武装集団が入り乱れている。
敵は無秩序に暴れているように見えた。
だが、人の流れだけを抜き出せば、その意図が浮かび上がる。
一隊が市民を追う。
騎士が救助へ向かう。
空いた脇道から、別の部隊が回り込む。
避難誘導そのものが、包囲を完成させる罠になっていた。
「エドガーの位置は」
《東区第三街路。防衛隊と合流》
金色の光点が、地図の中央で動いている。
海は王国軍の通信回線を開いた。
雑音。
怒号。
剣戟。
爆発。
その向こうから、エドガーの声が聞こえた。
『左翼を下げろ! 市民を第二街路へ通せ!』
「そっちは駄目です!」
通信符から声を受けたエドガーが、僅かに振り返る。
『海か!?』
「第二街路の先に敵が三人います。避難誘導を待っている」
『見えないぞ!』
「屋根の上じゃない。地下水路です。三つ先の格子から出てくる」
エドガーが一瞬だけ言葉を止めた。
疑う時間はなかった。
『全隊、避難経路を第四街路へ変更! 土術隊は地下格子を封鎖しろ!』
騎士たちが一斉に動く。
数秒後。
第二街路の地面を突き破り、覆面の男たちが飛び出した。
しかし、待ち構えていた土壁がその進路を塞ぐ。
回り込もうとした敵へ、エドガーの炎剣が振り下ろされた。
『今だ! 市民を通せ!』
人の流れが変わる。
囲まれかけていた避難民が、開かれた第四街路へ走り出した。
地図上の赤い警告が、一つ消える。
《避難民、推定47名。包囲区域より離脱》
海の肩から、僅かに力が抜けた。
「よかった……」
『聞こえているぞ、海』
通信の向こうで、エドガーが言う。
『今の指示は悪くなかった』
「ありがとうございます」
『だが勘違いするな。指揮したのはこの俺だ』
「はい。僕は場所を伝えただけです」
『……分かっているならいい』
通信が切れる。
その直前。
『次も見つけたら、すぐに言え』
小さな声だけが残った。
海は一瞬、目を丸くした。
それから、次の画面へ指を滑らせる。
救護拠点。
フィリアのアークレンズから送られてくる映像は、激しく揺れていた。
床に並べられた負傷者。
淡い治癒光。
血に濡れた包帯。
泣き叫ぶ子ども。
指示を飛ばしながら、一人ひとりへ手を触れるフィリア。
その額には、すでに汗が浮かんでいる。
《アークレンズ専用接続、確立》
「フィリアさん、聞こえますか」
『海様……?』
呼吸が乱れている。
それでも声は、いつもの丁寧さを崩していなかった。
『王城でお待ちくださいと、お約束いただいたはずです』
「王城にいます。遠隔支援です」
『……本当に、王城にいらっしゃいますか?』
「います」
フィリアは疑うように一瞬黙った。
だが、負傷者の呻き声が彼女を現実へ引き戻す。
『申し訳ございません。こちらは少し、治癒術式の反応がおかしいのです』
海は患者の魔力波形を並べた。
治癒術式が流れ込んだ直後、別の患者へ同じ波形が移動している。
一人を治そうとするたび、別の患者の傷へ汚染が広がっていた。
「治療を一度止めてください」
『ですが、この方は出血が』
「止血だけ続けて。治癒術式は流さないでください」
フィリアの指先が止まる。
その判断がどれほど怖いか、海にも分かった。
治せる力を持ちながら、治療を止める。
それは、何もしないこととは違う。
『理由を、お聞かせください』
「患者同士の術式が繋がっています。治癒魔力を吸って、他の傷へ汚染を移している」
『治療するほど……広がるのですか』
「はい。患者を三つの群へ分けてください。治癒術式を受けた人。まだ受けていない人。魔力反応が極端に低い人」
フィリアはすぐに周囲の治療術師へ指示を飛ばした。
『こちらの五名を東側へ! 治療を受けていない方は中央へ移してくださいませ! 魔力反応の弱い方には、術式を使わず止血と保温を!』
負傷者が分けられる。
混線していた波形が、少しずつほどけていく。
《汚染拡大速度、低下》
「一人ずつなら分離できます。僕が順番を送ります」
『ありがとうございます、海様』
フィリアの声に、僅かな安堵が戻る。
『やはり、海様は王城にいらしても、私どもを支えてくださるのですね』
その言葉が、海の胸を温めた。
ここからでも届く。
命令を守りながらでも、助けられる。
「次は右端の男性からです」
『承知いたしました』
フィリアの手が動く。
汚染された術式だけを細く剥がし、別の治療術師が傷を閉じていく。
一人。
二人。
三人。
患者の呼吸が安定するたびに、アークレンズ上の警告が消えていった。
海は次の接続へ切り替える。
中央通信中継所。
映像が繋がった瞬間、金属の悲鳴が響いた。
石造りの円塔内部。
床を走る無数の術式線。
その中心で、カスミが膝をついていた。
片手は床へ押し当てられ、もう片方の手には細い工具が握られている。
彼女の隣では、赤と黒鉄色の箱が大きく展開していた。
KTC-α。
愛称、機甲コアラ《メカラ》。
収納形態から開いた本体の左右より、二本の作業アームが伸びている。
青いLEDが激しく点滅し、床下から引き出された導線をそれぞれ保持していた。
一台の小型支援ドローンが、天井近くを旋回する。
別の一台は壁面へ張りつき、内部術式を照射していた。
メカラは言葉を発しない。
短い機械音と、明滅する青い光だけで、カスミへ状態を伝えている。
『ミュート』
「見えています」
『遅い』
「接続が汚染されています」
『言い訳、あと』
カスミの声は短い。
だが、呼吸はいつもより僅かに速かった。
床に設置された黒い金属塊から、紫色の術式線が中継所全体へ伸びている。
爆弾。
ただ爆発するだけではない。
通信回路へ接続され、王都全体へ異常な波形を送り続けている。
「魔力を流さないでください」
『流してない』
「そのまま。解除術式も使わないで」
『罠?』
「解除手順を読んでいます。入力された術式を逆算して、別の場所を起爆させる構造です」
『趣味、悪い』
カスミの足元で、メカラのLEDが一度だけ赤く点滅した。
警告。
支援ドローンが床下の一部を映し出す。
第一導線。
第二導線。
通信網。
起爆核。
すべてが絡み合っている。
「右の導線を切ると、通信網が落ちます」
『左は』
「避難路側の起爆核へ繋がっています」
『中央』
「救護拠点への通信経路」
カスミが一瞬、黙る。
どれを切っても、別の誰かが危険になる。
《中継所外部、敵性反応接近》
映像の奥。
階段を駆け上がる複数の足音が響いた。
カスミは視線だけを入口へ向ける。
『手、離せない』
「分かっています」
『敵、来る』
「防衛隊は」
《最寄り部隊、到着まで推定4分》
4分。
敵はすでに、扉の向こうにいる。
その時。
中継所の入口で、鈍い衝撃音が響いた。
扉が内側へ僅かに歪む。
カスミの隣で、メカラが動いた。
一方の作業アームを導線へ固定したまま、本体の外装が展開する。
黒鉄色の装甲板が組み替わり、カスミの背後へ盾のように立ち上がった。
シールドモード。
次の衝撃。
扉を貫いた魔力弾が、カスミへ一直線に飛ぶ。
メカラの盾が割り込んだ。
爆音。
赤い外装に亀裂が走り、青いLEDの一部が消える。
『……あとで直す』
カスミは振り返らない。
その声に怒りが滲んでいた。
「カスミさん。床下の起爆核を物理的に固定できますか」
『方法』
「起爆核の下、15センチ。空洞があります」
カスミが工具を差し込む。
メカラの小型ドローンが、指定された地点へ光を当てる。
『見えた』
「起爆核を動かさず、その下だけを穿孔してください」
『メカラ』
青いLEDが二度点滅した。
了解。
本体下部から細いドリルランスが展開する。
高速回転。
石床を削る音が中継所へ響いた。
《警告。敵性反応、扉を突破》
扉が吹き飛ぶ。
黒衣の男が三人。
その後ろに、細身の影が一つ。
先頭の男がカスミへ刃を向ける。
だが。
横から飛び込んだ剣が、その刃を弾いた。
黒い外套。
無駄のない踏み込み。
ノルド・エーベルが、カスミの前へ立っていた。
「解除を続けろ」
カスミはノルドを見上げない。
『頼んでない』
「知っている」
ノルドの短剣が返る。
一人目の手首を打つ。
二人目の足を払う。
三人目が、指を二度鳴らした。
その簡略信号を見た瞬間、ノルドの動きが僅かに止まる。
覆面の男も、目を見開いた。
「貴様……なぜ、その信号を」
ノルドの短剣が男の顎を打ち抜く。
「黙れ」
短い言葉だった。
だが、何かを隠すには、あまりにも鋭すぎた。
カスミの目が、僅かにノルドへ動く。
『あとで聞く』
「好きにしろ」
ノルドはそれ以上、答えなかった。
海は画面越しに、そのやり取りを記録する。
今は追及できない。
中継所の解除が先だ。
「穿孔深度、あと3センチです」
メカラの作業アームから火花が散る。
右側のアームが、紫色の逆流を受けた。
青いLEDが激しく点滅し、関節部から煙が上がる。
それでも、アームは導線を離さない。
「もう少しです」
『ミュート』
「はい」
『次、間違えたら爆発』
「分かっています」
『声、震えてる』
海は自分の手を見る。
確かに震えていた。
王城にいる。
安全な場所にいる。
それでも、画面の向こうで仲間が命を預けている。
間違えれば。
カスミも。
ノルドも。
中継所の外にいる人々も。
「……間違えません」
そう答えた瞬間。
別の警告音が重なった。
《東区救護拠点、敵襲》
フィリアの映像が、大きく揺れる。
治療術師の悲鳴。
防壁へ叩きつけられる魔力弾。
患者を守るために立ち上がるフィリア。
彼女は片手で防壁を維持しながら、もう片方の手で負傷者の汚染術式を分離していた。
二つの術式を同時に支える。
魔力消費が急激に上昇する。
《フィリア様、魔力消費率上昇》
《防壁損耗率31%》
「フィリアさん!」
『海様。こちらは大丈夫でございます』
大丈夫なはずがない。
声がかすれている。
それでもフィリアは、海へ助けを求めなかった。
『治療を続けてくださいませ! 防壁は私が維持いたします!』
背後では、イングリットが負傷者の間を走っている。
『アークライト殿、右側の波形を私が抑える!』
『お願いいたします!』
イングリットの治癒術式が、汚染された波形へ食い込む。
二人で患者を守る。
しかし、救護拠点を包囲する敵はさらに増えていた。
海は王国軍の配置を確認する。
援軍は遠い。
エドガーは市場で市民を守っている。
カスミは爆弾から手を離せない。
シャルロットは王都全体の指揮で動けない。
誰も余っていない。
全員が、自分の役割へ縫い止められている。
《フィリア様、防壁損耗率46%》
金色の壁に亀裂が走る。
フィリアの身体が僅かに揺れた。
それでも、患者の前から動かない。
「シャルロット様へ接続」
《王国軍通信網、接続》
『海?』
シャルロットの声の背後では、何人もの伝令が報告を続けていた。
「フィリアさんの救護拠点へ向かわせてください」
『駄目よ』
返答は早かった。
「ですが、防壁がもちません」
『分かっているわ。近衛隊を向かわせている』
「到着まで何分ですか」
短い沈黙。
それが答えだった。
『海。相手は、あなたが出てくるのを待っている可能性が高い』
「フィリアさんたちは今、攻撃されています」
『だからこそよ。救護拠点を狙えば、あなたが動くと分かっている』
海は唇を噛む。
正しい。
シャルロットの判断は正しい。
「僕が行けば、被害を減らせます」
『あなたが敵の本命なら、被害がさらに広がる可能性もある』
「でも」
『待機命令は継続します』
通信の向こうで、新たな報告が飛び込む。
『団長! 西区で第二起爆反応!』
シャルロットの声が遠ざかる。
『海。今は、あなたにしかできない遠隔支援を続けなさい』
接続が切れた。
海は王都の地図を見つめる。
自分にしかできない支援。
確かにある。
だが。
フィリアの防壁は、遠隔支援だけでは張り直せない。
カスミの前へ立つ敵を、解析だけでは倒せない。
汚染された患者を分離できても、救護拠点へ飛び込む刃までは止められない。
正解を送るだけでは。
その正解を実行する手が、足りない。
《救護拠点、防壁損耗率58%》
《中央通信中継所、KTC-α右作業アーム機能低下》
《東区防衛隊、敵増援を確認》
画面の中で。
仲間たちが。
自分の代わりに、少しずつ削られていく。
海は拳を握った。
命令を守る。
仲間を守る。
両方を満たす答えを探す。
王国軍を再配置する。
間に合わない。
空間転移で負傷者だけを移動させる。
禁魔汚染が転移術式へ干渉する。
天照で遠距離防壁を張る。
魔力波形から正体が露見する。
自分が現場へ行く。
待機命令違反。
一つずつ。
可能性が消えていく。
オメガコードの片隅で。
黒い人型の演算が続いていた。
《外装基本構造、演算進行率71%》
その時。
演習場の隅から、小さな機械音が鳴った。
かちり。
海が振り返る。
壁際に置かれていた小型機Kが、収納状態からゆっくりと起き上がる。
カスミが中継所へ向かう直前。
KTC本体から切り離し、ここへ残していった小型ロボだった。
その上部に設けられた小さな座席で、パールが腕を組んでいる。
「おい坊主、随分と難しい顔してんな」
「龍さん……」
「命令と現場を並べて、どっちも壊さねえ答えでも探してんのか?」
「探しています」
「見つかったか?」
海は答えられなかった。
パールは鼻を鳴らす。
「お前の頭が速いのは知ってる。だがな、速く考えりゃ、何でも間に合うわけじゃねえ」
「分かっています」
「分かってねえ顔だ」
パールの視線が、オメガコードに映るフィリアへ向く。
ひび割れた防壁。
震える腕。
それでも患者から離れない姿。
「あのお嬢ちゃんは、今も他人の命をつないでる」
海の指が止まる。
「お前はここで、命令書でも抱いて待つのか?」
「命令には理由があります」
「そりゃあるだろうさ」
パールはあっさりと認めた。
「命令する奴だって、考えなしじゃねえ。お前を守りたい。罠にかけたくない。被害を増やしたくない。全部、本当だ」
「だったら」
「だがな」
パールの声が低くなる。
「命令を守って、あのお嬢ちゃんが死んだら、お前は誰に褒めてもらうつもりだ?」
海は息を止めた。
「命令は、生きて帰ってから叱られりゃ済む」
パールは画面の中のフィリアを見る。
「死んだ奴には、あとから何を言っても届かねえぞ」
《フィリア様、防壁損耗率67%》
防壁の亀裂が広がる。
海の手の震えが強くなった。
パールが続ける。
「男なら、迷ってる暇があるなら、好きな女一人くらい助けてこい」
「好きな女って……フィリアさんは、そういう」
「今そこを否定してる時間が一番無駄だ」
《発言内の対象をフィリア様と推定》
「Deltaも今は解析しなくていい!」
「ほら。機械にもバレてんじゃねえか」
「バレているとか、そういう話ではありません!」
「じゃあ何の話だ」
海の口が止まる。
パールが問う。
「お前は、どうしたい?」
命令ではない。
計算でもない。
誰かに決めてもらうための問いでもない。
海は画面を見る。
フィリア。
カスミ。
エドガー。
エリアナ。
シャルロット。
戦っている全員。
怖かった。
外装が正常に動く保証はない。
禁魔道具に通用するかも分からない。
敵が自分を待っている可能性もある。
出れば、シャルロットの命令を破る。
正体を隠せたとしても、仲間には気づかれるかもしれない。
敵の罠なら。
自分が現れた瞬間、さらに大きな被害が起きるかもしれない。
それでも。
画面の前で誰かが傷ついていくのを、見続けることはできなかった。
海は息を吸う。
震える手を、オメガコードへ置いた。
「……僕は、助けに行きます」
《意思決定を確認》
Deltaの声が返る。
《待機命令との競合を再確認》
「分かってる」
《実体化後、出撃する可能性は》
「高い」
《訂正。出撃を前提としています》
海は一瞬だけ目を閉じた。
まだ行くとは決めていないと言った。
準備だけだと、自分にも言い聞かせた。
だが、もう違う。
「……うん」
海は目を開いた。
「出撃を前提にする」
《アクセプト》
オメガコードの片隅にあった黒い人型が、画面中央へ展開される。
《外装基本構造、演算進行率74%》
「保留を解除。実体化準備へ移行」
《アクセプト》
黒い輪郭へ、細かな構造線が走る。
顔面。
肩幅。
胸部円環。
腰部認証機構。
脚部補助。
コート状外装。
《正体秘匿構造を優先します》
「声紋を変える」
《音声変調機能を追加》
「身長と肩幅もずらして」
《外装投影により補正可能》
「赤髪を完全に隠す」
《頭部外装を密閉構造へ変更》
「魔力波形は」
《天照、オメガフレーム、オメガコードの出力を分散。単一術者としての識別精度を低下させます》
海は設計図を回転させた。
黒い装甲。
長い外套。
赤い複眼。
胸部に描かれた円環。
その中央に、Ωの意匠が浮かぶ。
《警告》
「何?」
《胸部Ω意匠は正体秘匿性能へ寄与しません》
「残す」
《金色発光線も同様です》
「残す」
《変身音声は不要です》
「必要」
《決めポーズも不要です》
「必要」
《必殺技名は、現時点で技術的効果を持ちません》
海は画面を見つめた。
「全部必要」
《理由を要求》
「ヒーローだから」
短い沈黙。
パールが呆れたように息を吐く。
「そいつは、技術者の答えじゃねえな」
「分かっています」
「だが、嫌いじゃねえ」
海は設計図の中の黒い戦士を見る。
怖くなくなるための装備ではない。
これを着たからといって、恐怖が消えるわけではない。
ただ。
震える足を前へ出すために。
自分が憧れた姿へ、一度だけ身体を預ける。
そのための型。
そのための音。
そのための名前。
《設計進行率86%》
海はオメガコードを閉じると、演習場の中央へ立った。
右手を胸の前へ。
左手を腰へ。
パールが眉を寄せる。
「何してんだ」
「最終確認です」
海は一度、深く息を吸った。
右腕を斜めに振る。
左手を引く。
「変身!」
静かな演習場へ、海の声だけが響く。
動きを止めたまま、海は首を傾げた。
「……違う」
「何がだ」
「右手が少し高い」
「知らねえよ」
海はもう一度、最初の姿勢へ戻る。
右腕を振る。
左手を腰へ。
「変身っ!」
「今度はどうだ」
「音声が終わる前に動くと、間が潰れます」
「間なんか潰しとけ」
「駄目です」
三回目。
海は呼吸を整える。
怖さを、胸の奥へ押し込めるのではない。
怖いまま。
その震えごと、動作へ組み込む。
右手が滑らかに走る。
胸の前で拳を握る。
左手が腰へ収まる。
「変身っ!」
先ほどまでより、動きに迷いがなかった。
海は小さく頷く。
「これなら」
「何がこれなら、だ」
海は今度は半身になり、右拳を引いた。
「オメガ……」
数秒、そのまま止まる。
「技名を言ってから3秒ためるか、構えの途中で言うか……」
パールが額へ手を当てた。
「お前、そんなことしてる暇があるなら、さっさと行け」
海は真剣な顔で答えた。
「とても大事なことなんです」
「お前の大事は、今やることじゃねえ」
《フィリア様、防壁損耗率78%》
警告が響く。
海の表情が変わった。
練習は終わりだった。
《設計進行率98%》
《実体化可能》
海は閉じた天照を手に取る。
白金色の柄。
傘という形を保ったまま、何度も自分と仲間を守ってきた魔導具。
「天照。少しだけ、形を借りる」
柄の内部で、淡い光が回転する。
天照の輪郭が、金色の粒子へほどけていく。
傘の形が消える。
光は海の胸元。
腰。
両腕。
頭部へ分かれ、設計図に示された接続点へ収まっていった。
《天照内部構造、分散接続》
《オメガフレーム、顔面外装へ移行》
海の眼鏡が赤い光へ包まれる。
レンズ。
フレーム。
視界補助装置。
それらが細かな粒子へ変わり、顔全体を覆う装甲へ変換されていく。
《オメガコード、外装維持モード》
宙に浮いていた黒い板が薄く伸びる。
複数の光の帯となって、海の周囲を回転し始めた。
黒。
金。
赤。
三色の術式線が、足元から螺旋を描いて立ち上る。
《警告》
《即席外装のため、長時間運用は非推奨》
《一部装甲は魔力投影》
《連続変身性能、未検証》
《耐久性能、未測定》
《設計誤差発生率、算出不能》
「分かってる」
《戦闘中の再演算は、マスターへ高い負荷を与えます》
「それも分かってる」
《正常動作の保証はありません》
海の指先が震えた。
変身できないかもしれない。
途中で外装が崩れるかもしれない。
現場へ着く前に、演算負荷で動けなくなるかもしれない。
怖い。
逃げたい。
誰かに、大丈夫だと言ってほしい。
だが。
今、現場にいる仲間たちも。
きっと同じように怖い。
それでも、自分の役割を放り出してはいない。
海は震える拳を握りしめた。
「Delta」
《はい、マスター》
「起動する」
《最終確認》
《オメガライザーを実体化しますか》
海は胸の前へ右腕を構える。
三度繰り返した型。
今度は練習ではない。
「……僕は、助けに行く」
右腕を振る。
左手を腰へ。
恐怖が消えたわけではない。
震えも止まっていない。
それでも。
海は前を向いた。
「変身っ!」
《Ω-LYZER》
低く重い起動音が、演習場を震わせた。
《IDENTITY MASK》
黒い光が海の身体を包む。
《FRAME CONNECT》
肩から腕へ、光沢のある黒い装甲が形成される。
金色の細い術式線が、その表面を走った。
《CODE DEPLOY》
胸部へ円環状のコアが現れる。
中心に、鋭いΩの意匠が刻まれる。
《AMATERAS LINK》
胸部の円環から、白金色の光が全身へ広がった。
黒い外装と、天照の光。
相反する二つが、互いを拒まず重なっていく。
《OMEGA RISE》
頭部外装が閉じる。
赤い髪。
黒縁眼鏡。
素顔。
すべてが漆黒の装甲の下へ隠された。
顔面中央を縁取るΩ型の発光部。
その奥で。
赤い複眼が、鋭く点灯した。
両肩の輪郭が広がる。
体格が変わる。
腰から長いコート状の外装が形成され、夜風もない演習場で大きく翻った。
最後に。
腰部のΩ意匠が金色に輝く。
《OMEGA-LYZER》
《SYSTEM COMPLETE》
光が弾けた。
そこに。
音無海の姿はなかった。
黒い光沢装甲。
金色に走る細い発光線。
赤い複眼。
胸に刻まれた円環とΩ。
長い外套を背負った、正体不明の黒い戦士。
海はゆっくりと両手を見る。
指が動く。
視界も正常。
身体の感覚もある。
それでも、胸の鼓動だけは早いままだった。
《外装維持、正常》
《音声変調、正常》
「声は」
装甲の内側から発せられた声は、海自身のものではなかった。
低く。
僅かに金属音を含んだ、別人の声。
《体格偽装、正常》
《魔力波形分散、正常》
《一般兵による正体看破率、低》
海は安堵しかけた。
《追加報告》
「何?」
《フィリア様による看破率、高》
海の動きが止まる。
《カスミによる看破率、極めて高》
「今は聞かない」
《シャルロット様、エリアナ様、エドガー様についても》
「聞かない!」
パールが、Kの上で肩を震わせた。
「お前、隠す気あんのか」
黒い戦士は、ゆっくりと王城の出口へ向き直る。
「あります」
「なら、その胸の光るΩは何だ」
「必要なものです」
「コートもか」
「必要です」
「その目の赤い光も?」
「全部必要です」
パールは呆れた顔で笑った。
「行ってこい、ヒーロー」
海は答えなかった。
ただ。
一歩を踏み出した。
怖がりな少年の足で。
憧れ続けた戦士の姿を纏い。
夜の王都へ続く扉へ向かって。
音無海は、王城に残った。
その代わり。
胸に金色のΩを刻んだ黒い戦士が。
助けを待つ人々のもとへ、走り出した。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
少しでも「続きが気になる」「凛と海を見守りたい」と思っていただけましたら、
ブックマーク・評価・感想で応援していただけると、とても励みになります。
この物語は、異世界ファンタジーに変身ヒーロー要素と高飛車令嬢コメディを混ぜ込んだ作品です。
凛と海の全力変身を、これからも見届けていただければ嬉しいです。




