EP50:神の傘、標的を誤読する [LOG_AMATERAS]
魔導師団棟の訓練区は、屋外中庭に隣接していた。
高い結界壁に囲まれ、魔法の試射や防御訓練、術式制御試験を行うための場所だ。
地面には古い魔法陣の痕跡が幾重にも刻まれ、空中には安全結界の淡い膜が張られている。
シャルロットが片手を上げると、訓練区全体に青白い制御光が走った。
「安全結界を三重にします」
「三重」
海が小さく呟く。
「念のためです」
「そんなに危ないことはしません」
シャルロットは海を見た。
「あなたの『そんなに』は信用しないことにしました」
「学習が早い」
カスミが短く言う。
「カスミさんまで」
フィリアは二人のやり取りを聞きながらも、アークレンズに表示される海の体調を確認していた。
昨日よりは落ち着いている。
けれど、完全に平常ではない。
魔導書庫との接続。
三日半。
百万冊を超える知識の定着。
その負荷が、まだ海の奥に残っている。
「海様。ご無理はなさらないでくださいませ」
「はい。今日は確認だけです」
「その『だけ』も、少し信用しづらくなってまいりました」
フィリアの呟きは、苦言というより祈りに近かった。
海は背にしていた長傘を軽く叩いた。
黒と銀の柄。
細く畳まれた傘骨。
外側には、淡い金色の術式線が流れている。
昨日、天照の概要は説明した。
杖であり、傘であり、射出機構であり、刀でもある。
だが、それはあくまで海の言う「概要」だった。
シャルロットにとっては、王城へ報告書として提出するには、あまりにも曖昧すぎる説明だった。
「海」
「はい」
「昨日、あなたはずいぶん軽く説明しましたね」
「軽く、ですか?」
「ええ。今になって分かりました。あれは概要説明ではありません。危険物の包装紙を見せられただけです」
「包装紙」
「中身を確認します。昨日語られなかった具体値を、答えなさい」
シャルロットの声は静かだった。
だが、その静けさは完全に監査の声だった。
「まず、射出機構。あなたの言う、銃モードです」
「はい」
海は少しだけ背筋を伸ばした。
「理論上は、属性魔導弾を一秒あたり千発まで生成できます」
フィリアが、はっきりと息を呑んだ。
シャルロットの表情から、温度が消える。
「一秒で、千」
「理論上です」
「その言葉で薄まると思っていますか」
「少しだけ」
「薄まりません」
カスミが横から低く言う。
「そこもデチューンしてる」
「でちゅーん?」
シャルロットが聞き慣れない音を、そのまま繰り返した。
「わざと性能を落としてる」
沈黙が落ちた。
「……落として、千なのですか」
「理論上は」
「その理論、嫌い」
カスミの声には、感情というより判定が乗っていた。
海は慌てて手を振る。
「通常運用では使いません。弾は作れても、安全補正が追いつきません。撃てることと、撃っていいことは別です」
シャルロットはわずかに目を細めた。
「その一文は報告書に残します」
「どの部分ですか」
「撃てることと、撃っていいことは別、という部分です」
フィリアの表情が、少しだけ柔らかくなった。
彼は怖い。
けれど、力を怖がっている。
そのことだけが、彼をこちら側に留めている。
「狙撃距離は?」
「責任を持って運用できるのは、1km以内です」
シャルロットの眉がわずかに動いた。
「責任を持って?」
「はい。標的識別、安全線、風、魔力干渉、着弾後の被害範囲まで管理できる距離です」
「では、それ以上は?」
「弾を届かせるだけなら、もっと伸びます。けれど、届くことと、撃ってよいことは別です」
シャルロットは沈黙した。
その沈黙は、海の説明に呆れたものではなかった。
むしろ、今の一文をどう報告書に残すべきかを考えている沈黙だった。
「実用射程としては?」
「条件が揃えば、三キロから五キロです。高所、索敵補助、風と魔力干渉の補正、あとΩ-Frameの照準支援が前提です」
「それでも十分、戦場の距離という概念を壊しています」
「理論式だけなら百キロ以上も出ます」
シャルロットの瞳が止まった。
「百キロ」
「ただし、それは弾が届くだけです。狙って、識別して、責任を持って止めるのとは別です。僕は撃てても、撃っていいとは思いません」
「……あなた、時々まともなことを言いますね」
「時々」
「ええ、時々です」
海は少し傷ついた顔をした。
カスミが短く足す。
「だいたい危ない」
「カスミさん、まとめ方が雑です」
「正確」
シャルロットは小さく息を吐き、次に天照の傘骨へ視線を移した。
「では、防御能力は?」
海は天照を軽く開いた。
黒と銀の傘骨が半ばまで広がり、その内側に淡い金色の膜が薄く張られる。
空気が、ふわりと押し返された。
「標準展開はこの程度です。最大出力時は、半径五百メートル級の魔力障壁を展開できます。直径で約一キロです」
「一キロ」
シャルロットの声が平坦になる。
「ただし、これはあくまで防御膜の最大展開範囲です。真正面から全部を止めるというより、角度と衝撃を逃がすための範囲です」
「逃がす?」
「はい。完全停止は危険です。衝撃が全部その場に残りますから」
海は天照の傘膜を見上げた。
「たとえば、隕石対応です」
「隕石」
シャルロットの声が、一段低くなる。
「はい。ただし、昨日言った一キロ級は盛りすぎでした」
「盛りすぎ」
「はい。正確には、通常想定は直径100m級。条件が揃えば300m級までです」
「待ちなさい」
シャルロットが扇を閉じた。
「いま、何を小さくしたつもりですか」
「一キロ級よりは、だいぶ」
「比較対象がおかしいのです」
カスミが頷く。
「そこは同意」
海は少し困ったように言葉を選ぶ。
「真正面から止めるのではなく、落下角と衝撃を逸らします。完全停止ではありません。熱、破片、衝撃波を分散して、落下軌道をずらす形です」
「ずらす」
「はい。傘なので」
「傘なので」
「雨を消す道具じゃなくて、流す道具ですから」
カスミが視線を逸らした。
海はそちらを見る。
「カスミさんの言葉です」
「言うな」
「いい言葉だったので」
「うるさい」
フィリアは少しだけ微笑んだ。
シャルロットも、ほんのわずかだけ表情を緩める。
だが、すぐに団長の顔へ戻った。
「海」
「はい」
「直径100m級の隕石とは、どの程度の被害なのですか」
海は一瞬、地球側の計算に意識を移した。
「速度や密度にもよりますが、エネルギー規模としては、だいたい10の18乗ジュール級です」
「その、じゅーる、というものは何ですか」
「エネルギーの単位です」
「めがとん、とは」
「爆薬の威力換算です」
「海」
「はい」
「分かる言葉で言いなさい」
海は少しだけ沈黙した。
そして、最も雑で、最も正確に伝わる言葉を選んだ。
「都市が消えます」
「……最初から、そう言いなさい」
シャルロットの声は冷静だった。
けれど、指先だけが扇の骨を強く押さえていた。
カスミが横から補足する。
「100mで都市級。300mなら国家級」
「国家級」
シャルロットの視線が、ゆっくりと海に戻った。
「あなたは今、国家級災害を、傘で流す話をしていますね」
「はい」
「王国の地図を書き換える規模の現象を、傘で流せると説明される私の気持ちを考えなさい」
「すみません」
「謝罪では足りません」
「ですよね」
「最後に、刀モード」
その言葉が出た瞬間、カスミが即座に口を挟んだ。
「使うな」
「説明だけです」
「説明も危ない」
「説明くらいは」
海は天照の柄に指を添えるだけに留めた。
傘骨の内側で、黒曜のような刃の影が一瞬だけ揺れる。
「刀モードについては、まだ実戦投入できません」
海は天照の柄を見下ろしながら、少し申し訳なさそうに言った。
「刃の形成まではできます。ただ、安定性が足りません。今のままだと、斬る対象と、斬ってはいけないものの境界が曖昧になるので」
「斬ってはいけないもの?」
シャルロットが聞き返す。
「はい。たとえば、空間そのものとか」
沈黙が落ちた。
海は、その沈黙の意味に気づかないまま、少しだけ目を輝かせる。
「対象の分子構造、魔力結合、術式境界を解析して、切断候補を提示します。構造が読めれば、どこをどう斬ればいいかを出せます」
「切断候補」
シャルロットの声が低くなる。
「ゆくゆくは、空間切断まで実装したいんです。あとは、条件次第で次元境界にも干渉できたらいいなと思っていて」
「ミュート」
カスミが低く言った。
「それ、今言うな」
「え、でも、まだ構想段階です。簡単にはいきませんし」
「構想段階でも危険物」
シャルロットは扇を開き、口元を覆った。
その仕草は優雅だった。
だが、瞳だけが完全に引いていた。
「海」
「はい」
「あなたはなぜ、未実装の構想まで国家禁忌級なのですか」
「えっと……安全運用を前提に」
「安全という言葉を、空間切断の前に置かないでください」
海は小さく肩をすくめた。
カスミがぼそりと付け加える。
「報告書の紙が足りない」
「そこですか」
「そこも問題」
シャルロットは天照を見つめた。
長傘。
杖。
射出機構。
盾。
刀。
そして、未実装とはいえ、空間切断に手を伸ばす構想。
王国の魔導具分類では、どこにも入らない。
分類すること自体が、すでに敗北のように思えた。
だが、監査すべき点はまだある。
むしろ、本当に確認しなければならないのは、威力そのものではなかった。
「海」
「はい」
「この魔導具が敵の手に落ちた場合は?」
その場の空気が、少し変わった。
フィリアが息を呑む。
シャルロットの問いは、極めて自然だった。
国家戦略級複合魔導具。
それが奪われた時、何が起きるのか。
王城へ報告するなら、そこを避けて通ることはできない。
海が答えようとするより早く、カスミが短く言った。
「心配いらない」
シャルロットの目がカスミへ向く。
「理由は?」
「普通の人間には扱えない」
「それは魔力量の話ですか」
「それもある」
カスミは天照の柄を見た。
「最低条件は、魔力量80万相当以上。ミュートは100万級だから動かせる」
「80万……」
フィリアがかすかに呟いた。
かつて霊脈球が示した海の魔力量。
王国の尺度を壊した、あの数値。
それが、ここで安全装置として使われている。
シャルロットは扇を閉じた。
「確認します」
「え?」
海が目を瞬く。
「私が持ちます」
「え、でも」
「敵に奪われた時の想定です。私が持てないなら、それはそれで報告できます」
海は迷った。
だが、シャルロットの視線は退かなかった。
海は天照をゆっくりと畳み、柄を差し出す。
「無理に起動しようとはしないでください」
「もちろんです」
シャルロットが天照を受け取った瞬間だった。
淡い金色の術式線が、一瞬で黒に近い鈍色へ変わる。
空気が低く唸った。
シャルロットの魔力が、天照の柄へ吸われる。
「っ」
彼女の指先に、冷たい痺れが走った。
だが、天照は起動しなかった。
傘骨は開かない。
術式は展開しない。
ただ、魔力だけが吸われていく。
次の瞬間、天照の内側から短い音声が響いた。
《認証外魔力を検出》
シャルロットの目が見開かれる。
《出力変換不可》
《保護排出へ移行します》
天照の柄から淡い光が漏れ、吸い込まれた魔力が霧のように外へ逃がされる。
シャルロットは反射的に天照を離しかけた。
海がすぐに受け取る。
金色の術式線が、静かに元の色へ戻った。
「……今、喋りましたか」
シャルロットが扇で口元を覆った。
「少しだけ」
「少しだけ」
「会話するわけではありません。認証、警告、封印、接続応答だけです。Deltaみたいな会話補助ではなくて、天照は神具側の短い警告音声みたいな役割です」
カスミが肩をすくめる。
「高級な魔力吸血傘」
「言い方」
海が困った顔をする。
「でも、だいたい合ってます。認証外使用時は、魔力は吸収されますが、出力には変換されません。無理に起動しようとすると使用者の魔力を急速に消耗させます」
「つまり、敵に奪われても兵器ではなく、自滅装置になる」
シャルロットが低く言った。
「はい。さらに三重ロックにしています」
海は指を折りながら説明する。
「一つ目は、魔力量しきい値。80万相当以上」
「その時点で、王国のほとんどが脱落しますね」
「二つ目は、魔力波形認証。僕本人、または僕が許可した支援者のみ」
フィリアのアークレンズが、かすかに光った。
「三つ目は、Ω-Code側認証、または僕の魂魄座標との同期です」
「魂魄座標」
シャルロットはその言葉に、眉を寄せた。
「存在そのものの座標です。魔力や肉体だけではなく、僕が僕であることを照合します」
「……あなたは、本当に毎回、報告書の様式を破壊しますね」
「すみません」
「謝罪では修復できません」
カスミが短く頷く。
「様式、死んだ」
「殺さないでください」
シャルロットは天照を見つめた。
危険物。
そう分類できれば、まだ楽だった。
「海」
「はい」
「これは危険物ではありません」
「え?」
「危険物なら、まだ分類できます。これは、分類できないものです」
海は言葉を失った。
シャルロットは続ける。
「杖でもない。傘でもない。銃でもない。刀でもない。書庫端末でもない。防具でもない。全部であり、どれでもない」
彼女の声は静かだった。
だが、その静けさには、制度の側に立つ者だけが抱く恐怖があった。
「王国の制度で扱えません」
天照の金色の膜が、静かに揺れる。
海は小さく視線を落とした。
「でも、扱う目的は護ることです」
その目に、少しだけ決意が宿る。
「名前の通り、陰を払って、必要な場所を照らすための道具です」
フィリアは息を止めた。
天照の金色の膜が、静かに揺れる。
強すぎる光を遮り、必要な形へ変える器。
それはたしかに、海らしい杖だった。
シャルロットはしばらく天照を見つめていた。
説明だけで、危険性は十分に分かった。
だが、説明と実動は違う。
どれほどの範囲を守れるのか。
どれほどの負荷で展開できるのか。
天照が本当に防護の器として機能するのか。
それを見なければ、王城へ報告する言葉すら選べない。
「一つだけ、性能確認をしましょう」
「性能確認」
海が聞き返す。
「ええ。訓練区の標的を展開します。天照を使って対応なさい」
「分かりました」
海は素直に頷いた。
シャルロットの意図は、防御性能の確認だった。
標的を受け止める。
属性ごとに障壁層を切り替える。
衝撃を逸らし、熱を流し、魔力干渉を中和する。
天照が本当に、守るための傘なのかを見る。
だが、その説明をシャルロットは口にしなかった。
彼女にとって、訓練区の標的とは、そう扱うものだったからだ。
試験会場の中央に立った海は、周囲から向けられる畏怖と警戒の視線を、否応なく肌で感じていた。
ここで、僕が少しでも役に立つって証明しなくちゃ。
足手まといじゃないって。
胸の奥で、幼い頃から見続けてきた日曜朝のヒーローたちが、一斉に背中を押した。
怖い時ほど、名乗る。
震える時ほど、前に出る。
それが、海にとっての“型”だった。
海は、まだ天照には触れなかった。
腰を少し低く落とし、片手を前へ。
もう片方の手を大きく開く。
異世界の誰にも伝わらない。
けれど海にとっては、魂に刻まれた構え。
普段のおどおどした彼からは想像できないほど、大きな声が訓練区に響いた。
「音無海、ここに参上っ!」
沈黙。
決まった。
海は心の中で拳を握った。
きっと、みんな僕に釘付けのはずだ。
フィリアは目を見開き、両手を胸元で組んでいた。
海は確信した。
感動している。
たぶん、すごく感動している。
次にカスミを見る。
カスミは、すうっと視線を逸らし、無言で首を横に振った。
……迫力が、少し足りなかったのかもしれない。
海は背にしていた天照を抜き取った。
黒と銀の長傘が、訓練区の光を受けて鈍く輝く。
海は右手でそれを高々と掲げ、大空へ向かって叫んだ。
「照らせ、知の光。遮れ、災いの雨。天照、アクティベート!」
場内は、さらに静まり返った。
「……ミュート」
カスミが、ようやく口を開いた。
「はい」
「滑ったな。かなり」
「え」
「音声認証じゃないだろ、それ」
「い、いや、気合いの問題で」
「照準がブレる。次から撃った後にしろ」
「実務的な注意……!」
シャルロットが困惑したように眉を寄せる。
「海。今のは、その杖の起動に必要な詠唱なのですか?」
「いえ、あの……格好いいかなと思いまして」
「格好いい」
シャルロットは、その言葉を未知の魔導理論のように繰り返した。
その横で、フィリアだけが潤んだ瞳で頷いていた。
「……神器の降臨の儀、なのですね」
「フィリアさん!?」
カスミが短く吐き捨てる。
「心酔病が発症した」
シャルロットの表情が、わずかに強張った。
すっと、扇で口元を覆う。
その所作は優雅だったが、目だけは明らかに警戒していた。
「……それは、移るのですか?」
「移りません!」
海は即座に否定した。
「では、なぜフィリアはそのような状態に?」
「それは……えっと……」
海が言葉に詰まるより早く、カスミが平坦に告げる。
「ミュート由来の特定疾患だな」
「違います!」
フィリアは潤んだ瞳のまま、胸元で手を組む。
「病ではありませんわ。海様と同じ高みに立てるなら、これほど光栄なことはございません」
カスミは海を見た。
「ほら、犠牲者」
「僕のせいですか!?」
「お前のせい」
シャルロットは扇で口元を覆ったまま、半歩だけ下がった。
「……念のため、試験後にフィリアの精神状態も確認します」
「シャルロット様まで!?」
カスミは天照を見上げ、ため息をついた。
「早くやれ。これ以上続くと、試験前に全員の精神負荷が上がる」
笑いとも沈黙ともつかない空気を、シャルロットの一振りが断ち切った。
彼女が指先で空中に小さな魔法陣を描くと、床に刻まれた古い紋様が反応した。
青白い光が、訓練区の床を走る。
一つの円。
その外側に、もう一つの円。
さらにその外側へ、細い術式線が蜘蛛の巣のように広がっていく。
光は地面だけに留まらなかった。
空中にも薄い魔法陣が重なり始める。
上下左右、訓練区の空間そのものに、透明な円環が幾重にも浮かび上がった。
「標的展開」
シャルロットが告げる。
通常訓練なら、初級で三体。
中級で十数体。
上級でも、五十を超えることはほとんどない。
それは、魔導師が防御層を切り替え、属性干渉を見極め、受け流しを学ぶための数だからだ。
だが、今回の魔法陣は止まらなかった。
一つ。
十。
五十。
百。
光の粒が、訓練区の空中へ次々と灯っていく。
「団長、これは……」
「数が多すぎるのでは」
「二百を超えています」
「過剰ではありませんか」
場内の魔導師たちから、ざわめきが漏れた。
シャルロットは視線を動かさない。
「天照の防御能力を見るには、この程度の乱流が必要です」
その声は落ち着いていた。
防御試験としては、確かに高負荷。
だが、シャルロットの中ではまだ、防御試験の範疇だった。
空中に小さな球体が次々と現れる。
直径五センチほど。
羽のような薄い魔力片を持つ球体。
火属性。
水属性。
風属性。
雷属性。
土属性。
それらが空中で不規則に動き始める。
数は、二百四十。
速度は速い。
軌道は読みにくい。
上下左右に散り、時折、急停止し、反転し、属性ごとに異なる魔力波を放つ。
本来なら、防御訓練用の標的だ。
撃ち落とすものではない。
受け流すもの。
属性ごとに障壁層を切り替え、衝突角を調整し、流れを乱さず処理するための訓練。
だが、海のΩ-Frameには、別の見え方をした。
高速機動標的。
属性混在。
軌道不規則。
数、二百四十。
海は少しだけ目を細めた。
「属性対応型の高速機動ターゲット……」
シャルロットは、その小さな呟きの意味にまだ気づいていなかった。
Ω-Frameに青白いログが走る。
《対象群を認識》
《属性混在。軌道不規則。数、二百四十》
《高速機動標的群と仮定》
《標的速度、加速度、属性波形を取得》
《回避予測、三十二通り》
《安全線設定。訓練区外逸脱、禁止》
《通常射撃による撃破効率、低》
《シールド展開による受流し効率、高》
《ただし、撃破を目的とする場合、最適戦術解を再計算》
海の眉がわずかに動いた。
「Delta?」
《天照内部設計図を再演算》
《杖モードによる魔力属性変換機構と、射出モードによる雷素加速機構の接続に成功》
《属性弾生成速度、高速化》
《高速機動予測、補正完了》
《思考加速演算と限界反応速度の同期に成功》
《擬似未来位置算出、起動》
《現在位置ではなく、到達予定点へ照準を固定》
海は、ほんの一瞬だけ息を止めた。
手が震える。
だが、照準線は震えなかった。
怖い。
外せば、結界壁に当たる。
逸れれば、誰かを傷つける。
だからこそ、海は撃つ前に一つだけ条件を追加した。
「非殺傷。標的破壊のみ。訓練区外逸脱なし。過剰破壊禁止」
《制約条件を受理》
《推定撃破時間、三・〇五秒》
《マスター。杖モードと射出モードの同時発動を推奨します》
海は天照の柄を握り直す。
「杖で属性を作って、射出で撃つ」
《はい》
「命中予測は?」
《ターゲット捕捉はお任せください、マスター》
「分かった」
シャルロットが何かを言おうとした。
フィリアも口を開きかけた。
カスミだけが、先に気づいた。
天照の傘膜が、防御展開の形を取っていない。
柄の内部で、構造音が変わっている。
「シャルロット」
「何です」
「それ、防御じゃない」
シャルロットの目が細くなる。
「海?」
その声が届くより早く、天照の柄の内部で輪状の断層が回り始めた。
一枚ではない。
何層にも重なったリボルバー形状の断層が、音もなく噛み合い、順番に角度を変えていく。
ヒュィィィン。
キュルルルルルル……。
その回転音は、異常なほど静かで滑らかだった。
金属が擦れる音ではない。
魔力が軸に沿って整列し、雷素が銃身へ流れ込む音だった。
その精度を理解できたのは、この場ではカスミだけだった。
数百万分の一単位で加工された軸受け。
わずかな偏心も許さない回転機構。
火薬もない。
薬莢もない。
それなのに、構造だけは銃よりも銃らしい。
カスミは小さく目を細めた。
「……回るのか、それ」
「はい。属性弾を連続生成するための弾倉みたいなものです」
「弾倉?」
「弾を順番に送り出す部品です」
「面倒なもの作ったな」
「連射するなら必要かなって」
「必要の基準がおかしい」
天照が、さらに細く鳴った。
傘骨の内側で、属性変換術式が花のように展開する。
火には水。
水には雷。
風には土。
雷には土。
土には風。
標的の属性が読み取られるたび、輪状の断層が滑り、対応する魔導弾が生成されていく。
魔力弾。
雷素加速。
属性補正。
軌道予測。
照準補正。
すべてが、海の思考よりも半拍早く組み上がっていく。
次の三秒で、訓練区の空が裂けた。
**Pan**。
一発目。
火属性の球体が、水の魔導弾で抜かれる。
二発目までは、音として聞こえた。
**Pan、Pan、Papanpapanpapanッ。**
三発目から先は、一発ずつの音ではなかった。
束になった射出音が、空を横切った。
空に引かれた、金色の縫い目だった。
標的が消える。
次が消える。
その次も消える。
爆ぜない。
轟かない。
ただ、空に細い金の線が走るたび、標的だけが正確に落ちていく。
周囲から見れば、乱射に見えた。
当てずっぽうに撃っているように見えた。
海の腕は止まらず、天照の先端は空のあちこちを指し、標的の群れを追いかけているように見える。
だが、一発として無駄弾はなかった。
標的が曲がる前に、弾がそこへ置かれている。
標的が逃げる先に、すでに属性相克の光が走っている。
撃っているのではない。
未来位置に、答えを打ち込んでいる。
火が消える。
風が落ちる。
土が砕かれる。
雷が沈む。
水が霧になる。
海の瞳は、赤く揺れていた。
恐怖はある。
速すぎる。
危ない。
外したらどうする。
訓練区外へ逸れたらどうする。
けれど、その恐怖の上を、ログが走る。
軌道。
属性。
照準。
補正。
安全線。
逸脱禁止。
彼は乱射していない。
震える手で、世界の動きを読んでいる。
最後の一体が、上空へ跳ねた。
太陽と重なる。
一瞬、照準線に眩光が入った。
海の指が止まる。
止まったのは、ほんのわずか。
だが、そのわずかが、彼にとっては遅れだった。
「補正」
《安全側補正、完了》
**Pan**。
最後の標的が、光の粒になって消えた。
訓練区に、静寂が落ちた。
風だけが残った。
シャルロットは動かなかった。
フィリアも、カスミも動かなかった。
天照の先端から、薄い煙のような魔力残光がほどけていく。
海は小さく息を吐いた。
Ω-Frameに、結果が表示される。
《撃破完了時間:三・〇七秒》
《命中率:一〇〇パーセント》
《属性適合率:一〇〇パーセント》
《訓練区外逸脱:ゼロ》
《過剰破壊:ゼロ》
《魔力消費:測定限界付近》
「誤差、〇・〇二秒」
海は少しだけ気まずそうに空を見上げた。
「最後の一体が、一瞬、太陽と重なったから」
「太陽」
シャルロットが掠れた声で繰り返す。
「はい。照準線に眩光が入ったので、安全側に補正しました」
「安全側」
「はい」
「そうですか」
シャルロットは、そこで一度、深く息を吸った。
「海」
「はい」
「私は、シールドの性能確認をするつもりでしたの」
海は瞬きした。
「的ではなかったんですか?」
「的ではあります。ただし、撃ち落とすものではなく、受け流すものですわ」
海は固まった。
「……あ」
フィリアが口元に手を当てた。
「海様……」
その声は、祈りのように細かった。
褒めるべきなのか、止めるべきなのか。
そのどちらも、すぐには選べなかった。
カスミが天照の表示を覗き込む。
「出力、一パーセント未満」
シャルロットの肩がわずかに跳ねた。
「今、何と?」
「一パーセント未満」
カスミは繰り返した。
「これでやり過ぎるなよ」
海は小さく頷く。
「はい」
カスミは海を見た。
その目は呆れていて、少しだけ心配していて、やはり短かった。
「……そういうところ」
海は意味が分からず首を傾げた。
フィリアだけが、その言葉の奥にあるものを少しだけ察した。
天照が危ないのではない。
海が危ういのだ。
これほどの力を持ちながら、彼はまだ、自分を「戦闘向きじゃない」と思っている。
これほどの速度で世界を読み替えながら、彼はまだ、自分を勘定の外に置く。
シャルロットは、ようやく声を取り戻した。
「海」
「はい」
「王城への報告内容が増えました」
「すみません」
「謝罪では済みません」
「ですよね」
「ええ」
シャルロットは天照を見た。
そして、中央魔導書庫の異常ログを思い出す。
三日半。
百万冊を超える知識定着。
未定義応答。
知を遮る傘。
そして、出力一パーセント未満で二百四十の高速標的を三秒で撃ち落とす長傘。
これは、単なる魔導具ではない。
単なる異世界知識でもない。
王国は、海という存在をどう扱うべきなのか。
その答えを、もう先送りにはできなかった。
「限定接続試験を行います」
シャルロットは言った。
「限定接続?」
海が聞き返す。
「天照と、中央魔導書庫の索引との接続です。ただし、第4階層以降への接続は認めません。第一階層から第三階層まで。公開可能な魔導書群に限定します」
「それなら、安全にできます」
「あなたの安全という言葉は信用しません」
「はい」
「ですが、必要です」
シャルロットは言った。
「この天照が、ただの兵装なのか。知識を選び、届ける器なのか。それを確認します」
海は、少しだけ表情を引き締めた。
「分かりました」
シャルロットは空中に三つの階層名を表示した。
第一階層。
一般魔導知識。
第二階層。
応用魔導理論。
第三階層。
古代術式索引。
「接続はこの三階層までです」
「はい」
「第4階層、第5階層には触れません」
「触れません」
「存在情報も参照しません」
「参照しません」
シャルロットは念を押すように、海を見た。
「今の返答を記録します」
「はい」
フィリアが一歩前へ出る。
「シャルロット様。海様の精神負荷がまだ完全には戻っておりません。試験は短時間でお願いいたします」
「当然です。フィリア、あなたは海の負荷を監視しなさい」
「はい」
フィリアのアークレンズが淡く光る。
支援・治癒判断モード。
海の脈拍、魔力循環、意識負荷、精神揺動。
それらが、彼女にも扱える形へ選別されて表示される。
カスミのアークレンズにも、別の表示が走った。
構造・負荷監視モード。
天照の傘骨、軸、属性変換術式、魔力吸収線、警告回路。
数値の羅列ではなく、カスミが判断できる形へ圧縮された構造図として見える。
「カスミ、あなたは天照の構造負荷を見なさい」
カスミは露骨に嫌そうな顔をした。
「また僕?」
「関与したのでしょう」
「少し」
「だいぶ、でしたね」
カスミは舌打ちしそうな顔をしたが、しなかった。
「分かった」
シャルロットは訓練区の管理端末を操作した。
中央魔導書庫の索引、その一部だけが訓練区へ仮想投影される。
公開階層。
安全確認済みの基礎魔導書群。
属性基礎理論。
魔力循環論。
初級結界術式。
治癒補助論。
それらが光の棚となって空中に並ぶ。
海は天照を構えた。
傘は半開き。
金色の膜が、淡く呼吸するように揺れる。
「天照、限定接続」
《接続範囲を指定してください》
「中央魔導書庫、第一階層から第三階層。公開可能索引のみ。第4階層以降は遮断。第5階層以降は存在情報参照も禁止」
《制限線を設定》
《接続開始》
天照の傘骨に、光が走る。
光は魔導書庫の仮想棚へ伸び、そこから必要な情報だけを細くすくい上げていく。
大量ではない。
暴力的な吸引でもない。
一冊ずつ、本の背を撫でるような接続だった。
フィリアは海の呼吸を見ていた。
カスミは天照の構造負荷を見ていた。
シャルロットは索引の動きを見ていた。
「……美しい」
思わず、シャルロットは呟いた。
情報が、乱れていない。
本来なら大量の知識が雪崩れ込むはずの接続が、天照の内側で薄められ、整理され、必要な形へ変換されている。
「知識をそのまま流すのではなく、相手が扱える形にまで削っている……」
シャルロットの声には、驚きが滲んでいた。
天照は知識を浴びせる道具ではない。
知識を選び、圧縮し、翻訳し、届く形へ変える器。
強すぎる光を、傘が遮っている。
海の言葉は、比喩ではなかった。
これは本当に、知の光を調整する器だった。
その時だった。
天照の金色の膜に、一瞬だけ黒い線が走った。
カスミの目が細くなる。
「止めろ」
海は即座に反応した。
「接続停止」
《接続停止処理を開始》
《第一階層から第三階層、切断》
《第4階層、未接続》
《第5階層以降、未接続》
《未定義応答を受信》
フィリアの顔色が変わった。
シャルロットの魔力が、わずかに揺れる。
海は息を止めた。
「第5階層には、触ってない」
《はい。第5階層以降への接続、存在情報参照、目録参照、すべて未実行》
「じゃあ、どこから」
《応答元、不明》
《応答内容、解析不能》
《隔離処理を実行》
天照の傘骨が、きしむように鳴った。
金色の膜の内側に、黒い文字のようなものが一瞬だけ浮かぶ。
誰にも読めない。
言葉なのか。
術式なのか。
ただの傷なのか。
分からない。
だが、それは確かに、こちらを見ていた。
海は天照の柄を握りしめる。
「隔離」
《隔離完了》
黒い線は消えた。
訓練区に、沈黙が落ちる。
その沈黙の中で、天照がもう一度だけ、短く鳴った。
《照会者を確認しました》
海の喉が、小さく鳴る。
《ようこそ、音無海様》
フィリアが息を呑んだ。
シャルロットの瞳が、明らかに揺れた。
《お待ちしておりました》
その声は、攻撃ではなかった。
怒りでも、呪詛でも、威圧でもない。
むしろ、礼儀正しい挨拶に近かった。
だからこそ、不穏だった。
あまりにも静かで、あまりにも自然で、あまりにも海を知っている声。
シャルロットは、長い沈黙のあと、低く言った。
「……なぜ、古代封印層があなたの名前を知っているのですか」
海は答えられなかった。
フィリアが唇を噛む。
カスミは天照を見て、海を見た。
「ミュート」
「はい」
「今の、覚えてるか」
「ログは残しました」
「そうじゃない」
カスミは短く言った。
「見られた感覚」
海は、少しだけ黙った。
そして頷く。
「あります」
シャルロットはその返答に、目を閉じた。
第5階層へ接続していない。
それなのに、応答が返った。
封じられた何かが、光の出口を見つけた。
天照という、新しい器を通して。
知識の海に落とした一筋の光が、深層の闇を揺らしてしまった。
中央魔導書庫は、ただの書庫ではない。
その奥には、まだ誰も開いてはならない理が眠っている。
そして今。
その理は、海を認識した。
天照の金色の膜が、静かに閉じていく。
封じられた理は、光の出口を見つけてしまった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
いいねやリアクションは、
海が勝手にログへ保存しておきます。
凛には「当然ですわ」と言われそうですが、作者は普通に喜びます。
続きが気になりましたら、
下のお星さまを、ぽちっと光らせていただけると嬉しいです。
いただいた星は、次回の変身エネルギーに変換されます。
たぶん爆発はしません。




