表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/63

EP50:神の傘、標的を誤読する [LOG_AMATERAS]

魔導師団棟の訓練区は、屋外中庭に隣接していた。


高い結界壁に囲まれ、魔法の試射や防御訓練、術式制御試験を行うための場所だ。


地面には古い魔法陣の痕跡が幾重にも刻まれ、空中には安全結界の淡い膜が張られている。


シャルロットが片手を上げると、訓練区全体に青白い制御光が走った。


「安全結界を三重にします」


「三重」


海が小さく呟く。


「念のためです」


「そんなに危ないことはしません」


シャルロットは海を見た。


「あなたの『そんなに』は信用しないことにしました」


「学習が早い」


カスミが短く言う。


「カスミさんまで」


フィリアは二人のやり取りを聞きながらも、アークレンズに表示される海の体調を確認していた。


昨日よりは落ち着いている。


けれど、完全に平常ではない。


魔導書庫との接続。


三日半。


百万冊を超える知識の定着。


その負荷が、まだ海の奥に残っている。


「海様。ご無理はなさらないでくださいませ」


「はい。今日は確認だけです」


「その『だけ』も、少し信用しづらくなってまいりました」


フィリアの呟きは、苦言というより祈りに近かった。


海は背にしていた長傘を軽く叩いた。


黒と銀の柄。


細く畳まれた傘骨。


外側には、淡い金色の術式線が流れている。


昨日、天照アマテラスの概要は説明した。


杖であり、傘であり、射出機構であり、刀でもある。


だが、それはあくまで海の言う「概要」だった。


シャルロットにとっては、王城へ報告書として提出するには、あまりにも曖昧すぎる説明だった。


「海」


「はい」


「昨日、あなたはずいぶん軽く説明しましたね」


「軽く、ですか?」


「ええ。今になって分かりました。あれは概要説明ではありません。危険物の包装紙を見せられただけです」


「包装紙」


「中身を確認します。昨日語られなかった具体値を、答えなさい」


シャルロットの声は静かだった。


だが、その静けさは完全に監査の声だった。


「まず、射出機構。あなたの言う、銃モードです」


「はい」


海は少しだけ背筋を伸ばした。


「理論上は、属性魔導弾を一秒あたり千発まで生成できます」


フィリアが、はっきりと息を呑んだ。


シャルロットの表情から、温度が消える。


「一秒で、千」


「理論上です」


「その言葉で薄まると思っていますか」


「少しだけ」


「薄まりません」


カスミが横から低く言う。


「そこもデチューンしてる」


「でちゅーん?」


シャルロットが聞き慣れない音を、そのまま繰り返した。


「わざと性能を落としてる」


沈黙が落ちた。


「……落として、千なのですか」


「理論上は」


「その理論、嫌い」


カスミの声には、感情というより判定が乗っていた。


海は慌てて手を振る。


「通常運用では使いません。弾は作れても、安全補正が追いつきません。撃てることと、撃っていいことは別です」


シャルロットはわずかに目を細めた。


「その一文は報告書に残します」


「どの部分ですか」


「撃てることと、撃っていいことは別、という部分です」


フィリアの表情が、少しだけ柔らかくなった。


彼は怖い。


けれど、力を怖がっている。


そのことだけが、彼をこちら側に留めている。


「狙撃距離は?」


「責任を持って運用できるのは、1km以内です」


シャルロットの眉がわずかに動いた。


「責任を持って?」


「はい。標的識別、安全線、風、魔力干渉、着弾後の被害範囲まで管理できる距離です」


「では、それ以上は?」


「弾を届かせるだけなら、もっと伸びます。けれど、届くことと、撃ってよいことは別です」


シャルロットは沈黙した。


その沈黙は、海の説明に呆れたものではなかった。


むしろ、今の一文をどう報告書に残すべきかを考えている沈黙だった。


「実用射程としては?」


「条件が揃えば、三キロから五キロです。高所、索敵補助、風と魔力干渉の補正、あとΩ-Frameの照準支援が前提です」


「それでも十分、戦場の距離という概念を壊しています」


「理論式だけなら百キロ以上も出ます」


シャルロットの瞳が止まった。


「百キロ」


「ただし、それは弾が届くだけです。狙って、識別して、責任を持って止めるのとは別です。僕は撃てても、撃っていいとは思いません」


「……あなた、時々まともなことを言いますね」


「時々」


「ええ、時々です」


海は少し傷ついた顔をした。


カスミが短く足す。


「だいたい危ない」


「カスミさん、まとめ方が雑です」


「正確」


シャルロットは小さく息を吐き、次に天照の傘骨へ視線を移した。


「では、防御能力は?」


海は天照を軽く開いた。


黒と銀の傘骨が半ばまで広がり、その内側に淡い金色の膜が薄く張られる。


空気が、ふわりと押し返された。


「標準展開はこの程度です。最大出力時は、半径五百メートル級の魔力障壁を展開できます。直径で約一キロです」


「一キロ」


シャルロットの声が平坦になる。


「ただし、これはあくまで防御膜の最大展開範囲です。真正面から全部を止めるというより、角度と衝撃を逃がすための範囲です」


「逃がす?」


「はい。完全停止は危険です。衝撃が全部その場に残りますから」


海は天照の傘膜を見上げた。


「たとえば、隕石対応です」


「隕石」


シャルロットの声が、一段低くなる。


「はい。ただし、昨日言った一キロ級は盛りすぎでした」


「盛りすぎ」


「はい。正確には、通常想定は直径100m級。条件が揃えば300m級までです」


「待ちなさい」


シャルロットが扇を閉じた。


「いま、何を小さくしたつもりですか」


「一キロ級よりは、だいぶ」


「比較対象がおかしいのです」


カスミが頷く。


「そこは同意」


海は少し困ったように言葉を選ぶ。


「真正面から止めるのではなく、落下角と衝撃を逸らします。完全停止ではありません。熱、破片、衝撃波を分散して、落下軌道をずらす形です」


「ずらす」


「はい。傘なので」


「傘なので」


「雨を消す道具じゃなくて、流す道具ですから」


カスミが視線を逸らした。


海はそちらを見る。


「カスミさんの言葉です」


「言うな」


「いい言葉だったので」


「うるさい」


フィリアは少しだけ微笑んだ。


シャルロットも、ほんのわずかだけ表情を緩める。


だが、すぐに団長の顔へ戻った。


「海」


「はい」


「直径100m級の隕石とは、どの程度の被害なのですか」


海は一瞬、地球側の計算に意識を移した。


「速度や密度にもよりますが、エネルギー規模としては、だいたい10の18乗ジュール級です」


「その、じゅーる、というものは何ですか」


「エネルギーの単位です」


「めがとん、とは」


「爆薬の威力換算です」


「海」


「はい」


「分かる言葉で言いなさい」


海は少しだけ沈黙した。


そして、最も雑で、最も正確に伝わる言葉を選んだ。


「都市が消えます」


「……最初から、そう言いなさい」


シャルロットの声は冷静だった。


けれど、指先だけが扇の骨を強く押さえていた。


カスミが横から補足する。


「100mで都市級。300mなら国家級」


「国家級」


シャルロットの視線が、ゆっくりと海に戻った。


「あなたは今、国家級災害を、傘で流す話をしていますね」


「はい」


「王国の地図を書き換える規模の現象を、傘で流せると説明される私の気持ちを考えなさい」


「すみません」


「謝罪では足りません」


「ですよね」


「最後に、刀モード」


その言葉が出た瞬間、カスミが即座に口を挟んだ。


「使うな」


「説明だけです」


「説明も危ない」


「説明くらいは」


海は天照の柄に指を添えるだけに留めた。


傘骨の内側で、黒曜のような刃の影が一瞬だけ揺れる。


「刀モードについては、まだ実戦投入できません」


海は天照の柄を見下ろしながら、少し申し訳なさそうに言った。


「刃の形成まではできます。ただ、安定性が足りません。今のままだと、斬る対象と、斬ってはいけないものの境界が曖昧になるので」


「斬ってはいけないもの?」


シャルロットが聞き返す。


「はい。たとえば、空間そのものとか」


沈黙が落ちた。


海は、その沈黙の意味に気づかないまま、少しだけ目を輝かせる。


「対象の分子構造、魔力結合、術式境界を解析して、切断候補を提示します。構造が読めれば、どこをどう斬ればいいかを出せます」


「切断候補」


シャルロットの声が低くなる。


「ゆくゆくは、空間切断まで実装したいんです。あとは、条件次第で次元境界にも干渉できたらいいなと思っていて」


「ミュート」


カスミが低く言った。


「それ、今言うな」


「え、でも、まだ構想段階です。簡単にはいきませんし」


「構想段階でも危険物」


シャルロットは扇を開き、口元を覆った。


その仕草は優雅だった。


だが、瞳だけが完全に引いていた。


「海」


「はい」


「あなたはなぜ、未実装の構想まで国家禁忌級なのですか」


「えっと……安全運用を前提に」


「安全という言葉を、空間切断の前に置かないでください」


海は小さく肩をすくめた。


カスミがぼそりと付け加える。


「報告書の紙が足りない」


「そこですか」


「そこも問題」


シャルロットは天照を見つめた。


長傘。


杖。


射出機構。


盾。


刀。


そして、未実装とはいえ、空間切断に手を伸ばす構想。


王国の魔導具分類では、どこにも入らない。


分類すること自体が、すでに敗北のように思えた。


だが、監査すべき点はまだある。


むしろ、本当に確認しなければならないのは、威力そのものではなかった。


「海」


「はい」


「この魔導具が敵の手に落ちた場合は?」


その場の空気が、少し変わった。


フィリアが息を呑む。


シャルロットの問いは、極めて自然だった。


国家戦略級複合魔導具。


それが奪われた時、何が起きるのか。


王城へ報告するなら、そこを避けて通ることはできない。


海が答えようとするより早く、カスミが短く言った。


「心配いらない」


シャルロットの目がカスミへ向く。


「理由は?」


「普通の人間には扱えない」


「それは魔力量の話ですか」


「それもある」


カスミは天照の柄を見た。


「最低条件は、魔力量80万相当以上。ミュートは100万級だから動かせる」


「80万……」


フィリアがかすかに呟いた。


かつて霊脈球が示した海の魔力量。


王国の尺度を壊した、あの数値。


それが、ここで安全装置として使われている。


シャルロットは扇を閉じた。


「確認します」


「え?」


海が目を瞬く。


「私が持ちます」


「え、でも」


「敵に奪われた時の想定です。私が持てないなら、それはそれで報告できます」


海は迷った。


だが、シャルロットの視線は退かなかった。


海は天照をゆっくりと畳み、柄を差し出す。


「無理に起動しようとはしないでください」


「もちろんです」


シャルロットが天照を受け取った瞬間だった。


淡い金色の術式線が、一瞬で黒に近い鈍色へ変わる。


空気が低く唸った。


シャルロットの魔力が、天照の柄へ吸われる。


「っ」


彼女の指先に、冷たい痺れが走った。


だが、天照は起動しなかった。


傘骨は開かない。


術式は展開しない。


ただ、魔力だけが吸われていく。


次の瞬間、天照の内側から短い音声が響いた。


《認証外魔力を検出》


シャルロットの目が見開かれる。


《出力変換不可》


《保護排出へ移行します》


天照の柄から淡い光が漏れ、吸い込まれた魔力が霧のように外へ逃がされる。


シャルロットは反射的に天照を離しかけた。


海がすぐに受け取る。


金色の術式線が、静かに元の色へ戻った。


「……今、喋りましたか」


シャルロットが扇で口元を覆った。


「少しだけ」


「少しだけ」


「会話するわけではありません。認証、警告、封印、接続応答だけです。Deltaみたいな会話補助ではなくて、天照は神具側の短い警告音声みたいな役割です」


カスミが肩をすくめる。


「高級な魔力吸血傘」


「言い方」


海が困った顔をする。


「でも、だいたい合ってます。認証外使用時は、魔力は吸収されますが、出力には変換されません。無理に起動しようとすると使用者の魔力を急速に消耗させます」


「つまり、敵に奪われても兵器ではなく、自滅装置になる」


シャルロットが低く言った。


「はい。さらに三重ロックにしています」


海は指を折りながら説明する。


「一つ目は、魔力量しきい値。80万相当以上」


「その時点で、王国のほとんどが脱落しますね」


「二つ目は、魔力波形認証。僕本人、または僕が許可した支援者のみ」


フィリアのアークレンズが、かすかに光った。


「三つ目は、Ω-Code側認証、または僕の魂魄座標との同期です」


「魂魄座標」


シャルロットはその言葉に、眉を寄せた。


「存在そのものの座標です。魔力や肉体だけではなく、僕が僕であることを照合します」


「……あなたは、本当に毎回、報告書の様式を破壊しますね」


「すみません」


「謝罪では修復できません」


カスミが短く頷く。


「様式、死んだ」


「殺さないでください」


シャルロットは天照を見つめた。


危険物。


そう分類できれば、まだ楽だった。


「海」


「はい」


「これは危険物ではありません」


「え?」


「危険物なら、まだ分類できます。これは、分類できないものです」


海は言葉を失った。


シャルロットは続ける。


「杖でもない。傘でもない。銃でもない。刀でもない。書庫端末でもない。防具でもない。全部であり、どれでもない」


彼女の声は静かだった。


だが、その静けさには、制度の側に立つ者だけが抱く恐怖があった。


「王国の制度で扱えません」


天照の金色の膜が、静かに揺れる。


海は小さく視線を落とした。


「でも、扱う目的は護ることです」


その目に、少しだけ決意が宿る。


「名前の通り、陰を払って、必要な場所を照らすための道具です」


フィリアは息を止めた。


天照の金色の膜が、静かに揺れる。


強すぎる光を遮り、必要な形へ変える器。


それはたしかに、海らしい杖だった。


シャルロットはしばらく天照を見つめていた。


説明だけで、危険性は十分に分かった。


だが、説明と実動は違う。


どれほどの範囲を守れるのか。


どれほどの負荷で展開できるのか。


天照が本当に防護の器として機能するのか。


それを見なければ、王城へ報告する言葉すら選べない。


「一つだけ、性能確認をしましょう」


「性能確認」


海が聞き返す。


「ええ。訓練区の標的を展開します。天照を使って対応なさい」


「分かりました」


海は素直に頷いた。


シャルロットの意図は、防御性能の確認だった。


標的を受け止める。


属性ごとに障壁層を切り替える。


衝撃を逸らし、熱を流し、魔力干渉を中和する。


天照が本当に、守るための傘なのかを見る。


だが、その説明をシャルロットは口にしなかった。


彼女にとって、訓練区の標的とは、そう扱うものだったからだ。


試験会場の中央に立った海は、周囲から向けられる畏怖と警戒の視線を、否応なく肌で感じていた。


ここで、僕が少しでも役に立つって証明しなくちゃ。


足手まといじゃないって。


胸の奥で、幼い頃から見続けてきた日曜朝のヒーローたちが、一斉に背中を押した。


怖い時ほど、名乗る。


震える時ほど、前に出る。


それが、海にとっての“型”だった。


海は、まだ天照には触れなかった。


腰を少し低く落とし、片手を前へ。


もう片方の手を大きく開く。


異世界の誰にも伝わらない。


けれど海にとっては、魂に刻まれた構え。


普段のおどおどした彼からは想像できないほど、大きな声が訓練区に響いた。


「音無海、ここに参上っ!」


沈黙。


決まった。


海は心の中で拳を握った。


きっと、みんな僕に釘付けのはずだ。


フィリアは目を見開き、両手を胸元で組んでいた。


海は確信した。


感動している。


たぶん、すごく感動している。


次にカスミを見る。


カスミは、すうっと視線を逸らし、無言で首を横に振った。


……迫力が、少し足りなかったのかもしれない。


海は背にしていた天照を抜き取った。


黒と銀の長傘が、訓練区の光を受けて鈍く輝く。


海は右手でそれを高々と掲げ、大空へ向かって叫んだ。


「照らせ、知の光。遮れ、災いの雨。天照、アクティベート!」


場内は、さらに静まり返った。


「……ミュート」


カスミが、ようやく口を開いた。


「はい」


「滑ったな。かなり」


「え」


「音声認証じゃないだろ、それ」


「い、いや、気合いの問題で」


「照準がブレる。次から撃った後にしろ」


「実務的な注意……!」


シャルロットが困惑したように眉を寄せる。


「海。今のは、その杖の起動に必要な詠唱なのですか?」


「いえ、あの……格好いいかなと思いまして」


「格好いい」


シャルロットは、その言葉を未知の魔導理論のように繰り返した。


その横で、フィリアだけが潤んだ瞳で頷いていた。


「……神器の降臨の儀、なのですね」


「フィリアさん!?」


カスミが短く吐き捨てる。


「心酔病が発症した」


シャルロットの表情が、わずかに強張った。


すっと、扇で口元を覆う。


その所作は優雅だったが、目だけは明らかに警戒していた。


「……それは、移るのですか?」


「移りません!」


海は即座に否定した。


「では、なぜフィリアはそのような状態に?」


「それは……えっと……」


海が言葉に詰まるより早く、カスミが平坦に告げる。


「ミュート由来の特定疾患だな」


「違います!」


フィリアは潤んだ瞳のまま、胸元で手を組む。


「病ではありませんわ。海様と同じ高みに立てるなら、これほど光栄なことはございません」


カスミは海を見た。


「ほら、犠牲者」


「僕のせいですか!?」


「お前のせい」


シャルロットは扇で口元を覆ったまま、半歩だけ下がった。


「……念のため、試験後にフィリアの精神状態も確認します」


「シャルロット様まで!?」


カスミは天照を見上げ、ため息をついた。


「早くやれ。これ以上続くと、試験前に全員の精神負荷が上がる」


笑いとも沈黙ともつかない空気を、シャルロットの一振りが断ち切った。


彼女が指先で空中に小さな魔法陣を描くと、床に刻まれた古い紋様が反応した。


青白い光が、訓練区の床を走る。


一つの円。


その外側に、もう一つの円。


さらにその外側へ、細い術式線が蜘蛛の巣のように広がっていく。


光は地面だけに留まらなかった。


空中にも薄い魔法陣が重なり始める。


上下左右、訓練区の空間そのものに、透明な円環が幾重にも浮かび上がった。


「標的展開」


シャルロットが告げる。


通常訓練なら、初級で三体。


中級で十数体。


上級でも、五十を超えることはほとんどない。


それは、魔導師が防御層を切り替え、属性干渉を見極め、受け流しを学ぶための数だからだ。


だが、今回の魔法陣は止まらなかった。


一つ。


十。


五十。


百。


光の粒が、訓練区の空中へ次々と灯っていく。


「団長、これは……」


「数が多すぎるのでは」


「二百を超えています」


「過剰ではありませんか」


場内の魔導師たちから、ざわめきが漏れた。


シャルロットは視線を動かさない。


「天照の防御能力を見るには、この程度の乱流が必要です」


その声は落ち着いていた。


防御試験としては、確かに高負荷。


だが、シャルロットの中ではまだ、防御試験の範疇だった。


空中に小さな球体が次々と現れる。


直径五センチほど。


羽のような薄い魔力片を持つ球体。


火属性。


水属性。


風属性。


雷属性。


土属性。


それらが空中で不規則に動き始める。


数は、二百四十。


速度は速い。


軌道は読みにくい。


上下左右に散り、時折、急停止し、反転し、属性ごとに異なる魔力波を放つ。


本来なら、防御訓練用の標的だ。


撃ち落とすものではない。


受け流すもの。


属性ごとに障壁層を切り替え、衝突角を調整し、流れを乱さず処理するための訓練。


だが、海のΩ-Frameには、別の見え方をした。


高速機動標的。


属性混在。


軌道不規則。


数、二百四十。


海は少しだけ目を細めた。


「属性対応型の高速機動ターゲット……」


シャルロットは、その小さな呟きの意味にまだ気づいていなかった。


Ω-Frameに青白いログが走る。


《対象群を認識》


《属性混在。軌道不規則。数、二百四十》


《高速機動標的群と仮定》


《標的速度、加速度、属性波形を取得》


《回避予測、三十二通り》


《安全線設定。訓練区外逸脱、禁止》


《通常射撃による撃破効率、低》


《シールド展開による受流し効率、高》


《ただし、撃破を目的とする場合、最適戦術解を再計算》


海の眉がわずかに動いた。


「Delta?」


《天照内部設計図を再演算》


《杖モードによる魔力属性変換機構と、射出モードによる雷素加速機構の接続に成功》


《属性弾生成速度、高速化》


《高速機動予測、補正完了》


《思考加速演算と限界反応速度の同期に成功》


《擬似未来位置算出、起動》


《現在位置ではなく、到達予定点へ照準を固定》


海は、ほんの一瞬だけ息を止めた。


手が震える。


だが、照準線は震えなかった。


怖い。


外せば、結界壁に当たる。


逸れれば、誰かを傷つける。


だからこそ、海は撃つ前に一つだけ条件を追加した。


「非殺傷。標的破壊のみ。訓練区外逸脱なし。過剰破壊禁止」


《制約条件を受理》


《推定撃破時間、三・〇五秒》


《マスター。杖モードと射出モードの同時発動を推奨します》


海は天照の柄を握り直す。


「杖で属性を作って、射出で撃つ」


《はい》


「命中予測は?」


《ターゲット捕捉はお任せください、マスター》


「分かった」


シャルロットが何かを言おうとした。


フィリアも口を開きかけた。


カスミだけが、先に気づいた。


天照の傘膜が、防御展開の形を取っていない。


柄の内部で、構造音が変わっている。


「シャルロット」


「何です」


「それ、防御じゃない」


シャルロットの目が細くなる。


「海?」


その声が届くより早く、天照の柄の内部で輪状の断層が回り始めた。


一枚ではない。


何層にも重なったリボルバー形状の断層が、音もなく噛み合い、順番に角度を変えていく。


ヒュィィィン。


キュルルルルルル……。


その回転音は、異常なほど静かで滑らかだった。


金属が擦れる音ではない。


魔力が軸に沿って整列し、雷素が銃身へ流れ込む音だった。


その精度を理解できたのは、この場ではカスミだけだった。


数百万分の一単位で加工された軸受け。


わずかな偏心も許さない回転機構。


火薬もない。


薬莢もない。


それなのに、構造だけは銃よりも銃らしい。


カスミは小さく目を細めた。


「……回るのか、それ」


「はい。属性弾を連続生成するための弾倉みたいなものです」


「弾倉?」


「弾を順番に送り出す部品です」


「面倒なもの作ったな」


「連射するなら必要かなって」


「必要の基準がおかしい」


天照が、さらに細く鳴った。


傘骨の内側で、属性変換術式が花のように展開する。


火には水。


水には雷。


風には土。


雷には土。


土には風。


標的の属性が読み取られるたび、輪状の断層が滑り、対応する魔導弾が生成されていく。


魔力弾。


雷素加速。


属性補正。


軌道予測。


照準補正。


すべてが、海の思考よりも半拍早く組み上がっていく。


次の三秒で、訓練区の空が裂けた。


**Pan**。


一発目。


火属性の球体が、水の魔導弾で抜かれる。


二発目までは、音として聞こえた。


**Pan、Pan、Papanpapanpapanッ。**


三発目から先は、一発ずつの音ではなかった。


束になった射出音が、空を横切った。


空に引かれた、金色の縫い目だった。


標的が消える。


次が消える。


その次も消える。


爆ぜない。


轟かない。


ただ、空に細い金の線が走るたび、標的だけが正確に落ちていく。


周囲から見れば、乱射に見えた。


当てずっぽうに撃っているように見えた。


海の腕は止まらず、天照の先端は空のあちこちを指し、標的の群れを追いかけているように見える。


だが、一発として無駄弾はなかった。


標的が曲がる前に、弾がそこへ置かれている。


標的が逃げる先に、すでに属性相克の光が走っている。


撃っているのではない。


未来位置に、答えを打ち込んでいる。


火が消える。


風が落ちる。


土が砕かれる。


雷が沈む。


水が霧になる。


海の瞳は、赤く揺れていた。


恐怖はある。


速すぎる。


危ない。


外したらどうする。


訓練区外へ逸れたらどうする。


けれど、その恐怖の上を、ログが走る。


軌道。


属性。


照準。


補正。


安全線。


逸脱禁止。


彼は乱射していない。


震える手で、世界の動きを読んでいる。


最後の一体が、上空へ跳ねた。


太陽と重なる。


一瞬、照準線に眩光が入った。


海の指が止まる。


止まったのは、ほんのわずか。


だが、そのわずかが、彼にとっては遅れだった。


「補正」


《安全側補正、完了》


**Pan**。


最後の標的が、光の粒になって消えた。


訓練区に、静寂が落ちた。


風だけが残った。


シャルロットは動かなかった。


フィリアも、カスミも動かなかった。


天照の先端から、薄い煙のような魔力残光がほどけていく。


海は小さく息を吐いた。


Ω-Frameに、結果が表示される。


《撃破完了時間:三・〇七秒》


《命中率:一〇〇パーセント》


《属性適合率:一〇〇パーセント》


《訓練区外逸脱:ゼロ》


《過剰破壊:ゼロ》


《魔力消費:測定限界付近》


「誤差、〇・〇二秒」


海は少しだけ気まずそうに空を見上げた。


「最後の一体が、一瞬、太陽と重なったから」


「太陽」


シャルロットが掠れた声で繰り返す。


「はい。照準線に眩光が入ったので、安全側に補正しました」


「安全側」


「はい」


「そうですか」


シャルロットは、そこで一度、深く息を吸った。


「海」


「はい」


「私は、シールドの性能確認をするつもりでしたの」


海は瞬きした。


「的ではなかったんですか?」


「的ではあります。ただし、撃ち落とすものではなく、受け流すものですわ」


海は固まった。


「……あ」


フィリアが口元に手を当てた。


「海様……」


その声は、祈りのように細かった。


褒めるべきなのか、止めるべきなのか。


そのどちらも、すぐには選べなかった。


カスミが天照の表示を覗き込む。


「出力、一パーセント未満」


シャルロットの肩がわずかに跳ねた。


「今、何と?」


「一パーセント未満」


カスミは繰り返した。


「これでやり過ぎるなよ」


海は小さく頷く。


「はい」


カスミは海を見た。


その目は呆れていて、少しだけ心配していて、やはり短かった。


「……そういうところ」


海は意味が分からず首を傾げた。


フィリアだけが、その言葉の奥にあるものを少しだけ察した。


天照が危ないのではない。


海が危ういのだ。


これほどの力を持ちながら、彼はまだ、自分を「戦闘向きじゃない」と思っている。


これほどの速度で世界を読み替えながら、彼はまだ、自分を勘定の外に置く。


シャルロットは、ようやく声を取り戻した。


「海」


「はい」


「王城への報告内容が増えました」


「すみません」


「謝罪では済みません」


「ですよね」


「ええ」


シャルロットは天照を見た。


そして、中央魔導書庫の異常ログを思い出す。


三日半。


百万冊を超える知識定着。


未定義応答。


知を遮る傘。


そして、出力一パーセント未満で二百四十の高速標的を三秒で撃ち落とす長傘。


これは、単なる魔導具ではない。


単なる異世界知識でもない。


王国は、海という存在をどう扱うべきなのか。


その答えを、もう先送りにはできなかった。


「限定接続試験を行います」


シャルロットは言った。


「限定接続?」


海が聞き返す。


「天照と、中央魔導書庫の索引との接続です。ただし、第4階層以降への接続は認めません。第一階層から第三階層まで。公開可能な魔導書群に限定します」


「それなら、安全にできます」


「あなたの安全という言葉は信用しません」


「はい」


「ですが、必要です」


シャルロットは言った。


「この天照が、ただの兵装なのか。知識を選び、届ける器なのか。それを確認します」


海は、少しだけ表情を引き締めた。


「分かりました」


シャルロットは空中に三つの階層名を表示した。


第一階層。


一般魔導知識。


第二階層。


応用魔導理論。


第三階層。


古代術式索引。


「接続はこの三階層までです」


「はい」


「第4階層、第5階層には触れません」


「触れません」


「存在情報も参照しません」


「参照しません」


シャルロットは念を押すように、海を見た。


「今の返答を記録します」


「はい」


フィリアが一歩前へ出る。


「シャルロット様。海様の精神負荷がまだ完全には戻っておりません。試験は短時間でお願いいたします」


「当然です。フィリア、あなたは海の負荷を監視しなさい」


「はい」


フィリアのアークレンズが淡く光る。


支援・治癒判断モード。


海の脈拍、魔力循環、意識負荷、精神揺動。


それらが、彼女にも扱える形へ選別されて表示される。


カスミのアークレンズにも、別の表示が走った。


構造・負荷監視モード。


天照の傘骨、軸、属性変換術式、魔力吸収線、警告回路。


数値の羅列ではなく、カスミが判断できる形へ圧縮された構造図として見える。


「カスミ、あなたは天照の構造負荷を見なさい」


カスミは露骨に嫌そうな顔をした。


「また僕?」


「関与したのでしょう」


「少し」


「だいぶ、でしたね」


カスミは舌打ちしそうな顔をしたが、しなかった。


「分かった」


シャルロットは訓練区の管理端末を操作した。


中央魔導書庫の索引、その一部だけが訓練区へ仮想投影される。


公開階層。


安全確認済みの基礎魔導書群。


属性基礎理論。


魔力循環論。


初級結界術式。


治癒補助論。


それらが光の棚となって空中に並ぶ。


海は天照を構えた。


傘は半開き。


金色の膜が、淡く呼吸するように揺れる。


「天照、限定接続」


《接続範囲を指定してください》


「中央魔導書庫、第一階層から第三階層。公開可能索引のみ。第4階層以降は遮断。第5階層以降は存在情報参照も禁止」


《制限線を設定》


《接続開始》


天照の傘骨に、光が走る。


光は魔導書庫の仮想棚へ伸び、そこから必要な情報だけを細くすくい上げていく。


大量ではない。


暴力的な吸引でもない。


一冊ずつ、本の背を撫でるような接続だった。


フィリアは海の呼吸を見ていた。


カスミは天照の構造負荷を見ていた。


シャルロットは索引の動きを見ていた。


「……美しい」


思わず、シャルロットは呟いた。


情報が、乱れていない。


本来なら大量の知識が雪崩れ込むはずの接続が、天照の内側で薄められ、整理され、必要な形へ変換されている。


「知識をそのまま流すのではなく、相手が扱える形にまで削っている……」


シャルロットの声には、驚きが滲んでいた。


天照は知識を浴びせる道具ではない。


知識を選び、圧縮し、翻訳し、届く形へ変える器。


強すぎる光を、傘が遮っている。


海の言葉は、比喩ではなかった。


これは本当に、知の光を調整する器だった。


その時だった。


天照の金色の膜に、一瞬だけ黒い線が走った。


カスミの目が細くなる。


「止めろ」


海は即座に反応した。


「接続停止」


《接続停止処理を開始》


《第一階層から第三階層、切断》


《第4階層、未接続》


《第5階層以降、未接続》


《未定義応答を受信》


フィリアの顔色が変わった。


シャルロットの魔力が、わずかに揺れる。


海は息を止めた。


「第5階層には、触ってない」


《はい。第5階層以降への接続、存在情報参照、目録参照、すべて未実行》


「じゃあ、どこから」


《応答元、不明》


《応答内容、解析不能》


《隔離処理を実行》


天照の傘骨が、きしむように鳴った。


金色の膜の内側に、黒い文字のようなものが一瞬だけ浮かぶ。


誰にも読めない。


言葉なのか。


術式なのか。


ただの傷なのか。


分からない。


だが、それは確かに、こちらを見ていた。


海は天照の柄を握りしめる。


「隔離」


《隔離完了》


黒い線は消えた。


訓練区に、沈黙が落ちる。


その沈黙の中で、天照がもう一度だけ、短く鳴った。


《照会者を確認しました》


海の喉が、小さく鳴る。


《ようこそ、音無海様》


フィリアが息を呑んだ。


シャルロットの瞳が、明らかに揺れた。


《お待ちしておりました》


その声は、攻撃ではなかった。


怒りでも、呪詛でも、威圧でもない。


むしろ、礼儀正しい挨拶に近かった。


だからこそ、不穏だった。


あまりにも静かで、あまりにも自然で、あまりにも海を知っている声。


シャルロットは、長い沈黙のあと、低く言った。


「……なぜ、古代封印層があなたの名前を知っているのですか」


海は答えられなかった。


フィリアが唇を噛む。


カスミは天照を見て、海を見た。


「ミュート」


「はい」


「今の、覚えてるか」


「ログは残しました」


「そうじゃない」


カスミは短く言った。


「見られた感覚」


海は、少しだけ黙った。


そして頷く。


「あります」


シャルロットはその返答に、目を閉じた。


第5階層へ接続していない。


それなのに、応答が返った。


封じられた何かが、光の出口を見つけた。


天照という、新しい器を通して。


知識の海に落とした一筋の光が、深層の闇を揺らしてしまった。


中央魔導書庫は、ただの書庫ではない。


その奥には、まだ誰も開いてはならない理が眠っている。


そして今。


その理は、海を認識した。


天照の金色の膜が、静かに閉じていく。


封じられた理は、光の出口を見つけてしまった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


いいねやリアクションは、

海が勝手にログへ保存しておきます。

凛には「当然ですわ」と言われそうですが、作者は普通に喜びます。


続きが気になりましたら、

下のお星さまを、ぽちっと光らせていただけると嬉しいです。


いただいた星は、次回の変身エネルギーに変換されます。

たぶん爆発はしません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ