EP46:王都の嫉妬、粉砕のクリティカルパンチ [LOG_TAYAGA]
王都の噂は、香水よりも早く広がる。
ましてやそれが、エドガー・フォン・シュタインベルクの名に関わるものなら、なおさらだった。
見目麗しく、家柄も申し分なく、本人もそれを疑ったことがない青年。
闇属性を大属性に持ち、火と土の才を備えた魔導師。
その名を聞けば、多くの令嬢が声を潜め、多くの青年が顔を曇らせる。
そんな彼が、ひとりの少女に笑顔で近づいた。
そして、笑顔のまま切り捨てられた。
たったそれだけの出来事が、翌日には王都中の茶会で、甘い菓子のように噛み砕かれていた。
「あのエドガー様を?」
「信じられませんわ。どこの娘ですの?」
「カスミ、とかいう異国風の娘だそうですわ」
「王宮の晩餐会で、工具を食器にしていたとか」
「まあ、工具?」
「しかも滅菌しているから問題ない、と」
「……問題はそこではありませんわよね」
その名が囁かれるたび、いくつもの扇が不愉快そうに閉じられた。
その中心にいたのは、ヴィオラ・ロッシだった。
財務大臣マリア・ロッシに連なる分家の令嬢。
栗色の巻き髪に、宝石を散らした華やかなドレス。
可愛らしい顔立ちをしているが、その目には、いつも相手の値を測るような癖があった。
「まあ、身の程というものがありますわ」
ヴィオラは、薄く笑った。
「ロッシ家の耳に入らない噂など、王都にはありませんの」
その隣で涼しい顔をしているのが、ステファン・ハワード。
内務大臣家の分家筋で、何かにつけて秩序という言葉を好む青年だった。
そして最後尾で扇を握りしめているミレイユ・ベネットは、二人の顔色をうかがいながら、ようやく強気でいられる程度の中堅貴族の娘だった。
ヴィオラは扇で口元を隠し、声を落とした。
「異界の者が、王都の序列を勘違いしているなら」
その笑みは、甘くない。
「教えて差し上げるのが、貴族の務めですわ」
数日後。
カスミは、王都の庭園へ続く回廊の端で、三人に囲まれていた。
昼下がりの回廊は、妙に静かだった。
白い石柱の向こうには、手入れされた庭園が広がっている。
薄い花の香り。
噴水の水音。
遠くで響く鳥の声。
その穏やかさとは裏腹に、回廊の空気だけが、細く張り詰めていた。
「ずいぶんとお高くとまっていらっしゃるのね」
ヴィオラが、薄い笑みを浮かべて言った。
ミレイユが、それに合わせるように笑う。
ステファンは笑わなかった。
ただ、逃げ道を塞ぐように、静かに位置を変えた。
「誤解しないでください」
ステファンが言う。
「これは忠告です。王都の秩序を乱す者を、放っておくわけにはいきません」
カスミは目を伏せたまま、少しだけ肩をすくめた。
怯えているように見える角度。
反論できないように見える沈黙。
逃げ道を探しているように見える視線。
もちろん、すべて演技だった。
この距離なら、三歩で終わる。
一人目。
ヴィオラは重心が前に寄りすぎている。
怒った時に、つま先から先に動く。
二人目。
ステファンは右足を引く癖がある。
逃げ道を塞いでいるようで、実際には自分の退路を確保している。
三人目。
ミレイユは声を荒らす前に、必ず息を吸う。
隙だらけだ。
だが、カスミは動かなかった。
ここで先に手を出せば、彼女たちは泣きながら被害者になる。
異国の娘に乱暴された。
怖かった。
辱められた。
そう言えば、周囲はきっと彼女たちに同情する。
それは癪だった。
ならば、相手が明確に一線を越えるまで、こちらは“弱い女”の顔をしていればいい。
カスミは静かに息を吐いた。
私の蹴りは、茶会の嫉妬に使うものではない。
「何とかおっしゃったら?」
ヴィオラが一歩近づいた。
「異界の者のくせに、エドガー様を侮辱するなんて」
カスミは何も言わない。
「まあ、本当に何も言えないのね」
ヴィオラの手が、カスミの肩に触れようとする。
カスミは避けなかった。
避ければ、相手は勢いづく。
弾けば、こちらが悪者になる。
だから、ぎりぎりまで待つ。
その指先が、髪に触れようとした瞬間。
カチリ。
カスミの足元で、KTC-αの蓋が開いた。
「……ん?」
ヴィオラの指が止まる。
深い赤の工具箱が、大きく口を開く。
その奥で、魔導回路が一気に点灯した。
《支援機構:緊急展開》
《搭乗者:坂城龍壱》
《守護補助:限定起動》
「待て、カスミ」
白衣の胸ポケットから、低い声が響いた。
「この場は俺が預かる」
「預けてない」
カスミが即答した。
次の瞬間。
KTC-αから赤い影が勢いよく飛び出した。
Kだ。
機高57cm。
機体重量55kg。
胸に“K”を刻んだ赤い小型支援機構が、回廊の空中へ高く舞い上がる。
同時に、カスミの白衣の胸ポケットから、白い小さな影が飛び出した。
パールだった。
「行くぞ、K!」
「勝手に命名してる」
カスミが呟く。
パールは空中で、透明キャノピーへ滑り込むように乗り込んだ。
すぽん。
キャノピーが閉じる。
赤い装甲に光が走る。
《搭乗者認証:坂城龍壱》
《呼称登録:パール》
「だから登録するな」
《守護補助:限定起動》
Kは空中で一回転した。
必要性はまったく分からない。
だが、やたら格好よかった。
そして。
ズザンッ!
赤い小型ロボットは、片膝をつき、片手を石畳に当てて着地した。
まるで、空から降り立った鋼の英雄のような姿だった。
ただし。
57cmだった。
回廊に、沈黙が落ちた。
ヴィオラは目を瞬かせている。
ミレイユは扇を握ったまま固まっている。
ステファンですら、一瞬だけ言葉を失っていた。
その沈黙の中、Kに乗ったパールがゆっくりと立ち上がった。
コツン。
小さな足音が、やけに大きく響く。
赤い57cmの守護者は、三人の前に立ちはだかった。
「お嬢ちゃんたち」
パールの低い声が、透明キャノピー越しに響く。
「うちのカスミに触るなら、まず俺を通しな」
ヴィオラは、ようやく笑いを取り戻した。
「まあ……何ですの、それ」
「龍だ」
「どう見ても、珍妙な魔導具ですわ」
「見る目がねぇな」
パールは右腕を前に出した。
そして左腕で右の前腕をつかむ。
彼は、誰よりも真剣だった。
その小さな背中に、本人だけが見ている巨大な影があった。
「必殺」
カスミの目が細くなる。
「パール」
「竜人」
「やめて」
「クリティカルパンチ!」
右の拳が、令嬢たちの正面へ突き出された。
沈黙。
何も起きなかった。
風も吹かない。
拳も飛ばない。
魔力も出ない。
ただ、57cmの赤いロボットが、右腕を突き出した姿勢で止まっている。
ヴィオラたちは固まった。
カスミも固まった。
パールだけが、数秒遅れて異常に気づいた。
「……おい、カスミ」
「何」
「パンチが飛ばないぞ。他に武器はないのか」
「水槽に武器なんてあるわけない」
「水槽?」
「それは水槽。だから、武器なんて準備してない」
「こんな格好で武器がないなんてありえないだろう」
「見た目に騙されすぎ」
「お前が騙す見た目にしたんだろうが!」
また沈黙が落ちた。
今度は、少し長かった。
そして、ミレイユが小さく笑った。
「……な、何ですの、それ」
その笑いが引き金になった。
ヴィオラが扇を口元に当て、肩を震わせる。
「まあ。守護者ごっこ?」
「ごっこじゃねぇ」
パールが低く唸る。
だが、ヴィオラはもう怯えていなかった。
「退きなさい、小さな玩具」
ヴィオラが軽く手を払う。
土属性の魔力が、床の石畳をわずかに盛り上げた。
大した力ではない。
だが、57cmのKの足元をすくうには十分だった。
「ぬおっ」
Kが傾く。
次の瞬間、ミレイユの風が吹いた。
恐怖と興奮で乱れた風だった。
Kはあっけなく横に転がった。
ごろん。
赤い機体が石畳の上を一回転する。
透明キャノピーの中で、パールが揺れる。
「おい、今のなしだろ」
「先に出てきたのはそっちですわ」
ミレイユが震える声で言う。
強がっている。
だが、その顔色は青い。
カスミは黙って見ていた。
パールは弱い。
Kは戦闘用ではない。
あれは、パールを外へ連れ出すための身体だ。
水槽付きの移動支援機構。
守護補助はある。
けれど、誰かを殴り倒すためのものではない。
だが。
それでも、彼は前に出た。
カスミの前に。
一番小さな身体で。
一番早く。
ヴィオラがさらに一歩近づく。
「結局、異界の者の持ち物など、この程度」
その言葉に、カスミの目が少しだけ冷えた。
だが、まだ動かない。
動く理由には足りない。
その時、回廊の向こうで甲高い電子音が鳴った。
「……変身」
小さな声だった。
だが、その声には妙な重さがあった。
カスミが視線だけを動かす。
そこに、海がいた。
腰の変身ギアに手を置き、顔色を失ったまま、それでもこちらを見ている。
フィリアも、その少し後ろにいた。
ギアの中央が光った。
赤。
青。
白。
異世界の回廊に似つかわしくない光が、石畳と令嬢たちのドレスを照らす。
次いで、低い駆動音が響いた。
令嬢たちの顔色が変わった。
「な、何ですの、それ……」
「魔道具?」
「いえ、あの光……呪具ではなくて?」
海は答えなかった。
いや、答えられなかった。
彼の中で、何かが切り替わっていた。
美女の危機。
悪党の存在。
変身ギアの起動。
条件が揃った。
揃ってしまった。
フィリアが、感極まったように両手を組む。
「カスミ様。ご安心くださいませ」
その瞳は、信仰に満ちていた。
「海様に、神の力が宿りますわ」
「いや、それ絶対に違うから」
カスミは即座に言った。
だが、令嬢たちはそう受け取らなかった。
神の力。
その言葉が、ギアの光と駆動音に妙な説得力を与えてしまった。
ミレイユが、青ざめた顔で杖を握る。
「近づかないで!」
足元に魔法陣が浮かんだ。
カスミの目が細くなる。
詠唱が速い。
だが、雑だ。
恐怖で魔力の流し方が乱れている。
この距離で中級魔法を撃てば、海だけでは済まない。
唱えた本人の腕も、周囲の令嬢たちも巻き込む。
「……最悪」
カスミは小さく呟いた。
その時、海が一歩踏み出した。
顔つきが変わっていた。
いつもの怯えた少年ではない。
怖がりながら、それでも前に進む誰か。
いや。
本人の中では、すでに“誰か”になっている。
「天が呼ぶ」
海の声が低くなった。
「地が呼ぶ」
カスミは眉をひそめる。
「人が呼ぶ」
フィリアが震える。
「悪を見過ごすなと、俺を呼ぶ!」
令嬢たちは完全に固まった。
カスミも一瞬だけ、頭を抱えたくなった。
「……何を始めたの、あれ」
海は両手を高く掲げた。
「とうっ!」
跳んだ。
本人の中では、断崖を越え、夕日を背負った大跳躍だったのだろう。
現実には、五十センチほど浮いて、すぐに着地した。
しかも勢い余って前に転がった。
ごろり、と石畳の上を一回転する。
沈黙。
誰も動かなかった。
フィリアだけが、涙ぐんでいた。
「なんという神々しい降臨……」
「違う。あれは普通に失敗してる」
カスミは冷静に言った。
だが、その沈黙は長く続かなかった。
杖を握ったミレイユが、恐怖に震えながら叫ぶ。
「来ないでと言っているでしょう!」
魔法陣が膨れ上がる。
制御できていない。
カスミはその瞬間、判断を変えた。
もう茶会の揉め事ではない。
これは事故になる。
そして、事故になれば、きっと誰も責任を取らない。
「だから、面倒なのよ」
カスミの足が、石畳を蹴った。
次の瞬間、彼女の姿がミレイユの懐にあった。
高く振り上げた脚が、杖を弾く。
乾いた音を立てて、杖が宙を舞った。
魔法陣が割れる。
ミレイユの悲鳴が遅れて響いた。
カスミは止まらない。
ヴィオラの膝裏を、足の甲で軽く払う。
ヴィオラは力を失い、その場に尻もちをついた。
ステファンが反射的に腕を上げる。
カスミは半歩だけ踏み込み、踵でその手元の扇を蹴り落とした。
扇は回廊の端まで滑っていく。
誰の骨も折っていない。
誰の顔も傷つけていない。
けれど、誰一人として、もう立ち向かう気力を残されていなかった。
それはただのテコンドーよ、とカスミなら言うだろう。
だが、この世界の者たちの目には、異国の蹴撃術に見えた。
舞のように美しく、判決のように正確な足技。
海は目を見開いていた。
「……すごい」
素直な声だった。
カスミは振り返る。
海はまだ、どこか遠い目をしていた。
ギアの光が明滅し、低い駆動音が続いている。
「悪は、倒す」
海が呟いた。
その声は、海のものなのに、海ではないように聞こえた。
カスミは一歩近づいた。
「海」
返事はない。
「海」
もう一度呼ぶ。
それでも、彼は前を見たままだった。
カスミは息を吐き、少しだけ声を低くした。
「音無海」
その名を、はっきりと呼んだ。
海の肩が、びくりと震えた。
「……え?」
瞳に焦点が戻る。
ギアの光が弱まった。
駆動音が、ふっと途切れる。
海は自分の両手を見下ろした。
それから、転がった令嬢たちを見て、最後にカスミを見る。
「僕、何かした?」
カスミは半眼になった。
「したわよ。だいぶ」
「だいぶ……」
「あと、跳んだ」
「跳んだ?」
「五十センチくらい」
海の顔がみるみる赤くなった。
「それは言わないでほしい!」
フィリアが胸に手を当て、恍惚とした声で言う。
「やはり、カスミ様のお声が、海様を現世へお戻しになったのですね」
「違うから」
カスミは即座に否定した。
そして、足元に落ちた杖を見下ろす。
それから、まだ腰を抜かしている三人へ視線を向けた。
「次は容赦しない。面倒は嫌。一瞬で終わる」
声は静かだった。
だが、逆らえる者はいなかった。
「それと」
カスミは海を見た。
「あれ本気か? 医者に見てもらった方がいい」
「僕の意思じゃないんだけど……」
「なお悪い」
海は何も言い返せなかった。
カスミは深くため息をつく。
「ミュートのせいで、余計にややこしくなった」
「え、僕のせいじゃなくて?」
「半分以上、あなたのせい」
「だよね」
足元で、横倒しになっていたKが小さく動いた。
透明キャノピーの中で、パールが低く呻く。
「……おい」
カスミが見下ろす。
「何、パール」
「起こせ」
「自分で起きて」
「水槽に起き上がり機能はあるのか」
「ない」
「じゃあ助けろ」
カスミは少しだけ黙った。
それから、Kの背中をつまんで立たせる。
57cmの赤い守護者は、少しふらつきながらも、再び石畳の上に立った。
パールはキャノピーの中から、倒れた三人を見た。
「……今のは予行演習だ」
海が小声で言った。
「龍さん、技、出てませんでしたよ」
「黙れ、坊主」
「パンチも飛んでませんでした」
「次は飛ぶ」
カスミが即答する。
「飛ばない」
「夢を壊すな」
「水槽」
「だから水槽って言うな」
フィリアは、赤い小さな守護者を見つめて、そっと微笑んだ。
「ですが、パール様はカスミ様の前に立たれました」
パールは一瞬、黙った。
「……まあな」
「とても立派でした」
「お嬢ちゃんは見る目がある」
「調子に乗らないで、パール」
「坂城龍壱だ」
「パール」
「……返事はするが、認めたわけじゃねぇ」
カスミは呆れたように目を細めた。
けれど、その声にはほんの少しだけ、笑いが混じっていた。
王都の噂は、香水よりも早く広がる。
だが、この日の噂は、少しだけ形を変えて広がった。
エドガー・フォン・シュタインベルクを切り捨てた白衣の異界娘。
令嬢たちに囲まれても怯えなかった少女。
五十七センチの小さな守護者。
そして、石畳で五十センチほど跳んで転がった赤髪の異世界人。
どれが真実で、どれが誇張なのか。
王都の誰も、正確には知らない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
カスミという名は、もう王都の噂から消えない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
いいねやリアクションは、
海が勝手にログへ保存しておきます。
凛には「当然ですわ」と言われそうですが、作者は普通に喜びます。
続きが気になりましたら、
下のお星さまを、ぽちっと光らせていただけると嬉しいです。
いただいた星は、次回の変身エネルギーに変換されます。
たぶん爆発はしません。




