EP44:白衣の奥の小さき守護者 [LOG_GUARDIAN]
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
授与式が終わり、神殿の外へ出た後のことだった。
夕暮れ前の風が、石畳の上を静かに撫でていく。
女神の祝福を受けた者たちの顔には、それぞれに違う熱が残っていた。
海は、まだ胸の奥に残る余韻を持て余していた。
フィリアは神妙な面持ちで、先ほどの授与の意味を噛みしめている。
そして、鋳鍛地カスミは。
ひとりだけ、妙に落ち着きがなかった。
赤い白衣の内側を、やたらと気にしている。
胸元を押さえたり、歩幅を微妙に変えたり、何でもない顔を装っているのに、いっそ分かりやすすぎるほど不自然だった。
しかも、そのたびに白衣の胸元がかすかに揺れる。
その腕の中には、女神から授けられたばかりのKTC-αがあった。
深い赤に輝く工具箱。
神器と呼ぶには無骨で、兵器と呼ぶには静かすぎるそれを、カスミは両腕で妙に大切そうに抱えていた。
けれど、カスミの腕の中では、それは兵器にも、神具にも見えなかった。
妙に大切そうに抱えられた、ひとつの箱だった。
「……これで終わり」
カスミは、誰よりも早く結論を出した。
「鑑定も終わった。女神ウェポンも受け取った。僕は研究に戻る。ミュートの眼鏡も、見ただけ。協力はしてない。巻き込まれてない」
「いや、その言い方だと、むしろ完全に巻き込まれてる人のログなんだけど……」
海が小さく呟いた。
カスミは即座に睨む。
「ログじゃない。所見」
「そこは言い換えるんだ」
カスミは答えず、KTC-αを抱え直した。
そして、神殿の階段を降りる足を少しだけ速める。
その仕草は、研究に戻りたい者のそれにも見えた。
だが海には、別の理由があるように見えた。
何かを隠している。
しかも、その何かは。
白衣の中で、明らかに動いている。
海は首を傾げた。
「カスミさん。さっきから白衣の中、何か動いてません?」
「気のせい」
即答だった。
「いや、明らかに膨らみが移動しています」
「気のせい」
「今、もぞって」
「気のせい」
「カスミさん。気のせいにしては、だいぶ生命感があります」
その瞬間。
白衣の胸元から、白くて小さな生き物がぬっと顔を出した。
ふわりとした外鰓。
透き通るような体。
丸くて黒い目。
水槽の中にいたなら、誰もが「かわいい」と言うであろう、小さな白いウーパールーパーだった。
海は思わず顔を近づけた。
「うわー、これウーパールーパーですよね。僕、初めて見ました。目がクリっとしていて愛くるしいですね」
白い生き物は、海をじろりと見た。
その直後。
「……ジロジロ見るな」
小さい。
けれど、確かにドスの利いた声が聞こえた。
「……!?」
海は思わず周囲を見渡した。
今の声は、誰だ。
フィリアでもない。
カスミでもない。
ましてや、女神でもない。
すると、白い生き物が胸元からさらに身を乗り出した。
そして。
見た目からは想像もつかないほど低く、乾いた声で言った。
「おい、坊主。そうジロジロ見るんじゃねぇ。俺ぁ男に見つめられて喜ぶ趣味はねぇ」
海は固まった。
「……うわっ、し、しゃべった。しかも声が渋い……!」
海は一歩引き、眼鏡の位置を直した。
「見た目と声のギャップで、脳の処理が追いつきません。今にも背中で人生を語りそうです」
白い生き物は、ふんと鼻を鳴らした。
「語る背中が小さいだけだ」
「そこは認めるんですね」
「大きさと器は別物だ、坊主」
「哲学が渋い……」
カスミは深くため息をついた。
「だから嫌だったんだ。黙ってると可愛いのに、喋ると全部台無しにする」
「誰が台無しだ、カスミ」
「あなた」
「即答するな。俺の威厳が死ぬ」
「元からない」
「ある。水槽の底に沈めていただけだ」
海は小声で呟いた。
「水槽の底に沈む威厳……」
白い生き物は海を睨んだ。
「聞こえてるぞ、坊主」
「すみません」
フィリアは両手を頬に当て、瞳を輝かせていた。
「まあ……なんて愛らしく、そして威厳ある小さき守護者様」
「このお嬢ちゃんは見る目があるな」
白い生き物は満足そうに頷いた。
海はそっとフィリアに囁く。
「フィリアさん、たぶんまた勘違いしています」
「海様。これほど堂々としたお姿で、カスミ様をお守りしているのです。きっと、異世界では高位の守護精霊に違いありません」
「ただのウーパールーパーです」
「守護ウーパールーパー様」
「新しい種族名を作らないでください」
白い生き物は胸元から身を乗り出すようにして言った。
「おい、そこの赤髪。俺をただの水辺の生き物と一緒にするな」
「え?」
「俺はペットじゃねぇ。召喚被害者で、同居人で、こいつの保護者だ」
カスミが額を押さえた。
「保護者面しないで。あなた、私に餌をもらってた側でしょ」
「黙れ。世話を焼かせてやっていたんだ」
「言い方」
「事実だ」
海は白い生き物をじっと見た。
「えっと……お名前は?」
「パール」
カスミが即答した。
白い生き物の目が鋭くなる。
「違う」
「パール」
「違うと言っている」
「カスミがつけた名前はパール。水槽にもそう書いてあった」
「やめろ、カスミ。その話は俺の威厳が死ぬ」
「だから元からない」
「ある。今、必死に再建中だ」
白い生き物は、海の方へ向き直った。
「聞け、坊主。俺をパールなどという甘ったるい名で呼ぶな」
「は、はい」
「俺の真の名は、坂城龍壱だ」
沈黙が落ちた。
海は白い外鰓と、丸い目と、小さな口を順番に見た。
「……龍壱」
「そうだ」
「龍の壱番と書く」
「そこまで説明するんですね」
「大事なことだ」
海は少し考え込む。
そして、ぽつりと言った。
「言われてみれば、サラマンダーにも見えますね」
白い生き物の黒い目が、ぴくりと動いた。
「……ほう」
その声が、わずかに低くなる。
「お前、なかなか見る目があるじゃねぇか」
「えっ、そうですか?」
「普通の人間なら、俺を見て“かわいい”だの“白い”だの“ぷにぷに”だのと言う」
「言いそうですね」
「だが、お前は違う。俺の内に宿る龍性を見抜いた」
「龍性」
「そうだ。俺は水槽の底で龍になった男だ」
「ウーパールーパーですよね」
「龍だ」
「サラマンダー寄りの」
「悪くない」
カスミは冷たい目で白い生き物を見下ろした。
「調子に乗らないで、パール」
「坂城龍壱だ」
「パールよ」
「龍壱」
「パール」
「……返事はするが、認めたわけじゃねぇ」
「認めてるじゃないですか」
海が思わず突っ込むと、パール、もとい坂城龍壱は、ふんと鼻を鳴らした。
「坊主。お前、名前は」
「音無海です」
「音無か。静かそうな名だな」
「よく言われます」
カスミが横からぼそりと言った。
「でも中身はうるさい。だからミュート」
「カスミさん、それ定着させる気なんですね」
「便利だから」
パールは低い声で笑った。
「ミュートか。悪くねぇ。静かな名を持つくせに、目だけは騒がしい」
海は少しだけ言葉に詰まった。
「目が騒がしい……?」
「何かを見つけたがってる目だ。カスミと同じでな」
カスミの指が、ほんの一瞬だけ止まった。
「余計なこと言わないで、パール」
「龍壱だ」
「パール」
「……ちっ」
フィリアは、ますます感動したように目を潤ませていた。
「やはり、深い絆で結ばれているのですね」
海とカスミとパールは、同時に言った。
「どこが?」
「どこが?」
「まあ、否定はしねぇけどな」
三つ目の声だけが、少しだけ違っていた。
カスミは顔をしかめる。
「パール」
「何だ」
「余計なことを言わない」
「嫌だね。俺は口を閉じるために異世界まで来たんじゃねぇ」
「巻き込まれただけでしょ」
「そうとも言う」
海は小さく笑った。
その白い生き物は、どう見てもウーパールーパーだった。
小さくて、白くて、愛くるしい。
けれど、声は渋く、態度は古くさいほど偉そうで、本人は自分を龍だと思っている。
しかも、カスミの過去を知っている。
赤い白衣の研究者。
意思を持つ工具箱。
低音で喋る自称龍のウーパールーパー。
どう考えても、面倒な人たちだった。
だが、海は不思議と嫌な感じがしなかった。
むしろ、この世界に来てから初めて、少しだけ違う種類の安心を覚えていた。
解析する者がいて。
鍛える者がいて。
支える者がいて。
そして、妙に渋い声で文句を言う小さな龍がいる。
世界は、思っていたよりずっと複雑で。
そして、少しだけ賑やかだった。
パールが海を見上げた。
「おい、ミュート」
「はい?」
「うちのカスミを泣かせるやつは、俺が許さねぇからな」
海は瞬きをした。
「僕、まだ何もしてませんけど」
「今後の話だ」
カスミが低く呻いた。
「本当に黙ってて、パール」
「坂城龍壱だ」
「黙って」
「嫌だね」
パールは白衣の胸元から、ふてぶてしく顔を出したまま言った。
「俺はな、あの部屋でずっと聴いていたんだ。戦のメリークリスマスを」
海が首を傾げる。
「水槽の中で?」
「そうだ。あれはいい。冷たくて、静かで、腹の奥に残る」
「ウーパールーパーの感想じゃない……」
「龍の感想だ」
カスミは黙っていた。
その横顔に、ほんの少しだけ影が落ちる。
海は、それ以上は聞かなかった。
今はまだ、踏み込む時ではない。
けれど、分かったことがある。
この小さな白い龍は、カスミが現世に置いてきた時間を知っている。
彼女が何を聴き、何を失い、何を抱えてこの世界に来たのか。
その断片を、水槽の底から見ていた存在なのだ。
フィリアはそっと胸に手を当てた。
「小さき守護者様……」
「お嬢ちゃん、その呼び方は悪くねぇ」
「調子に乗らないで、パール」
「坂城龍壱だ」
「パール」
「……返事はするが、認めたわけじゃねぇ」
海は思わず笑った。
カスミはため息をついた。
フィリアは、なぜか嬉しそうに微笑んでいた。
そして、白いウーパールーパーは低い声で鼻を鳴らす。
「覚えとけ、坊主。俺はパールじゃねぇ。坂城龍壱だ」
「はい。龍さん」
パールの黒い目が、わずかに細くなった。
「……龍さん?」
「はい。坂城龍壱さんだと長いので。龍さん」
「ほう」
パールは、少しだけ満足そうに顎を上げた。
「男は嫌いだが、見る目のある男は嫌いじゃねぇ」
「えっ?」
「その呼び方は悪くねぇ」
カスミが小さく呟く。
「珍しい」
「何がですか?」
「パールが、初対面の男を噛まなかった」
「噛むんですか!?」
「たまに」
白衣の中から、低い声が響いた。
「俺は神龍だからな」
海は真顔で言った。
「やっぱり、見た目と声と設定の情報量が多すぎます。しかも、神龍になってるし」
フィリアは微笑んだ。
「でも、海様。とても心強いお方ですわ」
「心強い……ですかね」
「はい。少なくとも、カスミ様を大切に思っていらっしゃることは、確かです」
その言葉に、カスミは目を逸らした。
パールは白衣の中から、低く笑った。
「お嬢ちゃん。お前も、なかなか見る目がある」
神殿の外に、夕暮れの風が吹いた。
赤い白衣が揺れる。
KTC-αの小さな灯りが、足元で淡く瞬く。
そして、白衣の胸元では、自称・龍のウーパールーパーが、不機嫌そうに、それでもどこか満足げに目を細めていた。
その時だった。
パールの体が、白衣の胸元からずるりと滑り落ちかけた。
「おっと」
カスミが片手で受け止める。
白い小さな体は、カスミの掌の上でぬるりと揺れた。
神殿の外気に触れたせいか、外鰓がわずかにしぼむ。
パールは不機嫌そうに目を細めた。
「……長く外に出るもんじゃねぇな。乾く」
「だから隠してた」
カスミが短く言う。
海はそこで、ようやく気づいた。
カスミが授与式の後、あれほど急いで立ち去ろうとしていた理由。
研究に戻りたかったからだけではない。
パールを、長く人前に出したくなかったのだ。
いや、正確には。
人前に出せる状態ではなかった。
「龍さん……水がないと、つらいんですね」
「坊主。さん付けはそのままでいい。だが、つらいとは言ってねぇ」
「でも、外鰓が少し……」
「観察が細けぇな、ミュート」
カスミはパールを白衣の内側へ戻そうとした。
だが、その指が途中で止まる。
彼女は腕の中のKTC-αを見下ろした。
深い赤の工具箱。
その表面には、まだ淡い光が残っている。
《支援機構:待機中》
《兵装形態:制限封印中》
《秘匿モード:継続》
その文字を見た瞬間、海の中で点と点がつながった。
「カスミさん。もしかして、女神様にお願いしたのって……」
カスミは答えなかった。
ただ、KTC-αを強く抱きしめた。
フィリアが静かに目を見開く。
「まさか……守護者様のために?」
カスミは、ほんのわずかに視線を逸らした。
「パールは、外を歩けない」
「俺は歩ける」
「三歩で乾く」
「言い方」
「水槽ごと運ぶのは非効率。白衣の中は狭い。視界も低い。会話も聞き取りづらい。緊急時に守れない」
パールが黙った。
カスミはKTC-αに指を添える。
「だから、願った」
短い言葉だった。
けれど、そこには研究者の合理性だけでは片づけられない熱があった。
「パールが、自分で外に出られるものを」
海は息を呑んだ。
フィリアは胸元に手を当てる。
神殿の階段の上で、女神が静かに微笑んだ。
「ええ。あなたの願い、確かに受け取りました」
その声に、KTC-αが小さく震えた。
カスミの腕の中で、深い赤の工具箱が淡い光を放つ。
蓋の継ぎ目に沿って、細い魔導文字が走った。
カチリ。
小さな鍵が外れるような音がした。
《支援機構:限定展開》
《対象識別:坂城龍壱》
《搭乗補助:開始》
「おい、カスミ」
パールがカスミの掌の上で、低く唸る。
「今度は何を始めやがった」
「パール用」
「嫌な予感しかしねぇ」
次の瞬間。
赤い光が石畳の上に落ちた。
ぎゅいん、と魔導回路が円を描き、そこから小さな影がせり上がる。
ガコン。
ガシン。
ギギギギ、と妙に本格的な駆動音を響かせて、深い赤の小型ロボットが姿を現した。
機高は57cm。
機体重量は55kg。
胸には金色の“K”。
丸みを帯びた胴体。
短い腕。
安定性を重視した脚部。
そして頭部には、透明なキャノピー付きの丸いユニット。
どう見ても小さい。
小さいのに、登場音だけはやたら重厚だった。
海の目が、一瞬で輝いた。
「……支援ロボ……!」
「ミュート。声がうるさい」
「す、すみません。でもこれ、サイズに対して演出密度がすごいです。57cmなのに、登場シークエンスが国家防衛級です」
「評価基準が不明」
海はふと表示された数値を見て、眉を跳ねさせた。
「というか、57cmで55kg……!? 小さいのに重量だけ妙に本気ですね」
「安定性重視」
カスミは淡々と答えた。
「いや、安定性の数字じゃないです。これ、持ち上げたら腰をやるやつです」
透明キャノピーの中で、まだ搭乗していないパールが低く笑った。
「中身が詰まってんだよ、坊主」
「まだ中に入ってないですけどね、龍さん」
「細けぇな」
フィリアは両手を胸の前で組み、息を呑んだ。
「守護者様の、新たなる御身体が……!」
「お嬢ちゃん、その言い方は悪くねぇ」
パールはそう言いつつも、赤い小型ロボットをじっと睨んでいた。
「……おい。何であいつ、俺より堂々と立ってんだ」
「パールの身体だから」
カスミは即答した。
「俺の身体が、俺より先に威厳を出すな」
「仕様」
「便利な言葉で済ませるな」
その瞬間。
赤い小型ロボットの頭部が、かすかに震えた。
キュイイイイイイン。
透明キャノピー内部に光が走る。
胸の“K”が発光し、首元の接続部から白い蒸気のような魔力が噴き出した。
海が息を呑む。
「まさか……」
カスミが淡々と告げる。
「搭乗開始」
《頭部ユニット:射出準備》
「射出?」
パールの声が低くなる。
「今、射出っつったか?」
カスミは頷いた。
「言った」
「何で頭を飛ばす必要がある」
「かっこいいから」
「お前の趣味かよ!」
次の瞬間。
ガシュンッ!
赤い小型ロボットの頭部だけが、胴体から切り離された。
そして。
ドゴォッ!
小さな頭部ユニットが、ロケットのような勢いで頭上へ飛び上がった。
夕暮れの空へ、深い赤の軌跡が伸びる。
57cmのロボットの頭だけが、やたら勇ましい噴射音を響かせながら、神殿の上空へ舞い上がる。
ごおおおおおっ。
海は拳を握った。
「頭部ユニット、垂直上昇……!」
「ミュート。顔が少年」
「すみません。今、八歳の僕と二十三歳の僕が同時に拍手しています」
「二人とも静かにして」
フィリアは感動で目を潤ませていた。
「天へ昇る守護者様の御冠……」
「いや、あれ俺の頭になるやつだよな?」
パールが低く呻く。
「どうして俺の装備が、先に天啓みたいな扱いを受けてんだ」
上空へ飛び上がった頭部ユニットは、くるりと旋回した。
キュルルルル。
空中で姿勢を制御し、透明キャノピーを開く。
そして、急降下。
ヒュウウウウウウッ。
「おい」
パールの黒い目が、上から迫る赤い影を見上げた。
「おいおいおい」
「パール。動かないで」
「動くわ!」
「動くとずれる」
「ずれる前提で落としてくるな!」
ガコンッ。
赤い頭部ユニットが、パールの頭にすっぽり被さった。
まるで、バイクのヘルメットを被せられたように。
白いウーパールーパーの小さな体に、深い赤のロボ頭が装着される。
絵面は、あまりにもシュールだった。
海は真顔で言った。
「情報量が多い……」
フィリアは胸元に手を当てる。
「守護者様が、御兜を……」
パールの声が、赤いヘルメットの中からくぐもって響いた。
「おい、カスミ。視界が赤い」
「正常」
「正常じゃねぇ。俺は今、ウーパールーパーなのかロボなのか分からなくなってる」
「過渡状態」
「人生に使う言葉じゃねぇ」
その直後、頭部ユニットの内部で淡い液体が霧のように満ちた。
《外鰓保護:開始》
《生体維持環境:安定》
《搭乗者回収:開始》
「回収?」
パールの声が止まる。
次の瞬間。
ずるん。
「ぬおっ!?」
白い小さな体が、下からふわりと吸い上げられた。
頭部ユニットの内部に作られた透明な導管を、パールの体がゆっくりと上昇していく。
ヘルメットを被った人間の頭が、そのまま操縦席へ吸い込まれていくような、どこか妙に丁寧で、どこか致命的におかしな光景だった。
水の流れではない。
魔力の流れだ。
パールは赤い頭部ユニットの中で、ふよふよと上へ運ばれていく。
「おい! 俺を吸うな!」
「吸引じゃない。搭乗補助」
「今、確実に吸っただろ!」
「移送」
「言い換えるな!」
海は震える声で呟いた。
「すごい……ヘルメット装着からの内部キャノピー移送……。小さいのに、手順が異様に凝ってる……」
「海様」
フィリアが静かに言った。
「これは、きっと神聖な御昇座の儀です」
「たぶん違います」
「守護者様が、新たなる玉座へ……」
「だいぶ違います」
やがて、パールの白い体は頭部上部の透明キャノピーへ到達した。
すぽん。
小さな操縦席のような空間に収まる。
外鰓がふわりと広がり、黒い目がぎらりと光った。
《搭乗者認証:坂城龍壱》
《呼称登録:パール》
「登録するな」
《音声回路:接続》
《操縦補助:接続》
《守護補助:限定起動》
頭部ユニットが再び震えた。
キュイイイイイイン。
キャノピーの内側で赤い光が走る。
海が思わず一歩前へ出た。
「搭乗完了……!」
「ミュート。うるさい」
「すみません。でも、これは言わせてください。搭乗完了です」
「だめ」
その時。
赤い小型ロボットの胴体が、石畳の上で待機姿勢を取った。
両脚を開く。
腕を下げる。
胸の“K”が、強く輝く。
ガシャン。
ガシン。
ガコン。
57cmしかないはずなのに、音だけは巨大格納庫から出撃する兵器のようだった。
そして、なぜか胴体が走り出した。
「……走った?」
海が呟く。
赤い小型ロボットの胴体は、57cmの身体で石畳を全力疾走していた。
カシャカシャカシャカシャッ。
小さい。
圧倒的に小さい。
だが、足音だけはやたら勇ましい。
胸の“K”を光らせながら、両腕を後ろへ流し、まるで最終決戦に向かう英雄のような勢いで走っている。
「待ってください。胴体だけで走るんですか!?」
「仕様」
カスミは即答した。
「どこの仕様ですか!」
「合体演出」
「演出なんですね!?」
パールの低い声が、空中の頭部ユニットから響いた。
「おい、カスミ。俺の身体が勝手に熱血になってるぞ」
「正常」
「正常の幅が広すぎるだろ!」
胴体はなおも走る。
カシャカシャカシャカシャッ。
神殿前の石畳を蹴り、短い脚で全力疾走する。
その姿は、本人だけが壮大な出撃シーンの中にいるようだった。
だが、周囲から見れば。
57cmの赤い胴体が、頭なしで必死に走っている。
かなり、いや、非常にシュールだった。
フィリアは両手を胸に当て、感動に震えていた。
「守護者様の御身体が……己の頭を求めて走っておられます……!」
「フィリアさん、たぶんそういう神話ではないです」
「いいえ、海様。これは再誕の儀です」
「再誕にしては、足音がカシャカシャしすぎています」
次の瞬間。
赤い胴体が地面を蹴った。
ガンッ!
小さな脚部から、過剰なほどの魔力噴射が吹き出す。
「跳んだ!?」
海の叫びと同時に、胴体は空高く跳ね上がった。
57cmの身体が、夕暮れの空へ舞い上がる。
しかも、両手を大きく広げていた。
そのまま、きりもみ回転。
ギュルルルルルッ。
一回。
二回。
三回。
必要性は、まったく分からない。
だが、勢いだけは満点だった。
「回ってる……!」
海の声が震える。
「胴体だけで、ものすごく回ってる……!」
「ミュート。実況しない」
「すみません。でも、実況しないと脳が追いつきません!」
空中の頭部ユニットも、それに合わせるように一回転した。
キュインッ。
赤い軌跡が空で交差する。
頭部と胴体。
小さな二つの赤い影が、夕暮れの空で無駄に美しい軌道を描いた。
パールの声が響く。
「おい。これ、俺はどういう顔をして乗ってればいいんだ」
「威厳」
カスミが言う。
「この状況でか!?」
「龍だから」
「雑に信頼するな!」
海は拳を握りしめていた。
「龍さん、今です! 頭部と胴体の同期タイミングが来ます!」
「坊主、お前は何でそんなに楽しそうなんだ!」
「すみません! 楽しいです!」
「正直だな!」
頭部ユニットが、最後の一回転を終える。
胴体も、両腕を広げたまま回転を止める。
二つの赤いユニットが、空中でぴたりと軸を合わせた。
その瞬間。
赤い小型ロボットから、妙に明るい音声が響いた。
『レッツ・コンパイル!』
海の目が見開かれる。
「レッツ・コンパイル……!? 合体じゃなくて、構築するんだ……!」
「部品を結合して、実行可能状態にする。概ね正しい」
カスミは淡々と答えた。
透明キャノピーの中で、パールが低く呻く。
「俺を実行ファイルみたいに扱うな」
《機高:57cm》
《機体重量:55kg》
《搭乗者認証:坂城龍壱》
《呼称登録:パール》
「だから登録するな」
ガシィンッ!
頭部と胴体が合体した。
その瞬間、赤い光が全身を駆け抜ける。
腕部。
脚部。
胸部。
背部。
透明キャノピーの中で、パールの黒い瞳が鋭く光った。
《支援機構:起動》
《戦闘機能:制限封印中》
《守護補助:限定許可》
そして、合体を終えた赤い小型ロボットは、そのまま地面へ落下した。
いや。
落下ではない。
着地だった。
ズザンッ!
片膝をつき、片手を石畳に当てる。
顔を伏せたまま、赤い装甲に夕暮れの光を受ける。
まるで、空から降り立った鋼の英雄のような着地だった。
ただし。
機高は57cmだった。
海は震える声で言った。
「……着地ポーズまで完璧……」
フィリアは涙ぐんでいた。
「守護者様……なんと荘厳な御降臨……」
カスミは無表情で頷く。
「成功」
パールは透明キャノピーの中で、低く呻いた。
「……俺は今、何をやらされたんだ」
海は真顔で答えた。
「龍さん、すごく格好よかったです」
「……そうか」
「はい」
「なら、まあ……悪くねぇ」
「調子に乗らないで、パール」
「坂城龍壱だ」
「パール」
「……返事はするが、認めたわけじゃねぇ」
赤い小型ロボットは、ゆっくりと顔を上げた。
コツン。
57cmの足が、石畳を踏む。
もう一歩。
コツン。
白衣の胸元に隠れていた小さな存在が、初めて自分の足で、神殿の外に立った。
サイズは小さい。
けれど、登場演出だけはやたら大きい。
57cmの身体に、過剰なほどの合体魂が詰め込まれていた。
パールは透明キャノピーの奥から、低く言った。
「……視点が高ぇな」
カスミは答える。
「57cm」
「数字で返すな」
海は、ほとんど泣きそうな顔で呟いた。
「すごい……龍さん専用、頭部射出・搭乗回収・再合体式支援ロボ……」
「坊主」
「はい」
「その呼び方と、その説明は悪くねぇ」
フィリアは目を潤ませていた。
「守護者様が……新たなる御身体を得られました……」
「お嬢ちゃんは本当に見る目がある」
「調子に乗らないで、パール」
カスミが即座に言った。
「坂城龍壱だ」
「パール」
「……返事はするが、認めたわけじゃねぇ」
夕暮れの風が、神殿の外を吹き抜ける。
赤い白衣が揺れる。
深い赤のKTC-αが、カスミの腕の中で淡く光る。
そしてその隣には、胸に“K”を刻んだ57cmの小さな守護者が立っていた。
白衣の奥に隠れていた小さな龍は。
無駄に壮大な合体音と、無駄に凝った搭乗手順と、無駄に勇ましい赤い機体を得て。
ついに、自分の身体で、カスミの隣に立った。
少し離れた場所で、シャルロットが額に手を当てていた。
「……なぜ、57cmの支援機構に、ここまで過剰な出撃演出が必要なのですか」
その声には、叱責というより、理解を諦めた大人の疲れが滲んでいた。
隣のユリウスは、赤い小型ロボットをじっと見つめている。
「いや、しかしシャルロット。頭部射出、搭乗者回収、空中再合体、姿勢制御、片膝着地まで安定している。これは技術的には非常に興味深い」
「ユリウス。今は興味を示す場面ではありません」
「では、後で観察記録を取ることにしよう」
「取らないでください」
透明キャノピーの中で、パールが低く唸った。
「おい。俺を研究対象みたいに見るんじゃねぇ」
ユリウスは穏やかに微笑んだ。
「失礼。だが、実に貴重な搭乗者だ」
「褒めてねぇだろ、それ」
シャルロットは小さくため息をつき、カスミを見た。
「……鋳鍛地カスミ。晩餐会では、頭部を飛ばさないように」
カスミは少し考えた。
「必要なら」
「却下よ」
「言ってみただけ」
海はしばらく、赤い小型ロボットを見つめていた。
57cm。
けれど、確かに存在感があった。
滑稽で。
過剰で。
たぶん、本人が聞けば怒るほど可愛らしい。
それでも、その赤い身体は、パールが外の世界を歩くためのものだった。
「カスミさん」
海は静かに言った。
「これ、すごくいいですね」
カスミはわずかに視線を向ける。
「所見?」
「いえ。感想です」
「感想は不安定」
「でも、大事です」
カスミは少し黙った。
それから、KTC-αを抱え直す。
「……なら、記録しておく」
「ログですか?」
「所見」
「はい」
フィリアが微笑む。
「カスミ様。守護者様もご一緒なら、晩餐会も安心ですね」
カスミの眉が、ほんのわずかに動いた。
「晩餐会」
その声には、研究者が最も避けたい予定を思い出した時の重さがあった。
「必要?」
「必要です」
フィリアはきっぱり答えた。
「女神ウェポンを授かった以上、王宮側への報告と顔合わせは避けられません。しかも、本日の晩餐会には魔導師団関係者や貴族の方々も出席されます」
「研究効率が落ちる」
「社会的信用も研究資源の一部です」
カスミは沈黙した。
効いたらしい。
パールが透明キャノピーの中で低く笑った。
「言われてんぞ、カスミ。たまには人間社会の手順ってやつに従え」
「パールも出る」
「は?」
「保護者だから」
「お前な……」
カスミは赤いロボットを見下ろし、淡々と告げる。
「同居人で、保護者。そう名乗った」
パールは言葉に詰まった。
フィリアが小さく微笑む。
海も、つられて少しだけ笑った。
赤い小型ロボットの透明キャノピーの中で、白いウーパールーパーが渋い顔をしている。
その光景は、どうしようもなく奇妙で、けれど不思議と温かかった。
女神は静かにその様子を見守っていた。
「カスミ」
再び名を呼ばれ、カスミは女神を見る。
「KTC-αは、あなたのための力です。ただし、その力は開く順番を誤れば、あなた自身も周囲も傷つけます」
KTC-αの表面に、再び淡い文字が浮かぶ。
《兵装形態:制限封印中》
《秘匿モード:継続》
《支援機構:稼働》
カスミはその表示を見つめ、頷いた。
「理解した。今は開けない」
「ええ。それでよいのです」
女神の声は穏やかだった。
「あなたが守りたいものを見失わない限り、その箱はあなたの手を裏切りません」
カスミは答えなかった。
だが、KTC-αを抱える腕に、ほんの少しだけ力が入った。
パールはその仕草を、透明キャノピーの中から見ていた。
「……守りたいもの、ね」
低い声が、液体越しに少しくぐもって響く。
「お前には多すぎるくらいだな」
「少ない」
カスミは即答した。
「だから、増やす」
パールは目を丸くした。
それから、ふっと笑った。
「……そうかよ」
その笑い声は低く、渋く、そしてほんの少しだけ優しかった。
やがて、遠くから鐘の音が響いた。
王宮の夕刻を告げる鐘。
空は薄い金色から紫へと変わり始めていた。
晩餐会の時間が近づいている。
フィリアが背筋を伸ばす。
「では、準備に向かいましょう。カスミ様、KTC-αは目立ちすぎないように。守護者様も……そのお姿でよろしいのですか?」
赤い小型ロボットが、コツン、と一歩前に出た。
透明キャノピーの中で、パールが腕を組もうとして、腕がないことに気づいたような顔をする。
「この姿で行く。保護者だからな」
「目立ちますよ?」
海が小さく言う。
「上等だ」
パールは低く言い放った。
「57cmだろうが、守護者は守護者だ。こいつに変な虫が寄ってくるなら、睨みくらい利かせてやる」
「戦闘機能は封印中」
カスミが補足する。
「睨みは非戦闘」
「分類すんな」
フィリアは思わず笑みをこぼした。
海も、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
召喚は、誰かの人生を勝手に変えてしまう。
その痛みは消えない。
けれど、変えられた後でも、守り合うことはできる。
小さな白い守護者と、白衣の少女。
深い赤の工具箱と、57cmのロボット。
王都の夕暮れの中、その奇妙な一団は晩餐会へと向かう準備を始めた。
そして誰もまだ知らない。
その小さな守護者が、次に王都でどれほど大きな波紋を呼ぶことになるのかを。
ただ一人。
赤いロボットの透明キャノピーの奥で、パールだけが静かに目を細めていた。
「……さて」
低く、渋い声がこぼれる。
「晩飯の席ってのは、だいたい面倒が起きるもんだ」
カスミは無表情のまま答えた。
「経験則?」
「人生則だ」
「了解。警戒する」
「だから、そういうところだぞ」
夕暮れの光が、深い赤の装甲を淡く照らす。
白い小さな守護者は、57cmの身体で、カスミの隣に立った。
晩餐会の扉は、もうすぐ開く。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
いいねやリアクションは、
海が勝手にログへ保存しておきます。
凛には「当然ですわ」と言われそうですが、作者は普通に喜びます。
続きが気になりましたら、
下のお星さまを、ぽちっと光らせていただけると嬉しいです。
いただいた星は、次回の変身エネルギーに変換されます。
たぶん爆発はしません。




