EP43:赤い白衣の異端児と、女神の工具箱 [LOG_ALCHEMIA]
「見るだけ」
それが、魔導書庫を出る直前にカスミが言った最後の言葉だった。
「測定は受けない。協力もしない。巻き込まれない。僕は研究環境を確認しに行くだけ」
赤い白衣の裾を払って、鋳鍛地 澄架はきっぱり言った。
その言葉に、海は静かに頷く。
「はい。見るだけですね」
「分かってるならいい」
「でも、カスミさん」
「何」
「さっきから歩く速度が速いです」
カスミの足が、ぴたりと止まった。
王城の石廊下には、三人分の足音が響いている。
フィリアは先導。
海は半歩後ろ。
そしてカスミは「見るだけ」と言いながら、明らかに一番前へ出かけていた。
「……気のせい」
「そうですね」
「ミュート」
「はい」
「その顔、記録したら分解する」
「まだ何も言ってません」
「目が言ってる」
「目も分解対象なんですか……」
フィリアは穏やかに言った。
「カスミ様。この先が、属性鑑定と女神ウェポン授与を行う公約の間です」
「公約?」
カスミが眉をひそめる。
「ずいぶん堅い名前」
「異界より来られた方の力を、公に記録し、王国と女神の前にその役割を確認する場所です」
「役割とか、嫌な単語が増えた」
カスミの声が、少しだけ低くなる。
フィリアはそこで、言葉の杖を持ち替えた。
「研究者としては、ご自身の力の仕様を知ることは重要ではありませんか?」
カスミの足が止まる。
海は内心で、小さく息を呑んだ。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(フィリアさん、刺し方が的確すぎる)
(“協力してください”では動かない)
(“仕様を確認できます”なら動く)
(カスミさんの取扱説明書、もう読み始めてる……)
カスミは不満そうに視線を逸らした。
「……仕様確認なら、まあ」
「はい。仕様確認です」
「儀式じゃない」
「仕様確認です」
「協力じゃない」
「現段階では、観察と測定です」
「巻き込まれない」
「今は、まだ」
「今はって言った」
「言いました」
フィリアはにこりと微笑んだ。
海は小声で呟く。
「フィリアさん、けっこう強いですね」
「海様」
「はい」
「必要な時には、言葉にも杖を持たせます」
「名言っぽい」
カスミが横から言った。
「今のは少しよかった」
フィリアの頬が、ほんの少し赤くなる。
「ありがとうございます、カスミ様」
「様はいらない」
「では、カスミさん」
「さんも距離が近い」
「では、カスミ様」
「戻った」
海は笑いを噛み殺した。
公約の間は、研究室と神殿の中間のような空間だった。
白い石で組まれた広い円形の部屋。
床には銀と青の魔法陣が幾重にも描かれ、中央には透明な水晶柱が立っている。
その周囲には、銀の輪。
魔石を埋め込んだ計測盤。
属性反応を記録する羊皮紙。
さらに、魔力流量を測るための細い針が、まるで眠る虫の脚のように並んでいた。
部屋の奥には、ユリウス博士とシャルロットが待っていた。
ユリウス博士は、薄紫色の長い髪を背でひとつに束ねている。
切れ長の瞳の奥には、静かな知性と、研究対象を見つけた者特有の危険な光があった。
その隣で、シャルロットは扇を手に立っていた。
彼女は、赤い白衣、両脇の銃、左右の腰に日本刀、油の残る指先を順番に見て、わずかに目を細める。
「あなたが、魔導書庫の奥にいた異界の方ですわね」
「いた。隠れてたわけじゃない」
カスミは即答した。
「関わらないようにしてただけ」
「それを一般的には隠れていたと言うのよ」
「言葉の選び方が王族」
「王族ですもの」
「面倒」
シャルロットの眉が、ぴくりと動く。
海は慌てて一歩前に出た。
「す、すみません。カスミさん、悪気はたぶん半分くらいしかないです」
「半分はあるのね」
「ありますね」
「あるのね」
カスミは、すでに壁際の計測器に目を向けていた。
会話の半分ほどを、手放している。
「……いいね」
ぽつりと呟いた。
「測定装置としては原始的だけど、思想は悪くない。魔力を光量に変換して、属性反応を色相差で読む。いや、振動も拾ってる? こっちの魔石、少し熱を持ってる。増幅器? それとも反応遅延を見るための負荷装置?」
ユリウス博士の目が、嬉しそうに細まった。
「ほう」
海は嫌な予感を覚えた。
「カスミさん、初見の研究施設で設備を品評しないでください」
「研究者が測定器を見て黙っていられるわけないでしょ」
「今の一文で、だいぶ面倒な人だと分かりました」
ユリウスは声を上げて笑った。
「構わん。観察眼は優秀だ」
「ほら、コイツは分かってる」
「博士、甘やかさないでください」
フィリアが即座に言う。
海も、恐る恐る手を上げた。
「あの……博士にコイツは止めてください」
カスミは淡々と答える。
「僕の上司ではない」
「それはそうですけど」
「構わんよ、海君。好きに呼んでくれていい。名は……」
「カスミ」
「そう、カスミ君」
「わかった、ユリウス」
「結局呼び捨て」
フィリアがこめかみに指を当てる。
「だって、コイツが好きに呼んでいいと言った」
「わかりました。コイツよりはましです」
「まし扱いなのかね、私は」
ユリウス博士は愉快そうに肩をすくめた。
フィリアは感動したように両手を胸の前で組んでいる。
「やはり、カスミ様は装置の魂を見抜かれるのですね」
「魂までは見てない」
「では、魂の手前まで」
「手前って何」
海が小さく突っ込む。
シャルロットは扇を口元へ当てながら、静かにカスミを観察していた。
「なるほど。海とは別方向の異常者なのね」
「シャルロット様、聞こえています」
「聞こえるよう言ったのよ」
「それはそれで強い」
カスミがぼそりと言った。
海は少しだけ肩を落とす。
異界人が増えた。
安心感より先に、王城の胃痛が増えている気がする。
ユリウス博士は測定盤の前に立った。
「では、カスミ殿。水晶柱に手を」
「見るだけのつもりだったんだけど」
「見るには、反応を出す必要がある」
「正論が嫌い」
ユリウスは薄紫の髪を揺らし、面白そうに笑った。
「研究とは、正論と誤差の戦い。そう思わないかい?」
「……少し好き」
「好きなんですか」
海が呟くと、カスミは無視した。
赤い白衣の袖をまくり、右手を水晶柱へ置く。
その瞬間だった。
水晶柱の内部に光が走った。
最初に灯ったのは、赤。
炉の奥で金属を熱するような、濃い赤。
次に、黄土色。
乾いた大地と鉱石の重みを帯びた、鈍い光。
そして、青白い稲妻。
細い線が何度も枝分かれし、火と土の光を叩くように走る。
三色の光は、互いにぶつかり合うのではなかった。
炉の中で熱せられた金属のように絡み、溶け、さらに別の輝きへと変質していく。
銀。
灰。
赤銅。
蒼白。
色が層になり、折り重なり、やがて水晶柱の表面に見慣れない紋様を刻んだ。
火でもない。
土でもない。
雷でもない。
それらを炉に入れ、別の理へ鍛え直したような光。
「これは……」
ユリウス博士の表情が変わった。
計測盤の針が震え、羊皮紙に自動で文字が刻まれていく。
《属性反応:火・土・雷》
《派生反応:錬成》
《系統照合:アルケミア》
《適性分類:希少派生属性》
《専用スキル反応:元素創鍛》
「元素創鍛……」
ユリウス博士は低く呟いた。
「火は熱。土は素材。雷は反応と電位。それらが異様な精度で結びついている。単なる三属性適性ではない」
カスミの目が、静かに細くなる。
シャルロットが水晶柱に刻まれた紋様を見つめていた。
「元素創鍛。完全に同じ記録はありませんわ。ただ、近いものなら古い記録に残っています」
「近いもの?」
海が聞き返す。
シャルロットは扇を軽く閉じる。
「アルケミア。錬成を扱う者たちの中で、ごく稀に確認された希少系統です」
「アルケミア……」
フィリアが小さく呟いた。
「古い記録では、鉱石の変質、魔導素材の加工、破損した武具の再構成などを行った者たちがいたとされています。ただし、その多くは断片的な記述に留まっています」
ユリウス博士が頷く。
「しかも、カスミ君の反応は通常記録のアルケミアとは少し違う。火、土、雷がただ混ざっているのではない。素材を読み、熱で変質させ、雷で反応を結ぶ。まるで、物質そのものを鍛え直すための理だ」
カスミの口元が、わずかに上がった。
「へえ」
その声は、明らかに楽しんでいた。
「いいね。魔法使いとか勇者とかより、ずっと僕向きだ」
「ただし、万能ではない」
ユリウス博士は釘を刺すように続けた。
「元素創鍛で錬成できるのは、あくまで使用者が認識できる物質だ。見た目だけでは足りない。硬さ、重さ、熱の通り方、魔力の通り方、壊れ方、手触り、用途。素材としての振る舞い。そこまで掴めて、初めて形になる」
カスミは指先を水晶柱に置いたまま、静かに頷いた。
「あらゆる物質を錬成できる。ただし、僕が“イメージ”できるものだけ」
「そういうことになる」
「悪くない」
海は思わず言った。
「カスミさんの能力って、つまり何でも作れるってことですよね。かなりチートでは……?」
「何を言ってるの、ミュート」
カスミは、心底不服そうに眉を寄せた。
「物質を出せることと、精密なものを作れることは別」
「別、ですか」
「別。たとえば希少金属、魔導鉱石、装甲材、刃、銃身、工具、補修材、防具、武具。そういう物質や単純構造の部品なら作れる」
カスミは水晶柱から手を離し、海をじろりと見た。
「でも、Ω-Frameみたいな細かい装備は、設計式がなければ形にならない。魔導回路、AI連携、通信制御、変形機構、演算制御、負荷分散、安全停止。そういうものは僕の勘だけじゃ雑になる」
「雑、ですか」
「雑。使えなくはない。でも、美しくない。壊れる。信用できない」
《補足。高精度な統合装備には、設計式および演算補助が必要です》
Deltaの声が、Ω-Frame越しに響いた。
カスミは海を睨む。
「ほら」
「ほら、とは」
「むしろ、なんでもポンポン設計できるミュートとDeltaの方が、僕に言わせればよっぽどチート」
「僕ですか?」
「そう。しかも、自覚なしでやってる。そこが一番ムカつく」
《補足。マスターの設計傾向は、無意識下の仮説生成を多く含みます》
「そういうところ」
カスミは不機嫌そうに言った。
「僕は材料を出せる。でも、あんたは“使える形”を思いつく。そこを同じ土俵に並べるな」
海は一瞬、言葉を失った。
それは、褒め言葉ではなかった。
少なくとも、カスミの声はそう聞こえないように作られていた。
けれど。
その奥に、海の力を正しく見ている冷静さがあった。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(元素創鍛)
(アルケミア系統の希少派生)
(火、土、雷の複合反応)
(物質を読み、魔素を炉にかけ、形へ固定する力)
(カスミさんは、素材を生み出せる)
(僕とDeltaは、設計式を組める)
(……つまり)
(読む者、設計する者、形にする者)
(これ、完全に開発チームの構成だ)
フィリアは、目を潤ませていた。
「カスミ様……やはり、世界を修復するために遣わされた方なのですね」
「いや、そこまでは言ってない」
「火で鍛え、土を読み、雷で反応を導く。まるで、壊れた世界を炉に入れ、もう一度打ち直すための御力です」
「表現が壮大すぎる」
「でも、少し嬉しそうですね」
海が小声で言うと、カスミはそっぽを向いた。
「うるさい、ミュート」
シャルロットは水晶柱に刻まれた紋様を見つめていた。
「元素創鍛。アルケミア系統の中でも、かなり異質な反応ですわ。鍛冶、魔導工学、魔石加工、兵装調整。扱い方次第では、戦場そのものの形を変えます」
「戦場とか興味ない」
カスミは即答した。
「研究がしたい」
「研究成果が戦場に出るのですわ」
「最悪」
「最悪だけど、それが現実よ」
シャルロットの声は静かだった。
その言葉に、カスミは少しだけ黙った。
火。
土。
雷。
錬成。
アルケミア。
そして、元素創鍛。
水晶柱の中で絡む光は、まだカスミの残響に反応し続けている。
それは武器ではない。
けれど、武器を作る力だった。
壊す力ではない。
けれど、壊れたものを別の形へ組み替える力だった。
カスミは自分の手を見下ろした。
その指先には、まだ油が薄く残っている。
「……まあ、悪くない」
「とても嬉しそうですわ」
「嬉しくない」
「耳が赤いですわ」
「フィリア」
「はい」
「観察力を今だけ捨てて」
「申し訳ございません。拾ってしまいました」
海は笑いを堪えた。
測定が終わると、公約の間の奥にある白い扉が、音もなく開いた。
扉の向こうは、神殿の内陣だった。
白い光。
静かな風。
水面のように揺れる床。
その中央に、女神が立っていた。
フィリアがすぐに膝をつく。
シャルロットも頭を垂れた。
ユリウス博士は静かに一礼する。
海は少し遅れて姿勢を正した。
カスミだけが、白い光の中に立つ女神を見て、眉をひそめる。
「……距離感が分からない」
「カスミさん、せめて敬意は持ってください」
「持ってる。持ってるけど、神様って実在するとリアクションに困る」
女神は優しく微笑んだ。
「異界より来たりし者。鋳鍛地 澄架」
カスミの肩が、ほんの少し跳ねた。
「フルネームで呼ばれるの、落ち着かない」
「あなたの名は、あなたの輪郭です」
「急に詩的」
「あなたが望むウェポンを、告げなさい」
白い内陣に、静かな声が響いた。
普通なら、そこで願われるのは聖剣だった。
神槍。
魔杖。
弓。
盾。
鎧。
銃。
砲。
戦うための形。
守るための形。
勝つための形。
だが、カスミは一秒も迷わなかった。
「工具箱」
神殿に沈黙が落ちた。
フィリアが目を丸くする。
海は額に手を当てた。
ユリウス博士だけが、なぜか深く頷いていた。
シャルロットは扇を閉じる。
「聖剣でも神槍でもなく、工具箱」
「そう。工具箱」
カスミは迷わず答えた。
女神は、少しだけ首を傾げた。
「……武器、ではなく?」
「武器にも使える」
「その答え方は、少し気になります」
海は少し離れた場所で、その様子を見ていた。
「今、女神様が困ってませんか?」
フィリアは真面目な顔で頷く。
「困惑しておられます。ですが、とても慈しみ深い困惑です」
「慈しみ深い困惑って何ですか」
シャルロットが扇を閉じる。
「普通は、聖剣や魔杖を望む場面ですわよね」
「たぶん、工具箱を望む場面ではないです」
女神は、カスミをじっと見つめた。
その瞳には、責める色はなかった。
ただ、純粋な困惑と、相手の真意を確かめようとする静かな慈しみがあった。
「では、あなたの望みの奥を、少しだけ見せていただきます」
「え」
カスミが、一歩だけ後ろへ下がる。
けれど女神は、音もなく距離を詰めた。
「異界の方の望みは、言葉よりも心の奥にあることが多いのです」
「それ、だいぶ個人情報では」
「必要な輪郭だけを読み取ります」
「信用していいやつ?」
「信じるかどうかは、あなたが決めなさい」
「言い方がずるい」
白い光が、二人の間に細い糸のように漂う。
女神は両手でカスミの頬をそっと包み、その額を、カスミの額へ静かに重ねた。
「ちょ、近……」
カスミの肩が跳ねる。
赤い白衣の襟元が、ほんの少し揺れた。
女神の睫毛が、すぐ目の前にある。
白い髪が頬をかすめ、淡い花のような香りが、カスミの呼吸に混じった。
カスミは目を泳がせた。
それから、ひどく小さな声で呟く。
「……いい匂いがする」
海は聞こえてしまった。
聞こえてしまったので、思わず口に出した。
「女性同士でも照れるんだね」
「ミュート」
カスミの声が低くなる。
「今のは、記録したら分解する」
「記録してません。脳内ログに残っただけです」
「脳を分解する」
「範囲が広がった」
フィリアは、なぜか真面目な顔で頷いた。
「きっと、女神様の御前で緊張しておられるのですわ」
「そう。緊張」
カスミは即答した。
早すぎる返事だった。
「香りの話ではない」
「誰も香りの話とは申し上げておりません」
「フィリア」
「はい」
「観察力を捨てて」
「申し訳ございません。今回は少し難しいです」
女神は微笑んだまま、カスミの額に自らの額を重ねている。
「安心なさい。読み取るのは、あなたが望んだ形だけです」
「それでも距離が近い」
「心の輪郭は、近くでなければ見えにくいのです」
「理屈が強い」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
女神は、静かに目を閉じた。
カスミも、渋々目を閉じる。
白い光が、二人を包み込んだ。
細い糸のような光が、カスミの内側へそっと潜っていく。
女神は、カスミの言葉の奥へと意識を沈めた。
工具箱。
その一言だけなら、まだ理解できた。
異界の技術者が、戦場で扱う道具を求める。
珍しくはある。
だが、理解できない願いではない。
けれど、その輪郭はすぐに変わり始めた。
ただの箱ではない。
収納。
整理。
素材解析。
魔素圧縮。
生成物固定。
自己診断。
修理機能。
展開式アーム。
測定器。
溶接機。
冷却器。
圧縮機。
作業台。
女神の眉が、ほんの少し動いた。
「工房……?」
カスミは当然のように答える。
「持ち運べる方がいい」
光の中で、女神の沈黙が深くなる。
携行可能な工房。
そこまでは、まだよかった。
けれど、カスミの思考はさらに先へ進む。
折り畳み式の脚部。
自律移動。
姿勢制御。
作業対象への自動追従。
危険区域での単独展開。
工具の自動選択。
故障箇所の診断。
修理手順の提案。
女神が、わずかに目を開いた。
「動く……?」
「持ち運べる方がいい」
「いえ、それは先ほども聞きました」
「じゃあ、勝手に来てくれる方がいい」
「……勝手に」
さらに、輪郭が変わる。
音声応答。
簡易判断。
使用者認証。
危険予測。
作業記録。
状態報告。
工具の提案。
そして、必要ならば使用者を止めるための制御。
女神の表情が、慈しみと困惑の間で揺れた。
「……しゃべる?」
カスミは少しだけ首を傾げる。
「しゃべった方が早い」
「工具箱が、ですか」
「黙ってる工具は不便」
「通常、工具は黙っているものです」
「だから不便」
海は横で、もう一度額に手を当てた。
「女神様の常識が、工具箱に負けていく……」
「海様」
フィリアが小さくたしなめる。
「ですが、否定はできません」
「ですよね」
女神は、なおもカスミの思考を読み取っていた。
工具箱。
工房。
移動する工房。
しゃべる工具箱。
判断する補助機構。
必要なら止める道具。
戦うための武器ではなく、壊れたものを見捨てないための相棒。
そこにあったのは、勝利の願いではなかった。
壊れたものを前に、手を止めないための願いだった。
女神の瞳が、優しく細められる。
「あなたの望みは、戦うためだけのものではありません。壊れたものを見捨てず、形を与え直すためのもの」
カスミは、そこでわずかに目を伏せた。
いつもの皮肉が、すぐには出てこない。
それから、ほんの少しだけ顔を寄せた。
海にも、フィリアにも、シャルロットにも、ユリウスにも聞こえないほどの声で、女神の耳元に何かを囁く。
音は、記録されなかった。
ただ、カスミの唇がわずかに動いたことだけが分かった。
女神の瞳が、ほんの少しだけ見開かれる。
驚き。
それから、深い慈しみ。
それは、武器を授ける女神の顔ではなかった。
小さな願いを、そっと両手で包む者の顔だった。
「……よろしいでしょう」
その一言だけが、白い内陣に落ちた。
「今の、聞こえました?」
海が小声で尋ねる。
フィリアは首を横に振った。
「いいえ。ですが、女神様のお顔が……」
カスミは振り返らなかった。
「何でもない」
早すぎる返事だった。
女神は何も言わない。
ただ、白い光をカスミの前へ集める。
金属音がした。
がちゃん。
がちゃん。
がちゃん。
神殿の静寂には不釣り合いな、無骨な音。
光の中から現れたのは、赤色の金属製工具箱だった。
古い戦場をくぐり抜けたような深い赤。
角には黒い補強装甲。
留め具には鈍い金色の金具。
上部には、乱暴に掴まれることを前提にしたような頑丈なハンドル。
側面には、丸い補助ユニットが左右対称に収納されている。
それは耳のようにも、センサーのようにも見えた。
正面には黒い面板があり、そこに細い青い光が一瞬だけ走る。
顔にも見える。
ただの表示盤にも見える。
その曖昧さが、かえって奇妙だった。
表面には、黒と金の文字が刻まれている。
《KTC-α》
《Kanaji Tool Collection》
工具箱の側面に、小さな灯りがともった。
ぱちり。
次の瞬間、短い機械音声が響いた。
《KTC-α、起動》
カスミの目が、完全に変わった。
海はその目を見て、思った。
あ。
これは、やばい。
「……いい」
カスミは両手で工具箱を持ち上げた。
重そうな見た目に反して、彼女の手にはぴたりと馴染んでいる。
「重心がいい。展開機構もある。中の空間が、見た目より広い。収納式? いや、拡張空間? 魔素圧縮を使ってる? 外装はただの金属じゃない。自己診断も持ってる?」
工具箱の灯りが、もう一度またたく。
《所有者認証:鋳鍛地 澄架》
《元素創鍛連携確認》
《錬成補助機構、起動可能》
《素材解析、起動可能》
《生成物固定、起動可能》
《魔素素材圧縮領域、待機》
《自己診断、正常》
《収納形態:工具箱モード》
《支援機構:待機中》
《兵装形態:制限封印中》
「しゃべった」
海が呟いた。
「しゃべりますのね」
フィリアも目を丸くする。
カスミは工具箱を抱えたまま、少しだけ口元を上げた。
「いいじゃない。話が早い」
「工具箱と会話する気ですか?」
「道具と会話できるなら、した方が早い」
「その発想、カスミさんらしいですね」
「褒め言葉として受け取る」
女神は静かに告げた。
「元素創鍛を持つ者よ。その工具箱は、あなたの力を拡張するもの。けれど、力そのものではありません」
カスミの表情が少しだけ引き締まる。
「道具だから?」
「はい」
女神は微笑む。
「道具は、持ち主の心を映します。壊すためだけに使えば、壊すものとなります。直すために使えば、直すものとなります。作るために使えば、未来を置く器となります」
カスミは黙って聞いていた。
茶化さない。
反論しない。
ただ、工具箱の持ち手を静かに握り直す。
「あなたが何を作るのか。それは、あなた自身が選びなさい」
「……選択肢が多すぎる」
カスミは小さく呟いた。
「人類は自由を与えられると、逆に不自由になる生き物なんだよ」
「でも、嬉しいんですよね」
海が言う。
カスミは振り返る。
「ミュート」
「はい」
「あとで殴る」
「今日は殴打予定が多いですね」
「必要経費」
「経費で落ちないと思います」
KTCの灯りが点滅した。
《暴力行為は非推奨》
海は小さく笑った。
「KTC、常識ありますね」
《常識データベース、未構築》
「未構築なのに止めたんですか」
《危険予測による暫定判断》
「優秀」
カスミは工具箱を見下ろした。
「KTC」
《YES》
「あとで中身を見る」
《了解》
「分解もする」
《自己防衛機構を準備》
「いいね」
「いいんですか、それ」
海が思わず言う。
カスミは、初めて少しだけ楽しそうに笑った。
「分解される覚悟のある道具は信用できる」
「すごい価値観ですね」
「ミュートの眼鏡よりは素直」
「Ω-Frameも素直ですよ」
「すぐ割れた」
「痛いところを」
フィリアがくすりと笑った。
その時、KTCの赤い外装が低く鳴った。
がちゃん。
工具箱の内側で、何かが小さく組み替わる音がした。
それは、ただの機構音だった。
少なくとも、そう聞こえた。
海は、ほんの一瞬だけ眉を寄せる。
「……今、何か動きませんでした?」
「内部機構」
カスミは即答した。
早すぎる返事だった。
「まだ何も言ってませんけど」
「言う顔だった」
「支援機構、待機中って表示されてましたよね」
「ただの補助機能」
「補助機能が動いた音に聞こえました」
「耳の不具合」
「僕の耳まで分解対象ですか」
カスミは返事をしなかった。
代わりに、KTCの蓋を閉じる。
その仕草は乱暴だった。
けれど、乱暴に見せかけて、何かを傷つけないようにしている手つきでもあった。
フィリアがそっと首を傾げる。
「カスミ様。その工具箱の中に、何か特別な機構が?」
「ない」
「まだ最後まで申し上げておりません」
「言う前に分かる。ない」
「……承知いたしました。そういうことにしておきます」
「そういうこと、もいらない」
KTCの表面に、ごく淡い文字が浮かぶ。
《秘匿モード、継続》
それは一瞬で消えた。
女神は微笑むだけだった。
何も答えない。
それが、かえって答えのように見えた。
カスミは赤い白衣の裾で、KTCの持ち手を隠すように握り直した。
神殿の白い光が、静かに薄れていく。
授与式は終わった。
シャルロットは、KTCを見ながら深く息をついた。
「また、王国の管理台帳に頭の痛い項目が増えましたわ」
「そんな物騒なものではないよ」
カスミが言う。
「工具箱ですわよね?」
「そう」
「しゃべって、自己診断して、素材解析機能を持ち、魔素素材を圧縮し、錬成補助を行い、支援機構まで待機している工具箱」
「便利」
「便利の定義を、後日あらためて協議しましょう」
ユリウス博士は楽しそうだった。
「元素創鍛に、女神授与の工具箱。これは研究価値がある」
「博士」
海は思わず声をかけた。
「目が危ないです」
「海殿に言われるとは心外じゃな」
「僕もさっき言われました」
「では同類じゃ」
「嬉しくないです」
カスミが横から言った。
「同類扱いは拒否」
「こっちも拒否します」
「息が合っていますわね」
フィリアが微笑む。
「合ってません」
「合ってない」
声が重なった。
フィリアは満足そうに頷いた。
「やはり」
海は頭を抱えた。
「フィリアさん、その“やはり”はたぶん危険です」
カスミはKTCを抱え直し、神殿の出口へ歩き出した。
「これで確認は終わり。僕は研究に戻る」
「カスミ様」
フィリアが声をかける。
「何」
「ご協力、ありがとうございました」
カスミは振り返らなかった。
ただ、作業帽のつばを少し下げる。
「協力じゃない」
「はい」
「見ただけ」
「はい」
「ついでに工具箱をもらっただけ」
「はい」
「巻き込まれたわけじゃない」
「はい」
「……少しだけなら、Ω-Frameの調整も見る」
海の顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「少しだけ」
「ありがとうございます」
「礼を言うな。調子狂う」
KTCの灯りが、小さく点滅する。
《協力関係、暫定登録》
「KTC」
《YES》
「勝手に登録するな」
《暫定です》
「暫定ならいい」
「いいんですか」
海が突っ込む。
カスミは歩きながら、KTCを抱える腕に少しだけ力を込めた。
工具箱の中で、また小さく機構が鳴る。
今度は、ほんの短い音だった。
かちり。
鍵が内側から閉じるような、あるいは何かを守るために奥へしまい込むような音。
海はそれ以上、聞かなかったことにした。
少なくとも、この場で問い詰める音ではない。
フィリアも、何も言わなかった。
ただ、静かにKTCを見つめている。
「カスミさん」
「何」
「Ω-Frame、今から少しだけ見てもらってもいいですか」
「少しだけ」
「はい」
「調整ではない」
「はい。調整ではありません」
「協力でもない」
「はい。協力でもありません」
「見るだけ」
「はい。見るだけです」
「……持って」
カスミは短く言うと、海へ手を差し出した。
海はΩ-Frameに指をかけ、慎重に外す。
赤い魔力の薄膜が、レンズの縁でかすかに揺れた。
Ω-Codeとの直結痕跡。
同期リングの補修跡。
無限演算環の残響。
それらが、まだ微細な熱として残っている。
カスミはΩ-Frameを直接受け取らなかった。
KTCを床に置き、上部のロックを一つ外す。
かちり。
赤い工具箱の側面が、ほんの少しだけ開いた。
そこから、細いアームが一本伸びる。
先端には魔導針と小さな測定器が組み合わさったような工具がついていた。
青い光が、針の先で瞬く。
《外部装備診断、開始》
《対象:Ω-Frame》
《所有者:音無 海》
《補助知性:Delta》
《同期リング損傷履歴あり》
《Ω-Code直結痕跡あり》
《無限演算環、暫定安定》
《詳細診断:所有者許可待ち》
カスミは目を細めた。
「やっぱり雑」
「すみません」
「謝るところじゃない。雑なのに動いてるのが変」
「そこもすみません」
「だから謝るところじゃない」
KTCのアームが、Ω-Frameの縁をなぞる。
針は触れるか触れないかの距離で止まり、赤い魔力膜を測っていく。
《魔力流路:過負荷履歴あり》
《演算負荷:異常高値》
《構造補正:暫定》
《安全停止機構:要再確認》
「安全停止が甘い」
カスミが言った。
海の肩が小さく跳ねる。
「やっぱり、そこですか」
「むしろそこ以外、最初に見るところない。無限に回る輪を作るなら、止め方を先に決めろ」
「……はい」
その声は、海の胸にまっすぐ刺さった。
無限演算環。
その名の通り、止まらない環。
力は増えた。
だが、止め方を誤れば、自分自身を呑み込む。
カスミはそれを、装備の壊れ方から見ている。
「ミュート」
「はい」
「作る力は、止める設計とセット」
「……覚えておきます」
「覚えるだけじゃ足りない。入れる」
「はい」
Deltaが静かに応じる。
《提案を記録。安全停止機構および過負荷遮断式の再設計を優先項目へ追加》
カスミはKTCを見下ろした。
「Delta」
《はい》
「ミュートを甘やかすな」
《判断基準を更新します》
「更新が早い」
海が言う。
《必要性が高いため》
「Deltaまで厳しくなった……」
「いい傾向」
カスミは短く言った。
シャルロットが、それを興味深そうに眺めている。
「なるほど。海が全体を読む。Deltaが計算を詰める。カスミが物質と壊れ方を見る。そしてKTCが加工と診断を補助する」
ユリウス博士が頷いた。
「まるで、ひとつの工房だね」
「工房じゃない」
カスミは即座に否定する。
「今はまだ、散らかった工具置き場」
「では、整えれば工房になるのだね」
「言ってない」
「言ったようなものだ」
「この博士、面倒」
「気が合いそうで何よりだ」
「合わない」
海はそのやり取りを聞きながら、Ω-Frameを見つめていた。
装備は、ただ強くなればいいわけではない。
動くこと。
止まること。
壊れること。
直せること。
そして、誰かの手で安全に扱えること。
カスミの視点は、海の中に足りなかったものを、容赦なく照らしていた。
「カスミさん」
「何」
「ありがとうございます」
「礼を言うなって言った」
「でも、言わせてください」
「……」
「僕、止め方を軽く見てました」
カスミは黙っていた。
KTCの青い光が、Ω-Frameの縁で小さく反射する。
「力が増えれば、守れると思ってました。でも、止められない力は、守るものまで壊すかもしれない」
「分かってるならいい」
「はい」
「でも、分かった顔をするな」
「え」
「そういう顔をした時が一番危ない。分かった気になる。慣れる。油断する。壊れる」
カスミは、ようやくΩ-Frameから目を離して海を見た。
「毎回、確認しろ」
海は息を呑んだ。
それは、ただの技術論ではなかった。
カスミ自身の中に、何かを壊した記憶があるような言い方だった。
けれど、そこへ踏み込むには早すぎる。
海は静かに頷いた。
「はい。毎回、確認します」
「なら、少しだけ見る」
「はい」
「今日だけ」
「はい」
「次からは知らない」
「はい」
KTCが小さく点滅した。
《継続診断プロトコル、暫定作成》
「KTC」
《YES》
「余計なことをするな」
《暫定です》
「暫定ならいい」
「やっぱり、いいんですね」
海が言うと、カスミは少しだけ不機嫌そうに眉を寄せた。
「ミュート」
「はい」
「その顔、記録したら分解する」
「また最初に戻りましたね」
フィリアが柔らかく笑った。
「カスミ様は、言葉よりも手が先に優しい方なのですね」
「優しくない」
「では、工具が優しいのかもしれません」
「工具に責任を押し付けるな」
「申し訳ありません」
フィリアは謝ったが、口元は少しだけ笑っていた。
シャルロットは扇を開き、静かに告げる。
「よろしい。今回の記録は、王国管理台帳には最低限で載せますわ」
「最低限?」
カスミが警戒する。
「属性反応、専用スキル、女神ウェポン授与。そこまでですわ。KTCの詳細機構と内部構造は、現時点では秘匿扱いにします」
カスミは、少しだけ目を細めた。
「理由は?」
「あなたが隠したがっているから」
「王族にしては話が分かる」
「王族だから、隠しごとの価値も分かるのよ」
シャルロットは当然のように言った。
「ただし、危険があると判断した場合は別です」
「その時は?」
「責任者として介入します」
カスミは数秒だけシャルロットを見た。
そして、小さく頷いた。
「それは、正しい」
「認めていただけて光栄ですわ」
「褒めてない」
「知っていますわ」
ユリウス博士が羊皮紙を巻き取りながら、楽しそうに言った。
「いやあ、今日は実に良い日だ。海君の無限演算環に続き、カスミ君の元素創鍛、そしてKTC-α。研究者冥利に尽きる」
「博士、お願いですから興奮しすぎないでください」
海が言うと、ユリウスは肩をすくめた。
「興奮するなという方が無理だよ。壊れた常識が、こうも続けて新しい常識を生むのだからね」
「壊れた常識……」
海はその言葉を繰り返した。
カスミがKTCを持ち上げる。
「常識は壊れるもの。壊れたら、直すか、作り直すか、捨てる」
「捨てることもあるんですか」
「ある。全部直す必要はない」
その声は、妙に静かだった。
「直す価値があるか、見る。それだけ」
海は、少しだけその横顔を見つめた。
赤い白衣。
油の残る指先。
両脇の銃。
左右の腰に下がる日本刀。
そして、腕の中に収まる赤い工具箱。
その姿は、勇者でも魔導士でもなかった。
けれど、壊れた戦場の真ん中で最後まで立っていそうな、妙な説得力があった。
フィリアが、静かに告げる。
「では、本日の鑑定結果をまとめます」
羊皮紙に、淡い光で文字が刻まれる。
《対象:鋳鍛地 澄架》
《属性反応:火・土・雷》
《系統照合:アルケミア》
《派生分類:錬成系》
《専用スキル:元素創鍛》
《女神授与ウェポン:KTC-α》
《形態:工具箱モード》
《機能:錬成補助、素材解析、生成物固定、魔素素材圧縮、自己診断》
《兵装形態:制限封印中》
《協力関係:暫定》
カスミが、最後の一行を見て眉を寄せる。
「協力関係、消して」
「暫定です」
フィリアが微笑む。
「暫定でも嫌」
「では、観察協力関係」
「もっと嫌」
「仕様確認関係」
カスミは少し黙った。
「……それなら、まあ」
海は小さく笑った。
「そこはいいんですね」
「仕様確認だから」
「便利な言葉ですね」
「ミュートが言うな」
KTCの灯りが、淡く点滅する。
《仕様確認関係、暫定登録》
「KTC」
《YES》
「言い換えればいいと思うな」
《暫定です》
「暫定ならいい」
「また許した」
海の呟きに、フィリアが小さく肩を震わせた。
神殿の扉が開き、廊下から冷たい空気が流れ込んでくる。
白い光は薄れ、現実の石造りの王城へと戻っていく。
カスミは一歩踏み出した。
その背中は、まだどこか逃げ腰だった。
けれど、もう完全に背を向けてはいなかった。
海は、その背を見つめる。
元素創鍛。
アルケミア系統の希少派生。
女神の工具箱、KTC-α。
そして、工具箱の奥に隠された小さな秘密。
どう考えても、何かが増えた。
協力者なのか。
問題なのか。
火種なのか。
たぶん、全部だ。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(新フォーム加入回って、だいたい情報量が多い)
(属性判明)
(専用スキル確認)
(女神ウェポン獲得)
(KTC起動)
(支援機構、待機中)
(仕様確認関係、暫定)
(本人は“見るだけ”と言い張っている)
(……いや、もう完全に加入イベントでは?)
海の視界の端で、KTCの灯りが小さく瞬いた。
《LOG_ALCHEMIA》
《対象:鋳鍛地 澄架》
《属性反応:火・土・雷》
《系統照合:アルケミア》
《専用スキル:元素創鍛》
《女神授与ウェポン:KTC-α》
《支援機構:待機中》
《仕様確認関係:暫定》
《秘匿モード:継続》
海は静かに息を吐いた。
魔導書庫の深層で回り始めた無限の環。
それを支える手が、ひとつ増えた。
ただし、その手は油まみれで、口が悪く、工具箱と会話し、何かを隠している。
「……凛さんが見たら、何て言うかな」
海が呟く。
フィリアは少し考えたあと、真面目な顔で言った。
「おそらく、“面白いわね。採用”とおっしゃるかと」
「言いそうです」
「そして、その後に“ただし品位は磨きなさい”と」
「絶対言いますね」
二人は、歩き去る赤い白衣を見つめた。
その背中は、まだどこか逃げ腰だった。
けれど、もう完全に背を向けてはいなかった。
世界はまた一つ、奇妙な部品を得た。
その部品は、いざという時、誰よりも乱暴に、壊れた未来を叩き直す。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
いいねやリアクションは、
海が勝手にログへ保存しておきます。
凛には「当然ですわ」と言われそうですが、作者は普通に喜びます。
続きが気になりましたら、
下のお星さまを、ぽちっと光らせていただけると嬉しいです。
いただいた星は、次回の変身エネルギーに変換されます。
たぶん爆発はしません。




