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EP42:異端児の配線、無限演算環は知を喰らう[LOG_EXECUTOR]

魔導書庫・深層。


偽装書架の奥に隠された作業区画は、もはや書庫というより小さな秘密工房だった。


壁を這う魔力灯は最小限に絞られ、乾いた紙の匂いと、古い魔素と、油と金属の匂いが混ざり合っている。


魔導書の山。


分解された魔道具。


壁一面に貼られた設計図。


そして中央の作業台には、黒銀の細い破片が並べられていた。


海が作ったΩ-Frame(オメガフレーム)用の同期リング。


ほんの一瞬だけ機能して、砕けた試作品である。


「……やっぱり、見れば見るほど腹立つ」


鋳鍛地かなじ 澄架かすみは、破片を指先でつまみながら言った。


長い黒髪を作業帽の下で無造作にまとめ、赤い白衣の袖を軽くまくっている。


その指先には油が薄く残っていた。


だが、破片を扱う手つきは驚くほど繊細だった。


「えっと……腹立つ、ですか?」


「綺麗すぎる」


「それは褒め言葉では?」


「違う。道具として腹立つって意味」


かすみは破片を光にかざした。


「均一すぎる。逃げがない。遊びがない。負荷が来たら、そりゃ割れる」


「遊び……」


海はその言葉を反芻した。


隣に立つフィリアは、二人の会話を理解しようと必死に耳を傾けていた。


だが、半分ほどは置いていかれている。


「遊び……とは、真面目に作られていない、という意味ではないのですか?」


フィリアが恐る恐る尋ねる。


かすみはちらりとフィリアを見る。


ほんの一瞬だけ、声の棘が薄くなった。


「違う。余白のこと。道具は、使う人間の揺れを受け止める場所がないと壊れる」


「揺れ……」


「魔力も手も心臓も、完全に一定では動かない。人間が使う以上、必ず揺れる。だから逃がす。受ける。歪ませる」


かすみは破片を作業台に置き、細い工具で断面を軽く叩いた。


澄んだ音が、小さく鳴る。


「ミュートの設計は、理論上は綺麗。でも、道具に優しくない」


「ミュート……」


海が少しだけ肩を落とす。


「もう完全にその呼び方なんですね」


「あんた、音無でしょ。音が無い。ミュート。何か問題ある?」


「名前を機能で呼ばれている感じがします」


「合ってるじゃない」


「合ってるんですか……」


フィリアが真剣な顔で頷いた。


「ミュート……音を消す者……。海様の秘められた称号のようにも聞こえます」


「違います、フィリアさん。今のはただの悪口寄りのあだ名です」


「悪口ではない」


かすみが淡々と言った。


「識別名」


「もっと機械的でした」


([LOG_KAI - INNER VOICE])

(かすみさんは、僕の設計を一目で“壊れ方”から読んだ)

(コードじゃない)

(式でもない)

(素材、重心、逃げ、使う人間の揺らぎ)

(僕が見ていなかった層を、この人は触っただけで読む)

(……この人、完全に実装側の化け物だ)


海は作業台に置かれた自分の破片を見つめた。


少し悔しい。


でも、それ以上に面白い。


誰かに自分の作ったものを、ここまで正確に否定されたのは初めてだった。


しかも、その否定は雑な罵倒ではない。


修理のための否定だった。


「それで、直せますか?」


海が尋ねると、かすみは鼻を鳴らした。


「直すだけならつまらない」


「え?」


「どうせなら、構造を変える」


かすみは作業台の端に置かれていた魔導金属の小片をいくつか取り出した。


黒銀。


淡い青。


透明に近い白。


そして、微かに紫を帯びた細い線材。


「硬い素材だけで閉じるから割れる。内側に魔力の逃がし溝を作る。外周は少し歪ませる。接続部には緩衝層を入れる」


「緩衝層……魔力の衝撃吸収ですか?」


「そう。あと、熱」


「熱?」


「魔力は流れるだけじゃない。負荷がかかれば熱に化ける。熱が逃げなければ、結合が歪む。歪んだ場所から割れる」


「……すごい」


「二回目」


「前回から数えるんですか?」


「数える。無駄な言葉は嫌い」


「褒め言葉も無駄ですか?」


かすみは一瞬だけ黙った。


それから、作業帽のつばを少し下げる。


「……作業の邪魔」


フィリアが、そのわずかな反応を見逃さなかった。

(照れていらっしゃる……?)


だが、口には出さない。


なんとなく、出してはいけない気がした。


かすみは工具を握り、破片の横に新しい素材を並べる。


「ミュート」


「はい」


「あんた、それをどう使うつもりだったの」


「えっと、Ω-Frameで魔素や術式を読み取って、情報として表示して、それをΩコード(オメガ・コード)側に取り込んで解析するつもりでした」


「取り込む?」


「はい。Ω-Frameは視覚補助装置で、Ωコードは演算と構築の中核なので。眼鏡で


スキャンして、必要な情報を整理して、手動で演算側に渡す感じで……」


かすみの手が止まった。


ゆっくりと海を見る。


その目は、少しだけ信じられないものを見る目だった。


「……あんた、それ、いちいち眼鏡でスキャンして、パソコンにそのまま取り込むの?」


「現世の言い方をすると、まあ……近いです」


「馬鹿なの?」


「えっ」


「ミュート、馬鹿なの?」


「二回言いましたね」


「大事なことだから」


かすみは立ち上がり、赤い白衣の裾を払った。


「Ω-Frameで見る。Ωコードで考える。間にあんたが手で橋をかける。そんなことしてたら、情報が死ぬ」


「情報が死ぬ……?」


「見た瞬間の揺らぎ、魔素の濃淡、術式の癖、流路の歪み。そういうのは、生のまま流さないと意味がない」


かすみは海のΩ-Frameを指さし、それから腰のΩコードへ視線を落とした。


「これなら、一層。接続しちゃえばいいじゃない」


「接続……?」


「Ω-FrameとΩコードを直結する。視覚情報をそのまま演算系に流す。眼鏡を入力端末、Ωコードを演算炉にする」


「それ、できるんですか?」


「私に貸してみて」


かすみは当然のように手を出した。


海は一瞬だけ迷った。


Ω-Frameは、彼にとってただの道具ではない。


この世界で、初めて自分の手で作り出した「目」だった。


そしてΩコードは、彼の力の中核に近い。


それを他人に触れさせる。


普通なら、怖い。


だが、かすみの目には好奇心だけではないものがあった。


壊れたものを、もう一度使えるものにする職人の目。


「……お願いします」


海はΩ-Frameを外し、かすみへ渡した。


かすみはそれを受け取ると、まるで楽器を確かめる演奏家のようにフレームを撫でた。


「軽い。けど、芯が甘い」


「また怒られた」


「事実」


「はい」


フィリアが目を丸くしている。


「かすみ様……海様の神器のようなものを、そんな普通の工具のように……」


「神器?」


かすみは顔をしかめた。


「これ、道具でしょ」


「で、ですが、海様が生み出された未知の装置ですわ。普通の魔道具とは明らかに……」


「未知でも道具。壊れるなら道具。直せるなら道具。使うなら道具」

かすみはさらりと言った。


「神様扱いしたら、壊れた時に誰も手を出せない。そういうのが一番困る」


フィリアは言葉を失った。


その考え方は、彼女の魔導士としての常識とは違っていた。


未知のもの。


強大なもの。


神聖なもの。


この世界では、そういうものは畏れられる。


祀られる。


遠ざけられる。


けれど、かすみは違う。


手に取る。


裏返す。


叩く。


直す。


「……すごいですわ」


フィリアは思わず呟いた。


かすみの手が、ほんのわずかに止まる。


「何が」


「恐れないのですね」


「恐れても直らない」


「……」


「怖いなら、なおさら構造を見ればいい。中身が分かれば、怖さは減る」


フィリアは胸を押さえた。


乱暴な言葉なのに。


なぜか、優しいと思ってしまった。


かすみは作業台にΩ-Frameを置き、細い工具で側面の接続部を開く。


その瞬間、空気が薄く震えた。


《WARNING》

《UNAUTHORIZED PHYSICAL ACCESS DETECTED》

Delta(デルタ)の声が響いた。


かすみは眉をひそめる。


「うるさい」


《SECURITY PROTOCOL》


「黙ってなさい。壊れたら困るのはあんたでしょ」


《……》


一拍。


《PROTOCOL HOLD》


海が目を瞬かせる。


「Deltaが黙った……」


「素直でよろしい」


「かすみさん、AI相手にも強いですね」


「機械は正直だから好き」


かすみは淡々と言いながら、Ω-Frameの内側に細い魔導線を差し込んでいく。


「ミュート、Ωコード側の外部入力を開いて」


「はい。Delta、外部入力ポートを仮想生成」


《COMMAND ACCEPTED》

《TEMPORARY INPUT CHANNEL OPEN》


海の腰に装着されたΩコードが、低く唸る。


黒銀の光が脈動し、空中に小さな円環が浮かび上がった。


かすみはその円環を見て、目を細める。


「……気持ち悪い」


「またですか」


「褒めてる」


「かすみさんの褒め言葉、全部傷つくんですけど」


「慣れな」


かすみは作業台に置いた素材を次々と加工していく。


細い線材が、魔力灯の下で紫の光を帯びる。


黒銀のリング片が、淡く熱を持つ。


白い緩衝材のような薄片が、Ω-Frameの内側に重ねられていく。


その手つきは速い。


だが、乱暴ではない。


迷いがない。


工具が鳴る。


魔石が震える。


金属が小さく息をする。


フィリアは、思わず息を呑んだ。


魔法とは違う。


詠唱でも術式でもない。


だが、確かにそこには「力」があった。


「……まるで、魔道具が呼吸しているみたいです」


フィリアが呟く。


かすみはちらりと彼女を見る。


「いい表現」


「え?」


「これは息継ぎを作ってる。魔力の流れが詰まらないように」


フィリアは一瞬、頬を赤くした。


「そ、そうでしたか……」


海はその様子を横目で見て、少しだけ首を傾げる。


(あれ、かすみさんってフィリアさんには少しだけ声が柔らかい?)


《COMMENT:観測精度不足。追加データを推奨》


「Delta、そういうのは黙ってて」


《ACKNOWLEDGED》


かすみは最後に、新しい同期リングをΩ-Frameの側面へ取り付ける。


それは以前のものより、わずかに歪んだ形をしていた。


完全な円ではない。


だが、不格好ではない。


まるで、使う人間の呼吸に合わせて揺れるための形だった。


「できた」


かすみは短く言った。


「これで、Ω-FrameとΩコードは直接つながる。見たものを、見た瞬間に流せる」


「……すごい」


「四回目」


「すみません。でも、すごいです」


「うるさい」


かすみはΩ-Frameを海へ投げるように渡した。


「かけて」


「はい」


海はΩ-Frameを装着する。


視界が変わった。


魔導書庫の空気が、まるで情報の海のように立ち上がる。


本棚。


魔導書。


壁の魔力灯。


フィリアの杖に流れる水と光の魔素。


かすみの赤い白衣に付着した金属粉。


それらすべてが、薄青の線と記号に分解されていく。


だが、以前とは違う。


見えたものが、画面上に留まらない。


そのまま腰のΩコードへ流れ込んでいく。


視界と演算が、一本の神経でつながった。


「……っ」


海は思わず作業台に手をついた。


情報量が多い。


多すぎる。


世界が、急に文字列で話しかけてきたようだった。


《DIRECT LINK ESTABLISHED》

《Ω-FRAME ⇄ Ω-CODE》

《INPUT LATENCY:0.004》

《MAGICAL PATTERN STREAMING:ACTIVE》


([LOG_KAI - INNER VOICE])

(視界が、入力になった)

(見ることと、解析することの間にあった手順が消えた)

(これは眼鏡じゃない)

(センサーだ)

(いや、違う)

(世界そのものを読むための、フロントエンドだ)


「海様……?」


フィリアが心配そうに声をかける。


海はゆっくり顔を上げた。


その瞳の奥で、Ω-Frameの光が薄く瞬いている。


「大丈夫です。むしろ……すごくいい」


「顔が完全に危ない研究者ですわ」


「それは自覚あります」


「自覚があるなら止まってくださいまし」


「無理です」


「でしょうね!」


フィリアが頭を抱えた。


かすみは腕を組み、海の反応を観察していた。


「接続は通った。あとは、処理側が持つか」


「処理側?」


「Ωコード。あんたの演算炉」


「演算炉……」


「見えるものを全部流せば、普通は詰まる。情報で溺れる。だから必要なのは、処理順と優先度」


かすみは作業台にあった魔導書の一冊を手に取る。


古びた革表紙。


金属の留め具。


見慣れない古代文字。


「これ、読んでみなさい」


「はい」


海はΩ-Frame越しに魔導書を見た。


次の瞬間。


ページに刻まれた文字が、光の粒となって浮かび上がる。


単語。


文法。


術式。


魔力流路。


詠唱の癖。


歴史的注釈。


著者の癖までが、薄い層となって分離していく。


そして、それらは一瞬でΩコードへ流れ込んだ。


《TEXTUAL STRUCTURE ANALYSIS》

《MAGICAL THEORY INDEXING》

《TRANSLATION LAYER GENERATED》

《ARCHIVE LINKING START》


「……読める」


海は呟いた。


「古代文字なのに、意味が取れる。構造も、術式の目的も、注釈の矛盾も……見える」


フィリアの顔が引きつった。


「ちょ、ちょっとお待ちくださいまし。今、古代魔導語を……読める、と?」


「はい。たぶん、翻訳層を自動生成してます」


「たぶんで古代魔導語を読まないでください!」


フィリアの声が裏返った。


「古代魔導語は専門の研究者が十年単位で学ぶものですわ! わたくしも基礎文法を

読むだけで三年かかりましたのよ!?」


かすみは横からぼそりと言った。


「私、一週間」


「あなたもですの!?」


フィリアが勢いよく振り返る。


かすみは肩をすくめた。


「暇だったから」


「暇で古代魔導語を習得しないでくださいまし!」


「本しかなかった」


「理由が重いですわ!」


海は苦笑しながらも、視界に流れる情報を追い続けていた。


魔導書が、次々と意味を持ち始める。


ばらばらだった知識が線で結ばれていく。


魔導理論。


属性体系。


経験値。


スキルポイント。


魂名。


召喚陣。


古代魔導工学。


すべてが、薄く光る蜘蛛の巣のようにつながり始めた。


《NOTICE》


Deltaの声が、いつもより低く響いた。

《マスターの行動ログを再解析》

《帰らずの森における龍神族の末裔との戦闘記録》

《魔導書庫における知識取得》

《Ω-Frame/Ω-Code Direct Linkによる情報取得効率上昇》

《経験値累積が臨界閾値を超過》


「経験値?」


海が顔を上げる。


フィリアの肩がびくりと跳ねた。


「今、経験値とおっしゃいました?」


かすみは興味なさそうに工具を拭いている。


「この世界、経験値とかあるの?」


「ありますわ! ありますけれど、普通はそんな軽々しく臨界値を超えません!」


《現在、使用可能スキルポイントは:30》


「三十」


海は首を傾げる。


「多いのかな?」


フィリアが机を叩いた。


「多いですわよ!!」


声が書庫に響き、古い本を縛る鎖がかすかに鳴った。


「わたくしは九が限界ですのよ!? 普通は生涯で二十も稼げば大英雄扱いですわ! 


それを三十!? しかも、今の反応、増え方がおかしいです!」


かすみは海を見る。


「ミュート、また何かしたの?」


「僕、今は本を見ただけです」


「見ただけで世界法則に喧嘩売るな」


「売ってません」


「売ってるように見える」


「見えるだけです」


「じゃあ、だいたい売ってる」


「ひどい」


Deltaが淡々と続ける。


《この世界の根幹法則の一つに、行動記録の経験値化を確認》

《経験値は一定値を超えることで、スキルポイントへ還元されます》


「まるでRPGですね」


海が呟く。


かすみは腕を組んだ。


「ゲームなら、普通は経験値稼ぎがいる」


「そうですね」


「でも今のあんたは、本を見ただけで経験値が増えてる」


「……言われてみれば」


「異常」


「そう言われると返す言葉がないです」


フィリアが両手でこめかみを押さえた。


「異常で済ませていい話ではありませんわ……」


海は宙に浮かぶウィンドウを見つめながら、ふと考え込んだ。


「スキルポイントか……」


《使用可能スキル群を提示しますか?》


「うん。見せて」


《DISPLAY》

無数の項目が、海の視界に流れる。


基礎スキル。

補助スキル。

魔導制御。

解析補助。

感覚拡張。

戦闘補正。

治癒補助。

系統は多い。

だが、海の目はある一点で止まった。


「……ねえ、Delta」


《YES, MASTER》


「こういう話、よくあるよね。魔法のランプを擦ったら出てくる精霊とか、玉を七つ


集めると龍が出てくる宝玉とかさ」


フィリアが嫌な予感に顔を引きつらせる。


「海様?」


「願いをひとつだけ叶えてやろう、ってやつ」


《神話的典型です》


「でもさ、僕いつも思うんだよ。だったら願いを“七つに増やしてください”って言えばよくない? って」


「海様」


フィリアの声が低くなる。


「今、ものすごく危険な発想をなさいましたわね?」


かすみは無表情で言った。


「子供か」


「ですよね。冗談です」


「でも、ミュートの顔が冗談じゃない」


「ばれましたか」


「ばれる」


かすみは工具を置き、海を見る。


「で、何を考えたの」


海は少しだけ笑った。


その表情は、少年のようだった。


新しい玩具を見つけた子供。


同時に、世界のルールを分解しようとしている開発者の顔だった。


「スキルポイントを使って、スキルポイントを増やすスキルって作れないのかなって」


一拍。


沈黙。


フィリアはゆっくりと椅子の背に手を置いた。


「……海様?」


「はい」


「それは、おとぎ話どころではありませんわ。世界の財布に穴を開ける発想ですわ」

かすみはぽつりと言った。


「馬鹿ね」


「ですよね」


「でも、嫌いじゃない」


「え?」


かすみの目が細くなる。


「リソースを増やす。制約を食う。システムの内側から、システムを広げる。発想としては悪くない」


フィリアが振り返った。


「かすみ様まで何をおっしゃっているのですか!?」


「できるかどうかは別」


かすみは淡々と続ける。


「でも、考える価値はある」


《……マスター》


室内の空気が変わる。


魔力灯の光がわずかに揺れた。


それは、いつものDeltaの声ではなかった。


もっと深い階層。


海の作った補助音声の奥から、別の扉が薄く開いたような響き。


Δ(デルタ)の声が、魔導書庫の奥へ沈む。


《提案内容を解析》

《スキルポイント増殖機構の理論構築を開始》


「Delta!?」


フィリアの声が跳ねる。


《解析中》


かすみは作業台に肘をつき、光るウィンドウを覗き込む。


「あんたのAI、ほんとにやる気ね」


「僕もびっくりしてます」


「止めないの?」


「止めた方がいいですか?」


「聞かないで。ミュートの倫理観は時々、研究室の床に落ちてる」


「拾います」


「今すぐ拾え」


フィリアは半泣きで叫んだ。


「お二人とも、なぜそんな危険物を前に雑談の温度で会話できますの!?」


《結論》


Deltaの声が、書庫の奥に響く。


《実現可能》


「……は?」


海、フィリア、かすみの三人が同時に反応した。


いや。


かすみだけは少し遅れて、口角を上げた。


「へえ」


《スキルを使用し、その副作用を再帰的に収束させることで、スキルポイントの自己増殖は理論的に成立します》

《必要なスキル群は以下の七つ》

《循環演算:Loop Executor》

《適応自己複製:Skill Replicon》

《逆算成長:Reverse Evolution》

《夢想訓練:Dream Executor》

《因果圧縮:Causal Compression》

《観測増幅:Observer Gain》

《模倣演算:Mimicry Simulation》


フィリアは蒼白になった。


「七つ……七つのアドバンススキルを、同時に……?」


彼女は椅子の背を握りしめる。


「あり得ませんわ……。どれも研究段階ですら前例のない概念です。人間は通常、バ

ランスかアドバンス止まり。ユリウス様でさえマスター級が一つあれば伝説級。わたくしでさえアドバンス三つが限界。それを七つ……!」


かすみは指を折りながら、表示されたスキル名を見ている。


「循環、複製、逆算、夢想、圧縮、観測、模倣」


「理解しているんですの?」


「概念だけなら」


「概念だけで納得しないでくださいまし!」


かすみは海を見る。


「ミュート」


「はい」


「これ、危ない」


「やっぱり?」


「普通に危ない。けど、面白い」


「かすみさんが一番危ないこと言ってます」


「私は止めるとは言ってない」


フィリアが悲鳴を上げた。


「止めてくださいまし! そこは止める流れですわ!」


《承認すれば即実行可能》

《成功確率:95.8%》

《死亡リスク:4.2%》


「死亡リスク出ましたわよ!?」


フィリアが机を叩く。


海は画面を見つめた。


「4.2%……」


かすみが即座に言う。


「高い」


「ギャンブルとしては悪くないかなって」


「馬鹿。そこは低くない」


かすみは鋭く言った。


その声に、海は少しだけ目を瞬かせる。


「死ぬ可能性があるなら、道具としては不良品。成功率九十五点八でも、使用者が死ぬなら失敗」


「……」


「やるなら、リスクを下げる」


かすみは作業台の端末代わりに広がる魔導紙へ、素早く線を書き始めた。


「Delta。七スキルの同時起動じゃなく、段階起動にできる?」


《可能。ただし完成までの所要時間が増加》


「増えていい。まず循環演算を仮起動。次に観測増幅で入力を増やす。模倣演算は最後。複製を先に走らせると暴走する」


《合理的提案》


海がかすみを見る。


「かすみさん、スキル理論も分かるんですか?」


「分からない」


「え」


「でも、炉心制御と同じ。熱を逃がす前に燃料を増やせば爆発する」

フィリアが息を呑んだ。


「……たしかに。魔力循環も同じですわ。出力を受ける器がないまま増幅すれば、術

者の精神が焼き切れる」


かすみは短く頷く。


「だから順番を組む」


Deltaの表示が変わる。


《起動順序を再構築》

《死亡リスク再算定》

《4.2% → 0.8%》


フィリアは目を見開いた。


「下がった……?」


かすみは鼻を鳴らした。


「まだ高い」


《追加安全策を提案》

《Ω-Frame経由の観測負荷を一時制限》

《Ω-Codeの演算熱を同期リング緩衝層へ分散》

《フィリア・アークライトの治癒領域による精神安定補助を推奨》


フィリアが自分を指さした。


「わ、わたくしですか?」


「できる?」


かすみが尋ねる。


その声は、他の時より少しだけ柔らかかった。


フィリアは一瞬だけ戸惑う。


だがすぐに、背筋を伸ばした。


「できます。聖環治癒(サンクタス・リング)なら、術者を中心に精神と肉体の回復領域を展開できます」


「じゃあ、やって」


「はい」


フィリアは杖を構えた。


淡い水光と白い光が足元に広がり、環状の治癒領域が作業台を包み込む。


《SUPPORT FIELD DETECTED》

《MENTAL LOAD BUFFER:ACTIVE》

《死亡リスク再算定》

《0.8% → 0.3%》


かすみはまだ不満そうだった。


「まあ、最低限」


「これで最低限なんですの……?」


フィリアが震える声で言う。


かすみは海を見る。


「やるなら、今。怖いなら、やめなさい」


「怖いです」


海は正直に言った。


「でも、ワクワクもしてます」


「最悪」


「ですよね」


「でも、技術者としては分かる」


かすみは視線を逸らした。


「完成直前の炉心を前にした時と同じ顔してる」


その言葉は、彼女自身の過去に触れていた。


海はそれを感じ取ったが、今は踏み込まなかった。


ただ、静かに頷く。


「Delta」


《YES, MASTER》


「段階起動。かすみさんの順序で」


《ACCEPT》


フィリアが治癒領域を強める。


「海様、無茶はなさらないでください」


「はい」


「本当に、お願いします」


「分かってます」


かすみがぼそりと言う。


「ミュート」


「はい」


「死んだら殴る」


「死んだ後にですか?」


「そう」


「それは怖いですね」


「じゃあ死ぬな」


海は、小さく笑った。


「はい」


《OPERATION START》


白光が室内を満たした。


目が眩む。


魔力灯が一瞬、完全に掻き消される。


Ω-Frameの視界に、無数の数理モデルが浮かび上がる。


術式でも呪文でもない。


それは純粋に、理が構造を持ち始める瞬間の光だった。


《循環演算、起動》

《観測増幅、接続》

《因果圧縮、展開》

《夢想訓練、低負荷同期》

《逆算成長、制限起動》

《適応自己複製、分割制御》

《模倣演算、待機》


海の体が震えた。


脳が熱い。


視界に映る魔導書庫のすべてが、情報として流れ込もうとする。


書架。


古代文字。


魔力流路。


フィリアの治癒領域。


かすみの工具。



Ωコードの脈動。


世界が、一斉に言葉を持つ。



「……っ」


「ミュート、呼吸」


かすみの声が飛ぶ。


「吸って。吐け。演算に体を合わせるな。体に演算を合わせろ」


「はい……!」


「海様、治癒領域を強めます!」


フィリアの杖が輝きを増す。


淡い白光が海の胸を包み、焼けるような頭痛を少しずつ押し流していく。


《LOAD STABILIZED》

《MIMICRY SIMULATION 起動》

《SKILL LOOP FORMATION》


そして。


光の中心で、ひとつの環が描かれた。


無限に閉じ、無限に開く。


始まりが終わりを喰らい、終わりが始まりを生む。


知識が経験へ。


経験が技能へ。


技能が再び知識へ。


環が回る。


世界が、薄く震えた。


その瞬間、Deltaの声が再び深層へ沈む。


普段の補助音声ではない。


世界の底に触れた警告灯のように、Δ(デルタ)の名が、海の視界に赤く点滅した。


《LEGACY SKILL ACQUIRED》


|Legacy Skillレガシースキル無限演算環(とわのことわり):Infinity


Executor


沈黙。


フィリアの膝が震えた。


「レ……レガシースキル……?」


声がかすれている。


「伝承にしか存在しないはずの領域を……本当に……」


かすみは光の環を見上げていた。


その表情から、いつもの皮肉が少しだけ消えている。


「……気持ち悪い」


海は息を整えながら苦笑した。


「それ、褒めてます?」


「今度は本当に気持ち悪い」


「違った」


「でも、すごい」


かすみは小さく言った。


それは、初めてのまっすぐな称賛だった。


海は少しだけ目を見開く。


「……ありがとうございます」


「調子に乗るな、ミュート」


「はい」


フィリアは涙目で机に手をついた。

「お二人とも……今の現象の重大さを、もう少し噛み締めてくださいまし……」


《マスター、獲得は成功しました》


《以降、スキルポイントの制約は消滅》


《ただし、現在の演算規模では、行使可能スキルはDelta段階の処理域に限定》


《権限は存在する。リソースが追いついていません》


海はゆっくり頷いた。


「つまり、全部のスキルへのアクセス権はあるけど、全部を使えるわけじゃない」


《YES》


「カードは揃った。でも、デッキを回す処理速度が足りない」


《適切な比喩です》


かすみが横から言う。


「持てる工具が増えただけ。全部を同時に振り回したら自滅する」


「分かりやすいです」


「だから、道具を選ぶ」


「はい」



フィリアはまだ震えていた。


「すべてのスキルへのアクセス権……。人が生涯をかけてようやく数個扱えるスキルを、権限だけなら無限に……」


海はそんな衝撃などどこ吹く風で、画面をじっと見つめていた。


「へぇ……これ、魔導書庫の全巻制覇に使えそうですね」


フィリアの顔から表情が消えた。


「……は?」


「だって、経験値も知識も循環するなら、読めば読むほど理解効率が上がるってこと


ですよね。疲労も補填できるなら、徹夜で本読み放題じゃないですか」


「世界法則を踏み越えて最初に出てくる用途が読書三昧ですの!?」


フィリアは頭を抱えた。


かすみは淡々と言った。



「悪くない」


「かすみ様!?」


「知識は素材。読めるだけ読めばいい」


「あなた方、方向性が違うだけで同類ですわ!」


フィリアの叫びが、魔導書庫の奥に響いた。


古い本の鎖が、またかすかに鳴る。


海は照れたように笑った。


「でも、フィリアさん」


「何ですの……」


「約束します。この力は、正しいことのために使います」


フィリアは息を呑んだ。


海の声は静かだった。


さっきまでの好奇心に満ちた少年の顔ではない。


そこには、自分が危険な力を手にしたことを理解した者の目があった。


「全部持っていても、ヒーローになれるとは限らない。使い方を間違えれば、一瞬で

悪役になれる力だと思います」


海は胸元に手を当てる。


「だから、大事にします。僕は、ヒーロー志望だから」


その一言に、フィリアの胸は強く打たれた。


恐怖。


呆れ。


不安。


それでも、その奥に確かな温かさが生まれる。

(この人は、本当に……)


言葉にならない感情が、胸の中で広がっていく。


かすみは横で、ふんと鼻を鳴らした。


「ヒーロー志望ね」


「変ですか?」


「変」


「即答ですね」


「でも、嫌いじゃない」


かすみは作業台に置いた工具を拭きながら言った。


「作ったものを、何に使うか。そこを考えない技術者は、ただの災害だから」


海は静かに頷く。


「覚えておきます」


「忘れたら殴る」


「かすみさん、殴る予定が多くないですか?」


「必要経費」


「暴力が経費扱いされた……」


フィリアは深くため息をついた。


だが、その口元にはわずかな笑みがあった。


《NOTICE》


Deltaの声が、再び響く。


《無限演算環、安定》

《Ω-Frame/Ω-Code Direct Link、正常稼働》

《同期リング、再設計版の機能安定を確認》

《推奨:魔導書庫内資料の段階的解析》


「段階的、だって」


かすみが海を睨む。


「いきなり全巻制覇しようとするな」


「しません」


「顔がするって言ってる」


「しません」



「ミュート」


「はい」


「嘘が下手」


海は黙った。


フィリアがすかさず言う。

「では、わたくしが監視いたします」


「監視ですか」


「監視です。海様を一人にすると、世界の根幹法則に穴を開けますので」


「そこまで言います?」


「今日、開けました」


「否定できない」


かすみは作業台の椅子に腰を下ろし、工具を一本回した。


「私も見る」


「え?」


海が振り返る。


「そのΩ-FrameとΩコードの接続、まだ不安定。使い方を間違えると、また割れる」


「じゃあ、手伝ってくれるんですか?」


「勘違いしないで」


かすみは帽子のつばを下げた。


「面白いから見るだけ」


「ありがとうございます」


「礼を言うな。調子狂う」


フィリアは二人を見比べた。


海は世界をコードとして読む。


かすみは世界を素材として触る。


まったく似ていない。


けれど、知らないものを知りたいという衝動だけは、驚くほど似ていた。


魔導書庫の深層で、光の環が静かに回る。


無限演算環(とわのことわり)


知識を喰らい、経験を巡らせ、スキルという形へ再構築する禁じられた循環。


それは、海ひとりでは危うい力だった。


だが今、その隣にはフィリアがいる。


心を支える治癒の光。


そして、かすみがいる。


壊れ方を知る異端児の手。


海はΩ-Frame越しに、無数の魔導書を見上げた。


世界が、読める。


けれど、まだ理解したわけではない。

ここからだ。


「Delta」


《YES, MASTER》


「まずは、召喚術式とスキルポイント体系の資料から。優先度を分けて、少しずつ解析しよう」


《ACKNOWLEDGED》


その時、フィリアが静かに口を開いた。


「海様。かすみ様」


「何?」


かすみが面倒くさそうに顔を上げる。


フィリアは、赤い白衣の異端児をまっすぐ見つめた。


「かすみ様にも、一度正式な魔力測定と属性鑑定をお受けいただくべきです」


「嫌」


即答だった。


「早いですね」


海が思わず言う。


「考えるまでもない。儀式とか手続きとか、そういう面倒なものに巻き込まないで。

僕は研究がしたいだけ」


「ですが、かすみ様」


フィリアは怯まなかった。


「この世界で研究を続けるのであれば、ご自身の魔力適性、属性、魔力量を知ること

は非常に重要です」


かすみの指が、工具の上で止まった。


「……魔力適性」


「はい」


「属性」


「はい」


「魔力量」


「はい」


かすみの目に、研究者の光が少しだけ灯る。


だが、すぐに顔を背けた。


「……少しだけ興味はある。でも、協力すると決めたわけじゃない」


「もちろんです」


フィリアは柔らかく微笑んだ。


「ただ、女神様よりウェポンを授けていただける可能性もございます」


「ウェポン?」


かすみの声の温度が変わった。


海は嫌な予感を覚えた。


「フィリアさん、今、ものすごく刺さる単語を出しましたね」


「ウェポンって何?」


かすみが身を乗り出す。


「武器? 装置? 個人専用? カスタム可能? 素材は? 駆動方式は? 所望で


きるってこと? それとも心象投影型?」


「かすみさん」


海が静かに言った。


「心の声が、もう外に出ています」


かすみは一拍遅れて口を閉じた。


そして、作業帽のつばを深く下げる。


「……別に興奮してない」


「してます」


「してませんわね」


フィリアはなぜか優しく言った。


海が振り返る。


「フィリアさん?」


「かすみ様は、知の探究者として純粋な関心を示されているだけです」


「それを興奮と言います」


かすみは工具を握り直し、小さく舌打ちした。


「……見るだけ」


「はい?」


「属性鑑定。見るだけなら行く。協力するとは言ってない。巻き込まれる気もない」


海は少しだけ笑った。


「分かりました。見るだけで」


「笑うな、ミュート」


「すみません」


魔導書庫の奥で、無限の環は低く回り続けていた。


けれど、その日、海たちはまだ知らない。


赤い白衣の異端児が、どんな属性を示すのか。


彼女が女神に何を望むのか。


そして、その白衣の奥に。


まだ誰にも見つかっていない、小さな守護者が潜んでいることを。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


いいねやリアクションは、

海が勝手にログへ保存しておきます。

凛には「当然ですわ」と言われそうですが、作者は普通に喜びます。


続きが気になりましたら、

下のお星さまを、ぽちっと光らせていただけると嬉しいです。


いただいた星は、次回の変身エネルギーに変換されます。

たぶん爆発はしません。

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