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EP31:覚醒の加速。少年は魔法を唱えず、世界の仕様を書き換える

訓練区画の最奥。


そこには、通常の訓練場とはまるで違う空間が広がっていた。


高度制御魔法空間ルミナ・フィールド


壁も、床も、天井もない。


あるのは、青白い光で縁取られた仮想の地平線と、幾重にも浮かぶ魔法陣。


空間そのものが試験装置だった。


複数属性の干渉制御。


複雑な魔力干渉。


精密投射演算。


特級魔導士でなければ、そもそも立つ資格すら与えられない場所。


その中心に、音無海おとなし・かいは立っていた。


「……ここ、訓練場というより、完全にボス前の専用ステージなんだけど」


声が少し震えている。


けれど、目は逃げていなかった。


昨日、湖畔で手帳に書いた言葉が、胸の奥に残っている。


逃げるための変身ではなく、立つための変身。


入力は感情。


出力は現象。


必要なのは変換ルール。


海は、無意識に手帳の入った胸元へ触れた。


その様子を、少し離れた場所からシャルロット・デュノアが見ていた。


王国最強の魔導士。


その肩書きにふさわしく、彼女はただ立っているだけで空間の魔力密度を変える。


「第四課題」


シャルロットは短く告げた。


「属性融合干渉弾の生成と、遠距離精密射出」


海は小さく息を呑む。


シャルロットが指を鳴らすと、空中に複数の障壁が展開された。


赤。


青。


緑。


金。


それぞれ異なる属性反応を持つ壁が、射線上にずらりと並ぶ。


さらに、その奥に小さな標的が浮かび上がった。


豆粒ほどの大きさしかない。


「使用属性は任意。ただし、射線上には属性相殺障壁を配置してある」


シャルロットの声は冷静だった。


「障壁を抜き、背後の的に正確に当てなさい。猶予は三十秒」


本来であれば、最低でも詠唱と魔法陣の構築が必須。


さらに杖による魔力制御なしでは、精密調整など不可能。


それが、この世界の常識だった。


海は手を見た。


何も持っていない。


杖もない。


詠唱も覚えきれていない。


あるのは、自分でもよく分からない魔力量と、現代日本で積み上げてきた知識の残骸だけ。


そして。


誰にも理解されなかった、あの憧れ。


「……分かりました」


海は軽く首を回した。


「ちょっと、試してみたいことがあります」


シャルロットの眉がわずかに動く。


「試す?」


「はい。たぶん、詠唱で押し切ると失敗します」


「自覚はあるのね」


「あります。かなり」


海は苦笑した。


それから、両手をゆっくり前へ出す。


深く息を吸う。


空間に満ちる魔力を、力として見ない。


炎として見ない。


水として見ない。


風として見ない。


雷として見ない。


まずは、条件として見る。


成立するための要素。


干渉するための波。


壊れないための位相。


逃げるためではなく、立つために。


「属性って」


海は静かに言った。


「たぶん、性格じゃなくて、エネルギーの振る舞いなんですよね」


シャルロットが固まった。


「……何?」


「火は熱。水は流動。風は圧力と速度。雷は電位差と励起。もちろん、この世界の魔法だから完全には一致しないと思います。でも」


海の指先に、小さな光が灯る。


赤い火。


青い水。


緑の風。


紫がかった雷。


四つの属性が、彼の周囲に浮かび上がった。


普通なら、そこで反発が起きる。


属性同士がぶつかり、制御を失い、爆ぜる。


だが、海は爆発させなかった。


「相殺するなら、同じ面でぶつけなければいい」


赤い光が内側に沈む。


青い光が外側を包む。


緑の光が螺旋を描き、紫の雷が中心を走る。


「周波数帯をずらして、干渉する場所を分ける。外殻は低密度の水属性で冷却と安定化。内部は火と雷で二重励起。中心に風の圧縮流を通せば、弾速も上げられる」


「……待ちなさい」


シャルロットの声が、わずかに揺れた。


「あなた、今、何をしているの」


「設計です」


海は、当たり前のように答えた。


「魔法を出そうとすると分からないんです。でも、条件を組むなら少し見えます」


空中に浮かぶ四属性の光が、一つの球へと収束していく。


外殻は静かだった。


だが、その内部では複数の波が折り重なり、相殺せず、暴走せず、互いの出力を保ったまま回転している。


魔法陣ではない。


詠唱でもない。


祈りでもない。


それは、魔力で書かれた設計図だった。


([LOG_KAI - INNER VOICE])


(入力は感情)


(出力は現象)


(変換ルールを定義)


(属性を力として扱うな)


(条件として読む)


(干渉を避けるんじゃない)


(干渉する場所を、こちらで決める)


海の眼鏡の奥に、青紫の光が走った。


その瞬間、彼の周囲に細い線が浮かび上がる。


魔法陣ではなく、図面。


術式ではなく、回路。


空間そのものに、見えない仕様書が重ねられていく。


《術式解析開始》


誰の声でもない音が、空間に響いた。


シャルロットの目が見開かれる。


「今の音は……」


《属性干渉パターン検出》


《相殺障壁、構造解析》


《位相差補正》


《射線再定義》


「……まさか」


シャルロットは息を呑んだ。


海は、もう彼女を見ていなかった。


見ているのは、標的ではない。


障壁でもない。


その間に存在する、通れるはずのない経路。


世界が「ここは通れない」と定義した場所に、彼は別の通り道を探していた。


「設計図、完成」


海は右手を軽く振った。


「発射」


音は、ほとんどなかった。


魔力球が走る。


速い。


だが、荒々しくない。


それは相殺障壁にぶつからなかった。


水が石の隙間を抜けるように。


光が鏡面の角度を変えて進むように。


四属性の弾丸は、障壁それぞれの反応点を微妙にずらしながら、すり抜けるように貫通した。


赤の障壁を焼かず。


青の障壁に溶けず。


緑の障壁に流されず。


金の障壁に弾かれず。


そのすべてを通過し、背後の小さな標的だけを正確に撃ち抜いた。


標的が、淡く砕ける。


遅れて、空間に測定光が走った。


《命中》


《制御波異常なし》


《干渉反応、限界値未満》


《課題達成》


静寂。


高度制御魔法空間ルミナ・フィールド全体が、息を止めたようだった。


海は、ぱちぱちと瞬きをした。


「……完了、です」


シャルロットは、何も言えなかった。


驚愕では足りない。


恐怖でも足りない。


それは、魔導士としての根幹を揺さぶられる感覚だった。


「これ、ちょっと思いついたんです」


海は困ったように笑う。


「現代の物理だと、共鳴とか干渉とか、波長とか、そういう考え方があるので。魔法も似たようにできるかなって」


「違う」


シャルロットは、ようやく声を絞り出した。


「それは、魔法理論ではない」


海の肩がびくりと揺れる。


「え。だめでしたか?」


「だめではない」


シャルロットは、自分の声が震えていることに気づいた。


「だめではないの。けれど、それは」


彼女は、砕けた標的を見た。


相殺障壁は、破壊されていない。


無力化もされていない。


ただ、意味をずらされた。


障壁として成立したまま、通過を許してしまった。


「この世界の魔法を、内側からではなく、外側から読み替えている」


海は首をかしげる。


「外側?」


「私たちは魔法を学ぶ。属性を覚え、詠唱を鍛え、魔力を流し、術式に従う」


シャルロットは海を見た。


「けれど、あなたは従っていない。あなたは、魔法を使っているのではない」


その瞳に、かすかな畏怖が宿る。


「魔法を再発明している」


海は言葉を失った。


再発明。


それは、あまりに大きすぎる言葉だった。


「そんな、大げさな」


「大げさではないわ」


シャルロットは静かに歩み寄る。


王国最強の魔導士としてではなく。


ひとりの魔導士として。


目の前の異常に、真正面から向き合う者として。


「音無海」


「はい」


「あなたは、まだ思い出していないのね」


その言葉に、海の胸が跳ねた。


「……思い出す?」


「ええ」


シャルロットの声は低い。


「あなたの知識は、ただの異世界知識ではない。あなたの魔力量も、ただの才能ではない。額の印も、あの測定値も、あなたの術式反応も」


海は無意識に額へ手を伸ばした。


夢の中で見た影。


光の翼を引き裂かれた存在。


君の力を、受け継がせてもらう。


「博士も、言ってました」


海は小さく言った。


「僕の力は、この世界の魔法じゃ説明しきれないって」


「ユリウスなら、そう言うでしょうね」


シャルロットは目を細めた。


「彼は観察者として正しい。でも、私は違う」


「違う?」


「私は戦う者よ」


空気が変わった。


シャルロットの周囲で、魔力が静かに渦を巻く。


「だから分かる。あなたの力は、研究室の机の上で測れるものではない」


その声には、わずかな緊張があった。


「戦場で目覚める類いのものよ」


海の喉が鳴る。


怖い。


けれど、その言葉から目を逸らせなかった。


「僕は、何なんですか」


問いは、思わず漏れた。


シャルロットはすぐには答えない。


答えられないのか。


答えないのか。


その沈黙は、どちらにも見えた。


「今のあなたは、まだ入口にいる」


やがて、彼女はそう言った。


「でも、入口でこれほど世界の理に爪を立てる者を、私は知らない」


海は自分の右手を見た。


さっきまで、何も起こせないと思っていた手。


けれど今、その手は四属性を組み上げ、相殺障壁を抜き、標的を撃ち抜いた。


魔法を唱えた実感はない。


力を振るった実感もない。


ただ、条件を読んだ。


構造を組んだ。


通り道を見つけた。


それだけだった。


だからこそ、怖かった。


自分の中にあるものが、どこまで行けるのか分からない。


([LOG_KAI - INNER VOICE])


(成功した)


(でも、成功した理由を全部は説明できない)


(僕は設計した)


(でも、設計図の奥に、知らない誰かの手がある気がする)


(この力は、本当に僕のものなのか?)


一瞬、視界の端に黒い影が揺れた気がした。


光の翼を引き裂かれた、あの夢の影。


海は息を止める。


だが、次の瞬間には何もなかった。


ただ、青白い訓練空間が広がっているだけだった。


シャルロットは、それを見逃さなかった。


「音無海」


「……はい」


「今日の訓練はここまで」


「え、でも」


「ここまでよ」


その声は有無を言わせなかった。


「あなたは今、加速し始めた。けれど、加速には制動が必要」


シャルロットは手を上げる。


高度制御魔法空間ルミナ・フィールドの魔法陣が、ひとつずつ消えていく。


「力は、出せばいいものではない。特にあなたのような力は」


海は黙って頷いた。


怖かった。


けれど、同時に胸の奥が熱かった。


何かが動き始めている。


ずっと空想の中だけにあったものが、現実の骨を持ち始めている。


逃げるための変身ではなく。


立つための変身。


その言葉が、ようやく少しだけ輪郭を得た気がした。


「シャルロットさん」


「何?」


「僕、まだよく分かってません。でも」


海は眼鏡を押し上げた。


声は震えていた。


それでも、言葉は前に出た。


「この力から逃げるのは、たぶん違うと思います」


シャルロットは目を細める。


「だから、ちゃんと知りたいです。僕が何をできるのか。何をしてしまうのか」


「怖くないの?」


「怖いです」


即答だった。


海は苦笑する。


「めちゃくちゃ怖いです。でも、知らないまま誰かを傷つける方が、もっと怖い」


その答えに、シャルロットは一瞬だけ沈黙した。


そして、小さく息を吐く。


「いい答えね」


褒め言葉にしては、少し硬い。


けれど、嘘ではなかった。


「明日から、課題を変えるわ」


「変える?」


「魔法を覚える訓練ではなく、あなたの力が何をしているのかを記録する訓練にする」


シャルロットは背を向けた。


「あなたに必要なのは、詠唱の暗記ではない。自分自身の仕様書よ」


海の胸が、どくんと鳴った。


自分自身の仕様書。


その言葉は、奇妙なほどしっくりきた。


「……はい」


海は深く頷いた。


高度制御魔法空間ルミナ・フィールドが完全に解除される。


訓練場の床が戻り、壁が戻り、天井が戻る。


けれど、海の中では何かが戻らなかった。


一度開いた扉。


一度走り出した回路。


一度、世界の仕様に触れてしまった感覚。


それらは、もう眠り直してはくれない。


シャルロットは出口へ向かいながら、心の中で呟いた。


この子は、魔法を学んでいるのではない。


この子は、世界の読み方を思い出している。


そして、もし本当に覚醒した時。


世界は、彼を召喚者とは呼べなくなる。


海は、まだ何も知らない。


だが、その足元で、見えない加速は始まっていた。


《UNKNOWN PROCESS》


《覚醒率、微増》


《制御体系、未定義》


《警告》


《この力は、既存世界法則に登録されていません》

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