EP27:審議される異端者─ [LOG_INQUISITION]
(違う……違う……!)
エドガー・フォン・シュタインベルクは、奥歯を噛み締めていた。
演習場に残る冷気。
砕けた石畳。
蒼白い氷壁。
そして、先ほどまで星環盤が描いていた、あのあり得ない星の光。
五属性の完全連環。
闇属性への反応。
さらに、曇りを帯びた光属性。
そのすべてを、音無海という少年が示した。
ただ、そこに立っていただけで。
(なぜだ……)
エドガーの拳が震える。
(どうして、あんな奴が……!)
彼は努力をしてきた。
魔力訓練に明け暮れた。
詠唱の精度を磨いた。
火と土の二属性を制御するために、何度も魔力逆流で倒れた。
血を吐くような鍛錬もした。
父の期待に応えるために。
シュタインベルク家の名に相応しい存在であるために。
確かに、自分は天才ではない。
それは、どこかで分かっていた。
だが、それを補うだけの積み重ねはあったはずだった。
(あいつは……何をした?)
海の顔が脳裏に浮かぶ。
困ったように笑う、気弱そうな少年。
自分が何をしたのかも分からないまま、魔導士たちの常識を壊していった異世界者。
(何もしていない)
エドガーの中で、黒い感情が膨れ上がる。
(ただ立っていただけだ)
自分でも、その思考が逃げだと分かっていた。
だが、認めたくなかった。
自分が積み上げてきたものが。
自分が誇ってきたものが。
たった一人の異世界の少年の前で、何の意味も持たないと告げられることが。
怖かった。
(俺は……負けていない)
そう言い聞かせるほど、胸の奥に刺さった棘は深くなっていく。
その少し離れた場所で、ユリウス・クロードは星環盤の残滓を見つめていた。
鑑定陣は沈黙している。
だが、七つの水晶のうち、闇と光の柱だけが、まだ微かに脈を打っていた。
漆黒。
そして、曇りを帯びた白銀。
(五属性の完全連環だけでも、記録的だ)
ユリウスは、ゴーグルの内側で目を細める。
(だが、それに加えて、闇と光の双反応)
彼は知っていた。
その反応が、ただ珍しいというだけのものではないことを。
王国禁書庫の奥。
封印された古代文献の一節。
《堕天の血を継ぐ者、再び現れん》
《光はその身を拒み、闇はその魂を迎える》
《されど、星の子はその両つを抱き、世界の理を問い直す》
神話とされてきた記録。
研究者の間でも、ほとんど誰も本気にしていない予言。
だが、先ほど星環盤が示した反応は、その記述と不気味なほど一致していた。
(海君)
ユリウスは、静かに息を吐く。
(君は、いったい何者なのだろうね)
これまで彼は、海を観察対象として見ていた。
未知の召喚者。
異世界知識を持つ少年。
創造主という不可解なスキルを持つ個体。
だが、今は違う。
(これは、ただの研究対象ではない)
ユリウスの指が、杖を握る。
(この存在は……世界そのものに干渉する“鍵”だ)
その結論に至った瞬間、彼自身の胸にも、わずかな震えが走った。
恐れではない。
興奮でもない。
その二つが混ざり合った、研究者として最も危うい感情だった。
そして、翌日。
魔導騎士団本部。
地下最奥。
円卓の間。
そこは、千年を超える歴史を持つ会議室だった。
外界とは完全に遮断され、音も光も魔力波も漏れない。
壁には五大属性を象徴する魔力柱が立ち、それぞれが低く脈動している。
火。
風。
土。
雷。
水。
中央には、黒曜石で造られた円卓。
そこに座るのは、魔導騎士団の指導層だった。
団長代理。
幹部。
長老魔導士。
審問官。
研究部責任者。
そして、ユリウス・クロード。
重い沈黙の中、報告書が円卓の上に広げられていた。
「魔力量、霊脈球上限到達」
「表示値、百万」
「ただし、実測値は不明」
「五属性、完全適性」
「さらに、闇属性および光属性に反応」
「光属性には封印干渉らしき異常あり」
言葉が並ぶたび、円卓の空気が重くなる。
やがて、第一補佐官アルベルト・ヴァイスが口を開いた。
白髪をきっちりと撫でつけた、痩せた男だった。
「……この結果を、どう解釈すべきか」
彼の声は静かだが、鋭い。
「我々の秩序にとって、音無海とは何なのか。それを定めねばなりません」
円卓の視線が、ユリウスへ集まる。
ユリウスは椅子に深く腰掛け、指を組んだまま答えた。
「彼は、我々の魔導理論の外側にある存在です」
その一言で、室内の空気が揺れた。
「五属性の完全連環。闇と光の双反応。魔力量測定限界突破。無詠唱による上級複合魔法の発動」
ユリウスは、淡々と並べる。
「どれかひとつだけでも、魔導史に記録される異常です。それが、同一人物に集中している」
「つまり、怪物ということか」
低い声が落ちた。
発言したのは、古参の魔導審問官ディアスだった。
頬に古い傷を持つ、厳格な老人。
その目には、研究者の好奇心ではなく、秩序を守る者の冷たさがあった。
「異物であるのなら、排除すべきではないか」
円卓に緊張が走る。
ディアスは続ける。
「現段階では制御不能。理念不明。敵か味方かも分からぬ。今後の戦局において、あまりにも大きな不安定要素だ」
「排除は早計です」
ユリウスの声が即座に返る。
「早計か?」
「ええ。彼はまだ、自分が何者かを知らない」
ユリウスは、円卓を見渡す。
「脅威なのは力そのものではありません。むしろ危険なのは、彼自身の無知です」
「無知?」
「彼は自分の魔力量を知らず、属性も知らず、無詠唱魔法を発動した理由も分かっていない。つまり、本人の意思と力の規模が一致していない」
沈黙が落ちる。
それは、確かに危険だった。
悪意ある強者よりも、無自覚な異常の方が恐ろしいことがある。
「ならば、なおさら封じるべきではないか」
ディアスが言う。
「堕天の血の可能性もある」
その言葉に、円卓がざわめいた。
「堕天の血……?」
「まさか、あの禁書の記述を真に受けているのか」
「ただの神話だろう」
「だが、闇と光が同時に反応したのだぞ」
「光が曇っていた。あれは祝福ではない。封印だ」
「天より堕ちし力を持つ者」
「神に背きし子」
「やめろ。ここで神話を持ち出すな」
「神話が現実になったから、この会議が開かれているのだろう」
声が重なり、円卓の空気が荒れていく。
その時。
静かに、白い手が上がった。
団長代理、カティア・ルーベンス。
銀灰色の髪を後ろで結んだ、冷静な女性魔導士だった。
シャルロット不在の間、魔導騎士団を取りまとめている人物である。
「まずは、監視です」
その一言で、ざわめきが収まる。
カティアは静かに続けた。
「排除するには情報が足りません。従わせるには動機が不明。封じるには、彼の内側に何があるのか分かっていない」
「では、泳がせると?」
ディアスが問う。
「自由を与えるのです」
カティアは、表情を変えずに言った。
「ただし、目を離さない。彼に行動させ、その反応を見る。人は束縛された時よりも、自由を与えられた時に本質を見せるものです」
ユリウスが小さく頷く。
「同意します」
彼は円卓に手を置いた。
「私が引き続き、監察の任を担いましょう。学術的にも、倫理的にも、彼は前例のない存在です。乱暴に扱えば、こちらが何を失うか分からない」
「研究者らしい言い方だな」
ディアスが冷たく言う。
「ええ」
ユリウスは微笑む。
「私は研究者ですから」
カティアは視線を全員に向ける。
「決定します」
その声は、団長代理としての権限を帯びていた。
「音無海は、当面の間、魔導騎士団の監察対象とする。身柄拘束は行わない。通常活動を認める。ただし、ユリウス・クロードが監察責任者として経過を記録する」
円卓の者たちは、不満を抱えながらも沈黙した。
反論できるだけの材料が、まだない。
会議は、そのまま終わるかに見えた。
だが。
円卓の奥。
闇の柱の影から、ひとつの声が響いた。
「……私が興味を持ってしまったわ」
その声が落ちた瞬間。
空気が変わった。
静か。
だが、圧倒的。
声だけで、円卓の全員が背筋を伸ばした。
カティアでさえ、わずかに目を伏せる。
ユリウスの口元が、かすかに笑った。
「やはり、聞いていたのですね」
影の中で、淡い光が揺れる。
姿は見えない。
だが、その名だけで十分だった。
「シャルロット・デュノア」
その声は、闇の奥から響く。
「魔導騎士団長代理カティア・ルーベンスに告げます」
カティアが立ち上がる。
「はい」
「正式に、団長職への復帰を申請するわ」
円卓の全員が、息を呑んだ。
シャルロット・デュノア。
王国最強の魔導士。
四属性魔導士。
そして、ただ一人、“ルミナス”の称号を与えられた存在。
その彼女が、動こうとしている。
「その少年」
闇の向こうの声が、静かに続く。
「私が会いに行く」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
世界最強の魔導士が。
音無海という異端者に、興味を持った。
それが何を意味するのか。
この場にいる誰もが理解していた。
これは単なる監察では終わらない。
これは単なる研究でも、審問でも、保護でもない。
音無海という存在を中心に、王国の魔導史が動き始めている。
ユリウスは、誰にも聞こえぬほど小さく呟いた。
「さて、海君」
その声には、恐れと期待が同居していた。
「君は、どこまで世界を騒がせるつもりなのかな」
円卓の間に、五属性の魔力柱が低く脈動する。
その奥で。
まだ誰にも見えない未来が、静かに軋み始めていた。




