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EP26:──星環盤《スターレコード》が告げる調和の光と闇──

爆炎の名残は、まだ演習場に残っていた。


紅蓮の熱。


氷壁から滲み出す冷気。


その二つが空気の中でぶつかり合い、白い蒸気となって視界を揺らしている。


誰もすぐには動けなかった。


先ほどまで、この場所には明確な序列があった。


貴族の家名。


魔導士としての実績。


属性の数。


魔力量。


称号。


だが、音無海という少年は、それらをひとつずつ壊していった。


魔力量は測定不能。


炎を受ければ、無詠唱で氷壁を生み出す。


しかも本人は、それを理解していない。


その事実が、演習場の全員を沈黙させていた。


「……無詠唱魔法……」


誰かが、かすれた声で呟いた。


その一言が、場の空気をさらに重く縛る。


フィリアは胸元に手を当てたまま、氷壁の前に立つ海を見つめていた。


無傷。


煤ひとつない。


困ったように眉を下げている。


その姿が、逆に恐ろしい。


そして、どうしようもなく目を離せない。


「静粛に」


ユリウス・クロードの声が響いた。


低く、落ち着いた声。


だが、そこには確かな威圧があった。


ざわついていた魔導士たちは、はっとして口を閉ざす。


ユリウスは杖を掲げ、ゆっくりと演習場を見渡した。


「今の現象については、後ほど改めて解析する。だが、これ以上の混乱は許されない」


その声に、団員たちは顔を見合わせながらも従った。


誰もが知っている。


この男が、ただの研究者ではないことを。


三属性を持つ三重魔導士(トリプルマジシャン)


“アルカナ”の称号を与えられた、王国屈指の魔導理論家。


そのユリウスが今、海を見ている。


研究対象として。


未知として。


そして、危険なほど興味深い存在として。


「……本当に」


ユリウスは小さく呟いた。


「君は何者なのだろうね」


その言葉は、誰にも聞こえなかった。


やがて彼は、海へ向き直る。


「海君」


「は、はい」


「今度は、君の“属性”を調べさせてもらえるかい?」


「属性……ですか?」


「そうだ。魔力量がどれだけ大きくとも、それを構成する性質を見なければ、君という存在は理解できない」


海は困ったように笑った。


「僕、自分に属性があるかどうかも分からないんですけど……」


「だから調べるのさ」


ユリウスの口元が、かすかに上がる。


「分からないものを見るために、研究はある」


その一言で、場の空気が再び張り詰めた。


魔力量。


無詠唱魔法。


そして次は属性。


海という少年が、どこまでこの世界の常識を壊すのか。


誰もが、それを恐れながら待っていた。


ユリウスは演習場の奥へ歩き出す。


「こちらへ」


海はその後を追った。


フィリアも少し離れて続く。


エドガーは、まだその場に立ち尽くしていた。


拳を握りしめ、唇を噛み、悔しさと恐怖を押し殺している。


誰も彼を見ていない。


その事実が、何よりも彼を追い詰めていた。


演習場の奥には、祭壇のような区画があった。


五重の結界に守られた聖域。


床には巨大な円環が刻まれ、周囲には七つの水晶柱が立っている。


火。


風。


土。


雷。


水。


闇。


光。


それぞれの水晶には、古い魔導文字が刻まれていた。


中央には、星形の陣。


魔法陣というより、夜空そのものを床に閉じ込めたような意匠だった。


「これが、属性鑑定陣」


ユリウスは杖を掲げる。


星環盤スターレコードだ」


その名が告げられた瞬間、陣を覆う文字が淡く光り始めた。


海は思わず息を呑む。


足元の星形が、まるで目覚めるように脈打っている。


([LOG_KAI - INNER VOICE])


(属性鑑定陣)


(七つの水晶柱)


(中央に星形の起動サークル)


(これ、完全にフォーム適性チェックだ)


(いや、フォームというより属性スロット判定……?)


(火、風、土、雷、水、闇、光)


(七属性対応。拡張性が高い。設計思想が美しい)


《SYSTEM NOTICE》


《対象:星環盤スターレコード


《属性鑑定陣を確認》


《内部照合中》


《照合失敗》


《未知規格》


海の胸の奥で、またあの待機音が鳴った。


まだ小さい。


けれど、確実に近づいている。


ユリウスは陣を見つめ、厳かに続けた。


「古き時代、この陣は別の名で呼ばれていた」


光が一段、強くなる。


「天の理を映す鏡」


彼の声が、演習場に響く。


「ホロスフィア」


その名が放たれた瞬間、星環盤スターレコード全体が低く共鳴した。


ゴウン、と空気が震える。


結界が軋み、天井の魔導灯が一斉に明滅した。


まるで、封じられていた古代の記憶が、今の名を呼ばれて目を覚ましたかのようだった。


フィリアは息を呑む。


(ホロスフィア……)


ただの属性鑑定ではない。


彼女も文献でしか知らない、古代魔導文明の遺産。


天と地。


光と闇。


五大属性。


それらを別々の力としてではなく、ひとつの星図として映し出す神秘の鏡。


フィリアの指先が震えた。


(海様が、これに触れる……)


恐ろしい。


けれど、見たい。


その感情を、彼女は止められなかった。


ユリウスは海を見据え、ゆっくりと告げる。


「音無海」


その声は、先ほどまでの研究者のものではなかった。


儀式を司る者の声だった。


「その魂をもって、このホロスフィアに刻まれし属性を示してみせたまえ」


海は一歩、中央へ踏み出した。


足元の星形が光る。


水晶柱が、静かに震えた。


そして最初に反応したのは。


【火】


朱の奔流が弾けた。


火の水晶が鮮烈に輝き、熱風が演習場を走る。


魔導士たちが思わず腕で顔を覆った。


「火……!」


観測士が叫ぶ。


フィリアの胸が大きく跳ねた。


(最初に応じたのが、火……!)


エドガーの顔が歪む。


火は、彼の属性でもある。


自分が誇ってきた力。


それが海に反応した。


ただそれだけで、彼の中の何かが軋んだ。


「ふん……一属性くらいで大げさに……」


エドガーは嘲笑を作ろうとした。


だが、その声は震えていた。


次の瞬間。


【風】


翠の光が滑るように舞った。


火の朱と重なり、星形の一辺をなぞる。


空気が震え、海の髪がふわりと揺れた。


「二属性……!」


観測士たちがどよめく。


フィリアは唇を押さえた。


彼女は水と風の二属性。


貴族の名家に生まれた者として、それは十分に誇るべき資質だった。


だが、海の反応は違う。


火と風が反発していない。


むしろ、風が火を煽り、火が風に熱を与えている。


互いを強め合うように、光が絡み合っていた。


「に、二属性なんて……俺だって……!」


エドガーが叫ぶ。


だが、彼自身の火と土は、ここまで自然に調和したことなど一度もなかった。


【土】


低い重音が響いた。


褐色の光が陣を走り、床そのものが呼吸するように脈動する。


演習場の石畳が、深い地鳴りを伝えた。


「三属性……だと……?」


ユリウスの眉が、わずかに動く。


彼自身が持つ三属性。


それがどれほど希少で、どれほどの才能と努力を必要とするか、誰よりも理解している。


三属性に到達した時、彼は“神童”と呼ばれた。


そして今、海はその領域へ、何の準備もなく踏み込んでいる。


「……これは」


ユリウスの声に、初めて明確な動揺が混じった。


フィリアは強く胸を押さえる。


(もう、追いつけない……)


それは劣等感ではなかった。


ただ、目の前の存在が自分たちの常識から離れていく感覚だった。


【雷】


白金の閃光が走った。


雷の水晶が激しく輝き、空気そのものが裂けるような轟音が響く。


髪が逆立ち、観測士たちが悲鳴に近い声を上げた。


「よ、四属性……!」


演習場全体が揺れる。


シャルロット。


王国最強と呼ばれる魔導騎士団長。


彼女の持つ属性数が、四属性。


その事実を知らぬ者はいない。


つまり、海は今。


属性数だけなら、伝説の団長に並んだ。


「馬鹿な……」


誰かが呟く。


エドガーは蒼白だった。


(シャルロット様と……並ぶ……?)


いや。


終わらない。


海の周囲に満ちる光は、まだ収束していない。


フィリアは震える唇を押さえる。


(海様は……まだ……)


【水】


最後に、蒼い光が広がった。


水の水晶が静かに輝き、波紋が空間全体へ広がる。


熱は鎮まり、空気は潤い、凛とした冷気が演習場を包んだ。


「五属性……完全反応……!」


ユリウスの声が、確かに震えた。


団員たちの間に、押し殺した悲鳴のようなどよめきが広がる。


「五属性すべて……?」


「あり得ない……」


「完全適性だと……?」


火。


風。


土。


雷。


水。


五つの水晶が、同時に輝いている。


しかも、それぞれが別々に光っているのではない。


繋がっている。


火が風に煽られ、風が土を削り、土が雷を導き、雷が水を震わせ、水が火を包む。


属性は対立せず、循環していた。


星形の陣が、脈動する。


一拍。


二拍。


三拍。


まるで心臓のように。


「永続循環……」


ユリウスが呟いた。


「五属性が互いを打ち消さず、補い合っている……」


彼の声は、研究者の興奮と畏怖で震えていた。


「理論上は存在する。だが、実例など……」


星環盤スターレコードが、低い轟音を放った。


天井に刻まれた古代文様が共鳴を始める。


五つの光が円環を描き、完全な星形へと収束する。


次の瞬間。


演習場に、星空が降りた。


天井の魔導紋がひとつ、またひとつと輝き始める。


光点が増え、線を結び、夜空そのものが会場に投影された。


誰かが震える声で呟く。


「……まるで、夜空が降りてきたようだ……」


測定士たちは、恐怖と畏敬に呑まれていた。


これは鑑定ではない。


儀式でもない。


神話が、目の前で起動している。


フィリアは全身を震わせていた。


(星々が、応えている……)


彼女の瞳が潤む。


(これで、海様がただの人間だなんて、誰が信じられるの……?)


だが。


星環盤スターレコードは、まだ終わらなかった。


五芒星の奥。


誰もがほとんど意識していなかった第六の水晶が、微かに震えた。


黒曜の水晶。


闇。


その表面に、深淵のような光が灯る。


「……っ!?」


ユリウスが息を呑む。


「まさか……」


【闇】


漆黒の光が、演習場を満たした。


光とは呼べないはずの暗さ。


けれど、それは確かに輝いていた。


星空の一部が、ひとつ、またひとつと光を失っていく。


空気が重くなる。


床に伸びる影が深くなり、魔導士たちが本能的に一歩下がった。


「闇属性……」


「この鑑定陣で、反応した……?」


「悪魔の属性ではないのか……?」


その言葉に、海の胸が小さく疼いた。


([LOG_KAI - INNER VOICE])


(闇)


(まただ)


(“悪魔”って言葉を聞いた時と同じ)


(胸の奥が、少し痛い)


《SYSTEM LOG》


《封印領域に反応》


《闇属性照合:一致》


《詳細情報:封鎖中》


《アクセス権限:不足》


海は眉を寄せた。


自分の中で、何かが鍵のかかった扉の奥から叩いている。


そんな感覚があった。


フィリアは震える指先を握りしめる。


(闇……忌避される力……)


怖い。


そう思うべきだった。


だが、彼女は海を見ていた。


困ったように立っている少年。


誰かを傷つけようとしない人。


自分を誇示することも、見下すこともしない人。


(それでも……この人は海様だわ)


胸の奥に、そう思う自分がいた。


そして。


第七の水晶が震えた。


白銀の水晶。


光。


だが、その輝きは最初、弱かった。


曇っている。


まるで厚い雲の向こうに、月が隠れているような光だった。


「光の水晶が……!」


観測士が叫ぶ。


【光】


一筋の白銀が、星環の中心へ伸びた。


その瞬間、失われかけていた星々が再び息を吹き返す。


闇に飲まれた光が戻る。


だが、闇を消し去るのではない。


闇と絡み合い、螺旋を描き、同じ円環の中で脈動を始める。


「光と……闇が……並び立っている……」


「理論上、あり得ない……!」


魔導士たちの声が震える。


エドガーが悲鳴に近い声を上げた。


「ふざけるなッ!」


彼は震える足で後ずさる。


「光と闇は対極だ! 共存など、あり得るはずがない!」


だが、星環盤スターレコードは彼の叫びを否定するように輝いた。


闇の深淵。


光の輝き。


その二つが、互いを消し合わず、同じ円環の中で脈を重ねる。


まるで宇宙の摂理そのものを映すように。


完全な均衡。


完全な矛盾。


完全な調和。


フィリアの胸が熱く震えた。


(これは、矛盾じゃない)


涙が滲む。


(調和……)


五属性。


闇。


光。


七つの属性が、ひとつの星環を描いている。


海という少年の内側に、世界のすべてがあるかのようだった。


けれど。


最後に灯った光だけは、どこか曇っている。


美しく、温かい。


だが、完全ではない。


何かに封じられている。


何かに覆われている。


ユリウスは、その曇りを見逃さなかった。


「光属性の反応が弱い……?」


彼はゴーグルに指を当てる。


紫の解析光が走る。


「いや、弱いのではない。封じられている……?」


その瞬間、星環盤スターレコードが激しく震えた。


《SYSTEM WARNING》


《外部鑑定干渉を検知》


《封印領域への接触を確認》


《防衛反応、待機》


海の胸の奥で、低い音が響く。


今までよりも、はっきりと。


起動前の待機音。


いや。


警告音。


海は、思わず胸元に手を当てた。


「……今の」


ユリウスが海を見る。


「何か感じたのかい?」


「分かりません」


海は正直に答える。


「でも、胸の奥で……何かが鳴った気がします」


ユリウスの表情が変わる。


興味ではない。


警戒。


それに近い色だった。


星環盤の光は、やがて静かに収束していく。


火。


風。


土。


雷。


水。


闇。


光。


七つの水晶が順に輝きを弱めていく。


だが、最後まで残ったのは。


曇りを帯びた白銀の光だった。


まるで、音無海という存在のまだ誰も知らぬ正体を示す鼓動のように。


演習場に、沈黙が落ちた。


誰も歓声を上げない。


誰も拍手しない。


それは、才能の発見ではなかった。


天才の証明でもなかった。


もっと深く、もっと不穏で、もっと神聖な何か。


世界が、音無海を見つけた瞬間だった。


ユリウスは、静かに息を吐く。


「五大属性に加え、闇と光」


彼の声は、かすかに震えていた。


「そして、封じられた光」


フィリアが海を見る。


エドガーは青ざめたまま、言葉を失っている。


団員たちは、自分たちが歴史のどこかに立ち会ってしまったことを本能で理解していた。


海だけが、周囲の反応についていけていない。


「えっと……」


彼は困ったように笑う。


「これって、良い結果なんですか?」


誰も、すぐには答えられなかった。


その問いの答えを、この世界はまだ持っていなかったからだ。


ただ、星環盤スターレコードの中心に残った白銀の余光だけが、静かに脈打っていた。


封じられし星。


解き放たれし影。


そして。


まだ目覚めぬ光。


音無海という名の謎は、ようやく輪郭を持ち始めた。

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