EP22: 碧眼の監視者と揺れる面影
「ありがとう、エリアナ。下がっていいわよ」
その声は、研究区画の冷たい空気を静かに切った。
海が振り返る。
そこに立っていたのは、淡い水色を帯びた銀髪のショートカットに、澄んだ碧眼を持つ女性だった。
白衣に似た魔導研究服をまとい、胸元にはアークライト家の紋章。
丸眼鏡を軽く指で押し上げる仕草には、知性と品位があった。
エリアナはその女性に向かって、深く頭を下げる。
「はい、フィリア様」
その表情には、尊敬と少しの緊張が混じっていた。
エリアナが静かにその場を離れる。
海は、目の前の女性を見つめた。
(銀色……いや、水色にも見える髪)
(それに、碧眼……)
胸の奥が、わずかに揺れる。
凛に似ている。
そう思った。
もちろん、同じではない。
凛の瞳が、鋭く人を射抜く宝石だとすれば。
彼女の瞳は、冷たい湖の底に光が沈んでいるようだった。
澄んでいる。
けれど、近づけば深い。
その静かな眼差しに、海は自然と背筋を伸ばしていた。
「あなたが、音無様ね」
女性は海をまっすぐに見つめる。
「私はフィリア・アークライト。魔道騎士団研究部に所属しています。あなたがここへ来た理由を、確認させてもらうわ」
声音は柔らかい。
だが、芯がある。
人を威圧する声ではない。
それでも、曖昧な言葉を許さない空気があった。
海は慌てて頭を下げる。
「あ、音無海です。よろしくお願いします」
言ってから、少しだけ顔を上げた。
「あのぉ……音無様じゃなくて、海で大丈夫です。なんだか、様をつけられると落ち着かなくて」
フィリアは一瞬だけ目を瞬かせた。
そして、わずかに口元を緩める。
「では、海様とお呼びいたしますね」
「えっ、あ、はい。……様は残るんですね」
「王命により、あなたには丁重に接するよう賜っておりますので」
「そ、そうですか……」
海は困ったように笑った。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(音無様から海様へ)
(敬称レベル、ほぼ変化なし)
(でも、断れない。こういう丁寧な人に押されると弱い)
フィリアは海の反応を見て、少しだけ表情を和らげた。
だが、すぐに研究者の顔へ戻る。
「あなたのことは、お父様、神官長セラフィム様から伺っております」
「セラフィム様から……」
「ええ。王命によって召喚された異世界者。そのうちの一人。そして、勇者である高円寺凛様と共にこの世界へ来た方」
凛の名前が出た瞬間、海の胸が小さく跳ねた。
フィリアの碧眼が、その変化を逃さなかった。
「ですが」
彼女は静かに続ける。
「ここは国家機密の研究を担う魔道騎士団。その中心部です。素人が軽々しく立ち入れる場所ではありません」
厳しい言葉だった。
けれど、そこに侮りはない。
警戒。
責任。
そして、この場所を守る者としての誇り。
海はそれを感じ取った。
「ご無礼を承知の上で申し上げます」
フィリアは、まっすぐに海を見る。
「ここで行われる研究は、国家の存亡そのものに直結します。好奇心や興味だけで触れてよいものではありません」
その言葉に、海は反射的に両手を前に出した。
「邪魔をしようなんて、滅相もございません!」
声が裏返りかける。
「触りません! 絶対に勝手に触りません! たぶん!」
フィリアの眉が、ぴくりと動いた。
「……たぶん?」
「あっ、いえ! 触りません!」
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(危ない)
(巨大カプセルと謎の制御盤を前にして“絶対”と言い切るには、自分の好奇心が信用できない)
(でも言い切れ、音無海)
(ここで信用を失ったら、研究区画出禁エンドだ)
《SYSTEM NOTICE》
《推奨:両手を背中に固定》
海はそっと両手を後ろで組んだ。
フィリアはその様子を見て、少しだけ目を丸くする。
そして、ふっと微笑んだ。
「申し訳ありません。少し強く言いすぎました」
彼女は深く頭を下げる。
「ここでの研究は、それほどまでに重要なのです。海様に辛く当たってしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます」
その姿勢に、海は戸惑った。
責めるべきところは責める。
けれど、失礼があればすぐに謝る。
そのまっすぐさが、どこか凛を思わせた。
「いえ。フィリアさんは、ちゃんとこの場所を守ろうとしているだけですから」
海は小さく笑う。
「そういうの、すごいと思います」
フィリアの碧眼が、ほんの少し揺れた。
「……ありがとうございます」
海は、また心の中で呟いた。
(やっぱり……凛さんに似ている)
強い。
優しい。
けれど、甘くはない。
その人が立つべき場所に、ちゃんと立っている。
その感じが、似ていた。
その時だった。
「よぉ」
奥の通路から、わざとらしい声が響いた。
「やっとお出ましか」
金髪を整え、腕を組みながら歩いてくる青年。
整った顔立ち。
高価な魔導士服。
胸元には、シュタインベルク家の紋章。
だが、その表情には露骨な不機嫌さが浮かんでいた。
「エドガー……」
フィリアの声が、わずかに硬くなる。
現れたのは、宰相アルフレッド・フォン・シュタインベルクの息子。
エドガー・フォン・シュタインベルクだった。
エドガーは海を上から下まで眺め、鼻で笑う。
「俺の父上から聞いているぜ。勇者召喚にくっついてきたハズレが、うちの魔道騎士団に来るってな」
海の肩が、小さく強張った。
「いっちょ前に闇属性持ちで、“創造主”なんて大層な名前のスキルを持っているらしいじゃねぇか」
エドガーは唇を歪める。
「名前だけはな」
フィリアが一歩前へ出た。
「エドガー。その言い方は、あまりにも無礼です」
「無礼?」
エドガーは肩をすくめる。
「事実を言っただけだろう。王城での鑑定でも、戦闘向きではないと判断された。勇者様の後ろに隠れているだけの異世界人。違うか?」
「違います」
フィリアの声は、静かだった。
だが、明確に怒っていた。
「まだ何も確認していない段階で、決めつけるべきではありません」
「へぇ。落ちぶれたアークライト家の君が、シュタインベルク家に意見するのか?」
その一言に、空気が冷えた。
フィリアの表情がわずかに強張る。
海はその変化に気づいた。
何かを言わなければ。
そう思った。
けれど、先に口を開いたのは自分を守る言葉ではなかった。
「いいんです」
海は俯いたまま言った。
「彼の言う通りですから。僕のスキルは、戦闘向きじゃないらしいです……」
王城での鑑定。
期待外れの反応。
凛の横にいるだけの存在。
自分では何もできないという空気。
それらが、胸の奥でじわりと広がる。
「ほーら」
エドガーは満足げに笑った。
「本人が一番よく分かっているじゃないか」
その声は、海を傷つけるためだけに磨かれた刃のようだった。
フィリアが何かを言い返そうとした、その瞬間。
研究区画の奥から、空気が変わった。
音もなく。
だが、確かに。
全員の視線が、自然とそちらへ向く。
「やあ」
低く、冷静な声が響いた。
「こんなに騒がしくされては、研究に身が入らないじゃないか」
姿を現したのは、長身の男だった。
身長は百九十を超えている。
痩せているのに、どこか異様な圧がある。
青白い肌。
無造作に束ねられた淡い紫色の長髪。
そして、目元を覆う奇妙な装置。
海の世界でいうなら、VRゴーグルに似ている。
だが、ただの機械ではない。
表面には細かな魔導文字が走り、紫の光が脈のように点滅していた。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(出た)
(研究施設の奥から現れる、絶対に重要な博士キャラ)
(目元のゴーグル、情報解析デバイスっぽい)
(しかも紫発光)
(これは味方か、厄介な味方か、最後まで味方か分からないタイプ)
「も、申し訳ありません、博士!」
先ほどまで傲慢だったエドガーが、直立不動で頭を下げた。
フィリアも静かに礼を取る。
それだけで、海は悟った。
この人は、ただ者ではない。
「ここでお世話になります!」
海は反射的に頭を下げ、声を張った。
「音無海と申します! シャルロット様!」
沈黙。
一拍。
二拍。
長身の男が、ゆっくりと首を傾げた。
「……私は、シャルロットではないね」
海の顔から血の気が引いた。
「あっ」
エドガーが、額に手を当てる。
「おい、この馬鹿! このお方はユリウス・クロード様だ!」
「ユリウス……クロード様……?」
「三属性持ちの三重魔導士にして、『アルカナ』の称号を持つ偉大な魔道士様だぞ!」
ユリウスは肩をすくめ、両手を軽く広げた。
「まあ、あの耳長チートエルフと間違われるのは心外だが、彼女も優秀だからね。半分くらいは許そう」
「半分……」
海はさらに頭を下げた。
「す、すみませんでした!」
「いいよ。異世界人に王国の魔導士名鑑を暗記しろとは言わない」
ユリウスは海へ歩み寄る。
そのゴーグルの奥から、視線が刺さるような気配がした。
「ほぉ」
彼は海をじっと見る。
「君が、あの噂の召喚者の少年か」
「は、はい」
「魔力適性は不明瞭。戦闘評価は低い。だが、スキル名は創造主」
ユリウスの口元が、わずかに上がる。
「これは実に興味深い」
その声に、海は少しだけ背筋を震わせた。
褒められている気がしない。
観察されている。
いや。
完全に、研究対象として見られている。
「どうだい?」
ユリウスは楽しそうに言った。
「僕の研究のモルモット、いや、お手伝いをしてみないかね?」
「今、モルモットって言いましたよね」
フィリアが即座に言った。
「言っていないよ」
「言いました」
「心の声が少し漏れただけだ」
「それを言ったと言います」
「厳しいな、フィリア君」
「研究倫理です」
海は二人のやり取りを見ながら、困ったように笑った。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(博士キャラ、予想より危険)
(でも悪い人ではなさそう)
(たぶん)
《SYSTEM NOTICE》
《“たぶん”の信頼度:低》
「いやぁ、モルモットは少し……」
海は申し訳なさそうに首を振る。
「せめて、お手伝いくらいでお願いします」
「おい、異世界人」
エドガーが横から口を挟む。
「どうせ何の役にも立たないなら、ユリウス様の研究に使っていただけるだけありがたいと思え」
その態度には、あからさまな媚びが見え隠れしていた。
フィリアの目が鋭くなる。
「エドガー」
「何だ?」
「海様を、そのように扱うことは許しません」
「は?」
「海様は、この場で何かの力になりたいと考えて来られたのです」
フィリアは一歩も引かず、言葉を続ける。
「異世界の知識。創造主という未知のスキル。そして、この世界の常識に縛られない視点。それらが、私たちに新しい発見をもたらす可能性は十分にあります」
エドガーが鼻で笑う。
「可能性、ねぇ」
「可能性を検証するのが、研究者の役目でしょう」
その言葉に、ユリウスがぴたりと動きを止めた。
そして、楽しそうに笑う。
「その通りだ」
エドガーの表情が変わる。
「ユリウス様?」
「フィリア君の言う通りだよ。決めつけは研究者の敵だ」
ユリウスは海へ視線を戻した。
「海君。君は、自分を役に立たないと思っているのかい?」
突然の問いに、海は言葉を詰まらせる。
「……分かりません」
正直な答えだった。
「凛さんみたいに強く戦えるわけじゃないです。魔法も、この世界のことも、まだ全然分かりません」
海は視線を落とす。
「でも……何もできないままでいたくはないです」
その声は、小さかった。
けれど、研究区画の冷たい空気の中で、確かに響いた。
フィリアの碧眼が、静かに揺れる。
ユリウスはしばらく黙っていた。
そして、口元に笑みを浮かべる。
「いいね」
「え?」
「分からないと言える者は、まだ伸びる」
ユリウスは制御台へ歩き出した。
「何もできないと思っている者ほど、何かを壊す。常識をね」
エドガーが眉をひそめる。
フィリアは、海を静かに見つめていた。
その視線に、海はまた凛の面影を見る。
人を守ろうとする強さ。
誰かの可能性を、簡単に見捨てない意志。
それは凛とは違う形の優しさだった。
けれど、たしかに似ていた。
(やっぱり、この人……凛さんに似ている)
そのとき。
中央の巨大ガラス管が、かすかに震えた。
金色の魔力液の奥に、ほんの一瞬だけ紫のノイズが走る。
海だけが、それに気づいた。
胸の奥で、また音が鳴る。
《SYSTEM STANDBY》
昨日よりも、近い。
いや。
この場所に入ってから、音が大きくなっている。
海はガラス管を見上げた。
ユリウスも、同じ方向を見ていた。
「さて」
博士は楽しそうに呟く。
「では、始めようか」
「何を、ですか?」
海が尋ねる。
ユリウスは笑った。
「もちろん」
紫に光るゴーグルの奥で、見えない瞳が細められた気がした。
「君という未知数の観測を、だよ」
その言葉に、研究区画の魔導灯が一斉に淡く揺れた。
まるで、この場所そのものが。
音無海という異物に、初めて気づいたかのように。




