EP21: 威厳と至高の砦、叡智の魔導騎士団
その頃。
凛が霊瀑の下で、自分の足で立つ重さを知り始めていた頃。
音無海は、アストリア王国の別の中枢へと足を運んでいた。
そこは、王城から少し離れた場所に建つ巨大施設。
魔道騎士団本部。
王国における魔法理論、戦術研究、魔導兵装、国家機密のすべてが集約された場所だった。
漆黒の巨大な門には、複雑に絡み合う魔法陣が幾重にも刻まれている。
門柱の表面を流れる光は、まるで生きた回路のように脈打ち、見上げる者に無言の圧を与えていた。
上空では、魔導士たちが結界の維持と監視のために旋回している。
その姿は、天空を舞う守護者というより、侵入者を選別する無数の監視装置に近かった。
空気には、細かな魔力粒子が漂っている。
肌に触れるたび、静電気のような刺激が走った。
「……すごい」
海は思わず呟いた。
ここは、王国の「知」と「力」の中枢。
選ばれた者だけが足を踏み入れることを許された、国家最高機密の神聖な領域。
そう説明されていた。
だが、海の目には少し違って見えていた。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(門の魔法陣、あれ完全に多層認証だ)
(外周が結界維持、中央紋が個体識別、上空巡回がリアルタイム監視)
(これ、ファンタジーの門じゃない。魔法で組んだセキュリティゲートだ)
海の胸が、少しだけ高鳴る。
怖い。
圧倒される。
けれど、それ以上に。
「……かっこいい」
小さく漏れた声は、門の威圧感に飲み込まれた。
そのときだった。
「ここは、貴様のような者が軽々しく来る場所ではない」
門番の低い声が響いた。
鋭い視線が、海を射抜く。
「早々に立ち去るがいい」
「あの……王様から、許可をいただいていて……」
海は小さな声で答えた。
門番のひとりが鼻で笑う。
「ふん。貴様が、あの勇者のお荷物か」
その言葉に、海の肩がわずかに揺れた。
「しかも、禍冥羅などという噂まである。よくもまあ、我らの聖域に顔を出せたものだな」
「……」
海は言い返せなかった。
言い返す言葉がなかったわけではない。
ただ、喉の奥で固まってしまった。
異世界に来てから、何度も似たような言葉を浴びてきた。
役立たず。
お荷物。
勇者の影。
戦えない異世界人。
聞き慣れてしまった自分が、少し嫌だった。
だが、もう一人の門番が眉をひそめた。
「やめろ」
鋭く同僚を制し、海へ向き直る。
そして、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、海様。王より伝達を承っております。不躾な態度、どうかご容赦くださいませ」
「いえ」
海は慌てて手を振った。
「お気になさらずに。門番さんのお仕事は、ここを守ることですから」
その柔らかな言葉に、門番はわずかに息を呑んだ。
敵意を向けられた者の返答ではなかった。
怯えも、怒りも、見せない。
ただ相手の役割を理解しようとする、静かな声だった。
「……寛大なお言葉、痛み入ります」
門番はもう一度頭を下げる。
「どうぞお通りください。研究室は、この建物の最奥部にある最も高い塔にございます」
「ありがとうございます」
海は小さく頭を下げ、門をくぐった。
その瞬間。
視界が、変わった。
門の内側に広がっていたのは、王城とはまったく異なる異質な空間だった。
空には細い魔法光が幾何学模様を描きながら流れている。
地面には、何重にも重ねられた魔法陣が脈動するように光を放っていた。
無機質な石畳には精緻な紋章が刻まれ、踏み出すたびに淡い光が足元を追う。
まるで、魔法そのものがこの施設の血管として流れているようだった。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(床面全体が術式基盤……?)
(通路がただの通路じゃない。魔力供給ラインと情報伝達路を兼ねてる)
(やばい。これ、完全に秘密基地だ)
(しかも敵組織じゃない。味方側の研究施設なのに、悪の研究所感がすごい)
海は必死に表情を抑えた。
だが、目は隠せない。
きらきらしていた。
完全に、特撮映画で地下格納庫を初めて見た少年の目だった。
やがて、海の前にひとりの女性が姿を現した。
オレンジ色の髪を後ろで束ねた、若い女性。
瞳には真摯な光があり、立ち居振る舞いには緊張と誠実さが同居していた。
彼女は胸に手を当て、丁寧に一礼する。
「初めまして、海様。私は魔道騎士団で初級魔道士兼研究員を務めております、エリアナ・フェリステッドと申します」
柔らかな声だった。
「どうぞ、エリアナとお呼びください。本日は私が研究室までご案内させていただきます」
「音無海です。よろしくお願いします、エリアナさん」
海が頭を下げると、エリアナの表情がわずかに和らいだ。
二人は歩き出す。
廊下の左右には、半透明の結界板が並び、その奥で魔導士たちが忙しなく動いていた。
浮遊する資料。
光る水晶盤。
空中に展開された術式図。
そのすべてが、海の視線を奪っていく。
「ここの建物って、すごいですね」
海がぽつりと言った。
エリアナは少しだけ苦笑する。
「はい。身を置いている私が言うのも変ですが、ここにいるだけで圧倒されてしまうんです」
彼女は視線を廊下の奥へ向けた。
「こんな私が、ここにいていいのかなって。時々、思ってしまうくらいです」
そう言ったあと、エリアナの表情がふっと強張った。
柔らかな微笑みが消え、代わりに緊張が浮かぶ。
「海様。魔道騎士団が特別視されている理由は、その性質にございます」
彼女の声は、少し低くなった。
「魔法は、誰もが扱えるものではありません。魔法適性を持つ者だけに許された、選ばれた力です」
廊下を歩く魔導士たちの視線が、ちらちらと海に向けられている。
好奇心。
警戒。
侮り。
そのどれもが、空気に混じっていた。
「ですが、その適性を持っていても、実際に魔法を自在に操れる者は一握りしかいません」
エリアナの声には、魔法への畏敬が滲んでいた。
「では、ここに集まる魔導士の方々は、全員が特別な方々なんですね」
海が尋ねると、エリアナは小さく頷いた。
「はい。才能ある者たちが集められ、国家のために研究と訓練を重ねています。ただ……」
そこで、彼女は言い淀む。
「ただ?」
「……ここでは、才能だけではなく、家柄や派閥が力を持つことも事実です」
エリアナの視線が、少しだけ伏せられた。
「優れた才能があっても、立場の弱い者は埋もれてしまうことがあります。逆に、家名があれば、多少の無礼や失敗が許されることもある」
その言葉に、海は静かに目を伏せた。
どこの世界でも。
似たようなことはある。
才能だけでは進めない場所。
努力だけでは届かない場所。
名前や家や立場が、人の価値を先に決めてしまう場所。
海はその痛みを、少しだけ知っていた。
「どこの世界でも、似たようなことが起きるんですね」
「……はい」
エリアナは小さく頷く。
そして、すぐに顔を上げた。
「ですが、私は信じています」
「え?」
「海様のように異世界から来られた方は、この閉ざされた状況を変える鍵になるのではないかと」
その声は、どこまでも真っ直ぐだった。
海は思わず目を瞬かせる。
「僕が、ですか?」
「はい」
エリアナは頷いた。
「この世界の常識の外から来た方だからこそ、見えるものがあるのではないかと思うのです」
常識の外。
その言葉が、海の胸に小さく引っかかった。
自分は、まだ何もできていない。
凛のように強く戦えない。
誰かを圧倒できるわけでもない。
けれど。
常識の外から見ることなら、できるかもしれない。
「……ありがとうございます」
海は小さく微笑んだ。
「僕にできることがあるなら、頑張ります」
エリアナの表情に、少しだけ安堵が戻った。
やがて二人は、巨大な昇降装置の前に辿り着く。
それは、王国の建築様式から明らかに浮いていた。
円筒状の箱。
金属製の扉。
側面を走る魔力回路。
制御盤には、魔道文字と数字のような符号が並んでいる。
「こちらで地下研究区画へ降ります」
エリアナが説明する。
海は目を見開いた。
「……エレベーター」
「えれ……?」
「あ、いえ。こちらの世界にも、こういう昇降装置があるんですね」
「古代魔導文明の遺産を参考に再現したものだそうです。私は仕組みまでは詳しくありませんが……」
「すごいです」
海は制御盤をじっと見つめた。
「これ、魔力を垂直方向の推進力に変換してるんですか? それとも空間固定して箱だけ座標移動させてる?」
「えっ」
エリアナが固まる。
「あ、すみません。つい」
海は慌てて口を閉じた。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(落ち着け音無海)
(初対面の研究員さんに、いきなり昇降装置の駆動方式を聞くな)
(でもこれ、絶対に中を見たい)
(分解は駄目だ。ここは国家機密施設。分解したら終わる)
《SYSTEM NOTICE》
《好奇心の過剰上昇を検知》
《推奨:自制》
「……はい、自制します」
「海様?」
「何でもありません」
重い扉が開き、二人は中へ入った。
昇降装置がゆっくりと沈み始める。
音は小さい。
だが、足元から伝わる振動は、確かに巨大な機構が動いていることを示していた。
しばらくして。
低い音と共に、扉が開く。
そこには、別世界が広がっていた。
壁一面に張り巡らされた金属配管。
蒼白い光を放つ魔力溶液が満たされたガラス容器。
錬金術的な意匠が施された銅製の機械装置。
赤。
青。
紫。
さまざまな色に輝く薬液が、心臓のように脈動している。
天井からは無数の魔石が吊るされ、淡い光を雨のように降らせていた。
そして中央には、天井を突き破るほど巨大なガラス管。
その中では、金色に輝く魔力液が絶えず循環している。
管を囲む制御台には、無数のボタンと魔道文字。
光る表示板。
回転する水晶歯車。
浮遊する小型術式。
海は、息を呑んだ。
目を見開いたまま、動けなくなる。
「ここが、魔道騎士団の心臓部です」
エリアナが静かに告げた。
「魔導理論研究区画。通称、叡智の塔の地下心臓」
海の心臓が、跳ねた。
そこは。
夢にまで見た、特撮映画の悪の秘密研究所だった。
ただし、味方陣営の。
危険な色の液体。
意味ありげに点滅するランプ。
中央にそびえる巨大カプセル。
よく分からないけれど絶対に重要そうな制御盤。
怪しげな配管。
蒸気。
青白い光。
紫の反射。
何かが起動しそうな空気。
全部ある。
全部そろっている。
海の中の少年が、全力で叫んでいた。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(出た)
(これは完全に、地下研究基地の初入場シーン)
(主人公がここで新装備を受け取るやつ)
(もしくは、絶対に触ってはいけない装置に触れて警報が鳴るやつ)
(落ち着け)
(触るな)
(絶対に触るな)
海は両手を胸の前で握った。
「……すごい」
声が震えていた。
感動で。
「海様?」
エリアナが心配そうに覗き込む。
「お顔が、少し……」
「あ、すみません」
海は慌てて背筋を伸ばした。
「ちょっと、感動してしまって」
「感動、ですか?」
「はい」
海は研究室を見渡す。
「僕の世界にも、こういう場所は物語の中にありました。強い人を支えるための技術や、世界を守るための装備や、まだ誰も知らない力が眠っている場所」
それは、子どもの頃から憧れていた光景だった。
ベルトの変身ヒーローが、新しい力を得る場所。
色分け戦隊ヒーローが、巨大メカの格納庫へ向かう場面。
宇宙警官ジャパンが、銀色の装甲をまとう直前の基地。
だが今、自分はそれを見ている。
本物の魔力。
本物の研究。
本物の未知。
海はそっと息を吸った。
空気に含まれる濃密な魔力が、肌を刺す。
それは痛みに近い刺激だった。
だが、不思議と嫌ではなかった。
「……ここなら」
海は無意識に呟いた。
「僕にも、何かできるかもしれない」
その瞬間。
中央の巨大ガラス管の奥で、金色の魔力液がわずかに揺れた。
まるで、海の声に反応したかのように。
エリアナは気づいていない。
だが、海は見ていた。
ほんの一瞬。
金色の光の中に、紫のノイズが走った。
「……え?」
海の胸の奥で、何かが小さく鳴る。
《SYSTEM STANDBY》
それは、誰にも聞こえない音だった。
だが海には、確かに聞こえた。
玩具の待機音にも似た。
けれど、もっと深く。
もっと古く。
世界の奥底から鳴るような、起動前の音。
海は、ガラス管を見上げる。
魔道騎士団の心臓部。
王国の知と力の中枢。
閉ざされた魔導理論の砦。
その奥で。
音無海の中に眠る何かが、静かに起動準備を始めていた。




