表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/43

EP16:過酷な道中、未知なる青年との対峙

「帰らねぇなら、次は本気でやる」


スカイゼル・ヴァルドラグは、石柱の森を背にして低く告げた。


金色の瞳には、獣のような鋭さが宿っている。


凛は砕けた岩の欠片を靴先で払い、涼しい顔で彼を見返した。


「今のが本気ではなかった、と?」


「牽制だ」


「牽制で人を殺そうとするの?」


「死なねぇと思ったから撃った」


「最低ね」


「生きてるだろ」


「最低を更新したわ」


凛は腕を組み、真っ直ぐにスカイゼルを見据えた。


砂埃をまとい、旅装は汚れ、頬には小さな擦り傷がある。


だが、その立ち姿に乱れはない。


泥に塗れても、彼女は令嬢だった。


荒野の果てでも、凛は気品を手放さない。


スカイゼルは、じっと凛を見つめていた。


その瞳の奥で、怒りとは別の感情が揺れている。


(こいつが……兄じゃを倒した人間か)


彼の胸の奥に、古い傷が疼いた。


兄の名は、グランゼル。


帰らずの森の主と恐れられた竜人族。


圧倒的な膂力と魔力を誇り、人間も魔物も、その爪の前では等しく獲物だった。


だが、兄は敗れた。


目の前の少女に。


竜人族にとって、それは屈辱だった。


一族の誇りに泥を塗る出来事だった。


けれどスカイゼルの胸に渦巻いているものは、単純な復讐心だけではない。


なぜ兄は、人間に牙を向けたのか。


なぜ、止まれなかったのか。


そして。


この少女は、兄の最期に何を見たのか。


「嬢ちゃん」


スカイゼルの声が、少しだけ低くなる。


「オメェ、あの時……兄じゃにどんな覚悟で挑んだ?」


凛は眉をひそめた。


「あの時?」


「グランゼルだ」


スカイゼルの金色の瞳が、鋭く光る。


「帰らずの森で、オメェが倒した竜人の名だ」


短い沈黙。


凛は記憶を探るように、ほんの少しだけ視線を落とした。


「ああ」


思い出した。


この世界に来て間もない頃。


理不尽に襲いかかってきた巨大な敵。


自分の力が、この世界の常識を容易く踏み越えてしまうと知った戦い。


だが、凛は目を伏せなかった。


「覚悟なら、あったわ」


スカイゼルの瞳が揺れる。


「どんな覚悟だ」


凛は一歩、前へ出た。


「生きる覚悟よ」


風が、二人の間を抜けた。


「私は死ぬためにこの世界へ来たわけじゃない。誰かの都合で殺されるためでも、誰かの物語の脇役になるためでもない」


凛の声は静かだった。


けれど、その静けさの奥には、折れない芯がある。


「襲ってきたなら、退ける。命を狙うなら、叩き伏せる。そこに相手の事情があったとしても、私が黙って死ぬ理由にはならないわ」


スカイゼルは、言葉を失った。


凛はさらに続ける。


「でも、ひとつだけ言っておくわ」


「……何だ」


「私は、あなたのお兄様を侮辱するつもりはない」


スカイゼルの目が、わずかに見開かれる。


「理由がどうであれ、彼は強かった。だから私は、全力で応えた。それだけよ」


それは、慰めではなかった。


謝罪でもない。


凛という少女が、戦った相手へ向けた、ただひとつの礼儀だった。


スカイゼルは奥歯を噛んだ。


復讐の炎を燃やすには、その言葉はあまりにも真っ直ぐすぎた。


憎むには、目の前の少女は逃げなさすぎた。


「……変な女だな、オメェ」


「失礼ね。変なのはあなたの登場方法よ」


凛は腕を組む。


「いきなり岩を投げてきて、兄がどうとか覚悟がどうとか。説明不足にもほどがあるわ」


そこで、凛は少しだけ目を細めた。


「もしかして、そういう回りくどいナンパなの?」


スカイゼルは眉をひそめた。


「ナンパとは何だ?」


「……は?」


「どこぞの国の勢力か? 新手の軍勢か?」


凛は数秒、固まった。


そして深くため息をつく。


「あなた、ナンパも知らないの?」


「知らん」


「本当に?」


「知らん」


「……山育ちって、怖いわね」


「何か馬鹿にされた気がするんだが」


「気のせいじゃないわ」


スカイゼルのこめかみが、ぴくりと動いた。


だが、不思議と怒りは続かなかった。


むしろ、ほんの少しだけ肩の力が抜けていた。


この少女はおかしい。


兄を討った相手の前で怯えない。


殺気を向けても引かない。


その上、会話の途中で平然と相手を馬鹿にする。


常識から外れている。


だが、その外れ方が、妙に嫌ではなかった。


「で」


凛は改めて問いかける。


「私は双神流の師匠に会いに来たの。あなた、知っているの? 知らないの?」


スカイゼルは、じっと凛を見た。


そして短く息を吐く。


「……知ってる」


「なら案内しなさい」


「命令かよ」


「お願いすればいいの?」


「いや、それはそれで気持ち悪ぃ」


「失礼にも種類があるのね。勉強になるわ」


スカイゼルは、くつくつと笑った。


「ハッ。面白い嬢ちゃんだな」


「私は真剣よ」


「だから面白ぇんだよ」


スカイゼルは背を向け、森の奥へ歩き出す。


「ついて来い。道案内くらいはしてやる」


「最初からそう言いなさいよ」


凛はわずかに口角を上げ、その背中を追った。


* * *


森の中は、時間の経過とともに暗さを増していった。


高く伸びる木々の枝は、まるで意思を持つ生き物のように絡まり合っている。


葉の隙間から差し込む光は細く、地面に蜘蛛の巣のような模様を描いていた。


湿った空気が肌にまとわりつく。


遠くでは、正体の分からない獣の鳴き声が響いている。


冷たい風が木々を揺らし、その音は囁きにも、笑い声にも聞こえた。


凛は周囲へ視線を走らせながら、前を行くスカイゼルの背中を見つめた。


スカイゼルの歩みに迷いはない。


倒木を避けるでもなく。


枝を払うでもなく。


ただ歩けば、森の方が彼を避ける。


まるで、この森そのものが彼を知っているようだった。


「あなた、ここに住んでいるの?」


凛が問いかける。


スカイゼルは振り返らずに答えた。


「住んでるってほどじゃねぇ。見張りだ」


「見張り?」


「師匠の元へ向かう奴を、途中でふるいにかける役目だ」


「つまり、あなたがさっきの無礼な岩係?」


「変な役職名をつけるな」


「だって事実でしょう?」


「……否定しづれぇな」


軽口を叩きながら、スカイゼルはさらに森の奥へ進む。


その背中には余裕があった。


だが凛には、見えていた。


彼の言葉の端々に滲む孤独。


兄の名を口にした時だけ、わずかに沈む肩。


誰かを憎みきれず、かといって許しきれもしない半端な痛み。


凛はその背中を見つめ、静かに目を細める。


「ねぇ、スカイゼル」


「あ?」


「あなた、お兄様のことを、本当はどう思っているの?」


スカイゼルの足が止まった。


森のざわめきが、遠のく。


「……随分と踏み込んでくるじゃねぇか」


「気になっただけよ」


「他人の傷を覗く趣味でもあんのか?」


凛は首を横に振る。


「いいえ。傷を隠す人間は、だいたい余計な失敗をするからよ」


スカイゼルが振り返る。


凛は、まっすぐに彼を見ていた。


「痛いなら痛いと言えばいい。悔しいなら悔しいと言えばいい。分からないなら、分からないと認めればいい」


彼女の声は冷たい。


けれど、不思議と突き放すだけではなかった。


「強いふりで誤魔化した感情は、いずれ自分の足を掴むわ。泥沼の底からね」


スカイゼルは、しばらく黙っていた。


そして、小さく笑う。


「嬢ちゃんに説教されるとはな」


「説教じゃないわ」


凛はふんと鼻を鳴らす。


「観察結果よ」


「余計に腹立つな」


「的外れなら怒らないはずよ」


スカイゼルは言い返せなかった。


代わりに、頭をかきながら空を見上げる。


木々の隙間から、夕暮れの光がわずかに差し込んでいた。


「兄じゃは、強かった」


ぽつりと、彼は呟く。


「けど、優しかったかって言われると……分からねぇ。あの人は、一族の誇りばかり見てた。自分の弱さも、寂しさも、全部力で押し潰してた」


凛は黙って聞いている。


「だから、オメェに負けたって聞いた時……悔しかった。けど同時に、どこかで思っちまったんだ」


スカイゼルの声が、少しだけ沈む。


「ああ、兄じゃはようやく止まれたのかもしれねぇってな」


風が吹いた。


冷たく、静かな風だった。


凛は少しだけ目を伏せる。


「そう」


それだけだった。


慰めはしない。


安易な同情もしない。


分かったふりもしない。


だが、その短い返事が、スカイゼルには不思議と楽だった。


「……変な嬢ちゃんだ」


「二回目よ、それ」


「三回目も言うかもしれねぇ」


「語彙力を鍛えなさい」


「手厳しいな」


二人は再び歩き出した。


* * *


やがて森の奥から、かすかな光が見え始めた。


それは夕日ではない。


淡い翠の光。


風の魔力が、空気中に細い糸のように漂っている。


その先に、石造りの小さな門があった。


門の上には、古い文字が刻まれている。


双神流。


その文字を見た瞬間、凛の胸の奥がわずかに高鳴った。


ついに来た。


ここが、始まりの門。


スカイゼルは門の前で足を止める。


「ここから先は、ただ歩くだけじゃ進めねぇ」


「どういうこと?」


「師匠に会うには、門を開ける必要がある」


「見れば分かるわ」


「普通の門じゃねぇ」


スカイゼルは門を顎で示した。


「こいつは、通る者の心を見る。力だけでも、勇気だけでも開かねぇ。自分が何のために強くなりたいのか。それを誤魔化す奴は、門前払いだ」


凛は門を見上げた。


翠の光が、彼女の髪を淡く照らす。


「何のために強くなるか、ね」


その問いは、思ったより深く胸に刺さった。


家名のため。


誇りのため。


生き残るため。


誰かに認められるため。


かつての凛なら、いくらでも答えを並べただろう。


だが今は違う。


凛は静かに息を吸った。


そして、門の前へ進む。


「決まっているわ」


その声に、迷いはなかった。


「私は、私の足で立つために強くなる」


翠の光が、強く揺れた。


「誰かの期待に従うためでも、誰かの所有物になるためでもない。私が、私の人生を選ぶためよ」


門の文字が、淡く輝き始める。


スカイゼルが目を細めた。


凛はさらに続ける。


「それに」


彼女の口元に、いつもの不敵な笑みが浮かぶ。


「せっかく異世界に来たのよ? 伝説の武術くらい、身につけて帰らないと損じゃない」


重々しい空気が、一瞬で崩れた。


スカイゼルは思わず吹き出す。


「そこは最後まで格好つけろよ!」


「何よ。大事なことでしょう?」


「大事かもしれねぇが、言い方ってもんがあるだろ!」


「高円寺家では、欲しいものは欲しいと言うの」


「どんな家訓だよ!」


その瞬間。


門が、静かに開いた。


ギィィ、と古い音を立て、翠の光が奥へと続いていく。


スカイゼルは笑みを消し、少しだけ真面目な顔になる。


「……開いたな」


凛は当然のように髪を払う。


「当たり前よ」


「師匠が待ってる」


「ようやくね」


凛は門の奥へ足を踏み入れる。


スカイゼルはその背中を見ながら、小さく呟いた。


「兄じゃ」


その声は、誰にも届かないほど小さかった。


「この嬢ちゃんなら、あんたが止まれなかった場所まで行くかもしれねぇぞ」


凛は振り返らない。


けれど、少しだけ口元を緩めた。


聞こえていた。


だが、何も言わなかった。


言葉にするには早すぎるものもある。


夕暮れの森を抜け、翠の光の門を越えた先。


そこには、凛がまだ知らぬ修行場が広がっていた。


岩壁に囲まれた広間。


中央には、風に削られた円形の石舞台。


周囲には、古い石碑が無数に立ち並び、そのひとつひとつに見慣れぬ文字が刻まれている。


空気が違った。


森の湿った空気ではない。


荒野の乾いた風でもない。


ここに流れている風は、まるで誰かの呼吸のように静かで、深い。


凛の肌が、かすかに粟立つ。


強者の気配。


しかも一人ではない。


この場所には、長い時間をかけて積み重ねられた武の残響が染みついている。


「……ふぅん」


凛は小さく笑った。


「ようやく、それらしい場所に着いたじゃない」


スカイゼルが横目で凛を見る。


「ビビらねぇのか?」


「どうして?」


「ここは、双神流の修行場だ。中途半端な奴なら、立ってるだけで膝が笑う」


凛は涼しい顔で答えた。


「膝が笑うほど、私の身体は暇じゃないわ」


「……本当に可愛げがねぇな」


「可愛げなら間に合っているわ。美貌と気品で十分よ」


「自分で言うか、それ」


「他人に言わせると時間がかかるもの」


スカイゼルは、またしても笑いそうになった。


その時。


石舞台の向こう側で、風が揺れた。


凛は視線を向ける。


そこには、誰もいない。


だが、確かに気配がある。


視線。


観察。


そして、試すような沈黙。


スカイゼルの表情が、わずかに引き締まった。


「師匠」


彼が低く声を落とす。


凛の瞳が鋭くなる。


その瞬間。


風が、すっと形を変えた。


舞台の中央に、淡い翠の光が集まり始める。


それは人の輪郭をなぞるように揺らぎ、やがて声だけが、凛の耳元に届いた。


「ずいぶん騒がしい子を連れてきたのね、スカイゼル」


女の声だった。


静かで、澄んでいて、しかし刃のように冷たい。


スカイゼルが、珍しく肩をすくめる。


「俺のせいじゃねぇっすよ。門が開いちまったんだから」


凛は一歩、前へ出る。


「隠れて見ているなんて、趣味が悪いわね」


風が、ぴたりと止まった。


次の瞬間。


石舞台の中央に、人影が現れた。


長い銀緑の髪。


静かな湖のような瞳。


質素な衣をまとっているにもかかわらず、その立ち姿には王族よりも深い気品があった。


若くも見える。


老成しても見える。


時間そのものが、彼女の前で膝をついているような存在感だった。


彼女の周囲だけ、風が従者のように静かに流れている。


女性は凛を見つめ、薄く笑った。


「あなたが、高円寺凛ね」


凛はその視線を真っ直ぐに受け止める。


「ええ。そうよ」


「私はセレスティア」


風が、その名に応えるように舞った。


「双神流の師の一人。そして今日から、あなたを試す者よ」


凛の口元が、わずかに吊り上がる。


「試す?」


「ええ」


セレスティアは穏やかに頷いた。


「山を越え、荒野を抜け、砂竜を退け、スカイゼルの試しを越えてここまで来た。その根性は認めましょう」


「根性だけ?」


「今のところはね」


セレスティアの微笑みは優しい。


だが、そこに甘さは一切なかった。


凛は顎を上げる。


「いいわ。存分に試しなさい」


青い瞳に、炎のような光が宿る。


「ただし、覚えておくことね」


セレスティアが目を細める。


凛は堂々と告げた。


「私は試練に合格するために来たんじゃないわ」


風が、二人の間を駆け抜ける。


「あなたたち双神流が、私に教える価値のある流派かどうか」


凛は不敵に笑った。


「こちらも見極めに来たのよ」


一瞬の沈黙。


スカイゼルが、思わず額を押さえる。


「おいおい、師匠相手にそれ言うか……」


だが、セレスティアは怒らなかった。


むしろ、楽しそうに笑った。


「……いいわね」


その声には、確かな期待が滲んでいた。


「その傲慢さ、嫌いじゃないわ」


凛は当然のように返す。


「褒め言葉として受け取っておくわ」


石舞台に、静かな風が吹く。


こうして高円寺凛は、双神流の門をくぐった。


まだ彼女は知らない。


この先に待つ修行が、肉体を鍛えるだけのものではないことを。


風を掴み。


火を宿し。


水に映り。


雷を纏い。


大地と響き合う。


そして、彼女自身の奥底に眠るものを暴き出す旅になることを。


高円寺凛の本当の試練は、ここから始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ